カウチサーフィン(CouchSurfing)と愉快な仲間たち

沿ドニエストル共和国(ティラスポリ)旅行記

沿ドニエストル共和国(ティラスポリ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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(沿ドニエストル共和国、ティラスポリの郵便局)


独立を宣言しているものの、ほとんどの国がその存在を認めていない未承認国家「沿ドニエストル共和国」。
国際社会の目が行き届かないことをいいことに、武器や違法ドラッグの流通拠点となっているという、なんともアングラな臭いのするトランスニストリア。

そんな異質な国の中で孤独感に打ちひしがれていた私を、一人の女性が救ってくれた。
孤立無援だった私に優しく手を差し伸べてくれた彼女はまさに女神そのもの。
彼女の体からほとばしる、幾筋もの神々しい光が見えた(ような気がした)。

彼女の名はイリャーナ。
彼女はずっとつきっきりで私の手助けをしてくれた。
初対面で素性の知れない、しかも侍の格好をしたへんてこな東洋人に、損得勘定抜きで親切にしてくれた。
荒んだ印象のある沿ドニエストル共和国にだって、こういう心優しい人はいるのだ。


まずは絵葉書を買うのを手伝ってもらった。
「観光」という概念が希薄なこの国では、絵葉書を買うことすら一仕事なのだ。

私がいくら探しても見つからなかった絵葉書だが、イリャーナが売店の女性に一言言うだけで、店の奥から持ってきてくれた。
単体では売ってくれず、20枚くらいのセットで買わなければならないらしい。
その絵葉書はかなりの年代物のようで、角がすり減っている。
図柄はミグ戦闘機や戦車、レーニン像など、およそ一般的な観光地とは趣を異にするシロモノだが、かえってこういう物の方がドニエストルらしくていい。


私が絵葉書を書いている間も、イリャーナは辛抱強く待っていてくれた。
彼女のおかげで、郵便局で切手を買う手続きもスムーズに運んだ。
やはり現地の人が一緒にいてくれると、なにをするにしても便利だ。


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郵便ポスト。
ゴミ箱かと思った。


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「ロシアのおじちゃん、ありがとう!」

世界中のほとんどの国から独立を認められていない沿ドニエストル共和国ですが、ロシアは違います。
軍事顧問団を派遣して、この国を強力にサポートしています。
なのでこの国ではロシア人はモテモテ。


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「私たちは負けない! 最後まで戦う!」

砲弾を愛おしそうに抱きしめる女性兵士。
第二次世界大戦を彷彿とさせる古めかしい軍服。
なんともシュールなポスターだ。

沿ドニエストル共和国内にはこのようなプロパガンダをあちこちで見かけます。
他の国とは一味ちがいます。
なんておもしろそうな国なんだ。
やっぱり来てよかった。

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イリャーナは私をこんな狭い路地に連れてきてくれました。
いや、気持ちはありがたいんですけど、できたらもっと有名な観光地のほうがいいな。


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「ここは有名なホテルだから写真を撮れ、撮れ!」

とイリャーナは言うのですが、私としてはあまりおもしろくありません。
この国には他に面白い場所はないのか?


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せっかくですから、沿ドニエストル共和国の国旗と一緒に記念撮影。


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オペラ劇場


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イリャーナと一緒に歩くようになって、いろんな人から声をかけられるようになりました。
私一人で歩いていた時とはえらい違いです。

彼女が言うには、みんな私の持っている刀を本気で怖がっているのだとか。
本物の日本刀を持って歩けるわけがないだろう、と思うのですが、武器であふれているこの国では、日本刀を腰に差して歩いている人間がいても不思議ではないのかもしれません。


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この女性がイリャーナ。
孤独の淵に沈んでいた私を救ってくれた恩人です。

彼女はこれから行く場所があるということで、忙しそうな様子。
なので、最初は郵便局についてきてくれるだけだったはずなのですが、なぜかその後もずっと私と一緒にいてくれました。

異国の地でこんなふうに親切にされると、思わずほろりとしてしまいます。
やばい。
惚れてしまいそうだ。


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人類初の有人宇宙飛行士、ガガーリンの像。
イリャーナによると、彼はこのティラスポリ出身らしいのですが、ウィキペディアの記述とは食い違っています。


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沿ドニエストル共和国の国会議事堂?
こんな重要な場所、写真に撮ってもいいのだろうか。
ティラスポリの駅前で兵士に写真撮影を制止された記憶がよみがえります。
当然、この建物の周辺にも兵士の姿があちこちに見えます。

私がためらっていると、イリャーナは

「平気、平気。写真を撮っても大丈夫よ。
 なんなら私も一緒に撮ってあげようか?」


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ほんとに国会議事堂の前で写真を撮ってしまった。
遠くには警備の兵士が歩いているのが見えます。

台湾の総統府前でも写真撮影は禁止されてるのに、この沿ドニエストル共和国で許されるとはとうてい思えないんだけどなあ。
まだ私は半信半疑です。


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おそるおそる国会議事堂に近づいてみると、建物の正面にレーニン像がありました。
せっかくだからこのレーニン像と一緒に写真を撮りたい。
でも、警備の兵士の目が気になる。


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レーニン像の周りをウロウロしていると、ティラスポリ市民に写真撮影を申し込まれました。


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左側にいるのは、順番を待っている人たちです。
なんと、私と写真撮影するために行列ができているではありませんか。
いつから俺は有名人になったんだ?!


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いつの間にかイリャーナは私のマネージャーのような存在になっていて、記念撮影希望者を仕切っています。

「はいはい、サムライと一緒に写真を撮りたい人はこちらに並んでねー」

それだけではなく、なぜか彼女も一緒に写真に写っています。
カメラに向かって笑顔を振りまいています。
あれ? あれ?


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すっかりモデル気分で機嫌がよくなったイリャーナ。
もしかしたら今日一日、彼女は私のガイド役を引き受けてくれるかも?


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その後もティラスポリを歩いていると、大勢の人に声をかけられました。
最初はとっつきにくそうに思えた沿ドニエストル共和国民も、ふたを開けてみればなかなか人懐っこい。

よく見たらこの男性のシャツには漢字のようなものがプリントされています。
東洋の文化に興味があるのでしょうか。


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一人の男性に呼び止められて、なにやら話し込むイリャーナ。
知り合いなのでしょうか。

男性からもらった名刺をよく見ると、そこには

「 School of Kung-Fu 」

の文字が。


どうやら彼はカンフーの道場を開いているらしく、私にそこへ来いと言っているようです。

「1時間でいいから、俺と手合せをしてくれ」


カンフーには前から興味があったので、一度本物を見てみたかったのですが、この男はかなり強そう。
しかも私のことを日本の武道の達人と勘違いしているようなので、手加減なしで戦わされそうな予感がする。
それに、日が暮れるまでにはモルドヴァに帰りたいので、ティラスポリでの残り時間はあとわずかしかない。

というわけで、彼の申し出は丁重にお断りしました。


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「私はここで用事を済ませてくるから、ここでしばらく待っていて」

イリャーナはそう言い残して建物の中へと入っていきました。
残されたのは私とカンフーの達人のみ。
まだいたのか?
いったいどこまでついてくるつもりなんだ。
彼は英語がまったくできないのですが、しきりと私に話しかけてきます。
でも、なんて言っているのかはわかりません。

話しかけてくるだけでは物足りず、そのうち彼は私に向かって拳を突き出してくるようになりました。
もちろん本気ではないのですが、よけなければ顔に当たります。

わっ! わっ!

カンフー映画は何度か見たことがありますが、本物のカンフーの使い手と戦うのはこれが初めての経験です。
私は空手の心得があるのですが、カンフーの攻撃に対してどう対処していいのかわかりません。
彼の繰り出してくる攻撃をさばくのが精いっぱいで、防戦一方でした。

ところが、私のよけかたが男には意外だったようで、彼はおもしろがってなおも拳を繰り出してきます。
しかも、だんだんとそのスピードが速くなってきているではありませんか。

その男は拳を突き出すたびに、

「これはどうよける?」

というふうに目で私に語りかけてきます。
なかなか研究熱心な男のようです。
もしかしたら彼も空手家と対戦するのは初めてだったのでしょうか。
私の流派は他の空手とは少し異なるので、余計に興味がわいたのかもしれません。

しかし、実験台にされているこちらはたまったもんじゃありません。
よけなければ確実に彼の拳は私の顔面にヒットするのです。
しかもこの男、強いっ!
明らかに相手の方が格上です。
私の空手は大したことありませんが、相手がどの程度の実力の持ち主かくらいは私にだって判断できます。

今はまだ手加減してくれていますが、だんだんと彼の攻撃は激しさを増してきています。
もうこれ以上は持ちこたえられそうにもありません。

どうしよう。
このまま走って逃げてしまおうか。
いや、でも、この男の方が足も速そうだ。
まいったな。


「もうそろそろ限界」
というところで、タイミングよくイリャーナが建物から出てきてくれました。
これで戦いを止めるきっかけができました。

彼はまだ物足りなさそうで、イリャーナになにか言っています。

「彼がどうしても道場に来てくれって言ってるけど、どうする、マサト?」

もうけっこうです!
これ以上やったらほんとに殺されちゃうよ。


しかし、なかなかおもしろい体験をさせてもらえました。
まるで自分がジェット・リーやドニー・イェンと戦っているような気分になれたのです。
まさか沿ドニエストル共和国でカンフーの達人と手合せをすることになろうとは、夢にも思いませんでした。

なにがおこるかわからない。
だから旅はおもしろい。


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(軍事歴史博物館?)


カンフーの使い手から命からがら逃げだし、イリャーナはなにかの博物館に私を連れていってくれました。
老婦人が一人で番をしているその博物館は、こじんまりとしていて、私たちの他に閲覧者はいません。

イリャーナは入場料を払ってくれました。
どうしてそんなに親切にしてくれるのだろう?

