マッサージを終えて出てくると、バイクタクシーの兄ちゃんが
「よう、どうだった? 気持ちよかっただろ。」
と聞いてくる。
ニヤニヤと笑いながら。
もちろん彼はここが「そういう」店だと知っていたに違いない。
ここに連れてきたのは親切のつもりだったのだろうか。
彼のバイクでフエの中心部まで戻り、タクシー代を払おうと財布を取り出した。
するとその時だ。
前の方から1本の手が伸びてくる。
その手は私の財布に入り込み、札束をつかむ。
目の前で何が起きているのか、私には理解できなかった。
バイクタクシーの兄ちゃんは私の金を後ろに隠し、にやけた顔で口笛なんか吹いている。
「なにすんだ。返せよっ!」
私が怒鳴っても、彼はまったく動じない。
私から盗った札束をポケットにしまいこもうとしている。
ズボンのポケット、シャツの胸ポケット、ベルトの裏、帽子の中・・・
「返せ、この野郎! 俺の金だぞ。」
私は彼の腕をつかんで、金を取り返そうとした。
だがこの男は動きを止めない。
靴下の中、パンツの中、ヘルメットの中・・・
スルスルとお金を移していく。
「このままじゃダメだ。」
私は彼の腕をねじり上げ、壁に押し付けた。
「痛い、痛いよ。なにするんだよ。放してくれよ。
おーい、誰か、助けてくれー。」
バイクタクシーの兄ちゃんが叫ぶ。
うるさい奴だな。
首根っこをつかんで、顔を壁に押し付けてやった。
そうしておいてから、私の金を回収にかかる。
ポケットの中やベルトの裏、帽子の奥に手を突っ込み、一枚ずつ札を取り戻す。
少し抵抗があったが、靴下やパンツの中にも手を入れた。
「おいおい、どこに手を入れてるんだよ。この変態野郎」
バイクタクシーの兄ちゃんはからかうように言った。
こいつ、完全に俺をナめてるな。
「何をしてるんだ。」
そう声をかけられて振り返ると、私の周りには人だかりができていた。
なんてこった。
事情を知らない人が見れば、まるで私がカツアゲをしているみたいじゃないか。
「誰か助けてくれよ。
この日本人が俺に暴力を振るうんだよ。
きっとこいつ頭がおかしいんだぜ。」
そのとおり。
客観的に見ればそんな風に見えてしまうだろう。
ここはなんとしても誤解を解かねば。
あわてて状況を説明しようと試みたが、気が動転してなかなか言葉がでてこない。
しかも、集まってきてるのはベトナム人ばかり。
私の英語は伝わっているのだろうか。
いや、きっと誤解されている。
非難がましい視線が私に集中している。
ここは早々に退散したほうがよさそうだ。
だが、その前に私の金を取り返さねば。
いったいいくら盗られたのだろう。
「残りの金はどこに隠したんだ?
正直に言わないと警察を呼ぶぞ。」
「警察」という言葉を出せば少しはビビるかと思ったが、そんなものは彼に対してなんの効果もなかった。
「警察? 呼びたきゃ呼べよ。
なんなら一緒に警察署まで行こうぜ。
ほら、俺のバイクに乗れよ。
連れてってやるぜ。
ただし、2ドルだっ!」
こいつ、人の金を盗っておいてなんだその態度は。
野次馬のベトナム人の一人が私に言う。
「警察に言っても無駄だよ。
あんた、その金が自分のものだと証明できるのかい?」
証明?
財布の中に手を突っ込まれて奪われたんだ。
それで充分だろ。
しかし彼の言うことにも一理ある。
私は財布の中に入っていた金額を正確には覚えていない。
「もういいから帰んな。」
ベトナム人の一人が言う。
被害者は俺の方だぞ。
それなのになんで俺がこそこそ逃げ帰らなきゃならないんだよ。
それに、これだけ騒ぎが大きくなってるのに、なぜ警察は来ないんだ?
ここは繁華街のど真ん中だぞ。
後日、タムたちにこの話をすると、
「それくらいの事じゃベトナムの警察は動かないわよ。
彼らは怠け者なんだから。
殺人でもあれば別だけどね。
この国では警察なんて当てにしちゃダメ。
自分のことは自分で守らないと。」
タムはまるで私が間抜けのような言い方をした。
でも、自分の目の前で財布の中に手を突っ込まれて金を盗られることなんて、想像できる?
話を元に戻そう。
いずれにせよ、今の私の状況はどうも不利なようだ。
不本意だが、この場を立ち去ることにした。
後ろからバイクタクシーの運ちゃんの声が聞こえてきた。
「タクシー代払えよこの野郎。
せっかく俺がいい所に連れて行ってやったのに。」
ベトナムのお金は日本の円とはかなり価値が異なる。
数十枚の札束でも、日本円に直すとたいしたことのない金額だ。
バイクタクシーの兄ちゃんに何枚かの札を盗られたかもしれないが、
日本円にすればせいぜい数百円といったところだろう。
わずか数百円で希少な体験をすることができた。
相手の胸倉をつかんで大声を張り上げるなんて、いったい何十年ぶりのことだろう。
いや、ひょっとしたらわが人生初の経験かもしれない。
私の旅も終盤に差し掛かっているが、これから先もいろいろな事が起りそうな気がする。
ベトナムは気の抜けない国だ。
でも、これまで訪れたどの国よりも刺激的で、おもしろい。
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