リラの僧院(ブルガリア)














リラの僧院(ブルガリア)
8時間以上も眠ってしまった。
よほど疲れていたのだろう。
しまった。
昨夜 ヴァーニャに洗濯機を借りたのだが、洗濯物を干すのを忘れていた。
あわてて起きると、浴室やベランダに洗濯物がすでに吊るされていた。
ほんとに申し訳ない。
ヴァーニャが用意してくれた朝食もブルガリア料理。
パイのようなものにヨーグルトをつけて食べる。
おいしい!
彼女はとても料理が上手だ。
リラの僧院行きのバス乗り場まで彼女が車で送ってくれるという。
なんと日本車。
右ハンドルでオートマの車を初めてヨーロッパで見た。
彼女の元夫は日本で自動車の輸出業を営んでいたらしい。
この車は群馬トヨタで買ったとか。
いつものクセで、右側から乗ろうとして彼女に注意された。
そうだ、これは日本車なのだ。
運転席は右側なのだ。
久しぶりに乗った日本製のクルマのシートはどこか懐かしかった。
渋滞にハマってしまった。
さっきから車はピクリとも動かない。
このままだとバスに間に合わない。
リラの僧院行のバスは一日に一本しかない。
これに乗り遅れるわけにはいかない。
車を降りて走った。
ここからはヴァーニャの力は借りれない。
すべて自力でやらねばならない。
だが、果たしてできるか?
トラムの乗り場がどこかわからない。
どの路線に乗ればいいのかも定かではない。
表示はすべてキリル文字。
英語は通じない。
トラムを降りた後もバス乗り場がどこかわからない。
バスの出発まであと10分を切った。
今日はヴァーニャが車で送ってくれるというというので、事前の下調べは全くしていなかった。
ぬかった。
火事場の馬鹿力というのだろうか。
すべてうまくいった。
方向音痴の私が一度も迷うことなく、一秒もロスすることなくバス乗り場にたどり着いたのだ。
バスはブルガリアの田舎道を走って行く。
時折 馬車を追い抜く。
道路を牛が横切る。
これがブルガリアか。
そんな私の感慨にはおかまいなしに、スピーカーからはアメリカの音楽が聞こえてくる。
ラジオからはベルリンの「Take my breath away」が流れている。
私の好きな曲だ。
25年前の私に教えてやりたい。
お前はこの曲をブルガリアの片田舎で聞くことになる、と。
居眠りしているうちにバスはリラの僧院に着いた。
予定より30分ほど遅れている。
ここにとどまれるのはわずか90分。
僧院の奥にいい場所がある、とヴァーニャに教えてもらったのだが、そこには行けそうにない。
それに体調が思わしくない。
今日はゆっくりすることにしよう。
リラの僧院は写真で見て良く知っていた。
だが、やはり本物にはかなわない。
観光客はそこそこいたが とても静かだ。
教会の中はさらに静かだ。
足音をたてるのもはばかられる。
リラの僧院はとても小さい。
一通り見たら時間が余ってしまった。
レストランで昼食にしようと思ったのだが、本格的なブルガリアの料理は扱っていないらしい。
パンとスープだけ頼んだ。
300円もしなかった。
バスが出発する前に、もう一度 僧院を見た。
今度ここに来るのはいつだろう。
その時は誰と一緒にいるのだろう。
バスがソフィアに着いたあと、ヴァーニャに教えられたマーケットを散歩した。
日本の市場と微妙に違っていて面白い。
お土産にケーキを買う。
やはり英語は通じない。
今夜はヴァーニャにブルガリアレストランに連れて行ってもらった。
地球の歩き方を見せて、これらが食べたいと言うと、テキパキと注文してくれる。
やはり地元の人と一緒だと心強い。
カヴァルマとギュヴェチェ、キョーポルにショプスカ・サラタ。
それにワイン。
調子に乗って頼みすぎた。
大量に残してしまったので、パックに詰めてもらう。
明日の昼食になるのだ。
レストランではヴァーニャの弟に会った。
なんと、彼は日本語がかなり話せる。
それもそのはず、彼は日本人の女性と結婚して、日本に7年以上も住んでいたのだ。
今でも娘さんは日本に暮らしている。
どんだけ親日ファミリーなんだよ。
夕食の後はヴァーニャの息子、ジョージと一緒にスーパーマーケットに買い物に行った。
大きなチーズを売っていたり、ヨーグルトの種類が豊富だったりと、日本のスーパーマーケットとは少し違う。
日本の食材も少し置いてある。
醤油に海苔、酢など。
漢字で「日式」と書いてあるところがいかにも怪しい。
ヴァーニャが私のためにバクラヴァというスイーツも買ってくれた。
なるべくたくさんのブルガリアの食材を
私が体験できるように気を配ってくれる。
その心遣いがうれしい。
洗濯物はまだ乾ききっていない。
明日の朝までに乾くかな。
- 関連記事