キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(2日目)

キシニョウのバスターミナル。
もう夕方なのだが、まだまだ外は明るい。
ヨーロッパの夏の昼は長い。
こんなことならもう少し沿ドニエストル共和国でねばっとくんだった。
あんなに面白い国とめぐり合うことはそうはないだろうから。
だが、沿ドニエストル共和国にいる時にはとてもそんな楽観的な気持ちになれなかったのも事実だ。
どうしても日が暮れるまでには国境を越えておきたかった。
あの国で出会った人はみないい人たちばかりだったのだが、
「ヤバい国、沿ドニエストル」
という印象はどうしても最後まで拭い去ることができなかったからだ。
実際、警官たちに脅されもした。
だから無事モルドヴァに帰ってこれた時には正直ホッとしたものだ。
ほんの数日前まではこのモルドヴァも私の中では「油断ならない国」の一つだったことを思えば、
少しは私の経験値も上がったのかもしれない。
モルドヴァには日本国大使館は置かれていないのだから、まだまだ気を抜くわけにはいかない。
それでも、「一応は国際社会の目が行き届いている場所にいるんだ」という事実は大いに私を安心させてくれた。
自分で思っている以上に、沿ドニエストル共和国では緊張していたようだ。

キシニョウのバスターミナルは人影もまばら。
市場の露店もほとんど店を閉め終わっている。
朝のあの喧騒が嘘のようだ。
もう一度あのヤクザや奇妙な女の子に会えないだろうか、とかすかに期待していたのだが、この様子では無理のようだ。
「沿ドニエストル共和国探検」という一大事業を無事なし終えて、今日のミッションは終了したかに思えたが、実はまだ難題が残っていた。
キシニョウでのカウチサーフィンのホスト、アントンの家は市の中心部からはかなり離れた所にある。
朝は彼の車で送ってもらったのだが、今度は自力で彼の家を探し当てなければならない。
昨日の晩にアントンから詳しく道順を聞いておいたのだが、どうもしっくりこない。
教わった通りにバスを降りたつもりだが、なんだか間違ってる気がする。
今日の朝通った道を逆になぞればアントンの家に帰れるのだから、簡単な作業のはずだ。
それなのに、迷ってしまった。
自力でアントンの家まで戻れそうにない。
すでに太陽はビルの影に沈んでしまっているから、暗くなるのはもう時間の問題だ。
どうしようもない焦燥感に襲われる。
アントンの家はここからそう遠くはないはずなので、彼に電話して迎えに来てもらうことは可能だ。
でも、
「道に迷ったから迎えにきて! お願い!」
と言うのは恥ずかしすぎる。
そこで、
「今、君の家の近くまで帰ってきてるんだけど、よかったら一緒にメシでもどう?」
とメールを送ってみた。
ありがたいことに、アントンからは即座にOKの返事が来た。
助かった。
「昨夜夕食を食べた店で会おう」
ということになったのだが、実はそこへの行き方すらわからない。
恥をしのんでアントンに聞いてみたら、どうやら私は2つほど手前のバス停で降りてしまっていたらしい。
どうりで彼の家への帰り方がわからないわけだ。
私は一度彼の家を訪れている。
にもかかわらず迷ってしまった。
初見で彼の家を自力で探し当てたという日本人バックパッカーの女の子にはほんとに頭が下がる。
恐れ入りました。

モルドヴァのファミレス、「La Placinte 」
二日続けて同じ店というのも芸がないが、ここがベストの選択だと思う。
ひととおりすべてのモルドヴァ料理がそろっているし、値段も安い。
市内に何軒も店を展開しているというから、キシニョウ市民からの支持も得ているのだろう。


アントンに勧められて頼んでみた飲み物。
モルドヴァの伝統的なドリンクらしい。
甘いジュースのようだが、味は微妙。
口直しにモルドヴァワインを飲んだ。
こちらは文句なしの絶品。
この後、他の国でもいろんなワインを試してみたが、モルドヴァワインを超えるものはなかった。



