カウチサーフィン(CouchSurfing)と愉快な仲間たち

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ベオグラードでカウチサーフィン(セルビア)

ベオグラード(セルビア)でカウチサーフィン(CouchSurfing)




ここベオグラードでのホスト、アレクサンドラの家は、鉄道駅からかなり離れた所にありました。
アレクサンドラはタクシーの利用を勧めてくれたのですが、あえて歩きます。
重い荷物を持ってガシガシと。

歩くの好きなんですよ。
セルビアなんてマイナーな国、今度はいつ来れるかわかりませんからね。
自分の足で歩いて、自分の目で街を見てみたいのです。

まあ、正直言うと、タクシー代がもったいないだけなんですけどね。
直通バスはないから、乗り換えもめんどくさそうだし。


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与えられた住所だけを頼りに、ホストの家を捜し歩く。
カウチサーフィンの醍醐味です。


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アレクサンドラ一家はすでに夕食を済ませていたので、独りで外に何か食べに行くことにします。

「セルビア料理が食べたいんだけど、この辺になにかある?」
と聞いたところ、近所のレストランはあいにく今日は閉まっているということでした。

「この時間だと閉まってる店も多いと思うから、私が開いてそうな店を一緒に探してあげるわ」
と、アレクサンドラもついてきてくれました。

彼女の言葉通り、夜も遅いこの時間では、ほとんどの店は閉まっています。
私に選択肢はありません。
プリェスカヴィッツァの店で手をうつことにしました。

これはこれでセルビアを代表する料理なのですが、私が訪れた店はトルコ人が経営しており、
現代風にアレンジされたファーストフードです。
アレクサンドラに言わせれば、

「こんなのプリェスカヴィッツァじゃないわ」
ということらしいのですが、仕方がありません。

明日はもっといいものを食べることにしましょう。


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ベオグラードでのカウチ。
アレクサンドラの家はそれほど広くありません。
私にあてがわれたベッドも、いつもは誰か他の人が使っているのでしょう。
私のために誰かが窮屈な思いをして眠ることになるのかと思うと、やはり申し訳ない気持ちになります。


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アレクサンドラと彼女の息子。
彼は空手を習っているそうです。

「ほら、マサトさんに聞いてもらいなさい」

母親にうながされて、男の子は

「イチ、ニ、サン、シ・・・」

と日本語で数を数え始めました。


空手を習わされたり、日本語を教え込まれたり。
日本大好きな母親を持つと、息子も苦労するよな。



アレクサンドラの旦那さんは、物書きをやっているようです。
昼夜逆転の生活を送っていて、地下室に彼の書斎はあります。

あまり外に出ずに、部屋にこもってもくもくとペンを走らせているだけあって、彼はあまり社交的な性格には見えません。
皮肉屋の表情が顔にこびりついているようにも見えます。

そんな彼でしたが、私のためにコーヒーをいれてくれ、一緒に飲みながら話をしました。
私がアレクサンドラ一家に到着したのは夜遅かったため、ちょうど彼の活動が活発になる時間帯にあたっていたのかもしれません。


文筆家らしく、寡黙な彼ですが、話がユーゴ紛争のことに及ぶと、かなり饒舌になります。
明らかにアメリカに対して敵対心を抱いていました。

「あいつらは偽善者だ。
 「軍事施設だけを狙った」なんて言っているが、とんでもない。
 街の真ん中に爆弾を落としておいて、よくもまあそんなことが言えたもんだ。
 一般市民に被害が及ばないとでも思っているのか?」


日本では一般的に、「セルビア側が悪」のように報道されがちですが、
セルビアの一般人にだって大勢の犠牲者がでたのです。

「マサト、あんたも自分の目で見てくるがいい。
 あいつらアメリカが、俺たちにどんなにひどいことをしたかを」

そう言って彼は今なお残る爆撃跡の場所を教えてくれました。
一つはガイドブックなどによく載っている、官庁街。
もう一つはテレビ局です。

ユーゴ紛争時の爆撃跡を見るのは、ベオグラードでのハイライトの一つだったので、
さっそく明日行ってみることにします。

実は駅からアレクサンドラの家に来る途中、私はその場所を通っていたのですが、
夜で暗かったため、まったく気づきませんでした。



アレクサンドラは日本のことが大好きなようです。
大学では日本語を専攻し、現在でも学校で日本語を教えています。

彼女のカウチサーフィンのプロフィールには、
「日本人は大歓迎よ。 ぜひうちに泊まりに来て」
と大きく書いてあります。

彼女は最近カウチサーフィンを始めたので、私が彼女の家に泊まった、記念すべき第一号のカウチサーファーでした。


「おいマサト、アレクサンドラとなにか日本語でしゃべってみてくれよ」

旦那さんが皮肉な表情を浮かべながらそう言います。
アレクサンドラの日本語がどの程度のものか、試してみたいようです。

ベオグラードにはそれほどたくさんの日本人がいるわけではないので、アレクサンドラも日本人と本格的に会話した経験はほとんどないのだとか。

おっかなびっくり日本語で会話してみましたが、けっこうスムーズに話は進みましたよ。


常にハイテンションのアレクサンドラですが、ユーゴ紛争の話になると興奮度はマックスになります。
それもそのはず、彼女は戦争で危うく母親を失うところだったのです。

「紛争当時、私の母親は将軍の秘書をやっていたの。
爆撃を受けた、まさにあの建物が彼女の職場だったのよ。
アメリカ軍の爆撃目標は軍の司令部だったから、私の母の職場はもろに攻撃を受けて、木っ端みじんに吹き飛んだわ。
爆撃のニュースを聞いた時、私はまだ学生だったから、一目散に学校から帰ったきたの。
母がどうなったのか、気が気でなかったわ。
母親が無事で生きていることを聞いて、わあわあ泣いたことを今でも覚えているわ。
母と抱き合って泣いた後、落ち着きを取り戻した私はふと不思議に思ったの。
母の職場だった司令部はミサイルの直撃を受けたのに、どうして彼女は無事なのかしら?って。

攻撃を受ける直前、匿名の電話がかかってきたんですって。
「もうすぐそこはアメリカ軍の攻撃を受けるから逃げろ!」って。
その電話を受けて、ビルにいた人たちはみんな避難したらしいの。
だから、建物はあれほど大きな被害を受けたにもかかわらず、犠牲者はほとんどでなかったのよ。

でも、不思議な話よね。
いったい誰が電話してきたのかしら。
セルビア軍にはアメリカ軍の攻撃を予測できるだけの情報収集能力なんてなかったはずだし、
匿名の電話ってのも変な話よね。
だからあれはアメリカの情報筋が電話してきたっていうのが、もっぱらの噂よ」

これから攻撃しようとする相手に対して、
「今からそっちにミサイルが行くから、逃げろ!」
と警告する。
アメリカならそれくらいのことはやりそうだ。


ユーゴ紛争当時、私はセルビアのことなんてほとんど知らなかった。
まさか自分がそこへ行くことになるなんて、夢にも思わなかった。

それなのに、私は今、ベオグラードにいる。
当時、戦火の下にいた人たちと言葉を交わしている。
それどころか、彼女たちの家に泊まっている。

20数年前、ユーゴ紛争のニュースをテレビで見ていた自分に教えてやりたい。

「よく見とけよ。それは他人事じゃないんだぞ。
 お前はそこに行くことになるんだぞ。
 そこに泊まることになるんだぞ。
 今そこで爆撃を受けている人たちと、お前は言葉を交わすことになるんだぞ」


