6月10日(日) 12歳ならどうだ?(タチレイ、ミャンマー)

中華系のマーケット


托鉢のお坊さん

ミャンマー系のマーケット


ミャンマーの女性は、顔に何かを塗っています

彼女たちが顔に塗っているのは、これ

この木をすり潰した物を使うんですね





学校の制服





遠くに見えている黄金の塔。
これからあそこへ向かいます

丘の上からはタイの国境ゲートビルが見えます



メイミンにミャンマー式のお参りの作法を教えてもらいました。
自分の年齢の数だけ、仏像に水をかけるのだそうです



私が身にまとっているのは、ミャンマーの伝統的な衣装、サロン

ミャンマーの古いお札。
左が日本統治時代の物。
右がアウンサン・スーチーさんのお父さん。
ちなみに私の顔には、ミャンマーのお化粧が施されています

みやげ物売りのおばちゃん。
色々と売りつけられてしまいました


托鉢のお坊さんの列に遭遇






このバイクでメイミンは私を怪しげな場所へと連れて行ってくれました

ミャンマー(タチレイ)では、これがパスポートの代わりです


国境付近で再び彼らと遭遇。
ミャンマーで彼らを見かけたら、バイアグラ買ってやってください

ミャンマーもこれで見納め

お金をねだる子供達

タイ側の国境が見えます。
なんだかホッとする瞬間です

タイ最北端の碑

タイ側のマーケットはミャンマーと比べて、どことなく明るい雰囲気があります


突然の大雨。
傘を差して、原チャリに二ケツ。
東南アジアですね~

今夜の夕食

6月10日(日) 12歳ならどうだ?(タチレイ、ミャンマー)
蒸し暑くて目が覚めた。
扇風機が止まっている。
いや、扇風機だけでなく、電気そのものがストップしている。
これがミャンマーなのか。
ipadとデジカメの充電は大丈夫かな?
ホテルの外に、例の兄ちゃんたちの姿は見当たらない。
しめた、チャンスだ!
この隙に逃げてしまおう。
そう思った瞬間、後ろから声がかかった。
「よう、よく眠れたか?」
物陰から彼らがニヤニヤしながら出てくる。
これはもう観念するしかなさそうだ。
昨日はバスを降りてすぐに国境を越えたので、
お金を引き出す時間がなかった。
そこで兄ちゃんにATMの場所を聞いたら、
「そんな物はこの町には無い」
とキッパリと言われた。
そんなばかな。
仮にも国境の町だぞ。
毎日大勢の人間が行き交いする。
その町にATMが一台も無い?
いいぞ、ミャンマー。
これは全ての常識を捨て去る必要がありそうだ。
非常用に持ち歩いていたドルを両替して、なんとか急場をしのぐことにしよう。
他のミャンマーの街はどうだか知らないが、
ここタチレイではミャンマーの通貨は流通していない。
タイ バーツが全てだ。
ドルも使えなくはないが、小さなお店では受け取ってもらえないことが多い。
最初 4,5人いた兄ちゃんたちは、気づくと一人になっていた。
彼らの中で唯一英語が話せる青年だ。
とはいっても、彼の英語はわかりにくい。
なかなかこちらの意図していることが伝わらない。
そのうえ、会話の最後に必ず
「Sir,Yes Sir!」
をつける。
お前は海兵隊か。
恥ずかしいからやめてくれないかな。
彼の名はメイミン。
若く見えるが27歳だ。
いったい何をしている人なのだろう。
彼は市場を案内してくれた。
この町には中華系の市場とミャンマー系の市場がある。
中華系の市場では、CDやDVD、タバコやバッグ、それに携帯電話などがたくさん売られている。
おそらくそのほとんどがコピー品なのだろう。
市場内で托鉢の僧侶と出くわした。
僧侶と言っても まだ子供。
10歳くらいだろうか。
このチビっ子僧侶、けっこう厚かましい。
私の前に仁王立ちになり、お布施をするまで道を通さない勢いだ。
お布施というより恐喝だな こりゃ。
もう一つのミャンマー系の市場。
こちらの方が断然おもしろい。
日本では見たこともない食べ物がたくさん売っているし、
人々の顔立ちもタイのそれとは微妙に異なる。
それに、顔に白粉のような物を塗っている。
