沿ドニエストル共和国をビザなし入国で旅行

いよいよ沿ドニエストル共和国へ向けて出発です。
キシニョウを出発する時点ですでにバスは満席でした。
ティラスポリまでは2時間ほどかかるそうなので、席を確保できないとけっこうきつい。
実はこの沿ドニエストル共和国、バックパッカーの間ではかなり評判が悪い。
国境を超える際、日本人は別室に呼ばれ、不当な賄賂を要求されるのだとか。
もちろんそんなものは支払う必要ないのですが、払わないといつまでも通してくれないらしい。
特に日本人に対しては厳しい態度ででてくるので、日本人バックパッカーはまず例外なく
「賄賂部屋」
に連行されると思っておいた方がいい、というような情報をネット上で見ることができる。
なんだかめんどくさそうな国だなあ。
また、外務省の渡航情報(危険情報)によれば、この沿ドニエストル地域(トランスニストリア)は
「十分注意してください。」
となっています。
なんだ、その程度のレベルか。
ウクライナと同じじゃないか。
なら問題ないな。
と思っていたのですが、私が沿ドニエストル共和国に行くことをホストのアントンに告げると
「あそこはヤバい。 やめといたほうがいい」
とさんざん脅されました。
もしもモルドヴァ国民が沿ドニエストル共和国に入ろうものなら、まず無事には帰ってこれないのだとか。
おいおい。そんなにヤバい状況なのかよ。
やっぱり行くのやめとこうかな。
しかし毎日定期的にバスは出ているわけですし、じっさいバスの中にはたくさんの乗客がいます。
そんなに危ない場所に行くバスが満席になるはずないじゃないか。
そう自分に言い聞かせ、萎えそうになる気分を無理やり高める努力をしました。
バスは途中、何度か停車して、新たな乗客を乗せます。
空いている席はすでになく、通路は人でいっぱいになりました。
まだ他にもバスに乗りたい人はいたようですが、もうスペースはありません。
ティラスポリ行きのバスは頻繁に出ているということなので、モルドヴァ~沿ドニエストル共和国間の人の往来はかなり多いようです。
かの国は鎖国しているようなイメージがあったので、これは意外でした。
私の座席は真ん中なので、窓からの景色は見えません。
通路には立っている人が大勢いるので、運転席の窓から外を見ることもできませんでした。
せっかく珍しい国に向かっているというのに、何も見ることができない。
退屈な時間が続きます。
1時間ほど走ったところで、バスは停まります。
いよいよ国境通過か。
身も心も引き締まります。
運転手が振り返りなにかわめいていますが、もちろんなんと言っているのかは私にはわかりません。
しかし、乗客たちがわらわらと車を降り始めたので、「国境通過の手続きは各自でやれ」ということなのでしょう。
でも、すべての乗客が降りたわけではありません。
席に座ったままじっとしている人も半分くらいにのぼります。
「俺も行かなきゃだめか?」
運転手に身振りでそう聞いてみると、
「当然だろ。さっさと行って手続してこい」
と車を追い出されました。
小さな小屋の中には係官が二人いて、乗客たちのパスポートをチェックしています。
他の人の手続きを見ている限り、けっこう簡単に通過できそうにも見えます。
しかし、私は日本人。
他の人たちとは毛色が違います。
きっとすんなりとは通してくれないんだろうな。
悪名高き「賄賂部屋」というのはどこにあるのだろう。
あたりをキョロキョロしているうちに、私の順番がやってきました。
係官は私のことをめんどくさそうに見ています。
どうやら彼は英語が話せないらしい。
隣にいたもう一人の係官になにか話しかけ、その人と席を交代しました。
もう一人の係官はどうやら英語ができるようです。
「今からだとあと数時間しか滞在できないが、それでもいいか?」
といったありきたりの質問をいくつかされただけで、すぐにパスポートを返してくれました。
私の名前とパスポートナンバーが印刷された紙切れももらいました。
きっとこの紙は出国するときに必要なのでしょう。
荷物の検査はされませんでしたし、賄賂の要求も一切ありませんでした。
えっ! これだけ?
あっさりと国境を通過できてしまったのです。
沿ドニエストル共和国について書かれているブログを読むと、必ずといっていいほど国境通過の際の苦労話、あるいは武勇伝が「これでもか」とばかりにつづられています。
そういうのを読んで覚悟を決めていった私としては、なんだか肩透かしを食らわされたようで、拍子抜けしてしまいました。
簡単すぎる。
これじゃあ他の国の国境審査となんら変わらんじゃないか。
沿ドニエストル共和国、お前もたいしたことないな。
そしてついにバスはティラスポリに到着した。
乗客たちはさっさと降りてしまうが、私は面食らっていた。
ほんとにここが首都なのか?
静かすぎる。
バスターミナルは鉄道駅と隣接しているようだ。
ということは、ここはこの国で一番の繁華街のはず。
それなのになにもない。
高層ビルも複合商業施設もスクランブル交差点もない。
人通りもほとんどない。
これはまいったな。
ティラスポリに着いたらなんとかなるだろうと思っていたのだが甘かった。
観光案内図なんてものがあるわけないし、もちろん地球の歩き方にだって沿ドニエストル共和国の見どころは載っていない。
だってこの本には「沿ドニエストル共和国は治安状況が悪いので、訪れるべきではない」と書いてあるのだ。
もちろんWiFiなんてものがあるわけない。
なにもない駅前でじっとしていてもしかたがない。
この国の滞在許可はとってないので、今日中にモルドヴァに戻らなければならないのだ。
でも、移動する前にせっかくだから駅の写真を撮っておこう。
そう思ってカメラを取り出したその瞬間、駅を警備していた兵士が私の方へと歩いてきた。
なにもない駅前のくせに、警備の兵士だけはちゃっかり配置しているのだ。
さすが沿ドニエストル。
兵士はまっすぐ私の方へ向かってくる。
彼が言いたいことはわかっている。
「ここは重要拠点だから写真は撮るな」
だが、まだ彼はなにも言っていない。
なんのジェスチャーもしていない。
だからシャッターを押すことは可能だ。
そしてその瞬間、兵士が私に向けて引き鉄を引くことも可能だ。
ここは沿ドニエストル。
国際社会から隔離された未承認国家。
そんな場所で、兵士を無視して写真撮影を続行するだけの度胸は私にはない。