彼女はティラスポリ出身なのですが、この国の将来に不安を感じた彼女の両親は、イリャーナをアメリカの高校へと留学させたそうです。
当時彼女は英語がほとんど話せませんでしたし、アメリカに知り合いがいたわけでもありません。
いきなり異国の地に放り出されて、イリャーナはかなり苦労したようです。

自分がそんな大変な経験をしてきたからこそ、他の人が困ってるのを見過ごすことができないのかもしれません。
いずれにせよ、彼女と奇跡的に出会うことができた私はツイてます。
彼女がいなければ、他の旅行者と同じように沿ドニエストル共和国に対してネガティブな感想を持ったまま出国していたことでしょう。


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博物館自体はまったく面白くありませんでしたが、そんなことはどうだっていいんです。
イリャーナがいなければ、私はこの国を一人で旅行していたはずです。
きっと味気ない旅となっていたことでしょう。

でも今は違う。
イリャーナのおかげで、沿ドニエストル共和国は私にとってディズニーランドなど足元にも及ばないくらいに刺激的で面白い場所となった。
この国をここまで楽しんだ観光客はそうはいないだろう。
その土地で出会う人によって旅の面白さはまったく変わってくる。
私はほんとうにラッキーだ。


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ロシア風の帽子を被せられたサムライ。
隣にはわけのわからない彫像。
バックにはシリアスでコミカルなポスター。

私はいったいここでなにをやっているのだろう。


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博物館を出てしばらく歩くと、一人の女性に出会いました。
イリャーナの知り合いで、彼女の家の近所に住んでいるそうです。

なにかと色眼鏡で見られがちな未承認国家・沿ドニエストル共和国。
でも、そこに住んでいる人はごく普通のどこにでもいるおばちゃん。
そんな当たり前のことですら、イリャーナがいなければ気づかなかったかもしれません。
彼女と一緒でなければ、よそ者の私と笑顔で一緒に写真など撮ってくれなかったことでしょう。


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沿ドニエストル人とロシア人のカップル


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公園で昼間からビールを飲んでいた青年たち。
なんだかトランスニストリアらしくていいぞ。


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サムライ姿の私を見て大興奮の若者たち。
他のブログで言われているのとはまったく異なり、沿ドニエストル共和国に住む人たちはとてもフレンドリーで好奇心旺盛でした。

彼らのおかれている状況を鑑みれば、これは驚くべきことです。
この国が将来どうなってしまうのか、誰にも予測はつきません。
そんな不安定な状況下でも、彼らはとても明るく過ごしています。
彼らの笑顔はとても印象的でした。

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一人の男と話し込むイリャーナ。
知り合いなのだろうか?


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私の買った絵葉書の中に、「空飛ぶ戦車」があったので、イリャーナにそこへ連れていってくれるようにお願いしました。
すると、この男も一緒についてきたのです。
彼はプロのカメラマンで、侍の衣装を着た私はまたとないいい被写体だから、ぜひ同行させてくれと言っているようです。
プロのカメラマンに撮ってもらうのも悪くはないか。


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イリャーナとはまだ出会ってから数時間しか一緒に過ごしていませんが、なんだかもうずっと昔からの知り合いのような気がします。
ずっとこのまま彼女と一緒にいれたら、どんなに幸せだろう。

だが俺は、もうあと数時間でこの国から出なくてはならない。
この国は特殊な場所なのだから。


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しかしこの時すでに俺の腹は固まっていた。
彼女のために、この国に骨を埋めることなど厭わない。

空飛ぶ戦車と教会に、永遠の愛と沿ドニエストル共和国への忠誠を誓う。
さらば日本国籍。
今日かぎり、俺は日本人であることを捨てる。


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「楽しかったわ、マサト。
 また連絡ちょうだいね。
 私はもう行かなくちゃならないの。
 あとは彼があなたのことを面倒見てくれるから。
 じゃあね!」

イリャーナはそれだけ言い残して、さっさと行ってしまった。
あまりにも突然の別れに、私はなすすべもなかった。

後に残されたのは英語のまったく話せないむさくるしいカメラマンの男のみ。
思わず苦笑いがこぼれた。

ま、俺の人生なんてこんなものか。


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マントをはためかせるレーニン像。
遠くを見つめる彼の瞳には、いったいどんな風景が写っているのだろう。


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墓地。
おそらくここには国家の英雄が祀られているのだろう。


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空飛ぶ戦車よ。
お前はどこへでも飛んで行け。

沿ドニエストル共和国、なかなかおもしろい国だったが、
俺が再びこの地を踏むことはないだろう。


カメラマンは私と並んで歩き、ずっとシャッターを押している。
彼はポーズをとった写真が嫌いで、被写体の自然な表情を撮りたいのだそうだ。

そういえば彼はプロのカメラマンだと言った。
ということは、私の写真も仕事で使うのだろうか。

自分の写真がいったいどんなシチュエーションで使われることになるのかはわからないが、
世界中のほとんどの人がその存在すら知らない国の片すみで、侍の衣装を着た自分の写真が流通するというのもなんだか変な気分だ。


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またコニャックの店に出くわした。
この国の人間はそんなにこの酒が好きなのだろうか。

カメラマンが私に向かって、「酒は好きか?」と聞いてきた。
もちろんだとも。
沿ドニエストル共和国の名物だというコニャック。
せっかくこの地に来たからには試しておきたい。

カメラマンは私に向かって、「ちょっと待ってろ」と言い残し、店の中へと入っていった。
だが私はこの国のお金をほとんど持っていない。
他の国では文字通り紙屑となってしまう沿ドニエストル共和国の通貨を、これ以上両替するつもりもない。
もうすぐ私はこの国を出国し、二度と訪れることはないのだろうから。

しかし、お金の心配は不要だった。
店の中から複数の目が、ガラス越しに私のことを見つめている。
きっと侍姿の日本人が珍しいのだろう。
店の主人と思しき男が、私を手招きして中へと招き入れてくれた。

彼がなんと言っているのかまったくわからない。
通訳してくれる人もいない。
だが、店の主人はうれしそうに私の肩に腕をまわし、何枚も一緒に写真を撮らされた。
きっと、後で店の宣伝にでも使うのだろう。

そして別れ際、一瓶のコニャックをくれた。
ラッキー!


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戦利品のコニャックを手に、私とカメラマンは公園へと向かう。
彼はさっきからしきりとあたりを気にしている。

「この国では外で酒を飲むことは禁止されているんだ。
 警官に見つかったらやっかいだ。
 俺は向こうの通りを見張ってるから、お前はあっちを見ていてくれ。
 私服の警官もいるから気をつけろよ。
 少しでも怪しい奴を見かけたら、すぐに酒を捨てて逃げろ」

なんだかおもしろくなってきたぞ。
この公園には樹木はほとんどないから、外からは丸見えだ。
もし本当に警官が取り締まりに来たら、簡単に見つかってしまう。

カメラマンはカバンでコニャックの瓶を隠しながら、私のコップに注いでくれた。
あたりを気にしながら飲む酒が旨いはずがない。
モルドヴァに帰ってからゆっくりと飲みなおしたい。
だが、コニャックの瓶はカメラマンのカバンに入ったままだ。
警官の目に触れないよう、彼がしっかりと隠している。

でもそれ、侍姿の俺にって店の主人がくれた物なんだけどなー。


カメラマンは英語がまったくしゃべれなかったが、不思議と意思の疎通はできている。
彼は自分のカバンを得意げに私に見せる。
自分で作った物のようだ。
よく見ると、そのカバンは柔道着でできていた。

「柔道着は分厚いから、切ったり縫い合わせたりするのは骨が折れるんだぜ。
でもおかげで俺のカバンはとても丈夫な物に仕上がった。
かなり乱暴に扱ってもびくともしない。
市販のカバンじゃとてもこうはいかない」

お前、柔道をやってるのか?
「押忍!」

誰からも独立を認められていない国には、カンフーの達人や柔道を練習している男たちがいる。
モルドヴァには合気道の道場まであった。
アジアの格闘技って、やっぱり人気あるんだな。


カメラマンに例のカンフー・マスターの写真を見せてみた。
彼はこの男のことを知っているらしい。
祖父の代から道場を開いていて、あの男は幼少のころから英才教育を施されてきた、正真正銘のカンフーの達人なのだそうだ。

やばかった。
あの男の道場にのこのこついていかなくて本当によかった。
でなきゃ今頃俺はボコボコにされていたことだろう。

沿ドニエストル共和国はほんとに危ない国だったのだな。
いろんな意味で。


言葉が通じないにもかかわらず、カメラマンとの会話は弾んだ。
彼は片言の英語も話せないのだが、不思議なことにお互い何を言いたいのかはわかるものなのだ。

「俺の部屋に寄ってけよ。 駅の近くだから列車の発車時刻ギリギリまでうちにいればいい」
彼の提案は願ってもないものだった。
未承認国家・沿ドニエストル共和国に住む人の家に招かれるチャンスなんてそうそうあるもんじゃない。

「晩飯になにか作ってやるよ。
 スーパーに寄って買い物していこう」


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店の前の広告には

「 BANZAI 」

と書かれてある。

世界中のほとんど誰もがその存在すら知らない国の片すみに、ひっそりと日本語の広告が掲げられている。
外国でこういうのを目にするたびに、いつも再認識させられる。
これほど影響力のある国って、他にはないんじゃないだろうか。
日本にいる時はなにも感じないが、実は俺たちの国ってすごいんじゃないんだろうか。


感慨にふけっていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
どうやらパトカーのようだ。
意味もなく不安な気持ちになる。
まさかパトカーは我々に向かってきているわけではないだろうが、なんなんだろうこの焦燥感は。

カメラマンも同じ気持ちのようだ。
話すのをやめ、じっと音のする方を見つめている。


猛スピードで走ってきたパトカーは、我々の行く手を阻むように停止する。
どういうことだ?
カメラマンの方を見ると、舌打ちして目を伏せている。
なんだ?
もしかしてヤバい状況なのか?

パトカーから降りてきた警官は二人。
一人はカメラマンの方へ。
もう一人は私の方へまっすぐにやってきた。

いったいどういうことだ?
もしかして、さっき公園で酒を飲んだことと関係があるのだろうか。
まさかそんなことくらいでパトカーがサイレンを鳴らして駆けつけてくるとはとても思えない。
じゃあなぜ?

