ベオグラードでカウチサーフィン(セルビア)

ここベオグラードでのホスト、アレクサンドラの家は、鉄道駅からかなり離れた所にありました。
アレクサンドラはタクシーの利用を勧めてくれたのですが、あえて歩きます。
重い荷物を持ってガシガシと。
歩くの好きなんですよ。
セルビアなんてマイナーな国、今度はいつ来れるかわかりませんからね。
自分の足で歩いて、自分の目で街を見てみたいのです。
まあ、正直言うと、タクシー代がもったいないだけなんですけどね。
直通バスはないから、乗り換えもめんどくさそうだし。

与えられた住所だけを頼りに、ホストの家を捜し歩く。
カウチサーフィンの醍醐味です。

アレクサンドラ一家はすでに夕食を済ませていたので、独りで外に何か食べに行くことにします。
「セルビア料理が食べたいんだけど、この辺になにかある?」
と聞いたところ、近所のレストランはあいにく今日は閉まっているということでした。
「この時間だと閉まってる店も多いと思うから、私が開いてそうな店を一緒に探してあげるわ」
と、アレクサンドラもついてきてくれました。
彼女の言葉通り、夜も遅いこの時間では、ほとんどの店は閉まっています。
私に選択肢はありません。
プリェスカヴィッツァの店で手をうつことにしました。
これはこれでセルビアを代表する料理なのですが、私が訪れた店はトルコ人が経営しており、
現代風にアレンジされたファーストフードです。
アレクサンドラに言わせれば、
「こんなのプリェスカヴィッツァじゃないわ」
ということらしいのですが、仕方がありません。
明日はもっといいものを食べることにしましょう。

ベオグラードでのカウチ。
アレクサンドラの家はそれほど広くありません。
私にあてがわれたベッドも、いつもは誰か他の人が使っているのでしょう。
私のために誰かが窮屈な思いをして眠ることになるのかと思うと、やはり申し訳ない気持ちになります。