沿ドニエストル共和国での記念すべき第一枚目の写真撮影は、兵士によって制止されてしまった。
なかなか幸先の悪いスタートだ。
あの兵士は英語が話せなかったからよく理解できなかったが、駅の写真を撮るな、と言っていたのだろうか。
それとも、この国では外国人は写真を撮ることを許されていないのだろうか。
だとしたらやっかいなことになったぞ。
ここまできて一枚も写真を撮らずに帰るなんてことができるか。
情報の少ない国だからこそ、いつもよりも多く写真を撮りたい。
だが、兵士の目を盗みながらではやりづらいな。
いつまでも駅前で立ち往生しているわけにはいかない。
私はビザを取得していないから、今日中にこの国から出なければならないのだ。
とりあえず侍の衣装に着替えた。
兵士からは死角になる場所で。
腰に刀を差した侍の格好を見咎められたら、やはり兵士になにか言われるのだろうか。
「いきなり後ろから撃たないでくれよ」
そう願いながらティラスポリの駅前を後にした。
沿ドニエストル共和国について書かれたブログはいくつか読んだ。
そのどれもが、この国についてはあまり良いことは書いていない。
「まるで珍しい動物でも見るかのような目つきでジロジロ見られた」
「今までに味わったことのない、なんとも言えない嫌な雰囲気が町中を覆っていた」
「国境で賄賂を要求され、拒否したら長時間別室に拘束された」
ほとんどがネガティブな感想。
「ティラスポリの人たちサイコー! みんなと仲良くなっちゃいました」
などと書かれたブログは私の見る限りなかった。
それでも私は楽観視していた。
自分は他の旅人とは違う。
カウチサーフィンを通じて何百人もの外国人と交流してきたのだ。
ホテルと観光地の間を往復するだけで、現地の人と言葉を交わそうともせず、せっかく外国に来ても日本人同士でつるむ内向き日本人と一緒にしてもらっちゃあ困る。
そう思っていた。
だがこの沿ドニエストル。
確かになにかが違う。
街全体を重い空気が覆っている。
建物はたくさんあるのに、まったく人の住んでいる気配がしない。
ゴーストタウンか、ここは?
メインストリートを歩いても人通りはほとんどなし。
やけに静かだな、と思っていたら、それもそのはずで、道路を走る車もほとんどないのだ。
たまにすれ違う人々も、なんだかよそよそしい。
とても話しかけられる雰囲気ではない。
あきらかに異邦人である私の存在を拒んでいる。
こんなに閉鎖的な空気を醸し出している国は初めてだ。
ティラスポリの独特な空気に圧倒され、思いっきり萎縮してしまった。
なんかいやだ、この国。
はやく帰りたい。
すっかり弱気になってしまった私だが、もちろんこのまま帰るわけにはいかない。
でも、どこに行けばいいのかもわからない。
前から一人の女の子が歩いてきた。
若い子だからきっと英語も話せるだろう。
そうだ、あの娘に聞いてみよう。
勇気をだしてその女の子に声をかけてみた。
彼女は私のことを、まるで害のない低級な悪霊でも見るかのような目つきで一瞥しただけで、足も止めずに歩き去ってしまった。
一言も発しなかった。
こんな態度をとられたのは初めてだ。
すっかりティラスポリの人に対して人間不信になってしまった。
もう誰にも話しかけたくない。
グーグルマップはよくできた地図だが、観光案内としては利用価値は低い。
どちらへ行けば面白そうな場所に出るかはわからなかったが、とりあえずバスが通ってきた道を歩いて戻ってみることにした。