警官にパスポートを要求される。
彼は英語が話せないようなので、私への尋問はなかった。

しかし、カメラマンは執拗に何か聞かれている。
私のことを時々見ながら話しているから、きっと私のことについて質問されているのだろう。

「だからこんな奴知らないって言ってるだろ。
 さっき会ったばっかりで、こいつが誰なのか俺はまったく知らないんだってば!」

そう言っているように聞こえた。


警官の興味の対象が私なのは明らかだ。
だとしたら私は今、とてもマズい状況に陥っているのだろうか。
外務省の危険情報の文言が脳裏によみがえる。

「沿ドニエストル地域には、モルドバ政府の施政権が及んでおらず、仮に日本人渡航者が同地域での事件・事故等に巻き込まれた場合、モルドバ政府が十分な救済措置を講じることができない状況にあります。

「モルドバには、日本の大使館が設置されていません。
このため、緊急事態や事件・事故に遭遇した場合には、日本国大使館等による迅速な対応を得ることができず、事実上身動きがとれない状態に陥ることとなります」


やましいことはなにもしていない(酒を飲んだだけだ)。
警官に私の刀が本物ではないことを証明し、荷物検査にも積極的に協力した。
それでも警官たちはねちねちとカメラマンに対して何か言い続けている。

ようやく取り調べから解放された。
しかし、パトカーに乗り込む際にも警官はカメラマンに対してなにか言っていた。

「へんな外国人なんかに関わり合いにならない方がお前の身のためだぞ」

そう念押ししているように聞こえた。


パトカーが走り去った後も、カメラマンはすっかり萎縮したままだ。
私からは距離を置いている。
私の存在を持て余している様子がはっきりと見て取れる。

どうやら彼の家に招待されるという話はなかったことになったようだ。
残念だが仕方がない。
準戦時下にあるこの国では、国家権力の統制はかなり厳しいのだろう。
警官に目をつけられでもしたら、いろいろと面倒なことになるのかもしれない。

まだ日没までには時間があったが、ここらが潮時だ。
次のバスでキシニョウに帰ることにした。


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ティラスポリ駅前


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モルドヴァは美人の宝庫だ、という話を聞いたことがある。
でも、この写真のような美女はあまり見かけなかったような気がする。

真偽のほどはわからないが、ヨーロッパの娼婦の3割はモルドヴァ出身だ、という話も聞いたことがある。
そういえばトランスニストリアではあまり女の子の姿を見かけなかったような気もする。
若い娘はみな、西ヨーロッパへ出稼ぎにでも出かけているのだろうか。


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帰りのバスでは窓際に座れたので、沿ドニエストル共和国の街並みをじっくりと見ることができた。
伝統的なモルドヴァ家屋が点在している。

世界中の国から独立を認められていない国家。
この国はいったいいつまでこんな不安定な状態を続けるつもりなのだろう。

今は戦乱は収束しているようだが、問題が解決したわけではない。
ウクライナ情勢をうけて、再び紛争が勃発する兆しが見え始めているともいう。

沿ドニエストル共和国。
つい数日前まで私は、この国の存在すら知らなかった。

だが、今では忘れることのできない国となってしまった。
一見とっつきにくそうに見えるが、人々はとても明るく、人なつっこい。
侍姿の私を見つけると、大喜びで肩を組んで一緒に写真を撮るような人たちだ。

たくさんの人たちとメールアドレスの交換をし、フェイスブックの友達になった。
「絵葉書を送るから」
と、住所を教えあった人もいる。

沿ドニエストル共和国。
日本のマスコミにこの国の名が登場することはほとんどない。
だが私にとってはもうこの国は「得体の知れない遠い世界の話」ではなくなってしまった。

次にこの国の名をニュースで聞くときは、それがいい話題であることを願うばかりだ。
もしもまた戦争が起こったら、こんなに狭い国のことだ、きっと全土が戦場と化すことだろう。

彼らにはどこにも逃げ場はない。


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などと感傷に浸っている場合ではなかった。
気づくとバスは国境の検問所に差し掛かっている。

すっかり忘れていた。
ここは旅行者泣かせの悪名高き沿ドニエストル共和国なのだ。
これまでに数多くの旅人たちが別室の賄賂部屋に呼ばれ、屈辱的な目に遭っている。

他人のことを心配している場合ではない。
まずは自分が無事にこの国から脱出することを考えねば。

多少の賄賂を支払うことには目をつぶろう。
でも、なんとしてでも写真だけは守りたい。

カメラからSDカードを抜き出し、別のカードとすり替える。
隠すところなどどこにもないが、軽い身体検査くらいには耐えられるようにSDカードを隠し持つ。

来るときには簡単に国境を超えることができたが、出る時も同じとは限らない。
用心しすぎるということはないだろう。


バスは検問所に停まり、係官が乗り込んできた。
一人ひとりパスポートをチェックしていく。
出国する時にはバスから降りなくてもいいのだろうか。

係官はパスポートをさっと一瞥しただけで、すぐにバスから降りていってしまった。
再びバスは何事もなかったかのように走り出す。
国境ゲートを通過した。

拍子抜けするくらいにあっさりと出国できてしまった。
他のブログに書いてあったことはいったいなんだったのだろう。
賄賂なんて要求されなかったし、荷物検査もなかった。

きっとこれはいいことなのだろう。
でも、なにか物足りない。
他の人のブログであれほど悪しざまに書かれていた沿ドニエストル共和国の国境越え。
一度体験してみたかった。


バックパッカー旅行は、驚くほど快適になってきている。
「深夜特急」時代にはインターネットなんてものはなかったから、すべてが手さぐりだった。
もちろん苦労も多かっただろうが、その分得るものも多かったはずだ。

しかし、今はなんでも事前に準備できてしまう。
情報は瞬時にして世界中を駆け巡り、リアルタイムで情勢を知ることができる。
写真や動画付きで。

悪名高き沿ドニエストル共和国の国境はもう存在しない。
この惑星はどんどん均質化し、平和で豊かになっている。

きっとよろこばしいことなのだろう。
だが、なんなのだろう。 この焦燥感は。

私は経験値を徐々に上げていき、ゆっくりと旅の難易度も上げていくつもりだった。
しかし、もっと急いだ方がいいのかもしれない。
この惑星からすべてのロマンが消え去ってしまう前に、訪れておきたい場所が私にはいくつもある。


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ティラスポリで親切にしてくれた女性、イリャーナとは、今でも交流が続いている。
日本に帰国後、絵葉書のやり取りもした。
彼女のフェイスブックからは、息子を溺愛している様子が痛いくらいに伝わってくる。

もちろん彼女は祖国である沿ドニエストル共和国を愛してはいるが、
息子にはアメリカで教育を受けさせるつもりだ。


トランスニストリアよ、われら汝を称える
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テーマ : バックパッカー
ジャンル : 旅行

沿ドニエストル共和国をビザなし入国で旅行

沿ドニエストル共和国でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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いよいよ沿ドニエストル共和国へ向けて出発です。
キシニョウを出発する時点ですでにバスは満席でした。
ティラスポリまでは2時間ほどかかるそうなので、席を確保できないとけっこうきつい。

実はこの沿ドニエストル共和国、バックパッカーの間ではかなり評判が悪い。
国境を超える際、日本人は別室に呼ばれ、不当な賄賂を要求されるのだとか。
もちろんそんなものは支払う必要ないのですが、払わないといつまでも通してくれないらしい。
特に日本人に対しては厳しい態度ででてくるので、日本人バックパッカーはまず例外なく
「賄賂部屋」
に連行されると思っておいた方がいい、というような情報をネット上で見ることができる。
なんだかめんどくさそうな国だなあ。


また、外務省の渡航情報(危険情報)によれば、この沿ドニエストル地域(トランスニストリア)は
「十分注意してください。」
となっています。

なんだ、その程度のレベルか。
ウクライナと同じじゃないか。
なら問題ないな。

と思っていたのですが、私が沿ドニエストル共和国に行くことをホストのアントンに告げると
「あそこはヤバい。 やめといたほうがいい」
とさんざん脅されました。

もしもモルドヴァ国民が沿ドニエストル共和国に入ろうものなら、まず無事には帰ってこれないのだとか。
おいおい。そんなにヤバい状況なのかよ。
やっぱり行くのやめとこうかな。

しかし毎日定期的にバスは出ているわけですし、じっさいバスの中にはたくさんの乗客がいます。
そんなに危ない場所に行くバスが満席になるはずないじゃないか。
そう自分に言い聞かせ、萎えそうになる気分を無理やり高める努力をしました。


バスは途中、何度か停車して、新たな乗客を乗せます。
空いている席はすでになく、通路は人でいっぱいになりました。
まだ他にもバスに乗りたい人はいたようですが、もうスペースはありません。

ティラスポリ行きのバスは頻繁に出ているということなので、モルドヴァ~沿ドニエストル共和国間の人の往来はかなり多いようです。
かの国は鎖国しているようなイメージがあったので、これは意外でした。

私の座席は真ん中なので、窓からの景色は見えません。
通路には立っている人が大勢いるので、運転席の窓から外を見ることもできませんでした。

せっかく珍しい国に向かっているというのに、何も見ることができない。
退屈な時間が続きます。


1時間ほど走ったところで、バスは停まります。
いよいよ国境通過か。
身も心も引き締まります。

運転手が振り返りなにかわめいていますが、もちろんなんと言っているのかは私にはわかりません。
しかし、乗客たちがわらわらと車を降り始めたので、「国境通過の手続きは各自でやれ」ということなのでしょう。

でも、すべての乗客が降りたわけではありません。
席に座ったままじっとしている人も半分くらいにのぼります。

「俺も行かなきゃだめか?」
運転手に身振りでそう聞いてみると、

「当然だろ。さっさと行って手続してこい」
と車を追い出されました。


小さな小屋の中には係官が二人いて、乗客たちのパスポートをチェックしています。
他の人の手続きを見ている限り、けっこう簡単に通過できそうにも見えます。

しかし、私は日本人。
他の人たちとは毛色が違います。

きっとすんなりとは通してくれないんだろうな。
悪名高き「賄賂部屋」というのはどこにあるのだろう。

あたりをキョロキョロしているうちに、私の順番がやってきました。

係官は私のことをめんどくさそうに見ています。
どうやら彼は英語が話せないらしい。
隣にいたもう一人の係官になにか話しかけ、その人と席を交代しました。
もう一人の係官はどうやら英語ができるようです。

「今からだとあと数時間しか滞在できないが、それでもいいか?」
といったありきたりの質問をいくつかされただけで、すぐにパスポートを返してくれました。
私の名前とパスポートナンバーが印刷された紙切れももらいました。
きっとこの紙は出国するときに必要なのでしょう。

荷物の検査はされませんでしたし、賄賂の要求も一切ありませんでした。
えっ! これだけ?
あっさりと国境を通過できてしまったのです。

沿ドニエストル共和国について書かれているブログを読むと、必ずといっていいほど国境通過の際の苦労話、あるいは武勇伝が「これでもか」とばかりにつづられています。
そういうのを読んで覚悟を決めていった私としては、なんだか肩透かしを食らわされたようで、拍子抜けしてしまいました。

簡単すぎる。
これじゃあ他の国の国境審査となんら変わらんじゃないか。
沿ドニエストル共和国、お前もたいしたことないな。


そしてついにバスはティラスポリに到着した。
乗客たちはさっさと降りてしまうが、私は面食らっていた。

ほんとにここが首都なのか?

