熱帯マラソン
今回のお客様はイリーナ。
カウチサーフィンのプロフィールではいちおう国籍はフィンランドとなっていたが、
話を聞くとなかなか入り組んだ事情がある。
まず、彼女はハーフだ。
父親はバングラデシュ出身のベンガル人。
母親はフィンランド人。
両親は二人ともロシアに留学していた経験があり、そこで出会い、結婚した。
そういういきさつがあったから、家庭内での公用語はロシア語だ。
そのためもちろんイリーナ自身もロシア語のネイティブ。
ここでふと、日頃から感じていることを彼女にぶつけてみた。
「欧米人男性とアジア女性のカップルは掃いて捨てるほどいるけど、
その逆はほとんど見たことがない。
そのことをふまえると、君の両親は特異な存在だね」
「そんなことないわよ。ここだけの話、インド系の男性はロシアではモテモテなのよ」
にわかには信じがたい話だ。
だが、もしそれが本当だとしたら、この地球のどこかには日本人男性が白人女性にモテる国があってもおかしくない。
生きる希望がわいてきた。
イリーナ自身はアメリカの大学を出ているため、英語はネイティブレベル。
そして今はカンボジアで働いている。
彼女がカンボジアで暮らすようになってからまだ数年ほどしか経っていないが、
すっかり現地人と同化している。
彼女の顔立ちはどこから見てもカンボジア人のそれだ。

「カンボジアに住んでると聞いてたから、てっきり君はカンボジア人だと思っていたよ」
私がそう言うと、彼女はちょっと不服そうな顔をした。
「私の仕事はエンジニアなの。
といっても、研究室の中に閉じこもっているわけではなくて、
カンボジアのギラギラと照りつける太陽の下で一日中働いているのよ。
だからこんなに日焼けしてこんな顔になっちゃってるけど、
本当はもっと白いのよ。
だって母親はフィンランド人なんですもの。」
イリーナの白い顔とやらを想像してみた。
だが、どうもうまくいかない。
彼女の顔つきはどこから見ても東南アジアのそれだ。
3か月以上東南アジアを放浪していた私が言うのだから間違いない。
それに、彼女の色が黒いのは顔だけではない。
腕だって東南アジア人特有の浅黒い色をしている。
白い肌の白人がいくら日焼けしたからといって、こんなふうになるものだろうか。
ちらっと彼女の胸元にも目をやった。
どこまでも浅黒い色が続いている。
このシャツの下には白い肌が隠れているなんてとても信じられない。

「私、空手の黒帯を持ってるのよ」
な、なにを突然言い出すんだ、この子は。
やはり女は鋭い生き物だ。
こちらがヘンな想像をしていると、すぐに見透かされてしまうものらしい。
お好み焼き屋でビールを飲んだ後、嵐山の鵜飼を見に行った。
だが、イリーナはあまり関心はなかったようだ。
水面に映る幻想的な炎などそっちのけで、ずーっとしゃべっていた。
彼女の話を聞いていると、どうしても東南アジアを旅行した時のことを思い出してしまう。
東南アジアというのは不思議な地域だ。
人の心を惹きつけるなにかがある。
また行かねば。
「マサト、あなたマラソンやるんでしょ。
いい話があるわよ。
毎年アンコールワットでマラソン大会が開催されるの。
ぜひ参加しなさいよ。
私もマラソンやるから、一緒に走りましょ。
壮大な遺跡の中を走るのって気持ちいいわよ」
私にとってカンボジアでの記憶といえば、灼熱の太陽しかない。
思いバックパックを背負って毎日歩きまわったから、体重が激減した。
3ヶ月間朝も夜も、汗の乾く暇もなかった。
あの広大な遺跡群を屋根の付いたトゥクトゥクでまわってもフラフラになったのだ。
マラソン?
ちょっと考えさせてくれ。