ティミショアラ(ルーマニア)~ベオグラード(セルビア)

ティミショアラの駅

まだ夜も明けきらないというのに、駅前はかなりの人で混雑していた。
さすがルーマニア西部の拠点都市。
この街には牛も馬車も走っていそうにないな。


ひっきりなしにトラムが目の前を通り過ぎる。
こんな朝早くから、みんなどこへ行くのだろう。
ここはある意味、日本よりも都会かもしれない。

ベオグラード駅前(セルビア)
いやな雨だ。
東ヨーロッパの夏は毎日雨ばかりなのか?
体中からカビが生えてきそうだ。

「この電車に乗って、ノヴィ・サドまで行こうか?」
そう考えている間に土砂降りになってしまった。
駅から一歩も外に出ることができない。
吹きさらしの寒い構内に釘づけだ。
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バイアマーレを出た時は比較的空いていた電車も、だんだんと乗客の数が増え、乗り降りする人の数も多くなってきた。
夜中の3時にこんなにも人の出入りがあるものなのだな。
いったいこの人たちはどういう生活サイクルをしているのだろう。
この電車は寝台列車ではない。
だから座席は倒れないし、そもそも寝ることを想定していない。
夜中の0時に出発して、朝の6時に到着するというのにだ。
それでも体力を温存したかった私は、4人がけのコンパートメントを一人で占有して、無理やり寝た。
かなり無茶な姿勢となるが、少しでも体を横にしておきたかった。
まだまだ体調は思わしくない。
できるかぎり体力を回復させねば。
電車の座席は木製で固く、振動がモロに伝わってくる。
乗客のざわめきもあって、本来ならとても寝れた状態ではないのだが、それでも寝るしかない。
当然のごとく、変な夢を見た。
夢の中でヘヴィメタがガンガン鳴り響いていた。
実際には電車の振動と乗客の喧騒だったのだが。
頭と首と、背中。それに腰が痛い。
最初のころは乗客が少なかったから、4人がけの座席を独占していてもなんの問題もなかったが、いつのまにか車内は満席で、大勢の人が立っていた。
それでも誰も私に文句を言う人はいなかった。
よくもまあ頭を蹴られずにすんだものだ。
ゆっくりと起き上がり、他の人のために座席を開けた、
つもりだったが、しばらくの間、誰も私のコンパートメントに座ろうとはしなかった。
薄汚い東洋人と同じ席にはなりたくないということなのだろうか。
以前ルーマニアを旅行した時は、列車が2時間以上も遅れたことがあった。
なのでこの国のダイヤなんてあてにはしていなかったのだが、
驚くべきことに、列車はほぼ定刻通りにティミショアラに到着した。
降りる前にトイレに行っておこうとしたら、車掌が外からドアをガンガン叩く。
なんだよ。
小便くらいゆっくりさせてくれよ。
私がトイレから出ると、すぐに電車は猛スピードで走り去って行った。
中には誰も乗っていない。
どうやら車庫に入れるらしい。
あの車掌は親切でトイレのドアを叩いてくれたのかもしれない。
危うく閉じ込められるところだった。
ここティミショアラから私をベオグラードに連れて行ってくれるバスは8時に到着する予定だ。
バスと言っても、乗り合いバスのようなもので、こちらが指定した場所から、指定した場所まで運んでくれる。
ルーマニア後もセルビア語も話せない私は、本来ならこんな乗り物には乗れないはずなのだが、
バイア・マーレでのホスト、アディが手配してくれた。
カウチサーフィンのおかげで、またひとつ、普通の日本人なら経験できないことを体験させてもらえた。
便利な世の中になったもんだ。
バスが私をピックアップする予定時刻まで、あと1時間半ほどある。
なにをするにしても中途半端な時間だ。
待ち合わせ場所のガスステーションに早目に着いて、メールやLINEをして時間を潰す。
貴重なバッテリーの浪費以外のなにものでもないのだが、人間、ヒマだとロクなことをしないものだ。
8:00にガスステーションを一通り見て回ったが、それらしき車はない。
きっとドライバーは遅れてくるのだろう。
ルーマニアとセルビアとの間には時差がある。
彼らはセルビア時間で待ち合わせ時間を指定してきたのかもしれない。
そう思ってのんびりと待つことにした。
1時間経ってもドライバーが現れなければ、バス会社に電話すればいい。
待ち合わせ時刻を50分ほどすぎた頃、電話が鳴った。
「おい、マサト。あんたいったいどこにいるんだ?
うちのドライバーはもう1時間もあんたを待ってるんだぞ。
黒のフォルクスワーゲンのヴァンだ」
確かに駐車場にそれらしき車が停まっている。
荷物を持って近づくと、ドライバーが血相を変えて飛んできた。
「おい、てめえっ! いったいどういうつもりだ?
約束の時間をもう1時間も過ぎているんだぞ。
なんで今頃やってきやがったんだ?」
冗談じゃない。
こっちはここで1時間半も待ってるんだ。
あんたが見つけやすいように、わざわざガスステーションの入り口で待ってたんじゃないかよ。
「待ち合わせ場所はガスステーションだ。
誰がガスステーションの外で待てと言った?
それに、どうして俺を探しに来ない?」
俺は8時に一通りガスステーション内を探したぞ。
その時にはこの車は無かった。
遅れてきたのはそっちなんだから、そっちが俺を探すべきだろう!