静かすぎる。

バスターミナルは鉄道駅と隣接しているようだ。
ということは、ここはこの国で一番の繁華街のはず。
それなのになにもない。
高層ビルも複合商業施設もスクランブル交差点もない。
人通りもほとんどない。

これはまいったな。
ティラスポリに着いたらなんとかなるだろうと思っていたのだが甘かった。

観光案内図なんてものがあるわけないし、もちろん地球の歩き方にだって沿ドニエストル共和国の見どころは載っていない。
だってこの本には「沿ドニエストル共和国は治安状況が悪いので、訪れるべきではない」と書いてあるのだ。
もちろんWiFiなんてものがあるわけない。


なにもない駅前でじっとしていてもしかたがない。
この国の滞在許可はとってないので、今日中にモルドヴァに戻らなければならないのだ。

でも、移動する前にせっかくだから駅の写真を撮っておこう。
そう思ってカメラを取り出したその瞬間、駅を警備していた兵士が私の方へと歩いてきた。
なにもない駅前のくせに、警備の兵士だけはちゃっかり配置しているのだ。
さすが沿ドニエストル。

兵士はまっすぐ私の方へ向かってくる。
彼が言いたいことはわかっている。
「ここは重要拠点だから写真は撮るな」

だが、まだ彼はなにも言っていない。
なんのジェスチャーもしていない。

だからシャッターを押すことは可能だ。
そしてその瞬間、兵士が私に向けて引き鉄を引くことも可能だ。

ここは沿ドニエストル。
国際社会から隔離された未承認国家。
そんな場所で、兵士を無視して写真撮影を続行するだけの度胸は私にはない。


DSC05218.jpg

沿ドニエストル共和国での記念すべき第一枚目の写真撮影は、兵士によって制止されてしまった。
なかなか幸先の悪いスタートだ。

あの兵士は英語が話せなかったからよく理解できなかったが、駅の写真を撮るな、と言っていたのだろうか。
それとも、この国では外国人は写真を撮ることを許されていないのだろうか。

だとしたらやっかいなことになったぞ。
ここまできて一枚も写真を撮らずに帰るなんてことができるか。
情報の少ない国だからこそ、いつもよりも多く写真を撮りたい。
だが、兵士の目を盗みながらではやりづらいな。


いつまでも駅前で立ち往生しているわけにはいかない。
私はビザを取得していないから、今日中にこの国から出なければならないのだ。

とりあえず侍の衣装に着替えた。
兵士からは死角になる場所で。

腰に刀を差した侍の格好を見咎められたら、やはり兵士になにか言われるのだろうか。

「いきなり後ろから撃たないでくれよ」

そう願いながらティラスポリの駅前を後にした。



沿ドニエストル共和国について書かれたブログはいくつか読んだ。
そのどれもが、この国についてはあまり良いことは書いていない。

「まるで珍しい動物でも見るかのような目つきでジロジロ見られた」
「今までに味わったことのない、なんとも言えない嫌な雰囲気が町中を覆っていた」
「国境で賄賂を要求され、拒否したら長時間別室に拘束された」

ほとんどがネガティブな感想。
「ティラスポリの人たちサイコー! みんなと仲良くなっちゃいました」
などと書かれたブログは私の見る限りなかった。

それでも私は楽観視していた。
自分は他の旅人とは違う。
カウチサーフィンを通じて何百人もの外国人と交流してきたのだ。
ホテルと観光地の間を往復するだけで、現地の人と言葉を交わそうともせず、せっかく外国に来ても日本人同士でつるむ内向き日本人と一緒にしてもらっちゃあ困る。

そう思っていた。

だがこの沿ドニエストル。
確かになにかが違う。
街全体を重い空気が覆っている。

建物はたくさんあるのに、まったく人の住んでいる気配がしない。
ゴーストタウンか、ここは?

メインストリートを歩いても人通りはほとんどなし。
やけに静かだな、と思っていたら、それもそのはずで、道路を走る車もほとんどないのだ。

たまにすれ違う人々も、なんだかよそよそしい。
とても話しかけられる雰囲気ではない。
あきらかに異邦人である私の存在を拒んでいる。

こんなに閉鎖的な空気を醸し出している国は初めてだ。
ティラスポリの独特な空気に圧倒され、思いっきり萎縮してしまった。
なんかいやだ、この国。
はやく帰りたい。

すっかり弱気になってしまった私だが、もちろんこのまま帰るわけにはいかない。
でも、どこに行けばいいのかもわからない。
前から一人の女の子が歩いてきた。
若い子だからきっと英語も話せるだろう。
そうだ、あの娘に聞いてみよう。


勇気をだしてその女の子に声をかけてみた。

彼女は私のことを、まるで害のない低級な悪霊でも見るかのような目つきで一瞥しただけで、足も止めずに歩き去ってしまった。
一言も発しなかった。

こんな態度をとられたのは初めてだ。
すっかりティラスポリの人に対して人間不信になってしまった。
もう誰にも話しかけたくない。


グーグルマップはよくできた地図だが、観光案内としては利用価値は低い。
どちらへ行けば面白そうな場所に出るかはわからなかったが、とりあえずバスが通ってきた道を歩いて戻ってみることにした。


DSC05219.jpg

DSC05222.jpg

とりあえず記念撮影してみるも、なんだか気分が浮かない。


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洗濯物が干してあるのだから、おそらく住居用の建物なのだろうが、まったく人の住んでいる気配がない。
おそろしく静かな首都だ。


DSC05228.jpg

ティラスポリの街中では、この会社のロゴをあちこちで見かけた。
有名なコニャックの会社らしい。


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しばらく歩いているうちに、だんだんと人通りが多くなってきた。
おそらくこのあたりが街の中心部なのだろう。

そしてここで初めて声をかけられた。
彼らは少し英語もできるらしい。
ほっとする瞬間。
ティラスポリの人間みんながみんな外国人に対して冷たいわけではないのだということがわかって、ほんとに安堵した。

せっかく捕まえた現地人だから、彼らにはいろいろと聞きたいことが山ほどあったが、どこかへ向かう途中らしく、あまり長時間引き止めるのも気がひけた。
かろうじて郵便局の場所だけ聞き出し、彼らと別れた。


教えてもらった建物の前には、10代と思しき若者たちが何人かたむろしていた。
現地の人と話すことに成功したおかげで、私の士気はほんの少しだが上昇している。
彼らに話しかけてみた。

「英語はできるかい?」

若者たちはお互い顔を見合わせていたが、やがてそのうちの一人が胸を張って答える。

「ああ、できるよ。当然だろ」

それは心強い。
彼らならどこか面白そうな場所を知っているかもしれない。
ヒマを持て余しているみたいだから、ひょっとしたら俺と一緒に遊んでくれるかもしれない。

そう思って彼らとのコミュニケーションを試みたのだが、どうも話がかみあわない。
どうやら彼は仲間の手前、「俺は英語ができるんだぜ」と言いたかっただけで、実はほとんど英語を知らないようだ。

こいつはまいったな。
この沿ドニエストル共和国では英語を学校で教えていないのだろうか。

鎖国状態のこの国は、ほとんどの国から独立を承認されていない。
アメリカやEU諸国を敵視しているとも聞く。
そんな国では英語ではなく、ロシア語を学校で教えるのだろう。

とにかく彼らとはこれ以上仲良くなれそうにない。
また振り出しに戻ってしまった。


と、その時、一人の女性が声をかけてきてくれた。

「どうしたの?
 何か困ってる?
 私に手伝えることはあるかしら」


孤立無援状態に陥っていた私を救う女神。
彼女の登場により、私の沿ドニエストル共和国旅行は劇的な変化を遂げることになる。




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俺はヤクザだ(キシニョウ、モルドヴァ)

キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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ホストのアントンの車で、キシニョウ市内まで送ってもらいます。
彼は仕事があるので、市内まで通勤するのですが、そのついでに乗せてもらったのです。
ラッキー!
カウチサーフィンってこういう時に便利です。

途中、「CHISINAU」 と大きく書かれたオブジェを見かけたのですが、アントンは職場へ急がねばなりません。
車を停めてもらって写真撮影したかったのですが、それは断念せざるをえませんでした。

残念。
これがカウチサーフィンの限界か・・・


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アントンの車から見たキシニョウの市内。
やはり日本とは走っている車の種類も異なり、なかなかおもしろいです。


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ところどころに面白そうな形をした建物が見えます。
モルドヴァはあまり観光地としてはメジャーではありませんが、なかなか楽しめそうな国だと感じました。
次回はもっと時間をとって、じっくりと滞在してみようかと思います。


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これがアントンの車。
日本車です。

最近日本ではあまり古い車を見かける機会はありませんが、実は私たちの知らないうちに世界中に散らばっているんですね。
私たちの感覚では
「もうこんな車、古くて使えないよ」
と思ってしまうような年代物でも、他の国へ行けば
「やっぱり日本車はいいな」
と大人気。

日本にいる時はあまり実感できませんが、日本という国の海外での存在感は、私たちが思っている以上に大きいようです。


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国会議事堂。
モルドヴァの国旗がひるがえっています。

仮説のステージを建設中でした。
後でアントンに聞いたところ、明日はモルドヴァの独立記念日なのだそうです。
そのための式典の準備をしているのでしょう。

そういえば、オデッサを訪れた時はウクライナの独立記念日だったっけ。
ポーランドでは士官学校の卒業式に出くわしたし。

ひょっとして俺ってお祭り男?!