アレクサンドラは今、日本に旅行に来る計画をたてている。
それも1週間やそこらの短い期間ではなく、数か月の単位で。

旅行の資金が潤沢ではない彼女は、もちろんカウチサーフィンを使うつもりだ。
日本語大好きの彼女は、英語もフランス語も堪能。

日本のみなさん、アレクサンドラからカウチリクエストを受け取ったら、ぜひ彼女をホストしてあげてください。
ユーゴ紛争を経験した当事者から、貴重な話が聞けますよ。



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テーマ : カウチサーフィン(Couch Surfing)
ジャンル : 旅行

マラムレシュ地方の木造教会(世界遺産)(バイア・マーレ近郊、ルーマニア)

マラムレシュ地方の木造教会(世界遺産)(ルーマニア)でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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ルーマニアのテレビでは、毎朝、教会の礼拝を生放送しています。
たとえなんと言っているのか理解できなくても、とても美しい歌声を聞いているだけで心がやすらぎます。
こういうのを毎朝聞いてから出かける習慣を持つ人は、その日一日、心安らかに過ごすことができるのでしょうね。


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「こんなの、マサトにはつまらないだろう?」

そう言ってアディはチャンネルを変えようとしましたが、そのままにしておいてもらいました。

確かに、私にはルーマニアの宗教のことはわかりませんが、それでも見ていたかったのです。
せっかくカウチサーフィンを利用して、普通の人の暮らしを体験させてもらっているのですから。


朝食はニワトリだったのですが、これも近所の人からわけてもらったものだそうです。
自給自足をし、村の人どうしで助け合う。
そういう習慣がまだ残っているんですね、この国には。


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夜明けとともに、アディの車で市内へと送ってもらいます。
まだ暗さが残る中、車の行く手を阻むものがあります。

あれはなんだ?


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牛の大群です。
車道の真ん中を、堂々と歩いています。
誰もクラクションを鳴らしたりなんかしません。
ここでは牛に優先権があるのでしょう。

アディの会社で車から降ろしてもらい、あとはバスで木造教会へと向かいます。


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バスを降りたところには、看板こそありますが、その他にはなにもありません。
世界遺産に登録されているというのに、商売っ気がまったくないようです。
私はルーマニアのそういうところが好きなんですけどね。


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ここからは歩き。
まだ体調が回復していないから、あまり遠くなければいいのだけど・・・


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今日訪れるのは、このふたつの木造教会。


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道中はとても快適なハイキング。
静かです。
誰ともすれ違いませんでした。

こんなに人口密度が低いのに、教会だけはやたらとあります。
人の数よりも教会の数の方が多い国。それがルーマニア。


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一つ目の教会は、それほど遠くないところにありました。
中には誰もいません。
貸し切りです。
世界遺産を貸し切り!
なんてぜいたくな旅をしてるんだ、俺は。


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教会の敷地内は墓地となっています。
墓場だというのに、美しい。
お墓の写真を撮るなんて不謹慎だとは思いましたが、あまりの美しさに、シャッターを押さずにはいられません。


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鍵がかかっていたため、中には入れませんでした。
本来なら見学することができるそうなのですが、まだ朝早かったため、誰もいなかったようです。


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二つ目の木造教会を目指して歩いていると、遠くから爆音が聞こえてきました。
牧草を積んだトラクターです。
ルーマニアのトラクターはよほど性能が悪いらしく、大きな音を鳴らす割には、ちっとも前に進んでいませんでした。


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先ほど見た教会が、もうあんなに小さくなっています。
乾草の間から見える木造教会。
ルーマニア大好き人間の私には、見るものすべてが素晴らしく思えます。


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二つ目の木造教会まではかなり距離がありました。
乗り合いバスのようなものも見えたのですが、今日は天気もいいですし、もう少し歩くとしましょう。
こんなに気持ちいいウォーキング・コースを、車でひとっ跳びしてしまうなんてもったいない。


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道の横では、牛が放し飼いにされています。
よそ者の私のことを、おそるおそる見ているようでした。
おどかしてごめんね。


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私の横を、3匹の牛が通り過ぎていきます。
首につけた鈴をカラン、カランと鳴らしながら。

この国にいると、心が洗われていくのがわかります。
ルーマニア、来てよかった。


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牧草を積んだトラクターは、相変わらず爆音をまき散らしながら走っていきます。
うるせー。


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ついに到着。
先ほどの木造教会とほとんど同じ形です。

でも、不思議と飽きません。
いつまででも見続けていたくなるような、そんな不思議な魅力をこの建物は持っています。


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ここで、ついにダウン。
まだ体力が完全には回復していないのです。

「世界遺産でお昼寝」シリーズ、第二弾です。
誰もいない木造教会を眺めつつ、心行くまで午睡を楽しむ。
これほどぜいたくなものはありません。


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しかし、いつまでも寝ているわけにはいきません。
よろよろと起き上がり、ふらふらしながら着替えます。

「侍の衣装を着て世界遺産と写真を撮る」
本日のミッションは、これにて完了。
ふぅー。


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参道の工事中らしく、かなり足場が悪いです。


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せっかくだから牛さんと一緒に写真を撮ろうとしたら、露骨に警戒されてしまいました。
あちこちで牛が大きなうなり声をあげます。

へんてこな格好をした東洋人を見たら、そりゃあ怪しいと思いますよね。


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「誰もいない世界遺産」
心行くまで楽しむことができました。
なんだかものすごく得をした気分です。

観光客も、みやげ物屋も、飲食店もない。
こののどかで落ち着いた雰囲気を、ずっと保っていてほしいものです。


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もと来た道を、またてくてくと歩いて戻ります。

のどが渇いた。
お腹もへった。

「どこかに一軒くらい店があるだろう」と思って、飲み物も食べ物も持ってこなかったのですが、甘かった。
この界隈には、一軒のお店もないのです。
村の人たちは、いったいどこで買い物しているのだろう。
やはり、すべて自給自足の生活をしているのだろうか。


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途中でペンションのようなものを見つけます。

「看板には飲み物のマークもあるし、ここならなにかありつけるかもしれない」

そう思って門を叩いたのですが、出てきたおばちゃんはまったく英語が話せません。
身振り手振りで「のどが渇いた」というジェスチャーをしたのですが、首を振るばかり。

「水くらい飲ませてくれよ!」
と思ったのですが、どうも無理っぽい。


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今日はずっと歩きっぱなしだったのに、一滴も水を飲んでいない。
これはまずいぞ。

そこで、一つ目の木造教会に水のマークがあったのを思い出しました。
「あそこまで戻れば、水が手に入るかもしれない」

そう判断して、再び教会へと戻ります。


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たしかに水はあったのですが、どうも地下水っぽい。

私はここ最近、ずっとお腹をこわしています。
この状態で地下水を飲むことには抵抗がありましたが、飲まずにはいられませんでした。

旅をしていると、安全な水のありがたさに気づかされますね。


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最後にもう一度ぐるっと一回りして、教会に別れを告げます。
こんなに単純な造りなのに、いくら見ても飽きないのはなぜだろう。


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延々と続く道。
ああ遠いなあ。


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お城のような教会が見えてきました。
ということは、バス停はもう近いはず。


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教会、教会、また教会。
ルーマニア人の教会オタクっぷりは徹底しています。


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ようやくバス停に到着。
来た時には閉まっていた売店が、今は開いています。
よかった。
これで飲み物にありつける。

中にはきれいなルーマニア女性がいて、彼女からファンタを買いました。
うまいっ!
こんなにおいしいファンタ・オレンジは初めてだ。


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バス停にたどり着いてはみたものの、この荒れっぷり。
ごちゃごちゃと張り紙はあるものの、肝心の時刻表は見当たりません。

このバス停は「生きている」のだろうか?
ほんとにバスはここに停まるのだろうか?
一抹の不安が頭をよぎります。

屋根は一応ついているものの、半透明なため、日光を防ぐことはできません。
暑い。
またのどが渇いたので、今度はアイスクリームを買いました。


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バスがいつ来るかもわからなかったので、ヒッチハイクをすることにしました。
ここルーマニアは、私が人生で初めてヒッチハイクをした国です。
そして、世界でもっともヒッチハイクをしやすい場所なのです。