「俺は会社から8時に家を出ればいいと言われた。だからここに着いたのは8:15だ。その時いなくて当然だろう。
それに俺はあんたの顔を知らない。だが、この車には会社のロゴが書いてある。そっちが俺を見つけるほうがはるかに簡単だろうが」
このガスステーションには入り口は一つしかない。
俺はそこで待っていたんだからあんたは絶対俺を見ていたはずだ。
それにこんなでかいリュックを2つも持っているんだから、俺を見つけるのなんて簡単だろ?
「おい、よく見ろよ。このガスステーションにはリュックを持った人間なんて他にもゴロゴロいるんだ。そう簡単にお前を見つけることなんてできるもんか」
俺の顔を見ろよ。明らかに東洋人の顔つきだろ?
他の人間とは容易に区別がつくだろうがっ!
一晩中列車に揺られて、意識が朦朧としているはずなのに、口からポンポンと英語がついて出た。
思わず笑みがこぼれる。
すげぇー!
俺、今、英語でけんかしてる!
私の英語はとても粗末なものだ。
普段はつっかえながらゆっくりと話す。
「あー」とか「うー」とかうめきながら。
それなのに今はどうだ。
まるでオバマ大統領のようにとうとうとまくし立てている。
(ゴメン。言い過ぎました)
お互い言うことを言ってスッキリしたのか、車内ではお互い普通に会話をしていた。
この運転手は意外と大人なのかもしれない。
彼は日本や日本を取り巻く状況を熟知していた。
とりわけ対中関係については詳しかった。
どうやら彼は中国でビジネスを展開しようとしているらしい。
今はバスの運転手をしている彼だが、冬はスキーのインストラクターをしているらしい。
今、中国ではレジャー産業が急成長していて、これからスキーが大流行する。
あの国にはまだインストラクターはほとんどいないから、彼がスキースクールを展開すれば、きっと大当たりするに違いないと言っていた。
現在、中国大使館に通いつめて、詳細を詰めているとのこと。
大使館の職員も、
「あんたのビジネスは絶対に成功する。あんたは中国におけるスキー界のパイオニアとなるにちがいない」
と太鼓判を押してくれたそうだ。
ほんとかどうか知らないが、彼が言うには、セルビア人の平均月収は300ユーロ。
もちろんそれだけでは生活していけない。
「この国にはマジシャンが大勢いるんだ。毎月の収入より支出のほうがはるかに多いのに、それでもなぜか生活している。不思議な国だろ」
ユーゴ紛争が集結して20年が経つ。
それでもまだまだこの国の経済は脆弱だ。
EUにすり寄りたいが、ロシアの助けも要る。
「戦争は形を変えてまだ続いている。」
彼はそう言った。
ルーマニア - セルビアの国境を越えて、ベオグラードに着く頃には雨模様となっていた。
駅の建物に逃げ込んだものの、待合室がない。
バス停の待合室にはチケットがなければ入れない。
wifiはなかなか見つからず、やっと見つけたwifiもすぐに接続が切れてしまう。
ベオグラードのホストからメールが届いていた。
彼女に会えるのは夜の9時。
それまでどこかで待たなければならない。
貴重なベオグラードでの一日。
いつもなら雨などもろともせず観光に勤しむ私だが、今はまだ体調が万全でない。
ようやく下痢もおさまったと思ったのに、急に便意を催した。
きっとじとじとと振る雨のせいだ。
が、まだこの国のお金を持っていない。
駅構内の両替屋で、ルーマニアのお金をセルビアのそれに交換しようとしたら断られた。
ここでは取り扱っていないらしい。
隣の国だろ?
ここは首都だろ?
交換してくれよ。
トイレに行くには金が必要なんだよ。
駅の通路にしゃがみこんで雨をしのぐ。
通り過ぎる人々は興味深そうに俺のことをジロジロ見て行く。
ときおり冗談半分で「ニイハオ」と声をかけられる。
「俺は中国人じゃない。
日本人だ!」
そう叫ぶとキョトンとした顔をして去って行く。
ガラガラと大きな音をたてて通り過ぎようとしていたキャリーバッグが、
私の前でふと足を止めた。
見ると、東洋人の男のようだ。
日本人かもしれない。
私と目があった彼は、あわてて目をそらし、再び足早に立ち去っていった。
雨に濡れてドブネズミのようになってうずくまっている人間とはかかわりあいになりたくないらしい。
外は雨がざあざあ降っている。
寒い。
こんなところにあと6時間もいなければならないのか。
今日は雨だから暗くなるのも早いだろう。
どこからともなく、小便の臭いがただよってくる。
おかしいな。
トイレからはかなり離れているはずなのに。
尿の臭いが体にまとわりついて、このままずっと取れなくなるような気がした。
携帯のバッテリーは残りわずか。
あれ?
なんで携帯の電池残量なんて気にしているのだろう。
ここはセルビア。
電話をかける相手も、メールを送ってくる人間もいないというのに。
寒い。
となりでうずくまっている男は、さっきから奇妙な咳をしている。
どこか具合でも悪いのだろうか。
彼もバックパッカーのようだが、こんなところで何をしているのだろう。
今夜はここで夜を明かすつもりなのか?
雨が入り込み、冷たい風が吹き抜ける駅構内。
こんな所に一晩中いたら、健康な人間だって参ってしまう。
安宿に泊まる金さえ持ち合わせていないのだろうか。
それにしても、寒い。
ベオグラードは嫌だ。
どこまで行っても小便の臭いがする。