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侍の衣装を着て、「勝利の門」の前で記念撮影。
式典の準備をしている軍人さんたちに何か言われるんじゃないかと心配でしたが、なーんにも言われませんでした。
もうちょっとかまってほしいな・・・


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大きなチェス盤を発見。
これ、自由に動かしてゲームをしてもいいそうです。

「こんな所に置いておいて、誰かが駒を盗んだりしないのだろうか」
と心配になりましたが、後でアントンに聞いたところ、やはり時々盗難の被害に遭うことがあるそうです。

それでも撤去したり柵を設けたりする気はないみたいですね。
モルドヴァは今日も平和です。


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キシニョウ大聖堂


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市庁舎


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キシニョウのメインストリート、シュテファン・チェル・マレ大通り。
まだ朝早いためか、人通りはそれほど多くありません。


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大勢の軍人さんたちが通りを行進しているところに出くわしました。
これから国会議事堂などの官公庁の警備に向かうそうです。


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シュテファン・チェル・マレ通りをつきあたりまで歩き、解放広場まで出ました。
このあたりは高そうなホテルが多いです。
モルドヴァにそんなにたくさんの観光客が来るとは思えないんですけどね。
商用かな。


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聖ティロン大聖堂。
入り口に料金所のような小屋があったのですが、まだ朝早いためか、受付には誰もいません。
他の人もお金を払っていなかったので、そのまま中へと進みます。


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教会の敷地内には早朝にもかかわらずたくさんの人がいました。
スカーフのようなものを被っている女性も多く、みんな敬虔な信者のようです。


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キシニョウ観光はこれでおしまい。
沿ドニエストル共和国に行くために、バスターミナルへと向かいます。

その途中、青空市場を発見。
朝早くから大勢の人でにぎわっています。
なんだかおもしろそうだったので、ちょっと中を冷やかしてみることにしました。


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ブドウを見ると、昨夜飲んだモルドヴァ・ワインを思い出してしまいます。
せっかくだからこのブドウと一緒に記念撮影をしよう、と思い、三脚にカメラをセットしたのですが、人通りが多くてなかなか写真を撮ることができません。

もたもたしているうちに、この市場の責任者のような人が来て、
「こんなところで写真なんか撮るな。 出ていけ」
と言われてしまいました。

といっても彼は本気で怒っているわけではなさそうで、
「サムライ! サムライ! 」
と他の商店主たちと笑っています。

今から思えば、彼らと一緒に写真を撮っておけばよかったのですが、
「出ていけ!」
と言われビビッてしまっていた私は、そそくさとその場を逃げ出してしまいました。


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「出ていけ!」
と言われたものの、この市場は人々の熱気があって、なかなか立ち去り難い魅力があります。

ドキドキしながらも、さらにウロウロしてしまいました。


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シュテファン・チェル・マレ通りを歩いているときは、人々の表情は硬く、
「モルドヴァの人間ってなんだかよそよそしいなあ」
と感じていたのですが、この市場の中は雰囲気が異なります。

道行く人々は、侍の衣装を着た私のことをチラチラと見ています。
確かな手ごたえを感じるのですが、なかなか私に近づいてこようとはしません。
モルドヴァの人はシャイなのかな。


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それでも時々陽気なおばちゃんたちに声をかけられます。
彼女たちは英語が話せないようなのですが、どうやら
「写真を撮れ!撮れ!」
と言っているようです。
がっしりと肩を組んできました。

ああ、これが若くてかわいい女の子だったらなあ。


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ここで急きょ、新たなマイ・ルールを設定することにしました。
それは、
「訪れた街すべてで、現地の美しい女性と一緒に写真を撮る」
というものです。
旅の思い出に「いい女」は欠かせません。

いい被写体はいないものかと獲物を探していると、私好みのかわいらしい少女を発見しました。
「一緒に写真を撮ってよ」
とカメラを構える仕草をしたところ、その女の子はギャーギャーわめきながら逃げまどいます。

あら? なんだか俺、変質者扱いされてる?

これはちょっと困ったことになったぞ、
と思っていると、その娘の母親らしき女性がその女の子に向かって、
「せっかくだからサムライと一緒に写真を撮ってもらいなよ」
みたいなことを言っています。
英語ではないのであくまでも私の推測ですが。

しかしその女の子はなおもキャーキャー言って私から逃げようとします。

とその時、お母さんが娘をガシッと捕まえました。
「ほれほれ、撮ってもらいな」

体格のいい母親の腕は太く、一度捕まってしまったら容易に逃げ出すことはできそうにありません。
娘はついに観念したのか、カメラに向かってほほ笑んでくれました。
でかしたぞ、お母さん。

カメラをお母さんに渡し、その女の子と一緒に写真を撮ってもらおうとしたのですが、
今度こそその娘は「ぴゅーっ」とどこかへと走り去ってしまいました。



その後も市場内をうろついていると、なんだか後ろに気配を感じます。
振り向くと、そこには私のことをじーっと見つめている一人の少女がいました。

他のモルドヴァ人とは明らかに異なる、派手な赤色のドレスを着たその少女の背はとても低く、
年齢はおそらく10歳に満たないと思われます。

しかし、どうも様子がおかしい。
彼女の顔つきは大人の女性そのものなのです。
物腰も落ち着いていて堂々としている。
首から上は成熟した女の人なのに、首から下は幼女体型。
見れば見るほど奇異な印象は強くなっていきます。

一瞬私は、その女性はなにかの病気を患っていて、体格は少女のまま大人になってしまったのではないかと思ってしまいました。

彼女は英語が話せます。
そして話しているうちに、やはりこの娘はまだ子供なんだということがわかってきました。
話し方も話の内容も小さな子供そのものです。

百聞は一見にしかず、ということで、ぜひともみなさんに彼女の写真をお見せしたいのですが、
その女の子は断固として写真撮影を拒否しました。
どうしてかはわかりませんが、彼女は異常に写真を嫌がります。
その意思の固さは普通じゃありませんでした。



その女の子と別れると、すぐに別の男性に声をかけられました。

「先生、ぜひうちの道場に来て稽古をつけてくれ」

どうやら彼は私のことを合気道の達人と勘違いしたようです。
そういえば昨日、シュテファン・チェル・マレ通りで合気道の道場を見たっけ。
彼はあそこの生徒らしいのです。

「いや、俺はこれから沿ドニエストル共和国に行かなきゃならないから・・・」
と言って断ると、

「稽古は夜からだ。あんたの電話番号を教えてくれ。ほんのちょっとでいいんだ。日本の先生に稽古をつけてもらえる機会なんてないから、きっとみんな大喜びするはずだ。頼むっ。」

何度も断ったのですが、彼はなかなか引き下がりません。
どうしても今夜道場に来てくれと言って聞かないのです。

仕方がない。
ほんとの事を言うとするか。

私はこんな格好をしているけれども、合気道なんてまったくできないのだ、
ということを正直に彼に打ち明けました。

すると彼は

「 Hey man ! Come on ! 」
とだけ言って、とても残念そうにしながら立ち去っていきました。

こういうことは初めてではありませんが、なんともいえないみじめな気分になります。
侍の衣装を着てるだけじゃだめだ。
日本に帰ったら合気道の道場に通おう。


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男が去ったと思ったら、今度は女の子が私のことを見つめていました。
サムライはモテるなあ。

でもごめんね。
俺は偽サムライなんだ。

私が話しかけても、その女の子はちょこんと首をかしげるばかり。
どうやら英語はわからないらしい。

ではいったいこの子は俺と何がしたいのだろう。
カメラを向けると、恥ずかしそうに下を向いてしまう。


DSC05211.jpg

「下を向いちゃだめだよ。
 ほらほら、ちゃんとレンズを見て!
 こっち、こっち!」

私がその女の子にそうお願いすると、彼女はもじもじしながらもおずおずと顔を上げてくれました。
その恥ずかしそうにしている様子がまたかわいいのなんのって!

なんだかもっといじめたくなってきました。
俺って病気かなあ。


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はたから見てると、まるで私がいたいけな少女をいじめているようにでも見えたのでしょうか。
別の女性がさっとやってきて、女の子の肩を抱きしめました。

「私が一緒にいてあげるからね。もう大丈夫よ」

おおっ。
かわいい女の子が二人に増えた。
私としてはとてもラッキーです。

ところでこの女性は少女とどんな関係なのだろう。
お姉さんなのかな。
それともお互いの家が近所だとか。

「姉妹じゃないわよ。
 それにこの娘を見るのも今日が初めてだし」

へー、そうなんだ。
まったく見ず知らずなのに肩を組んで一緒に写真を撮ったりするのか。
モルドヴァの女の子はオープンな性格なんだなあ。



少し市場に長居しすぎた。
そろそろ沿ドニエストル共和国に向かわないと時間がなくなってしまう。
明日には俺はモルドヴァを出国しなくてはならないのだから。

バスターミナルは市場に隣接しているからすぐにわかった。
だが問題はどれが沿ドニエストル共和国行きのバスかだ。

沿ドニエストル共和国はモルドヴァから分離独立する形で自らを国家と名乗るようになった。
その過程では多くの血が流れている。
準戦争状態にあると言っても過言ではないだろう。

そんな状況にある国に行くバスが、本当に首都のターミナルから堂々と出発するのだろうか。
人に聞くのもためらわれた。
もしも私が沿ドニエストル共和国に行くことをこの国の人が知ったら、

「なにっ? お前はあいつらの国に行くのか! 許せんっ」

とか言われて怒られるんじゃなかろうか。


それにそもそも私はどこに行きたいんだろう?
沿ドニエストル共和国のことはつい最近知ったばかりで、十分な情報取集をしていない。

あてもなくバスターミナル内をうろうろしていると、一人の男が声をかけてきた。
侍の衣装を着てるのだから人目を引くのは当然だ。

50歳くらいに見えるその男からは、どこか暴力的な臭いがした。
日本の文化に興味がありそうにしていたので話を聞いてみたら、なんと日本に行ったことがあるらしい。
いったい何の用で?
この男が観光目的で外国を訪れるようには見えない。


前述したとおり、沿ドニエストル共和国は微妙な立場にある。
いちおう独立を宣言してはいるが、ほとんどの国は認めていない。
しかし独自の政府や軍隊を持っているものだから、うかつに立ち入ることはできない。

国際社会の目が行き届きにくいのをいいことに、この国は違法な薬物や武器の流通ルートになっているとも聞く。
大量のアングラマネーが流れ込み、実はこの国は豊かなのだ、という人もいる。


今、私の目の前にいるこの男も、ひょっとしたらそういう世界の住人なのかもしれない。
少しこわかったが、なかなか彼は親切だった。

「なにを探してるんだ?」
「沿ドニエプル共和国に行きたいんだ」

「ティラスポリか?」
「そうだ」


本当はティラスポリなんていう地名は知らなかったが、まっさきにこの男の口から出てきたところをみると、きっと沿ドニエストル共和国を代表する有名な街なのだろう。


「こっちだ。ついてこい」

男はそう言って私の前を歩き出す。
何人かの運転手と話をした後、一台の車を指さした。

「あの車に乗れ」

「いくらだ?」
バスの値段を聞くと、男はチケット売り場らしき建物に連れていってくれた。
意外と親切なんだな。


「俺はヤクザだ」

男は別れ際にそう言った。
ポケットからライターを取り出して私に見せる。
そこには
「SAMURAI 」
と書いてあった。

多くの日本人は「キシニョウ」と聞いても、その都市の正確な位置を思い浮かべることはできないだろう。
そんな街の市場のかたすみに、「SAMURAI」と書かれたライターを持つヤクザがいる。
日本ってすごくない?