というわけで、意気揚々とヒッチハイクを開始したのですが、暑い!
黒い侍の衣装は、太陽の熱を容赦なく吸収していきます。

車も通りそうになかったので、涼を求めて、売店に逃げ込みました。


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「どうだった? 車は見つかった?」

売店のお姉さんは、再び舞い戻って来た私のことを憐れむように見つめています。
まるで、「誰からも乗せてもらえなかった残念な子」を見るかのように。



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ペプシ・コーラを飲んで元気を回復した後、再び私は道路に立ちます。
空は青く晴れ渡り、清々しいです。

しかし、暑い。
車はほとんど通らないので、日陰に隠れて車が来るのを待ち、接近したところで道路に向かって飛び出します。

でも、よく考えたらこれは間違った戦法でしょう。
だって、侍の格好をした男が、いきなり木陰から刀を振り回しながら飛び出して来たら、
停まってくれるつもりの人だって、びっくりして逃げて行ってしまうかもしれません。



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それでも、すぐに車は止まってくれました。
それも、こんなに美人が!

ちょっとヤンキーぽい気もしますが、それぐらいでなければヒッチハイカーを乗せたりはしないでしょう。
「ヒッチハイクは危険だ」とよく言われますが、乗せてもらう方だけでなく、乗せる方だって危険と隣り合わせなのです。

それなのに、若い女性が乗せてくれた。
これにはちょっと感動しましたね。


彼女に限らず、ヨーロッパの女性は車の運転がうまいです。
オートマなんてほとんど走ってませんから、女性でも普通にミッション車を運転しています。
ぐいぐいとシフトチェンジしている様子は、見ていてほれぼれします。

時々彼女はすれ違う車に向かって手を上げたり、ウインクしたりします。
どうやら彼女はこの周辺では人気者のようですね。

というのも、すぐそこのガソリンスタンドが彼女の職場なので、この道路を走るドライバーとは顔見知りだということでした。

そのガソリンスタンドは市内からは少し離れたところにあります。
私のヒッチハイクはそこでおしまい。

「大丈夫よ。すぐそこにバス停があるから」
お姉さんはそう言い残してガソリンスタンドへと消えていきました。

なかなか威勢の良い、男前のお姉さんだったなあ。


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バス停では英語がまったく通じず、切符を買うのもひと苦労。
まわりの乗客も誰一人英語を理解しないのです。


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それなのに、乗客はみんな私に群がってきて、なにやらわめいています。
「一緒に写真を撮れ! 撮れ!」とうるさいです。

ルーマニアに限らず、東欧の路線バスには冷房はありません。
ものすごく暑いので、侍の衣装を脱ぎたかったのですが、まわりの乗客の雰囲気がそうはさせてくれませんでした。
ここで私が侍の衣装を脱いだりしたら、みんながっかりしそうな気がしたからです。

なので、炎天下、あつくるしい侍の衣装を着続けるはめになってしまいました。

マサト、日本のイメージアップのためにがんばってます。



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アディのオフィスに帰ってきました。
ここは冷房がガンガン効いています。
気持ちいいー!
汗がすーっとひいていきます。


アディは仕事の合間をぬって、私のためにバスを予約してくれました。
ここバイア・マーレからティミショアラまでは夜行電車で行くのですが、そこからセルビアまでは乗り合いバスを利用します。

ルーマニアからセルビアへの国境越えはなかなかややこしそうだったのですが、アディのおかげでスムーズにいきそうです。


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アディの仕事が終わるのを待ちました。
焼きたてのパンのいい匂いが鼻をくすぐります。


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バイア・マーレに立ち寄る機会があったら、ぜひアディ一族の経営するベーカリーでパンを試してくださいね。
おいしいですよー。


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まだ明るいうちに仕事を終えたアディの車で、村へと戻ってきました。
そしてすぐに夕食をごちそうになります。
至れり尽くせりだな。
私はほんとにホストに恵まれています。


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食事は大変おいしいもの、のはずなのですが、私は相変わらずお腹の調子が悪い。
そして、ルーマニアの料理というのは、とにかく濃い!
こってりとしているので、胃の調子が悪いときには、かなりこたえます。

アディのお母さんは毎回腕によりをかけてルーマニア料理をふるまってくれたのですが、
結局私はここにいる間、ずっとお腹を壊していました。
なので、ついにおいしいごちそうを心から味わうことができなかったのです。

ああ、なんてもったいないことを!


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バイア・マーレでの私のカウチ。
豪華でしょー


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市内に何か所もあるアディのお店。


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彼のお店から、いくつかの商品をいただきました。
「夜食に」ということです。
ありがたや、ありがたや。


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アディのお母さんからは、ジャムを一瓶もらいました。
そうです、あの手作りのジャムです!
これ以上のお土産はありません。

アディ一家のみなさん、この御礼はいつかきっと、必ず。


駅のすぐ近くにあるアディのベーカリーは24時間稼働しています。
なので、私の乗る夜行列車の出発直前まで、事務所で休ませてもらいました。
社長一族の客人ということで、従業員の方たちも、それはもう親切にしてくれました。
VIP待遇です。

いやはや、こんなに豪華なカウチサーフィンも久しぶりだな。


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バイア・マーレの駅構内。
ルーマニア北部の拠点駅だというのに、なんともさびしいかぎりです。


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これが私の乗る夜行列車。
ルーマニアともついにお別れ。
明日にはセルビアだ。

テーマ : ヨーロッパ旅行記
ジャンル : 旅行

バイア・マーレでジャム作り!(ルーマニア)

バイア・マーレでカウチサーフィン(CouchSurfing)、ルーマニア



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バイア・マーレでのホスト、アディの家は市の中心部から少し離れた村の中にあります。
なかなか落ち着いた雰囲気の静かな村で、ひと目でここが気に入りました。

今日は月曜日。
もちろんアディには仕事があるので、出勤のついでに車で市内まで送ってもらいました。


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アディが家族で経営しているパン屋さん。
バイア・マーレ市内に9つものお店を持つというアディ一家。
なかなか裕福な家庭のようです。
いつも鷹揚な態度をくずさない彼らからは、余裕のようなものを感じました。


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アディの会社から市内へは、この線路をまたいで抜けていきます。
踏切なんてありません。
これがルーマニア方式なのか!

なかなかスリルがあって楽しかったです。
私の他にも、たくさんのバイア・マーレ市民がこの線路を横断していました。
日本の国土交通省が見たら大泣きしそうな光景です。


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線路を抜けるとそこにはバスターミナルが。
鉄道網があまり発展していないルーマニアでは、このミニバスこそが重要な庶民の足となります。
ただ、外国人観光客へ向けた配慮はありません。
まあ、それが旅のおもしろさでもあるんですけどね。


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バスターミナルのとなりには、バイア・マーレの鉄道駅があります。
ここはルーマニア北部の拠点都市のはずなのですが、駅前でもそれほど発達はしていません。
市の中心部でもかなり静か。
ルーマニアはやはり落ち着きます。


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まだ体調は回復していなかったので、今日は一日、バイア・マーレ市内を散策します。
アディに教えられた鉱物博物館へとやってきました。