アレクサンドラと彼女の息子。
彼は空手を習っているそうです。
「ほら、マサトさんに聞いてもらいなさい」
母親にうながされて、男の子は
「イチ、ニ、サン、シ・・・」
と日本語で数を数え始めました。
空手を習わされたり、日本語を教え込まれたり。
日本大好きな母親を持つと、息子も苦労するよな。
アレクサンドラの旦那さんは、物書きをやっているようです。
昼夜逆転の生活を送っていて、地下室に彼の書斎はあります。
あまり外に出ずに、部屋にこもってもくもくとペンを走らせているだけあって、彼はあまり社交的な性格には見えません。
皮肉屋の表情が顔にこびりついているようにも見えます。
そんな彼でしたが、私のためにコーヒーをいれてくれ、一緒に飲みながら話をしました。
私がアレクサンドラ一家に到着したのは夜遅かったため、ちょうど彼の活動が活発になる時間帯にあたっていたのかもしれません。
文筆家らしく、寡黙な彼ですが、話がユーゴ紛争のことに及ぶと、かなり饒舌になります。
明らかにアメリカに対して敵対心を抱いていました。
「あいつらは偽善者だ。
「軍事施設だけを狙った」なんて言っているが、とんでもない。
街の真ん中に爆弾を落としておいて、よくもまあそんなことが言えたもんだ。
一般市民に被害が及ばないとでも思っているのか?」
日本では一般的に、「セルビア側が悪」のように報道されがちですが、
セルビアの一般人にだって大勢の犠牲者がでたのです。
「マサト、あんたも自分の目で見てくるがいい。
あいつらアメリカが、俺たちにどんなにひどいことをしたかを」
そう言って彼は今なお残る爆撃跡の場所を教えてくれました。
一つはガイドブックなどによく載っている、官庁街。
もう一つはテレビ局です。
ユーゴ紛争時の爆撃跡を見るのは、ベオグラードでのハイライトの一つだったので、
さっそく明日行ってみることにします。
実は駅からアレクサンドラの家に来る途中、私はその場所を通っていたのですが、
夜で暗かったため、まったく気づきませんでした。
アレクサンドラは日本のことが大好きなようです。
大学では日本語を専攻し、現在でも学校で日本語を教えています。
彼女のカウチサーフィンのプロフィールには、
「日本人は大歓迎よ。 ぜひうちに泊まりに来て」
と大きく書いてあります。
彼女は最近カウチサーフィンを始めたので、私が彼女の家に泊まった、記念すべき第一号のカウチサーファーでした。
「おいマサト、アレクサンドラとなにか日本語でしゃべってみてくれよ」
旦那さんが皮肉な表情を浮かべながらそう言います。
アレクサンドラの日本語がどの程度のものか、試してみたいようです。
ベオグラードにはそれほどたくさんの日本人がいるわけではないので、アレクサンドラも日本人と本格的に会話した経験はほとんどないのだとか。
おっかなびっくり日本語で会話してみましたが、けっこうスムーズに話は進みましたよ。
常にハイテンションのアレクサンドラですが、ユーゴ紛争の話になると興奮度はマックスになります。
それもそのはず、彼女は戦争で危うく母親を失うところだったのです。
「紛争当時、私の母親は将軍の秘書をやっていたの。
爆撃を受けた、まさにあの建物が彼女の職場だったのよ。
アメリカ軍の爆撃目標は軍の司令部だったから、私の母の職場はもろに攻撃を受けて、木っ端みじんに吹き飛んだわ。
爆撃のニュースを聞いた時、私はまだ学生だったから、一目散に学校から帰ったきたの。
母がどうなったのか、気が気でなかったわ。
母親が無事で生きていることを聞いて、わあわあ泣いたことを今でも覚えているわ。
母と抱き合って泣いた後、落ち着きを取り戻した私はふと不思議に思ったの。
母の職場だった司令部はミサイルの直撃を受けたのに、どうして彼女は無事なのかしら?って。
攻撃を受ける直前、匿名の電話がかかってきたんですって。
「もうすぐそこはアメリカ軍の攻撃を受けるから逃げろ!」って。
その電話を受けて、ビルにいた人たちはみんな避難したらしいの。
だから、建物はあれほど大きな被害を受けたにもかかわらず、犠牲者はほとんどでなかったのよ。
でも、不思議な話よね。
いったい誰が電話してきたのかしら。
セルビア軍にはアメリカ軍の攻撃を予測できるだけの情報収集能力なんてなかったはずだし、
匿名の電話ってのも変な話よね。
だからあれはアメリカの情報筋が電話してきたっていうのが、もっぱらの噂よ」
これから攻撃しようとする相手に対して、
「今からそっちにミサイルが行くから、逃げろ!」
と警告する。
アメリカならそれくらいのことはやりそうだ。
ユーゴ紛争当時、私はセルビアのことなんてほとんど知らなかった。
まさか自分がそこへ行くことになるなんて、夢にも思わなかった。
それなのに、私は今、ベオグラードにいる。
当時、戦火の下にいた人たちと言葉を交わしている。
それどころか、彼女たちの家に泊まっている。
20数年前、ユーゴ紛争のニュースをテレビで見ていた自分に教えてやりたい。
「よく見とけよ。それは他人事じゃないんだぞ。
お前はそこに行くことになるんだぞ。
そこに泊まることになるんだぞ。
今そこで爆撃を受けている人たちと、お前は言葉を交わすことになるんだぞ」
アレクサンドラは今、日本に旅行に来る計画をたてている。
それも1週間やそこらの短い期間ではなく、数か月の単位で。
旅行の資金が潤沢ではない彼女は、もちろんカウチサーフィンを使うつもりだ。
日本語大好きの彼女は、英語もフランス語も堪能。
日本のみなさん、アレクサンドラからカウチリクエストを受け取ったら、ぜひ彼女をホストしてあげてください。
ユーゴ紛争を経験した当事者から、貴重な話が聞けますよ。
テーマ : カウチサーフィン(Couch Surfing)
ジャンル : 旅行