最期にアントンがアイスクリームを注文した。
「一緒に食べよう!」と言う。
しかし、「モルドヴァにしかない特別なデザート」というわけでもないらしい。
ただ彼が甘党だというだけの理由のようだ。
どうせならここでしか食べれないデザートの方がよかったんだけどな・・・

夕食の帰り道、アントンが「いいところがある」というので連れていってもらった。
通り全体がイルミネーションで覆われているらしい。
これを見せてくれたアントンは、「どうだ、すごいだろう!」と言わんばかりに胸を張っている。
だが、しょぼい。
彼には悪いが、どうしようもなくショボい。
電力事情が悪いのだろうか。
この街全体が薄暗く、普通に道を歩くだけでも懐中電灯が恋しくなったほどだ。

アントンの部屋には、合気道開祖、「植芝盛平」の写真が飾ってあった。
彼は合気道を習っていたらしい。
実はモルドヴァでのカウチサーフィンのホスト探しにはずいぶんとてこずった。
かなり前から何通もカウチリクエストを送っていたのだが、ほとんど無視されていたのだ。
キシニョウにはカウチサーファーの数自体それほど多くない。
私には、「すべての訪問国でカウチサーフィンを利用する」というミッションがある。
だが、国によってはそれが困難なこともある。
カウチサーフィン自体が認知されていない地域だってある。
モルドヴァもその一つだ。
どうも反応が鈍い。
なんとか一人のホストから受け入れの返事をもらっていたのだが、直前になって連絡が取れなくなってしまった。
「もしかして今回はダメかも・・・」
そんな時に私を救ってくれたのがこのアントンだ。
ホストはすべてのリクエストを受け入れたりはしない。
数多く受け取るリクエストの中から一人のカウチサーファーを選ぶにはなんらかの理由があるはずだ。
アントンは以前にも日本人の女の子をホストしている。
合気道をやっていたことからしても、彼が日本に対してなんらかの興味を抱いていることは確かだ。
だから私のカウチリクエストも受け入れてくれたのだろう。
そんな彼の期待に応えることがはたしてできただろうか。
日本人の名に恥ずかしくない行動をとることができただろうか。
どうも今回は自信がない。
昨夜彼はキシニョウの見どころを丁寧に教えてくれた。
それなのに私はそれらのほとんどを訪れていない。
ほとんどの時間を沿ドニエストル共和国のために費やしてしまったからだ。
夕食の時、私がアントンに聞かせた土産話はそのほとんどが沿ドニエストル共和国のもの。
キシニョウで訪れた場所はほんの少し。
きっと彼は落胆したことだろう。
モルドヴァ国民であるアントンにとって、沿ドニエストル共和国は敵国にあたるのかもしれない。
そんな彼に向かって私は、沿ドニエストル共和国旅行がいかに楽しかったかを目を輝かせながら語った。
いったい彼はどんな気持ちで私の話を聞いていたのだろうか。
そんなことにも気づかないくらい、私は興奮していたのだ。
モルドヴァの人には悪いが、私にとっては沿ドニエストル共和国の方がはるかに刺激的で面白かったのだ。

キシニョウでの私のカウチ。
アントンは母親と恋人と一緒に暮らしている。
残念ながらアントンの彼女は旅行中で会えなかったのだが、母親には親切にしてもらった。
英語がまったくできないお母さんだったが、常ににこやかに接してくれた。
こういう温かい家庭でお世話になるといつも、
「ああ、カウチサーフィンやっててよかったな」
という気持ちになれる。
世界中にはいろんな国があり、肌の色や話す言葉はそれぞれ異なるけれど、
けっきょく人間ってみんなおんなじなんだな、とも思えてくる。
アントンの住んでいるのは共産主義時代に建てられた古い団地。
なんのへんてつもない、むしろどちらかといえばオンボロな建物なのだが、よくよく考えてみると、こんな所に泊まれるというのはすごいことなのかもしれない。
ほんの20年ほど前まで、モルドヴァは旧ソヴィエト連邦に所属していた。
その当時は日本人がこの国を旅行することも難しかっただろうし、ましてやホテルではない一般の家庭のお宅に泊めてもらうことなんてほとんど不可能だったにちがいない。
もっとじっくりとモルドヴァを味わっとくんだった。
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