彼にはいろいろと世話になったので、礼を言って握手をしようとしたら拒まれた。

「つい最近友人が死んだんだ。
 だから今俺は喪に服している。
 悪いが握手はできない」


その友人とやらがどんな死に方をしたのか、やはり聞かない方がいいんだろうな。





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キシニョウでカウチサーフィン(モルドヴァ)

キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)




オデッサ(ウクライナ)での私のカウチ。
すぐ隣にはサンベルとリーザの寝室があります。
二人の愛の巣に闖入した私は、お邪魔じゃなかったのかしらん。




彼らの飼っているオウム。
サンベルの父親がアフリカから持ち帰ったものだそうです。

このオウムはなかなか賢く、我々と会話をすることができます。
しかも、ただ「オウム返し」するだけでなく、自分で状況を判断することができるようなのです。
このオウムと話していると、彼の知能の高さに背筋が寒くなる思いをすることがありました。




オデッサからモルドヴァのキシニョウへは電車が通っているようなので、当初は電車で行くつもりでした。
しかし、サンベルたちが言うには、バスの方がいろいろと便利なのだとか。
彼らは時刻表も調べてくれ、車でバスターミナルまで送ってくれました。
バスターミナルの位置はガイドブックには載っていません。
いいホストに巡り合えて本当によかった。




オデッサのバスターミナル。
サンベルたちはチケットを買ってくれ、乗り場まで一緒についてきてくれました。
至れり尽くせりです。

オデッサではずっと彼らが一緒にいてくれたので、私は一歩たりとも独りで歩くことはありませんでした。
おかげで3日間もいたにもかかわらず、オデッサの地理はいまだに把握できていません。
良いホストに恵まれると、バックパッカーとしての勘が鈍っちゃうなあ。




バスが出発するまでには時間があったので、サンベルたちと別れた後、隣接する市場をぶらつくことにしました。






この車でモルドヴァまで行きます。
「オデッサ」はかろうじて読めるけど、「キシニョウ」はどうしても読めません。
ほんとにこの車であってるのかと不安になります。


車の中で一人の女性に話しかけられました。

「あなた日本人なの?
 なんでわざわざこんな大変な時期にウクライナになんか来るわけ?」

ウクライナを旅行していると、いろんな人からこの質問を受けます。

でも、そんなに大変かなあ。
銃声が聞こえるわけではないし、空襲警報だって鳴りません。
普通に観光できます。
制限や不自由を感じたことはありません。


ウクライナ~モルドヴァ国境では、けっこう念入りに荷物検査をされました。
空港と違い、普通は陸路国境越えの場合はそれほど厳しくチェックされることはありません。
戦争の影響も少しはあるのかな。

私の荷物の中には、侍の刀があるので、けっこう冷や冷やしながらの国境通過となりました。




モルドヴァ領に入ってからしばらくして、食事休憩のために車は停まりました。
私はモルドヴァのお金はまだ持っていなかったので、ご飯はがまんです。


私たちの乗ったバスは、若い男女が運転手と助手でした。
ところが、この二人はどう見てもデキてるのです。
車内ではまるでドライブ・デートでもしているかのようにラブラブ状態。

もちろん休憩中も手をつないでレストランへと入っていきました。
きっと楽しくおしゃべりでもしているのでしょう。
なかなか出てきませんでした。

早く出発しようぜ。
俺は今日のうちに少しでもキシニョウを観光しておきたいんだ。




オデッサ~キシニョウ間には大きな都市はありません。
小さな村が点在するのみです。

東ヨーロッパを旅行していると、日本というのはほんとに人口密度の高い国なんだなあ、と思い知らされます。




これがモルドヴァの伝統的な家屋なのだろうか。
なんだか独特の形をしています。




バスターミナルに到着。
ガイドブックの地図を見る限り、バスターミナルはキシニョウの市街地のど真ん中にあるはずなのに、
ここはどう見ても郊外に位置しているようにしか見えません。

英語の通じそうな若い女性に聞いてみると、やはりここから市街地まではかなり距離があるとのこと。
「歩いて行けるか?」
と聞くと、彼女は私の荷物にちらっと目をやり、
「無理!」
と即座に答えました。

ガイドブックの地図にはこのバスターミナルは載っていないので、グーグルマップとGPSで現在位置を確認します。
たしかに街の中心部までは遠そうですが、歩いて行けない距離ではなさそうです。
さきほどの女性に
「1時間あればたどり着けるか?」
と聞くと、
「そんな長い距離歩いたことないからわかんない!」
と失笑されました。


バスターミナルには両替所があったので、モルドヴァのお金を入手することにします。
窓口に並ぶと、気配を察したのか、私の前にいた女性が振り返ります。
私の姿を認めるや否や、私の目をにらみつけます。
きっと私が彼女の荷物を盗もうとしているとでも思ったのでしょう、彼女は私の顔をにらみつけたまま、地面に置いていた荷物を大事そうに抱きかかえました。

気持ちはわかるけどさあ、なんか感じ悪ぅー。
人のことを泥棒あつかいするなよ。
俺、なにもしてないのに!


しばらく待った後、ようやく私の順番がやってきました。
窓口の方へ進もうとすると、後ろからサッと割り込んでくる女性がいます。

「おいっ! 俺が先だろ? ちゃんと順番を守れよ!」
と怒鳴ると、その女性は私の顔をにらみつけます。
なんで俺がにらまれなきゃならないんだよ。
悪いのはそっちの方なのに。


なんなんだ、モルドヴァ?
この国の人間はみんなこんな感じなのか?

その国の印象は出会った人にかなり左右されます。
モルドヴァでの最初の一歩はあまり芳しくないものとなりました。




けっきょくウクライナのお金を両替してはもらえませんでした。
ATMを探すのもめんどうなので、やはりバスは使わずに歩いてキシニョウ市内へ向かうことにします。

でもその前に腹ごしらえ。
リーザがくれた弁当をいただきます。
ミッキーマウスの焦げ目の付いたパン。
優しかったウクライナの人たちの顔が目に浮かびます。

それにひきかえ・・・




市内への行き方を教えてもらおうとしたのですが、二人に聞いたところ、それぞれ別の方向を教えられました。
最期に頼りになるのはやはり自分しかいないということか。
グーグルマップとにらめっこしてどの道へ進むか考えます。
遠回りだけど簡単な道を行くか、近道だけどややこしそうな道を選ぶか。

迷うのを覚悟で近道を行くことにしました。

交通量は多いのに信号はなく、横断歩道などという歩行者に優しいものはこの国には存在しないようです。
おまけに私は重い荷物を担いでいます。
車が途切れた瞬間を見計らって道を渡るなんて芸当はできないのです。

しかたがない。
ベトナム方式で行くか。

車が猛スピードでビュンビュンと行き交う中、ゆっくりと道路を横断します。
日本で同じことをやったらクラクション鳴らされまくりでしょう。

しかし、意外にもみんなおとなしく、私のためにスピードを落としてくれました。
モルドヴァ人もいいとこあるじゃん。






モルドヴァというのはとても貧しい国だというイメージがあったのですが、とてもそんなふうには見えません。
たくさんの車が走り、新しい建物もあちこちに見受けられます。
豊かなのはいいけど、物価が高かったらいやだなあ。




キシニョウにはなぜか、いたるところに両替商があります。
何軒かの店に入ってみたのですが、なかなかウクライナの通貨を交換してくれる所はありません。
隣の国の通貨だというのに。
ロシアと戦争状態にある国のお金なんて危なくって使ってられない、ということでしょうか。

店先に出ている通貨レート表にはウクライナは載っていませんでしたが、ダメもとである両替商に入ってみました。
今までに試してみた何軒かの店では、ウクライナのお金を見せた途端に首を横に振られたのですが、
この店ではどうやら交換してもらえるようです。

計算機に数字を打ち込み、受付の女性が私にそれを見せます。
かなり悪いレート。
ごっそりと持ち金が減ってしまいます。

しかし、ウクライナのお金なんて持っていても、この先使うあてはありません。
これまでに何軒も両替商をまわりましたが、すべて門前払いでした。
少額でもいいから、モルドヴァのお金に換えておくしか他に手はなさそうです。


私の旅のスタイルは、複数の国を駆け足で一気に回るというもの。
国によって通貨が異なるので、両替のロスを防ぐためにも、余らないように計算しておくのが鉄則です。
あるいは、なるべくクレジットカードで支払うようにするというのも一つの手段でしょう。

でも、私は小心者なので、常に懐に余裕がないと不安なのです。
なのでついつい大目にお金を引き出してしまいがち。

それに、クレジットカードはあまり使いたくありません。
せっかく遠い国まではるばるやってきたのだから、その国のお金をこの手で使ってみたい。


西ヨーロッパでは多くの国がユーロを導入しています。
しかし、ここ東ヨーロッパではほとんどの国がそれぞれ独自の通貨を使用しています。
国境を超えるたびに両替を繰り返していると、そのコストもバカになりません。

それでも、それでも私は現地のお金を触ってみたいんだよ。

東欧の国の中にも、ユーロの導入を検討しているところがあります。
近い将来、ほとんどの国が統一の通貨を利用するようになるかもしれません。
さらにはクレジットカードや電子マネーの普及により、お金そのものがなくなる日もそう遠い未来の話ではないでしょう。

だからせめて今だけは、人の手垢にまみれてしわくちゃになったお札を使っていたいんだよ。




ようやく手に入れたモルドヴァの紙幣。
シュテファン・チェル・マレの肖像が印刷されています。
東ヨーロッパを旅行していると、うんざりするくらいこの名を聞くことになります。




キシニョウのメインストリート、シュテファン・チェル・マレ通り。
ここまで来ればもう迷う心配はありません。

ちょうどタイミングよく、ここでのホスト、アントンからメールが届きました。

「マサト、今どこにいるんだ?」

胸を張って答えられます。

「シュテファン・チェル・マレ通り!」

「Great ! 」

アントンは詳しい待ち合わせ場所をメールで送ってくれました。
彼はすでに仕事を終えているようです。
あまり待たせるわけにはいきません。
背中のリュックが重いけど、少し歩を早めることにしよう。




一国の首都の、メインストリートとは思えない惨状。
モルドヴァの人は細かいことは気にしない主義なのかな。






東欧はどこもそうなのですが、ここモルドヴァでもアジア人をまったく見かけません。
ここまでくると気持ちいいです。

東洋人は珍しいはずなのに、誰も私の存在など気にもとめない様子。
モルドヴァ人は目が悪いのか、好奇心が希薄なのか。
アジア人だからといって差別されることはないのですが、まったく無視されるのもさびしいなあ。




こんなところにも合気道の道場が!