まるでアフリカの土人のようだ。
「あれは何?」
とメイミンに聞いてみたのだが彼の答えは要領を得ない。
お化粧だとか、日焼け止めだとか、肌をツルツルにするとか、
いろんなことを言っていた。
どうも本人もよくわかっていないようだ。
小さい頃から当たり前のように存在する物だから、
普段そんなことは考えたこともないのだろう。
丘の上にある寺院を案内してもらった後、メイミンはバイクを用意してくれた。
少し遠くに行くから これが必要だという。
「いったいどこへ連れていってくれるのだろう」
と思っていたら、バイクは一軒の家の前に止まった。
なんだ、ここは?
メイミンの実家か?
家の中に入ると、女の子が20人くらいいた。
10代後半から20代前半といったところか。
化粧はそれほどケバくなく、みんな日本の女の子並みにおしゃれだ。
私の姿を見ると、彼女たちは私の前に整列した。
「好きな娘を選べ」
メイミンは言う。
ここは売春宿だったのだ。
いや、だから女はいらないって言ったじゃないか。
「なんだ、もっと若いのがいいのか?」
メイミンが何か言うと、奥の部屋から別の女の子たちが出てきた。
「これならどうだ。みんな若いぞ。15歳以下だ。
あの娘なんてどうだ?12歳だぞ。」
12歳って!
犯罪じゃないか。
いや、売春自体 犯罪なわけだが。
私がしぶっていると、
「なんだ、もっと若いのがいいのか。
それなら別の場所に行かなきゃならない。
ここからはちょっと遠いけど、それでもいいか?」
12歳よりもまだ若い子がいるのか。
なんでもありだな、ミャンマーは。
それだけ需要もあるということだろう。
聞けば、彼は大勢の日本人を案内してきたらしい。
私が女を買わなかったことが、メイミンには理解できないらしい。
「なぜだ? こんなに安いのに」
確かに日本やタイに比べれば安いかもしれないが、
私はもっと安い所を知っている。
ルーマニアでは5ユーロだった。
しかも女の子は3人。
そういう問題ではないが。
(いや、買ってないですよ。念のため)
あの女の子たちは、この狭い家に共同で暮らしているらしい。
日本でいう「タコ部屋」のようなものか。
メイミンは結局私に金品を要求しなかった。
でも、彼は私を2日間案内してくれたのだ。
おかげで刺激的な体験をすることができた。
だから彼にいくばくかのお金を渡した。
それが正しいことなのかどうかはわからない。
宿に戻り、荷物をまとめて国境へ向う。
国境周辺では、物売りたちがしつこく声をかけてくる。
相手にしてはいけない。
無視していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「バイアグラはいらないか?」
メイミンとその仲間たちだ。
そうなのか。
彼らも物売りだったのか。
たちまち彼らに取り囲まれる。
だが、不安や不快感は感じない。
「もうタイに戻っちゃうのか。
またミャンマーに来るんだろ?
俺たちはいつもこの辺りをウロついているから、
見かけたら声をかけてくれよ。
今度は別の置屋を案内するからさ。」
いや、だから女はいらないんだってば。
「バイアグラ買ってくれよ。
タイでも絶対に必要になるからさ。」
わかった、わかった。
買うよ、買うよ。
彼らへのせめてもの恩返しだ。
結局、使う当てのないバイアグラを4粒買ってしまった。
このブログを読んでいる人で、バイアグラが必要な人は連絡ください。
送料そちら持ちでお譲りします。
ただし、飲んだ後どうなっても責任は持てませんが。
ミャンマーとタイの国境を歩いていると、小さな子供達が寄って来た。
「イミグレーション オフィスはあっちだよ。
教えてあげたから お金ちょうだい。」
私が女の子に小銭を渡すと、男の子がそれを奪い取った。
かわいそうに思って、またその女の子に小銭を渡したら、
今度は別の男の子がそれを奪う。
嫌なものを見てしまった。
こんなことを毎日繰り返して育つこの子達は、
将来どんな人間になるのだろう。
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