しかし、どうやら今日はお休みのようです。
本音をいうと、あまり博物館には興味がなかったのでほっとしました。


次は郊外にある民俗博物館を目指します。
アディはバスを使うように言ってくれましたが、私はあえて歩きます。

途中、旧市街区のような場所を通ったのですが、近代化されたバイア・マーレ中心部とは違い、なんだかとてもルーマニアっぽくてよかったです。

アディは地図をプリントアウトしてくれた上に、道順を詳細に書き込んでくれました。
おかげで迷わず民俗博物館にたどりつくことができました。



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民俗博物館では、ルーマニア各地の伝統家屋を見ることができます。
なかなかいいと思うのですが、本物の木造教会を見た後では、やはりもの足りません。
さっとひととおり見ただけで、すぐに出てきてしまいました。


一日かけてバイア・マーレ市内を見てまわるつもりでしたが、あまりおもしろそうな街ではありません。
公園のベンチで昼寝をして時間をつぶすことにしました。

このトイレには仮設の公衆トイレがあり、無料で使えます。
ヨーロッパではたいていトイレは有料なので、これはとても珍しいです。

ところが、いざ使おうとして、断念してしまいました。
鍵は壊れているし、タンクも見事なまでに破壊されていて、どう考えても水は流れそうになかったからです。


夕方近くまで昼寝をしていると、アディからメッセージが届きました。
仕事を終えた彼は、わざわざ車で公園まで迎えにきてくれ、その後いくつかの支店をまわりました。


そしてその後はいよいよ帰宅です。
今日はアディの家に、親戚の人が集まっているといいます。
ぶどうを収穫して、みんなでジャムをつくるのです。

ジャム作り!
そんな経験したことないぞ。
おもしろそう!


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私たちが帰宅したとき、すでにジャム作りは始まっていました。
いったいどうやってジャムは作られるのだろうか。
なんだかわくわくします。


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このおじさんはなぜ上半身裸なのか。
ジャムを煮立てる釜は火を焚いているので、とても暑いのです。


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おじさんにジャム作りを教わりました。
単純なようでいて、けっこう難しいです。
同じペースでゆっくりとかきまぜないと、火が均等にゆきわたりません。

「だめだ、だめだ。もっと腰をいれろ!」

何度もダメ出しをされてしまいました。


そしてなぜか、

「おっ! いい時計してるな。 俺はセイコーの時計が大好きなんだ。セイコーの時計は最高だ。
 その時計、俺にくれよ」

なにを言ってるんだ、このおじさんは。
なんでいきなりあんたにあげなきゃならないんだよ。


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ふたを開けるとこんなかんじ。
ぶどうがぐつぐつと煮立っています。
バチバチとあたりに飛び散ります。

おじさんはこれを、「地獄の釜」と呼んでいました。



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アディの家のとなりには、果樹園があります。
ぶどうはこの畑で採れた新鮮なものなのです。


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ぶどう。
収穫は今日一日では終わらないので、明日も続きます。
人手が必要なので、親戚が集まってみんなで共同作業をするのです。


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ジャムを煮るのは主に男性の仕事。
女性はまた別の作業を担当します。
私も体験させてもらいました。


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ここでの作業はぶどうをひとつひとつ種を取り除いて、水できれいに洗うというもの。
地味だけど、けっこう大変な作業でした。


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アディの家ではさらに鳥も何種類か飼っていました。
まさに自給自足です。

さらに、親戚もそれぞれ別の作物を栽培しているので、みんなで持ち寄れば買い物に行く必要はないそうです。
ルーマニアの生活って、なんだか健康によさそう!


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ジャムができあがったので、さっそく試食させてもらいました。
できたてのほやほやなので、湯気がたっています。
アツアツのジャムを食べるのなんて初めてです。

そしてこのジャム、うまいっ!
こんなおいしいジャム食べたことない。

このジャムに比べれば、スーパーで売っているジャムなんて、死んだジャムも同然です。
できたてのジャムというのは、工場でパックされたものとはまったくの別物でした。
こんなの食べた後には、もう既製品なんて食べれません。


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今日の作業はもう終わりかと思っていたのですが、そうは問屋がおろしません。
今度は別の色をしたぶどうが運び込まれてきました。

うへえ、まだあるのかよ。
もう腰が痛いんですけど。

しかし、おいしいジャムをごちそうになってしまった以上、作業に参加しないわけにはいきません。


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アディのお母さんからお声がかかります。

「ほらほらマサト。いつまで油売ってんのよ。さっさと仕事に戻りなさい。
 これが終わるまで、晩御飯は食べれませんからね」

ううっ。
働かざる者、食うべからず。
この法則は世界共通のようです。

まさかルーマニアまで来て、ジャム作りを体験させてもらえるとは思ってもみなかった。
ありがとう、カウチサーフィン。



テーマ : カウチサーフィン(Couch Surfing)
ジャンル : 旅行

炎よ燃えろ (スチャバ、ルーマニア)

スチャバ(ルーマニア)でカウチサーフィン(CouchSurfing) 2日目


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ゲストハウスの共用スペース。
といっても、宿泊客は私一人なので、実質家を一軒まるごと独占状態です。


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宿のおばさんに「洗濯機はどこ?」と聞いたら、洗濯してくれました。
といっても、後で料金を請求されるんだろうな。
いくらだろ。


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宿のおばさんはとても気さくな人で、「朝食の準備ができたから食べろ」とバルコニーに連れていってくれました。
とてもうれしい配慮なのですが、このコーヒー、あまりおいしくありません。
朝食代は宿泊料に含まれているのだろうか。
これで別料金とられたらいやだなー。

バルコニーで朝食を食べていると、一人の男性がやってきました。
どうやら近所に住んでいる人のようです。
あまり言葉は通じないのですが、無理やり会話しました。
お互いにお互いの話していることが理解できない状態での会話なので、かなり疲れます。
頭をフル回転させて、相手が言わんとしていることを解釈しなければなりません。

それでも、やはり誰かと一緒に食べる食事はいいものです。
ルーマニア人って素朴で温かくって、なんだか好きです。

このゲストハウスは恐ろしく交通の不便なところに位置しているのですが(だから他に客がいない)、
宿のおばさんが車でスチャバ市内まで送ってくれました。

今日は平日で、ジョージは仕事があるため、夕方まで一人で時間をつぶさなければなりません。


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世界遺産に登録されている、「モルドヴァ地方の教会群(5つの修道院)」。
スチャバはそれらを巡る拠点となり、それぞれの修道院はかなり離れたところにあります。

ところが、わざわざ郊外まで出かけなくても、このスチャバ市内にもたくさんの修道院がありました。
この地方でしか見られない、あの独特の建築様式です。

うわあー、俺ほんとにルーマニアまで来ちゃったんだなー。
この修道院を見て、初めてその実感がわいてきました。


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ルーマニア人というのはよほど信心深いのか、街中いたるところに教会があります。
どれもみな似たような形をしているのですが、よく見ると細部が微妙に異なっています。

スチャバという街はそれほど大きくはなく、教会以外は特に見るべき物もないので、ひととおり歩いたら時間が余ってしまいました。
今日は快晴なのですが、風がびゅうびゅうと吹いていてとても寒いです。
今は8月だというのに、なんでこんなに寒いんだろう。
風をしのぐためにスーパーに入って昼食を買いました。
かなり大きなパンを買ったのですが、安い。
ほとんどタダ同然です。


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夕方、仕事を終えたジョージが宿まで迎えにきてくれました。
もちろんBMWでです。
かっちょいー!


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このゲストハウスはおそろしく不便な場所にあります。
幹線道路からは遠く離れていて、もちろん公共交通機関もありません。
おまけに道路は未舗装。


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スチャバ郊外にあるジョージの村へと向かいます。
信号なんてありません。
渋滞なんてありません。


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途中、馬車とすれちがいます。
これぞルーマニア!


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さらに馬車。


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一日の仕事を終えて、ちょうど畑から帰ってくる時間帯なので、大量の馬車と遭遇することができました。


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ああっ、俺も馬車の荷台に乗りてー!