とりあえず記念撮影してみるも、なんだか気分が浮かない。

洗濯物が干してあるのだから、おそらく住居用の建物なのだろうが、まったく人の住んでいる気配がない。
おそろしく静かな首都だ。

ティラスポリの街中では、この会社のロゴをあちこちで見かけた。
有名なコニャックの会社らしい。

しばらく歩いているうちに、だんだんと人通りが多くなってきた。
おそらくこのあたりが街の中心部なのだろう。
そしてここで初めて声をかけられた。
彼らは少し英語もできるらしい。
ほっとする瞬間。
ティラスポリの人間みんながみんな外国人に対して冷たいわけではないのだということがわかって、ほんとに安堵した。
せっかく捕まえた現地人だから、彼らにはいろいろと聞きたいことが山ほどあったが、どこかへ向かう途中らしく、あまり長時間引き止めるのも気がひけた。
かろうじて郵便局の場所だけ聞き出し、彼らと別れた。
教えてもらった建物の前には、10代と思しき若者たちが何人かたむろしていた。
現地の人と話すことに成功したおかげで、私の士気はほんの少しだが上昇している。
彼らに話しかけてみた。
「英語はできるかい?」
若者たちはお互い顔を見合わせていたが、やがてそのうちの一人が胸を張って答える。
「ああ、できるよ。当然だろ」
それは心強い。
彼らならどこか面白そうな場所を知っているかもしれない。
ヒマを持て余しているみたいだから、ひょっとしたら俺と一緒に遊んでくれるかもしれない。
そう思って彼らとのコミュニケーションを試みたのだが、どうも話がかみあわない。
どうやら彼は仲間の手前、「俺は英語ができるんだぜ」と言いたかっただけで、実はほとんど英語を知らないようだ。
こいつはまいったな。
この沿ドニエストル共和国では英語を学校で教えていないのだろうか。
鎖国状態のこの国は、ほとんどの国から独立を承認されていない。
アメリカやEU諸国を敵視しているとも聞く。
そんな国では英語ではなく、ロシア語を学校で教えるのだろう。
とにかく彼らとはこれ以上仲良くなれそうにない。
また振り出しに戻ってしまった。
と、その時、一人の女性が声をかけてきてくれた。
「どうしたの?
何か困ってる?
私に手伝えることはあるかしら」
孤立無援状態に陥っていた私を救う女神。
彼女の登場により、私の沿ドニエストル共和国旅行は劇的な変化を遂げることになる。
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