上海歴女と本能寺
ユアンは上海に住む女の子。
旅の達人で、カウチサーフィンでのホスト経験も豊富だ。
なのでさぞかし有能な女性なんだろうなと予想していたのだが、実際に会ってみたら???
イメージしてたのとかなり違った。
宇治の祭りに行く予定だったのだが、電車の中で眠りこけてしまい、けっきょく行かなかった。
私との待ち合わせ時刻になっても、彼女は現れない。
土曜日の四条河原町を待ち合わせ場所に選んでしまったため、他にも大勢の人がたむろしている。
ユアンの顔はいちおうカウチサーフィンのプロフィールで確認しているが、写真と実物は違うことが多いのであまりあてにならない。
しかも彼女の顔にはこれといった特徴もない。
どこにでもいそうなありふれた顔立ちだ。
これが欧米人ならまだ見つけやすいのだが、中国人と日本人はほとんど同じ顔つきをしているので、彼女を発見するのはかなり難しい。
それっぽい女性に何人か声をかけてみたが、全部ちがった。
みんな怪訝そうな顔をして私のことを見ていた。
きっと私がナンパでもしていると思ったのだろう。
ああはずかしい。
1時間くらいうろうろしても彼女を発見することができなかったので、メールを送ることにした。
「ユアン、君は今どこにいるんだい?
俺は今、河原町四条にいる。
12時まで待って、それから家に帰るよ」
けっきょく彼女とは会うことができたのは、予定の時刻を1時間ほどすぎてからだった。
カウチサーフィンではよくあることだ。
外国を旅行しているのだから、土地勘はないだろうし、時間だって読みにくい。
だから私は待ち合わせをするとき、極力相手の都合にあわせるようにしている。
それでもほとんどのカウチサーファーは、
「京都は初めてだから、いつどこで待ち合わせしたらいいかわからないわ。
あなたが決めて。」
と言う。
その結果がこれだ。
それでもなんとかめぐり合うことができた。
ユアンはお腹をすかしていたので、彼女の希望によりラーメン屋へと行くことにする。