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畑の間を音もなく貨物列車が通り過ぎていきます。
なんてのどかな光景なんだ!


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ようやくジョージの村に到着しました。
なんて辺鄙な村だ。
こんな僻地を訪れた日本人なんて他にはいないだろう。

と思っていたのですが、残念。
少なくとも2人はこの村に泊まったことがあるそうです。
日本人カウチサーファーって世界中にいるのだな。


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ルーマニアっていいなあ。
どうして俺はこの国にこんなにも心惹かれるのだろう。


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まず最初に案内されたのは、ジョージの彼女の家でした。
私のために手料理を作って待っていてくれたのです。
うれしいじゃありませんか!

ところでジョージ、お前、彼女いたの?
日本へは一人で旅行に来てたから、てっきり独り身なのかと思ってたよ。
まあどうせジョージの彼女なんだから、熊みたいな女なんだろうけどさ。


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左側にいるのがジョージの彼女。

うわっ! むっちゃ美人じゃん!
なんでジョージにこんなかわいい彼女がいるんだよ。
うらやましすぎる。

なんか無性に腹がたってきた。
殺意に近いものを感じる。

ちょっとその場所を変われよ、ジョージ。


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左側にいるのはジョージのいとこ。
といっても、この村は小さいからみんな親戚みたいなもんだそうです。


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「あれは何? 祠?」
と聞いたら、

「井戸だ」
という答えが返ってきました。

ルーマニアではどこの家庭にもこの井戸があるそうです。

もっとも、最近では水道が普及したため、この井戸を使う機会はほとんどないということです。
なんだかさびしいですね。


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敷地内には家畜小屋もあります。
彼女の家では豚を飼っていました。


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庭ではブドウだって採れます。
まさに自給自足。


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ルーマニアの伝統的な門。


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食事の後、いよいよジョージの家へとやってきました。


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「おーい、マサト! 遅かったじゃないか」

見上げると、そこにはミッシェルがいました。
なにやってんだ、そんなとこで?


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現在、ジョージの家を建築中で、ミッシェルはその手伝いをしているのだとか。


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大工さんたち。
みんなこの村の住人です。


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ジョージの家の前には牛が一頭いました。
おとなしい動物のはずですが、近づいてみるとけっこうこわい。
若干ビビり気味の私。


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牛さんと仲良くなろうと思い、餌づけを試みます。


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恐怖のあまり絶叫してしまう私。
なんと情けないサムライだ。


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こんな小さな村にもバーはあります。
もちろんビールの銘柄は「スチャバ」!


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バーはこの一軒しかないので、仕事を終えると、村中の若者がこの店へと集まってきます。

といっても、全部で10人ほどですが。


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侍の私に対抗してか、先ほどの大工さんが家から刀を持ちだしてきました。
あんた、なんでそんなもん持ってるんだ?


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「夕陽のきれいな丘がある」

ということで、ジョージに連れてきてもらったのがここ。
一面畑が広がっている雄大な景色に、心洗われます。


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きれいな景色になど目もくれず、チャンバラを始めるジョージとミッシェル。
まったく、こいつらときたら・・・


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ジョージの目が怖い・・・


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俺ははるばるルーマニアまでやってきて、いったいなにをやってるんだろう。


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この丘の中腹には牧場もあります。

おとなしい羊も、これだけたくさんいると、ちょっとこわい。


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暗くてよく見えませんが、草をたっぷりと食べた後、一日の終わりに羊さんたちはみんな乳を搾り取られてしまいます。


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柵の中に入れてもらいました。
地面はぬかるんでいて、足元がグニョグニョします。

なんでこんなに柔らかいんだ? 雨でも降ったのかな?
まさか・・・

泥だと思っていたものは、すべて羊のフンでした。
あたりは一面フンだらけ。

うへぇ、気色悪ぅー。


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丘の別の斜面では、ジョージの友人たちがバーベキューの準備をしてくれていました。
私のためにジョージが企画してくれたようです。


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とてもうれしいのですが、 寒い!
8月なのにたき火が恋しくなるとは。

日本ではまだまだ猛暑が続いているというのに、私は東ヨーロッパで火にあたりながら震えている。
旅の日程はまだ一か月以上残っている。
これからもっともっと気温が下がっていくんだろうなあ。

リュックの中には夏用の装備しかない。
大丈夫かな、俺。


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バーベキューのメインメニューはこれ。
ミンチをスティック状にして、特別な味付けをしたもの。
ルーマニアの定番料理だと言っていました。
おいしそう!


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このお肉、独特のクセがあるのですが、食べだしたら止まりません。
焼いても焼いても、足りません。
みんなバクバク食べています。

お肉もお酒もみんな彼らが準備してくれていて、私は完全に「お客さん」状態。
いいのかな、こんなにお世話になっちゃって。


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夜も更けてくると、ますます冷え込んできました。
彼らのうち何人かが森へ入って、薪を集めてきました。
器用に火を起こし、盛大なキャンプファイアーの始まりです。

そういえばスロヴァキアでも同じようなことがあったっけ。
日本ではたき火をしたことなんてほとんどなかったのに、この東欧の旅ではすでに2回も経験してしまった。

満天の星。
草原を見渡す丘。
温かいたき火と肉の焦げるにおい。

そして素朴なルーマニア人たち。

俺には分不相応な、ぜいたくな夜だ。

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旧友との再会(スチャバ、ルーマニア)

スチャバ(ルーマニア)でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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2日間お世話になったアントンのアパート。
「共産主義時代のオンボロだ」
とアントンは言いますが、いやいや、なかなか快適でしたよ。
少なくとも日本の団地なんかよりもはるかに広くて落ち着けます。

ここからいったんバスでキシニョウ市内まで出て、そこでバスを乗り換え、南側のバスターミナルへと向かう予定です。
市内までは乗り換えなしでストレートに行けるから、道に迷う心配も無し。
キシニョウ市内はもうすでに何度も見ているので、降りる場所を間違うこともないでしょう。

初めての土地だといろいろと緊張しますが、もうキシニョウは私の庭のようなもんです。
たった3日間の短い滞在でしたが、それでも愛着のようなものを感じます。
「もうちょっとゆっくりしてもよかったかな。今度来る時はじっくりと腰を落ち着けてモルドヴァ観光をしよう」
などと物思いにふけりながら車窓を眺めていると、行く手には異変が。
警官が道路を封鎖しているのです。

なんだ?
沿ドニエストル共和国が攻め込んで来たのか?

バスは通常のルートから外れて、細い道へと入っていきます。
すっかり忘れていましたが、今日はモルドヴァの独立記念日でした。
市内では大々的に記念式典が行われるのでしょう。
そのための交通規制が敷かれているようです。

バスは狭い道を右へ左へと縫うように走ります。
そのうち私は方向感覚を失い、いったい今自分がどのあたりにいるのかわからなくなってしまいました。

まずいな。
これではどこでバスを降りればいいのか見当もつかない。

周りの乗客に聞いてみたのですが、英語を理解できる人はいないようです。
独立記念日の今日は祝日。
まだ朝早いので学生やビジネスマンといった層は市内へ向かうバスには乗っていないのです。

今日は移動日で、のんびりとバスの旅を楽しむ予定だったのに。
とんだ誤算だ。
年に一度しかない独立記念日の日にモルドヴァを訪れてしまった自分の不運を呪います。

そうしている間にも、バスはまったく見覚えのない景色の中を走り続けます。
いったいどうすればいい?
いったんバスを降りて、英語のわかる人を捕まえるべきだろうか。

と考えていたら、遠くの方に見覚えのある教会が見えてきました。
あの独特の形は、聖ティロン大聖堂だ!
知らないうちにこんなところまで来てしまっていたのか。
だが、ここから街の中心部への行き方ならわかる。
いいぞ。俺はツイてる。

喜び勇んでバスを飛び下りました。

しかし、なにか違う気がする。
こんな場所通ったっけ?