キシニョウのランドマーク、「勝利の門」にたどり着くことができました。
アントンが指定した場所はこの近くのはず。
でも、私の地図には載っていません。
どうせならこの「勝利の門」を待ち合わせ場所にしてくれりゃいいのに。

なかなか待ち合わせ場所を見つけることができず、ウロウロしていると、アントンから再びメールが。

「今どこにいるんだ?」
「勝利の門 ! 」

アントンは近くにいたようで、歩いてやってきてくれました。

いや、だから最初からここを待ち合わせ場所にしとけば・・・



アントンの車に乗り込み、彼の家へと向かいます。
どうやらここからかなり離れた場所のようです。

明日はアントンは仕事があるので、私は自分一人でキシニョウ観光をしなければなりません。
でも、彼の家がキシニョウ市内からこんなに遠いんじゃあ不便だなあ。

しかし、アントンの話を聞いて、私がいかに甘えたことを言っているのか思い知らされました。

彼は以前、日本人の女の子をホストしたことがあるそうです。
今回私は彼の車で家まで連れていってもらっていますが、その女の子は住所だけ渡されて、自力で彼の家までたどり着いたのだとか。
アントンの家はキシニョウ市内からは遠く、「地球の歩き方」の地図には載っていません。
バスの乗り方も書いてありません。
それなのに独力でアントンの家を探し当てるとは。
日本の女子バックパッカーはたくましいのだな。


彼の家で荷物を降ろし、さっそく夕食です。

「なにが食べたい?」
とアントン。

もちろんモルドヴァ料理!

でも、私の持っている「地球の歩き方」にはキシニョウ市内のレストランは1軒しか載っていません。
アントンにそれを見せると、

「もっといい所があるよ」

ということなので、連れていってもらいました。
彼の家から歩いていける距離です。




このお店はモルドヴァのファミレスのようなもので、あちこちに姉妹店があります。
値段もリーズナブル。

アントンがこんな話をしてくれました。

あるテレビ番組で、二組のレポーターがモルドヴァを旅行することになりました。
一人は潤沢な資金を持たされ、もう一人は少額のお金しか持っていない、という設定です。

お金をたくさん持っている方の人は「地球の歩き方」にも載っている高級レストランへと行き、
貧乏な方の人はこのお店で食事をすることになりました。

どちらの店も、同じモルドヴァの伝統料理をだします。
もちろん、値段には雲泥の差がありますが。

ところが、でてきた料理を見た視聴者はびっくりしました。

「どっちの店で食べても一緒じゃん!」


もちろん、見た目ではわからない素材の違いや、調理の手間暇の差はあるのでしょう。

「それでも俺はこっちの店の方をすすめるよ」

地元の人がそう言うのですから、私にも異存はありません。


あっ、でもモルドヴァの物価は安いので、普通の日本人旅行者の感覚からすれば、高級な方のレストランを選んだとしても、
「こんなに食べてもこの値段なの? 安い!」
と思えることでしょう。





モルドヴァの料理なんてなんにも知らなかった私は、すべてアントンにおまかせすることにしました。

「典型的なモルドヴァ料理を食べさせてくれ!」

という私の注文に、彼は困っています。
メニューに載っているのはどれもモルドヴァ料理なので、その中からどれか一つ選べ、と言われてもすぐには決められないのでしょう。




お店の内装も、伝統的なモルドヴァの家屋をイメージしているようです。








モルドヴァの料理というのはあまり特徴がなく、それほど印象に残りませんでした。

しかし、しかしワインは違います。
私はワインのことなんかまったくわかりませんが、そんな私でもモルドヴァ・ワインにはうならされました。
むちゃくちゃおいしいです、このワイン。
私が今までに飲んだどんなワインとも比べものになりません。

ファミレスのチェーン店で飲める一番安いワインですらこんなにおいしいのです。
高級店で飲む本物のモルドヴァ・ワインなんて飲んだ日にゃあ、いったいどうなってしまうんでしょうね。
いつの日か試してみたいものです。




左がホストのアントン。
おっとりとした性格で、彼と一緒にいると心が安らぎます。




食事の後、スーパーに立ち寄りました。
モルドヴァは物価が安いので、ここで必要なものをそろえておこうと思ったのですが、品ぞろえはあまりよくありません。
日本ってやっぱり豊かな国だったんだなあ。


幹線道路から一歩外れると街灯はなく、あたりは真っ暗。
道路工事で掘削しているのに、フェンスで覆ったりもしません。
うっかりしてると転落してしまいます。

いたるところでインフラの不十分さが目につきます。
やはりこの国はそれほど豊かではないのかな。


アントンはとても親切で、キシニョウの見どころを丁寧に教えてくれました。
ガイドブックにはほとんど記載がないモルドヴァですが、実はいろいろと楽しそうな場所はあります。

しかし、アントンには悪いのですが、私は彼が教えてくれた場所をほとんど訪れることはできないでしょう。
もともとモルドヴァで観光をしようというつもりはありませんでした。

私には、

「すべての国でカウチサーフィンを利用する」

というミッションがあるためにモルドヴァにやってきただけです。
なのでこの国には2泊するだけです。
そのうち観光に費やせるのは実質1日のみ。

しかもその一日は、キシニョウではない別のところにあてるつもりです。


ガイドブックにはモルドヴァの情報はほとんど載っていないので、インターネットで情報を集めていました。
そこで偶然、「沿ドニエストル共和国」なるものを発見してしまったのです。

これはウクライナとモルドヴァの間にある地域で、彼らは独立国を宣言しているのですが、ほとんどの国はそれを認めていません。
沿ドニエストル共和国を独立国家として認めているのはロシアくらいのものです。

しかし、過去にかなり激しい紛争があったため、モルドヴァの施政権が及んでいないのも事実なのです。
彼らは独自の政府と軍隊を持っているため、モルドヴァの警察は立ち入れません。

ということは、国際的にはそこは無法地帯?

そんな状況なので、日本の外務省も邦人にはここに行ってもらいたくなさそうです。

独立を宣言しているのに、誰からも認めてもらえない。
それなのに誰も手出しできない。

こんなおもしろうそうな国、見過ごすわけにはいかないじゃないか!

というわけで、明日 行ってきます。


テーマ : ヨーロッパ旅行記
ジャンル : 旅行

ポチョムキンの階段(オデッサ、ウクライナ)

オデッサ(ウクライナ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)




今朝もリーザが朝食を用意してくれました。
サワークリーム? チーズ?
よくわからないけど、めちゃくちゃ美味しかったです。




オデッサの街を歩いていると、こんな車を見かけました。
持ち主はやはり日本好きなのだろうか。




港の近くには、「愛の橋」というのがあります。
地球の歩き方にも載っているくらいなので、かなりメジャーなスポットなのでしょう。

ここは恋人たちが永遠の愛を誓って、橋に南京錠をかけていく場所なのですが、
現在は橋ではなく、このオブジェに南京錠をかけるように指導されているようです。

というのも、あまりにたくさんのカップルが鍵をかけていくため、その重さを無視できなくなってしまったのです。
このままでは南京錠の重みに耐えきれず、橋が落下する恐れも・・・

サンベルたちからその話を聞いたとき、
「んなアホな。 それくらいで橋が落ちるもんか」
と思ったのですが、この話にはまだ続きがあります。

卒業式などのイベントのある時には、酒に酔った学生たちがこの橋に大挙して押し寄せて、みんなで一斉に橋を揺らすのがオデッサの隠れた習わしなのだとか。

この「愛の橋」、言っちゃあなんですが、かなりちゃちな造りです。
普通に歩行者が何人か歩いているだけでかなり揺れます。

それを酔った学生たちが大勢でゆすったりしたら、いつの日か本当に落ちるかもしれません。
これで私はウクライナのニュースから目が離せなくなってしまいました。




港には数隻の軍艦が見えます。
これらの艦船はもともとはクリミア半島にある軍港を母港としていました。

しかし、かの地は現在ロシアに取られてしまったので、やむなくオデッサに避難しているのだそうです。
その混乱の中、何隻かは寝返ってロシア側についたのだとか。
大丈夫か、ウクライナ?




ついにやってきました、オデッサ港。
これこれ。
この写真を撮りたかったんだよ。

それにしても、どうして俺はこの場所にこんなにも惹かれるのだろう。
ガンダムのオデッサ作戦のせい?




