6月24日(日) 欲深きカンボジア人 (シェムリアップ、カンボジア)

日記をつけるダン。
このハンモックは彼のお気に入りでした。

ゲストハウスの女の子たち。
ラオスの子供はよく働きます。
というか、このゲストハウスでは子供しか見ませんでした。
彼女たちはまだ小さいのによく働き、
実に感心なのですが、そこは若い女の子。
生意気で、かわいくないところもあります。
そこで、仕返しと言ってはなんですが、
早朝の寝起きの顔を写真に撮ってやりました。
いきなりカメラを向けられて、あわてふためく彼女たち。
「ふははは。思い知ったか!
大人をナメるな!」

ダンとはここでお別れです。
彼とは何か通じるものがありました。
私も、彼のような旅のスタイルを貫こうと思います。

ナーカサンの市場。
ここはいつも活気があって好きです。
大きなリュックを担いだ外国人旅行者はここを通り過ぎるだけ。
店の中にいる客は地元の人ばかりです。

このミニバンは国境まで。
ここで大型のバスに乗り換えます。

ラオス側の国境ゲートとイミグレーションオフィス。
ショボい。

ラオスとカンボジアの国境。
私は国境が好きです。
なんだかロマンを感じます。
でも、ここの国境はさびしすぎる。
細いバーが一本あるだけ。
自動小銃を持った兵士もいなければ、鉄条網もありません。
まあ、今時そんな物騒な国境はなかなか無いか。

カンボジア側のイミグレーションオフィス。
国境を無事に通過するためには、役人に賄賂を払わなければなりません。
わずか1ドルです。
納得いきませんが、ここは素直に支払った方が得策のようです。
下手に逆らえば、どんな嫌がらせをされるかわかったもんじゃありません。

バスは途中で食堂に立ち寄ります。
一番左の白いシャツを着たのがガイド。
こいつがかなりの曲者なんです。

これが記念すべき、カンボジアでの最初の食事。
もっとカンボジアらしいものを期待していたのですが、
これはどう見ても日本の肉じゃが。
おふくろの味。
そんなもの このカンボジアには求めていないぞ。

道沿いには、時折家が見えます。
川が近いためか、高床式の家ばかり。



バスは深夜にシエムリアップに到着。
ここから市街まではかなりの距離があるので、
ホテルの客引きやタクシードライバーのいいなりになる以外の選択肢はありません。

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6月24日(日) 欲深きカンボジア人 (シェムリアップ、カンボジア)
3日間 行動を共にしたダンとも今日でお別れ。
彼はラオスを北上し、私はカンボジアへと下る。
相変わらずダンはツーリストバスを使わず、
あくまでも地元の人の使う公共交通で目的地に向うつもりだ。
ここでいう「地元の人の公共交通」とは、小さなボートのことだ。
メコン川をヒッチハイクしながらさかのぼるつもりらしい。
ボートのヒッチハイク。
まったく。
無茶しやがる。
「Good Luck」
この言葉を、心の底から言ったのは おそらくこれが初めてだ。
シンガポールで会おう、ダン。
バスのチケットを手配してもらったツアー会社の事務所で
国境越えについての説明を受ける。
カンボジアの国境審査官との無用なトラブルを避けるため、
やはり1ドルの賄賂は必要らしい。
空港や国境で賄賂を要求されるのは周知の事実なのに、
カンボジア政府はいったい何をしているのだろう。
内戦が終結してから、もうかなりの時間が過ぎた。
しかし、この国はまだ国家の体をなしていない。
東南アジアの国々は、本当に時間にルーズだ。
8時30分に来るはずのバスは9時に来るし、
9時30分に来るはずのバスは10時30分に来た。
朝早く起きて準備したのがばからしくなる。
カンボジア国境を越えてからも、2時間くらい待たされた。
ガイドはバスの中で寝ている。
いったい我々は何を待っているのだろう。
ガイドが昼寝から目覚めること?
ようやくバスから降りてきたガイドは悪びれもせずに、
「みんな もう準備はできたかい?」
これにはさすがにみんなキレた。
「俺たちはとっくの昔に用意はできてるんだよ!
早く出発してくれっ!」
途中で何度か食事休憩をはさむ。
食堂のおばちゃんはまったく英語が理解できないようだ。
そこで、ガイドが我々とおばちゃんとの間に立って通訳する。
ガイドは乗客たちの間を飛び回って、注文と会計を助けている。
「おっ、なかなかこのガイドは良く働くじゃないか」
しかし事実はそうではなかった。
私が水を買うために売店に入った時のこと。
お店のお姉さんは4000レアルと言ったので、財布からお金を出そうとしていたら、例のガイドが飛んできて、
「その水は5000レアルだ」と言う。
「でも、このお姉さんは4000レアルって言ったよ。」
と私が言うと、彼は舌打ちして私を睨みつけていた。
そうなのだ。
このガイドは親切で通訳をかってでているわけではないのだ。
実際の価格より高い金額を我々に伝えて、その差額を懐に入れているのだ。
バスがシェムリアップに着いた時、深夜の0時30分をとうに過ぎていた。
ガイドは言う。
「もうホテルのフロントは閉まっている。
まだ宿を予約していない者は、私の兄の経営するホテルを紹介するから安心して欲しい。」
よくもヌケヌケとそんなことが言えるな。
お前らが遅れなければもっと早い時間に到着していたぞ。
このバスは毎日運行している。
その気になれば、もっと早い時間に到着するようスケジュールを組むことは可能なはずだ。
まあ、わざとやっているんだろうが。
こんな深夜に重い荷物を抱えて宿探しをするのは嫌だったので、
このガイドの紹介するホテルに泊まることにした。
このガイドは信用できないのはわかっていたが、やはり情報は欲しい。
カンボジアについて いくつか彼に質問してみた。
私がプリア・ヴィヘアについて聞くと、彼の目はギラギラと輝く。
彼の提示する金額は200ドル。
片道だ。
えらい高いな。
「あんたの名前はなんて言うんだ?
マサトか。
マサト、あんたのことをMy Friendって呼んでいいかな?
いや、brother って呼ばせてくれ。
プリア・ヴィヘアについては、宿に着いてからじっくりと話し合おう。」
なんて馴れ馴れしい奴だ。
ホテルに着くと、一人の男が私の荷物を運ぼうとする。
「いや、自分で運べるからいいよ」
と私が言うのも聞かず、その男は私の荷物を持って階段を上がっていってしまった。
部屋に到着しての彼の第一声は
「チップは? チップは無いの?」
誰がお前なんかに払うか。
ラオスから到着したばかりで、まだカンボジアの細かいお金が無いと言っておいた。
その後、例のガイドが私の部屋にやって来て、「さっきの話の続きをしよう」と言う。
この時点で、このホテルに対する信用はもはやゼロだったので、プリア・ヴィヘア行きは断った。
すると彼は「そうか。フンッ。Bye」
と言い捨てて立ち去ってしまった。
おいおい。
さっきまでMy Friend だの Brother だの言ってたのはなんだったんだよ。
これがカンボジアか。
これがこの国のルールなのか。
この国の人間はみんなこんな感じなのだろうか。
そうでないことを祈るばかりだ。
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