近づいてよく見てみると、聖ティロン大聖堂だと思った教会はまったく別のもののようです。
やってしまった。
脇の下を冷たい汗が流れ落ちていきます。


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ここはどこだ?

道端には廃墟のようなものもあり、どうやら市の中心部からは遠く離れているような気がします。

あっ!
グーグルマップを使えばいいじゃん。

急なバスの進路変更でパニくっていた私は、そんなことにも気が付きませんでした。


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独立記念日の今日はバスのルートは大幅に変更になっているようです。
もうバスを利用するのはやめておこう。

重い荷物を抱えたまま、えっちらおっちらとキシニョウ市内を目指します。
なにをやってるんだ俺は。
体力と時間の無駄遣いだ。
独立記念日のばか。


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ようやくシュテファン・チェル・マレ通りへとたどり着きました。
道路沿いには観光案内図のようなものが掲げてありますが、この国はちっとも旅行者に優しくなんかないぞ。

時間を大幅にロスしてしまったので、さっさとバスターミナルへと向かいたかったのですが、キシニョウ市内ではまだやることが残っています。
私にはすべての訪問国から絵葉書を送るというミッションがあるのです。

なんとか絵葉書を購入したものの、売店では切手を売ってくれません。
郵便局でしか買えないというのです。
モルドヴァに限らず、そういう国はけっこうあります。

そしてその郵便局はバスターミナルとは逆方向。
はーっ。
たかが切手を手に入れるために、この重い荷物を抱えて歩かなきゃならないのかよ。

途方にくれていた私ですが、捨てる神があれば拾う神もあるのです。
しかもとびっきり上玉の女神が二人!

「なにかお困りですか?」

私にむかって、二人の美少女がほほえんでいるではありませんか。

そうだ、忘れていた。
モルドヴァは美人の宝庫だった。

今日は一日バスに乗りっぱなしで、楽勝の日のはずだった。
それなのに重い荷物を担いで、熱い中、余分な距離を歩いてきた俺に、神様がご褒美をくれたにちがいない。


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二人とも流ちょうな英語を話し、とても柔和な表情を浮かべています。
東欧の女の子はおっとりした性格の娘が多い。
日本人好みです。

モルドヴァ最後の日に思わぬ僥倖に恵まれ、ウキウキしながら彼女たちとの会話を楽しんでいました。

ところが、だんだんと雲行きが怪しくなってきます。


「人生の意味ってなんだと思う?」
「あなたが苦しんでいるのは神様のせいなのかしら?」
「死んだら、いったいどんな世界が待っていると思う?」

えーっと・・・
もっと色気のあるお話をしません?


「答えはすべてここに書かれているのですっ!」

彼女たちがそのかわいらしいバッグから取り出したのは聖書でした。


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(キシニョウ市内の郵便局)


くそっ。
また予定外の時間を使ってしまった。
まあそれなりに楽しかったけど。

今度こそ郵便局へと向かいます。
しかし今日は独立記念日。
日本の郵便局なら祝日は閉まっています。
東欧の郵便局が日本人よりもよく働くとは思えん。
もしも閉まっていたら切手は買えない。
ということは、モルドヴァから絵葉書を出すことはできないのか。
それは困るなー。


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(郵便局の中)

幸いなことに、郵便局は営業していました。


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絵葉書に切手を貼ってもらい、無事に投函することができました。
これにてミッション完了。


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シュテファン・チェル・マレ通りでこんな物を見つけました。
なんの広告かは知らないけど、なにか間違ってる気がする。


キシニョウには3つのバスターミナルがあります。
ルーマニア行きのバスは南バスターミナルから出るということだったので、あらかじめアントンに詳しく行き方を聞いておきました。
教えられたとおり、シュテファン・チェル・マレ通りからバスに乗り、バスの運転手や他の乗客に、自分が南バスターミナルに行きたいんだということをアピールしておきます。
日本のバスのように案内表示があるわけではないので、こうでもしておかないと、どこで降りればいいのかわからないのです。

普通なら、まわりの人に声をかけておけば、
「次があんたの降りる場所だよ」
と誰かが教えてくれます。

でも、モルドヴァは違いました。

バスの窓からバスターミナルらしきものが見えたので、
「あれはバスターミナルか?」
と聞いたら、
「そうだよ」
という返事がかえってきました。

あれほど「バスターミナルへ行きたい」と念押ししておいたのに、誰も教えてくれなかったのです。
一駅離れたバス停で急いでバスを降り、もと来た道を歩いて戻ります。
重いリュックを担いでいるので、その一駅がとてつもく遠い距離に感じます。

モルドヴァ人 冷てー。



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事務所らしき建物に入り、スチャバ行きのチケットを買おうとすると、
「ここはバスターミナルじゃない」
と言われてしまいました。
ほんとのバスターミナルは、ここさらさらにバスで2駅先にあるのだそうです。

なんだとー。
バスの運転手も他の乗客も、私がバスターミナルへ行きたがっていたことはわかっていたはず。
それなのになぜ誰も教えてくれなかったんだ?

モルドヴァ人って、ほんっと冷てーな!


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(キシニョウの南バスターミナル)

このバス停2駅分が遠いのなんのって。
今日は楽勝の移動日のはずだったんだけどなー。

スチャバ行きの直通バスは午前中にしかなく、Iasi で一度乗り換えなければならないらしい。
予定していたよりもかなり時間がかかりそうだ。
日没までにスチャバに着けるか?


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(キシニョウの南バスターミナル)


キシニョウを出発してから2時間ほどで、ルーマニアとの国境に差し掛かります。
そのころには天候は急変し、土砂降りの大雨となりました。
なんだか気分が滅入ります。

しかも国境通過の審査にやたらと時間がかかっています。
早くしてくれよ。
暗くなる前にスチャバに着きたいんだ。

しかし文句は言えません。
時間がかかっているのは私のせいでもあるのですから。

私のパスポートをチェックしていた女性係官が眉をしかめます。

「あなた、沿ドニエストル共和国に入国したの?!」

やはりモルドヴァの官憲はあの国のことを快くは思っていないようです。
彼女は私のパスポートのページを繰りながら、同僚となにやら話し合っています。
それにしても、なぜ俺が沿ドニエストルに行ったことがバレたんだろう。

国境審査官は私の荷物を念入りに検査していましたが、なんとか通してもらうことができました。
返してもらったパスポートを見ても、沿ドニエストル共和国の痕跡はありません。
はて?

パスポートをパラパラめくっていると、ありました。
一番後ろのページに沿ドニエストルの入出国スタンプが押してあったのです。

いろいろと黒い噂の絶えない未承認国家、沿ドニエストル。
その国に入国した記録をパスポートに刻まれてしまった。
このことは今後、私の旅行を不便なものにするのだろうか。
不安になると同時に、貴重な記念品をもらったような気もして、ちょっとうれしかったです。


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(Iasiの駅前)

夕方5時ころ、ルーマニアのIasiに到着しました。
ここでスチャバ行きのバスに乗り換えです。

私は数年前ルーマニアを旅行したのですが、その時にはブカレストやシギショアラ方面しか訪れていません。
ルーマニア東部を見るのはこれが初めてなのですが、なんだか私の抱いていたルーマニアのイメージとはかけ離れているような気がしました。
以前にこの国を訪れてからけっこう時間が経ってしまったから、それだけこの国の雰囲気も変わってしまったのだろうか。
もっと素朴で懐かしい土地だったのに、なんだかすっかり様変わりしてしまっている。
ちょっとさびしい。


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おっ!
なんだかルーマニアっぽい建物。


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バスが出発するまでには少し時間があったので、モルドヴァのお金をルーマニアのものに換えることにしました。

「これでいい?」
両替商の女性が電卓を叩き、数字を私に見せます。

ルーマニアの通貨の価値がとっさにわからず、私も自分の電卓で計算してみます。

うわーっ!
むちゃくちゃ目減りしてるー!