侍のかっこうをしていると、いろんな人から記念撮影をせがまれます。






私の写真にちょっかいをだしてくれるリーザ。
彼女のそういうとこ、好きです。






それにしても絵になるカップルだ。
見せつけてくれるぜ。




このオデッサを訪れるにあたって、私は映画「戦艦ポチョムキン」を見てきました。
映画の中のワンシーン、暴動を鎮圧する冷酷な兵士になりきって階段を下りる私。

ガイドブックによると「戦艦ポチョムキン」はソヴィエト映画史上ナンバーワンなのだそうだ。
え? あれで?
ということは他のソヴィエト映画はあれよりもっとつまらないということなのだろうか。




ウクライナ中どこへ行ってもこの青と黄色を目にする。
これほど自国の国旗を愛する民族も珍しい。
それとも、日本人の日の丸に対する感情が複雑なだけなのだろうか。




オペラ・バレエ劇場。

キエフ市民はキエフの劇場がウクライナ一だと言い、
リヴィウ市民はリヴィウのものが一番だと言う。
そしてもちろん、オデッサ市民はオデッサのバレエ劇場が一番だと言って譲らない。
まあ気持ちはわからんではないが。




オデッサはプーシキンとゆかりがあるようだ。
といっても、私はプーシキンのことなんて何も知らない。




プーシキンと一緒に記念撮影。
あまり気乗りしなかったのだが、サンベルたちが撮れ、撮れ!とうるさいのでしかたなかったのだ。


この後、サンベルとリーザは、以前彼らが暮らしていたというアパートにも案内してくれた。
なんの変哲もない住宅街で、観光スポットからは離れている。
もちろんガイドブックには載っていない。

本来なら退屈きわまりないはずなのだが、なつかしそうに眼を細めて歩くふたりを見ていると、なんだかこっちまでほんわりと暖かくなってくる。
こういう時間も悪くない。



今日はウクライナの独立記念日。
港では記念式典が行われるらしい。

海軍艦艇が勢ぞろいし、空軍のアクロバットチームが華麗なデモンストレーションを披露する。
さらにはパラシュート部隊が巨大なウクライナ国旗を掲げながらダイブしてくるのだという。
そんな特別な日にオデッサを訪れることができた俺はツイてる。

いったん家に戻り、サンベルの妹たちと落ち合う。
彼女たちも記念式典に一緒に行くのだが、軍事パレードに興味があるわけではない。

なんと、彼女たちは私に会いに来たのだという。

聞けば、サンベルの妹とその友達はコスプレイヤーなのだそうだ。
日本のアニメに夢中な二人。
そんな彼女たちは私がただ日本人というだけの理由で、うっとりとした目で私を見つめてくる。
日本人に生まれてきてよかった!


サンベルの車に乗り込み、記念式典会場へと向かう。
日本大好きウクライナ少女たちに両脇をはさまれ、ゴキゲンな私。
彼女たちは「もっと日本の話を聞かせて」とせがんでくる。
日本にいるとなかなか気づかないが、日本ってけっこういい国なのかもしれない。


上機嫌な私だったが、港に着いた途端、雲行きが怪しくなってきた。
さっきまで快晴だったのに・・・・
もしも雨が降ってきたら、パレードはどうなるのだろう?

と言っているはたから雨が降り出した。
それも土砂降りの大雨。

「どうしてこのタイミングで降り始めるわけ?
 この1か月、雨なんて一滴も降らなかったのに!」
サンベルが叫ぶようにつぶやく。

夏のオデッサに雨が降ることなどめったにないらしい。
自分の運の悪さを呪った。

この天候じゃ空軍の戦闘機によるアクロバット飛行は絶望的だ。
パラシュート部隊の降下もないだろう。
海軍パレードだってあやしいもんだ。




傘をさして海を眺めていると、一艘の船が横切っていくのが見えた。

「パレードができるかどうか、波の状態を確かめに来たのよ」
と誰かが言う。

ウクライナ海軍の船らしいが、とても小さい。
荒波に小さな船体が翻弄されている。




タタタタッ、タタッ。

なんの前触れもなく、機関銃の音が響いてきた。
どうやら模擬戦闘が始まったらしい。




照明弾を落としたりしているが、解説がないので、いったいなにをやっているのかいまいち理解できない。
それに、どの船も小さい。
海軍のパレードだというから、もっとごっつい戦艦を期待していたのだが、どうも沿岸警備隊っぽい。
がっかりだ。




ようやく戦艦が現れた。
ヘリコプターが戦艦に着艦すると、あちこちから歓声が沸き起こる。

ここからは目と鼻の先のクリミア半島には、ロシア軍が駐留している。
オデッサ市民と私とでは、軍事パレードに対する感慨はまったく異なるのだろう。




銃声が止み、どうやらパレードは終わったようだ。
悪天候だから仕方ないのかもしれないが、いまいち盛り上がりに欠ける。


近くの喫茶店に入り、何か飲もうということになった。
みんな暖かいドリンクを注文する。
だが、ココア一杯くらいでは、冷え切った体を温めることなんてできやしない。

今は8月。
ここは東ヨーロッパ有数のビーチリゾート。
それなのに、なぜ俺たちは寒さに震えているのだろう。




サンベルの妹とその友達。
今度会うときは、初音ミクのコスプレで来てね。




サンベルの車で家へと向かう。
雨は上がり、晴れ間も見えてきた。
雨が降っていたのは記念式典の間だけだ。
なにかの嫌がらせか?




雨があがったので、かねてからの予定通り、サイクリングに行くことにした。
アルカーディアまではけっこう距離があるが、海沿いのサイクリングロードがあるそうだ。




レストラン「KYOTO」




サイクリングロードをひた走る。
リーザの自転車のカゴにはラジカセが入っていて、音楽を聴きながら走ることができる。
なんだか楽しい。
ウキウキしてきた。




天気は快晴とはいかなかったが、それでも海沿いのサイクリングロードを走るのは気持ちよかった。
しかもただの海ではない。
ここはオデッサ、黒海沿岸のビーチリゾートなのだ。






アルカーディアに到着。
予想以上に都会だった。
オデッサ市内よりもはるかに人口密度が高そうだ。






ホテルにリゾートマンション。
バーやレストラン。
ビーチというよりは、一大歓楽街のようだ。

建築中の高層ビルが何棟も見える。
この街はこれからさらに混雑することになるのだろう。




オデッサからアルカーディアまで自転車で行くという発想はなかった。
ガイドブックにもサイクリングロードのことは載っていない。
いい経験をさせてもらった。

ありがとう、サンベル、リーザ。




今日はウクライナの独立記念日。
オデッサ港では花火大会が開かれるらしい。
ポチョムキンの階段から見る打ち上げ花火。
これは一生の思い出になるだろう。

花火を見ようと、広場には大勢の人が集まっていた。
だが、予定時刻になっても花火は上がらない。
昼間の雨で火薬がしけってしまったか?




花火はあきらめて、食事にすることにした。
彼らが連れてきてくれたのは、その名も「オデッサ・カフェ」。
そしてもちろんオデッサのビールを注文する。




それにしても寒い。
できればオープン・カフェじゃなくて、店舗の中に入りたかったな。

凍えながらビールを飲む私を見かねて、リーザが毛布を持ってきてくれた。
真夏の夜のオープンテラスで、肩に毛布を掛けながらビールを飲む。
なにかが間違ってる気がする。




サンベルとリーザ。
今日も一日、付き合ってくれてありがとね。
君たちは最高のカップルだ。


テーマ : カウチサーフィン(Couch Surfing)
ジャンル : 旅行

カウチサーフィン(CouchSurfing)とは?

CouchSurfingKyoto

Author:CouchSurfingKyoto
.カウチサーフィン(CouchSurfing)とは。

日本に観光に来た外国人の宿として無償で自宅を提供し、国際交流を深めるというカウチサーフィン。

また、自分が海外に旅行に行く時には、現地の一般家庭に泊めてもらい、その土地に住む人々の生の暮らしを体験することだってできてしまいます。

ここは、そんなカウチサーフィンの日常をありのままにつづったブログです。

「カウチサーフィンは危険じゃないの?」
そんな危惧も理解できます。
たしかに事件やトラブルも起こっています。

なにかと日本人にはなじみにくいカウチサーフィン。

・登録の仕方がわからない
・詳しい使い方を知りたい
・評判が気になる

そんな人は、ぜひこのブログをチェックしてみてください。
きっと役に立つと思います。

最後に。

「カウチサーフィンを利用すれば、ホテル代が浮く」

私はこの考え方を否定しているわけではありません。
私もそのつもりでカウチサーフィンを始めましたから。

しかし、カウチサーフィンは単なる無料のホテルではありません。
現在、約8割のメンバーはカウチの提供をしていません。サーフのみです。

だって、泊める側にはメリットなんてなさそうですものね。

「自分の部屋で他人と一緒に寝るなんて考えられない」
「お世話したりするのってめんどくさそう」

時々私はこんな質問を受けることがあります。

「なぜホストは見知らぬ人を家に招き入れるのか?」

それはね、もちろん楽しいからですよ。

自己紹介
プロフィール


こんにちは。
京都でカウチサーフィン(CouchSurfing)のホストをしている、マサトという者です。
ときどきふらりと旅にも出ます。
もちろん、カウチサーフィンで!


(海外)
2011年、ユーレイル・グローバルパスが利用可能なヨーロッパ22カ国を全て旅しました。
それに加えて、イギリスと台湾も訪問。
もちろん、これら24カ国全ての国でカウチサーフィン(CouchSurfing)を利用。

2012年、東南アジア8カ国とオーストラリアを周遊。
ミャンマーを除く、8カ国でカウチサーフィンを利用しました。

2013年、香港、中国、マカオをカウチサーフィンを利用して旅行。 風水や太極拳、カンフーを堪能してきました。

2014年、侍の衣装を着て東ヨーロッパ20か国を旅行してきました。


(日本国内)
これまでに京都で329人(53カ国)のカウチサーファーをホストしてきました(2013年6月25日現在)。

もちろん、これからもどんどんカウチサーフィンを通じていろいろな国の人と会うつもりです。



カウチサーファーとしてのカウチサーフィン(CouchSurfing)の経験:


オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、チェコ共和国、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、ルーマニア、スロヴェニア、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、台湾

シンガポール、インドネシア、オーストラリア、マレーシア、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナム

香港、中国、マカオ

スロヴァキア、ポーランド、リトアニア、ラトヴィア、エストニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ、沿ドニエストル共和国、ルーマニア、セルビア、マケドニア、アルバニア、コソヴォ、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、リヒテンシュタイン


ホストとしてのカウチサーフィン(CouchSurfing)の経験:


アイルランド、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、イスラエル、イタリア、イラン、インド、インドネシア、ウクライナ、エストニア、オーストラリア、オーストリア、オランダ、カナダ、韓国、クロアチア、コロンビア、シンガポール、スイス、スウェーデン、スコットランド、スペイン、スロヴァキア、スロヴェニア、タイ、台湾、チェコ共和国、中国、チュニジア、チリ、デンマーク、ドイツ、トルコ、日本、ニューカレドニア、ニュージーランド、ノルウェー、ハンガリー、フィンランド、ブラジル、フランス、ベトナム、ベルギー、ポーランド、ポルトガル、香港、マダガスカル、マレーシア、メキシコ、モルドバ、リトアニア、ルーマニア、ロシア



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