(左がユアン。ラーメン屋にて)
もともと私が彼女と会うことに決めたのは、覚えたての中国語を試してみたかったからだ。
だが、ユアンは私に中国語を使うすきを与えてはくれなかった。
彼女はじつによくしゃべる。
話すスピードが速いわけではないのだが、彼女の口が休まる時はない。
英語でも彼女との会話についていくのはしんどい。
私は中国語の練習をすることを断念せざるをえなかった。
ラーメンが運ばれてきても口をつけようとはせず、彼女はなおも話し続ける。
お腹へってたんじゃなかったのか、ユアン?
ラーメンのびちゃうぞ。
現在は上海に暮らしているユアンだが、その前は南京にいた。
「南京って知ってる?」
知ってるもなにも、君たち中国人が日本人の蛮行をやり玉にあげる際、
必ずこの土地の名前を挙げるじゃないか。
きっと南京の住人は日本人のことを嫌ってるんだろうなと思っていたのだが、
ユアンいわく、そうでもないらしい。
もちろん偏狭なナショナリストはどこにでもいるが、そんなのはごく少数派なのだそうだ。
日本人が南京の街を歩いていたとしても、迫害をうけることなんてほとんどないという。
ほんとかなあ?
中国人の感覚は理解しがたい。
日本だけでなく、現在、中国はベトナムやフィリピンとも問題を抱えている。
当然それらの国での反中感情は悪い。
一度、中国人の観光客がそれらの国でひどいめに遭わされた事件が起こったそうだ。
「その報道の後、多くの中国人は怖くて東南アジアに旅行に行くことができなくなってしまったのよ。」
彼女はまるで自分たちが被害者であるかのような言い方をする。
確かに中国政府がなにをしようと、一般旅行者にその矛先を向けるのは間違ってると思う。
でも、そもそもそんな事態を引き起こした根本的な原因は中国政府や軍の強硬的な態度にある。
それなのにユアンをふくめ大多数の中国人はそうは思っていないようだ。
この溝はきっと永遠に埋まらないんだろうな。
さて、ラーメンも食べ終わり、お腹もふくれたことだし、どこに行こうか。
「あなたのおすすめはどこ?」
とユアンが聞くので、清水寺や伏見稲荷を挙げたら怒られた。
「どうしてそんな有名観光地ばかりすすめるのよ。
せっかくカウチサーフィンを利用して地元の人と会ってるというのに、意味ないじゃない」
確かに彼女のいうことにも一理ある。
しかし、有名観光地が人気なのにはそれなりの理由があるんだよ。
それに、せっかく京都に来てるのに金閣寺も清水寺にも案内しなかったら、
それはそれで怒るんだろ。
だいいち君はまだ京都をほとんど観光してないじゃないかよ。
通ぶるのもいいけど、そういうことはひととおり見てまわったあとに言ってほしいものだ。
とにかく「絶対に」金閣寺には行きたくないとユアンは言うし、
雨もぱらついていたので屋根のある錦市場に行くことにした。
市場なんてどこも似たりよったりだろうと思っていたのだが、
彼女はけっこう真剣に見ている。
100円ショップでも楽しそうにしていた。
上海にだって100円ショップなんていくらでもあるだろうに。
錦市場の後は本能寺に行くことにした。
これはユアンのたっての希望だ。
「本能寺はここから近いじゃない」
「ユアン、君、本能寺を知ってるの?」
「もちろん知ってるわよ。信長が殺された場所でしょ。」
彼女はノートに何かを書き始めた。
「ほら」
そういってユアンが見せてくれたページには、
「天下布武」
と書かれていた。
日本にやってくるカウチサーファーのなかには、かなりの確率で「日本マニア」がいる。
宮本武蔵にぞっこんのイギリス人もいたし、豊臣秀吉や徳川家康のことを知ってる香港人と会ったこともある。
日本の歴史というのは、我々が思っている以上に諸外国に知られているのかもしれない。
我々が赤壁の戦いや諸葛亮孔明のことを知っているのと同じような感覚なのだろうか。
だが、ユアンの場合、それとは少し違うような気がする。
話を聞いていると、彼女はNHKの大河ドラマや小説(ラノベ?)が好きらしい。
それらの話をする時の彼女の顔は、まるで夢見る少女のようだ。
ひょっとして君は歴女なのか?

本能寺といえば信長の最後の地。
さぞかしすごいお寺をイメージしがちだが、現在は商店街のアーケードの下にある。
「本当にこんなところに本能寺があるの?」
ユアンがいぶかしがるのも当然だ。

商店街に面して本能寺の門はあります。

やはりこのお寺は修学旅行生にも人気があるようで、制服姿の学生の姿があちこちで見られます。
日本人なら誰でもこのお寺の名前を知ってますからね。
一度は行ってみたいと思うのが自然なのでしょう。
しかし、中はごく普通のお寺。
特に見どころもありません。

「信長」という文字を発見して、かなり期待したりもしたのですが・・・

信長を祀っている廟もちっぽけなものでした。
歴史上もっとも強いインパクトのある武将の最後の地だというのに、なんなんだろうこの寂しさは。

本能寺の変で命を落とした人々を祀っている場所。

本能寺を見学した後、しばらく座って休憩することにした。
それほど歩いたわけではないのだが、梅雨入りした京都は蒸し暑く、じわじわと我々の体力を蝕んでいく。
けだるい倦怠感が二人を襲う。
それでもユアンはしゃべり続ける。
彼女も疲れていることはあきらかだ。
その口調から疲労感がにじみでている。
話している途中で適当な英語が思いつかなくなって、彼女の会話はしばし途切れることが多くなってきた。
まるでため息をついているかのようにだるそうに話すユアンは、そのうちろれつも怪しくなってきた。
なんだか飲み屋で悪酔いしたお姉さんにからまれているような錯覚に陥る。
空は梅雨特有の分厚い雲に覆われ、太陽が照っているわけでもないのに、とても蒸し暑い。
じわじわと汗がしみだし、とても不快なはずなのに、なんだか愉快な気分になってくる。
俺もユアンもときどき意味もなく笑い出す。
なんで俺たちこんなにハイになってるんだ?