私は自分でも気づかないうちにギョッとした表情をしてしまったのでしょう。
窓口の女性は肩をすぼめて、
「悪いわね。それがうちの会社のレートなのよ」
とすまなさそうに言います。

ここIasiはルーマニア東部の玄関口。
駅やバスターミナルの近くなのですから、探せば他にも両替商はあるはずです。

でももういいや。
雨は降ってるし、重いリュックを担いでまた別の店に行くのもめんどくさい。


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Iasiのバスターミナル


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19:30頃、ついに今夜の目的地、スチャバに到着しました。
さすがに日も暮れかかり、だんだんと暗くなってきています。

私はここでのホテルを予約していませんが、まったく不安はありません。
なぜなら、このスチャバには世界で一番頼りになる、「あの男」がいるからです。


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(金閣寺でJKと戯れるジョージ)

数か月前、京都の私のもとに一通のカウチリクエストが届きました。
ジョージというその男は、ルーマニアのスチャバという街に住んでいるといいます。

スチャバ!
なんという偶然。

ちょうどその時私は、今回の東ヨーロッパの旅行を計画していました。
ルーマニアには以前訪れたことがあったので本来ならパスする国なのですが、ルーマニアはちょうどモルドヴァからセルビアへの通り道にあたります。

しかも前回この国を訪れた時、他の西欧諸国にはない独特の雰囲気に引き込まれ、私のお気に入りの国のひとつでもあったのです。
どうせならまだ訪れたことのないブコヴィナやマラムレシュ地方に行ってみたい。
特に5つの修道院!

そう思って調べてみると、どうやらこの地方は交通の便が悪く、5つの修道院を個人が公共交通機関を利用して全部回るのは至難のわざのようです。

どころが!
ジョージはスチャバに住んでいるというではありませんか。
この街は5つの修道院観光の拠点となる場所です。
しかも彼のカウチサーフィンのプロフィールを読むと、これまでにホストしたカウチサーファーを彼の車で5つの修道院に案内しているようです。

こんなにうまい話があっていいのだろうか。
私ははりきってジョージを京都でもてなしました。
そうです。
「海老で鯛を釣る」作戦です。


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(嵐山の竹林でやまとなでしこの肩を抱くジョージ)


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(清水寺で着物女性に囲まれてご満悦のジョージ)

私のこの作戦はみごとに成功し、京都観光にいたく感激したジョージは、

「マサト、今度は俺がお前に恩返しする番だ。
 ルーマニアに来た時にはぜひ俺にお前の世話をさせてくれ」
とまで言ってくれたのです。

なんという義理人情に熱い男だ、ジョージ。
遠慮なくその好意に甘えさせてもらうぜ。


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(スチャバのバスターミナル)


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夕焼けに染まるブコヴィナ地方。
遠くにはこの地方独特の様式をした教会が見える。


太陽が沈み、あたりが暗くなってきた。
さすがに少し不安になってくる。
ジョージはまだか?
もしかして俺は、降りるバス停を間違えたのだろうか。

心細さがMaxになったちょうどその時、ジョージは現れた。
しかも乗っている車はBMWの四駆。
わおー。
ジョージ、お前実はけっこうな金持ちだったんだな。

車から降りてきたジョージは、くしゃくしゃの笑顔で私を抱きしめてくれる。
「よく来たな、マサト」
がっちりと固い握手を交わす。


外国を一人で何か月も旅していると、時々どうしようもなく寂しい気持ちになることがある。
特に夕暮れ時なんかには、なんともいえない焦燥感に襲われる。
しかもここはルーマニア。
あのドラキュラ伝説で有名な国なのだ。

そんな時に知っている顔に会うと心からホッとする。
しかも相手は誰よりも頼りになる男、ジョージ。
俺が女なら間違いなく奴に惚れている。


張りつめていた緊張感がとけて、急に力が抜けた。
よかった。
ジョージと合流することができた。
これで4日間はのんびりと過ごすことができる。


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「腹が減ってるだろう、マサト。
 近くにいい店があるんだ」

さっそくジョージはレストランに連れていってくれた。


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店の中はこんな感じ。


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さっそくビールで乾杯。
実を言うとこの時私は少し肌寒かったので、できれば暖かい飲み物の方がよかったのだが、そんなことはどうでもよかった。
久しぶりに旧友と再会したのだ。
しかも日本からはるか遠く離れたルーマニアで。
これが飲まずにやってられるか!


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「これがまたうまいんだぜ。 食えよ、マサト!」

そう言ってジョージが私のために注文してくれたのがこれ。
ルーマニアの伝統料理ではないそうだが、彼の言う通りほんとにうまかった。
ボリュームもたっぷりあり、じゅうぶんお腹をすかせていたはずなのに、満腹になってしまった。


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うまい酒、うまいメシ、そして温かい親友。
これ以上いったいなにを望めというのか。

強いてぜいたくを言わせてもらえば、ルーマニア美女がこれに加われば最高なんだけどな。




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なんと、願いがかなってしまった。

「マリア! マリア! 」

ジョージはこの女性と知り合いらしく、熱心に投げキッスを送っている。
なんという騒ぎようだ。
ルーマニア人の男というのはもっと寡黙なのかと思っていたが、マリアを口説いているジョージはまるでラテンのノリ。

しかし、それも理解できなくはない。
このマリア、線が細くて華奢な体つきなのに、なんとも言えない色っぽさを醸し出している。
体中からフェロモンをムンムンとあふれだしている。

これがルーマニア女性の威力なのか。
さすがは妖精の住む国。

どうやら俺はとんでもない国に来てしまったようだ。


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真ん中にいるのがホストのジョージ。
右側は彼の親友のミッシェル。

日本を出てから約1か月。
ここルーマニアで私の旅は、何度目かのピークを迎えようとしていた。


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スチャバでの私のカウチ。

夕食の後、その足でジョージの家に向かうのかと思っていたのだが、彼が連れてきてくれたのは1軒のゲストハウス。
実は彼の家は今改装中で、私をホストすることはできない状態なのだという。
そんな状況にもかかわらず、私との約束を果たすためにカウチリクエストを受け入れてくれたジョージ。
なんとお礼を言っていいものやら。

「料金はすでに払ってある。
 金のことは心配するな」

漢だ。
あんた、ほんまもんの漢や!

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ジャンル : 旅行

キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(2日目)

キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)、 2日目


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キシニョウのバスターミナル。

もう夕方なのだが、まだまだ外は明るい。
ヨーロッパの夏の昼は長い。

こんなことならもう少し沿ドニエストル共和国でねばっとくんだった。
あんなに面白い国とめぐり合うことはそうはないだろうから。

だが、沿ドニエストル共和国にいる時にはとてもそんな楽観的な気持ちになれなかったのも事実だ。
どうしても日が暮れるまでには国境を越えておきたかった。
あの国で出会った人はみないい人たちばかりだったのだが、
「ヤバい国、沿ドニエストル」
という印象はどうしても最後まで拭い去ることができなかったからだ。
実際、警官たちに脅されもした。

だから無事モルドヴァに帰ってこれた時には正直ホッとしたものだ。
ほんの数日前まではこのモルドヴァも私の中では「油断ならない国」の一つだったことを思えば、
少しは私の経験値も上がったのかもしれない。

モルドヴァには日本国大使館は置かれていないのだから、まだまだ気を抜くわけにはいかない。
それでも、「一応は国際社会の目が行き届いている場所にいるんだ」という事実は大いに私を安心させてくれた。

自分で思っている以上に、沿ドニエストル共和国では緊張していたようだ。


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キシニョウのバスターミナルは人影もまばら。
市場の露店もほとんど店を閉め終わっている。
朝のあの喧騒が嘘のようだ。

もう一度あのヤクザや奇妙な女の子に会えないだろうか、とかすかに期待していたのだが、この様子では無理のようだ。


「沿ドニエストル共和国探検」という一大事業を無事なし終えて、今日のミッションは終了したかに思えたが、実はまだ難題が残っていた。
キシニョウでのカウチサーフィンのホスト、アントンの家は市の中心部からはかなり離れた所にある。
朝は彼の車で送ってもらったのだが、今度は自力で彼の家を探し当てなければならない。

昨日の晩にアントンから詳しく道順を聞いておいたのだが、どうもしっくりこない。
教わった通りにバスを降りたつもりだが、なんだか間違ってる気がする。
今日の朝通った道を逆になぞればアントンの家に帰れるのだから、簡単な作業のはずだ。

それなのに、迷ってしまった。
自力でアントンの家まで戻れそうにない。
すでに太陽はビルの影に沈んでしまっているから、暗くなるのはもう時間の問題だ。
どうしようもない焦燥感に襲われる。

アントンの家はここからそう遠くはないはずなので、彼に電話して迎えに来てもらうことは可能だ。
でも、

「道に迷ったから迎えにきて! お願い!」

と言うのは恥ずかしすぎる。

そこで、

「今、君の家の近くまで帰ってきてるんだけど、よかったら一緒にメシでもどう?」

とメールを送ってみた。

ありがたいことに、アントンからは即座にOKの返事が来た。
助かった。

「昨夜夕食を食べた店で会おう」
ということになったのだが、実はそこへの行き方すらわからない。
恥をしのんでアントンに聞いてみたら、どうやら私は2つほど手前のバス停で降りてしまっていたらしい。
どうりで彼の家への帰り方がわからないわけだ。

私は一度彼の家を訪れている。
にもかかわらず迷ってしまった。
初見で彼の家を自力で探し当てたという日本人バックパッカーの女の子にはほんとに頭が下がる。
恐れ入りました。


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モルドヴァのファミレス、「La Placinte 」
二日続けて同じ店というのも芸がないが、ここがベストの選択だと思う。
ひととおりすべてのモルドヴァ料理がそろっているし、値段も安い。
市内に何軒も店を展開しているというから、キシニョウ市民からの支持も得ているのだろう。


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アントンに勧められて頼んでみた飲み物。
モルドヴァの伝統的なドリンクらしい。
甘いジュースのようだが、味は微妙。

口直しにモルドヴァワインを飲んだ。
こちらは文句なしの絶品。
この後、他の国でもいろんなワインを試してみたが、モルドヴァワインを超えるものはなかった。


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最期にアントンがアイスクリームを注文した。
「一緒に食べよう!」と言う。

しかし、「モルドヴァにしかない特別なデザート」というわけでもないらしい。
ただ彼が甘党だというだけの理由のようだ。
どうせならここでしか食べれないデザートの方がよかったんだけどな・・・


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夕食の帰り道、アントンが「いいところがある」というので連れていってもらった。
通り全体がイルミネーションで覆われているらしい。
これを見せてくれたアントンは、「どうだ、すごいだろう!」と言わんばかりに胸を張っている。

だが、しょぼい。
彼には悪いが、どうしようもなくショボい。

電力事情が悪いのだろうか。
この街全体が薄暗く、普通に道を歩くだけでも懐中電灯が恋しくなったほどだ。


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アントンの部屋には、合気道開祖、「植芝盛平」の写真が飾ってあった。
彼は合気道を習っていたらしい。


実はモルドヴァでのカウチサーフィンのホスト探しにはずいぶんとてこずった。
かなり前から何通もカウチリクエストを送っていたのだが、ほとんど無視されていたのだ。
キシニョウにはカウチサーファーの数自体それほど多くない。

私には、「すべての訪問国でカウチサーフィンを利用する」というミッションがある。
だが、国によってはそれが困難なこともある。
カウチサーフィン自体が認知されていない地域だってある。
モルドヴァもその一つだ。
どうも反応が鈍い。

なんとか一人のホストから受け入れの返事をもらっていたのだが、直前になって連絡が取れなくなってしまった。

「もしかして今回はダメかも・・・」

そんな時に私を救ってくれたのがこのアントンだ。

ホストはすべてのリクエストを受け入れたりはしない。
数多く受け取るリクエストの中から一人のカウチサーファーを選ぶにはなんらかの理由があるはずだ。

アントンは以前にも日本人の女の子をホストしている。
合気道をやっていたことからしても、彼が日本に対してなんらかの興味を抱いていることは確かだ。
だから私のカウチリクエストも受け入れてくれたのだろう。

そんな彼の期待に応えることがはたしてできただろうか。
日本人の名に恥ずかしくない行動をとることができただろうか。
どうも今回は自信がない。


昨夜彼はキシニョウの見どころを丁寧に教えてくれた。
それなのに私はそれらのほとんどを訪れていない。
ほとんどの時間を沿ドニエストル共和国のために費やしてしまったからだ。

夕食の時、私がアントンに聞かせた土産話はそのほとんどが沿ドニエストル共和国のもの。
キシニョウで訪れた場所はほんの少し。
きっと彼は落胆したことだろう。

モルドヴァ国民であるアントンにとって、沿ドニエストル共和国は敵国にあたるのかもしれない。
そんな彼に向かって私は、沿ドニエストル共和国旅行がいかに楽しかったかを目を輝かせながら語った。
いったい彼はどんな気持ちで私の話を聞いていたのだろうか。

そんなことにも気づかないくらい、私は興奮していたのだ。
モルドヴァの人には悪いが、私にとっては沿ドニエストル共和国の方がはるかに刺激的で面白かったのだ。


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キシニョウでの私のカウチ。

アントンは母親と恋人と一緒に暮らしている。
残念ながらアントンの彼女は旅行中で会えなかったのだが、母親には親切にしてもらった。
英語がまったくできないお母さんだったが、常ににこやかに接してくれた。

こういう温かい家庭でお世話になるといつも、
「ああ、カウチサーフィンやっててよかったな」
という気持ちになれる。

世界中にはいろんな国があり、肌の色や話す言葉はそれぞれ異なるけれど、
けっきょく人間ってみんなおんなじなんだな、とも思えてくる。


アントンの住んでいるのは共産主義時代に建てられた古い団地。
なんのへんてつもない、むしろどちらかといえばオンボロな建物なのだが、よくよく考えてみると、こんな所に泊まれるというのはすごいことなのかもしれない。

ほんの20年ほど前まで、モルドヴァは旧ソヴィエト連邦に所属していた。
その当時は日本人がこの国を旅行することも難しかっただろうし、ましてやホテルではない一般の家庭のお宅に泊めてもらうことなんてほとんど不可能だったにちがいない。

もっとじっくりとモルドヴァを味わっとくんだった。


テーマ : カウチサーフィン(Couch Surfing)
ジャンル : 旅行

沿ドニエストル共和国(ティラスポリ)旅行記

沿ドニエストル共和国(ティラスポリ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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(沿ドニエストル共和国、ティラスポリの郵便局)


独立を宣言しているものの、ほとんどの国がその存在を認めていない未承認国家「沿ドニエストル共和国」。
国際社会の目が行き届かないことをいいことに、武器や違法ドラッグの流通拠点となっているという、なんともアングラな臭いのするトランスニストリア。

そんな異質な国の中で孤独感に打ちひしがれていた私を、一人の女性が救ってくれた。
孤立無援だった私に優しく手を差し伸べてくれた彼女はまさに女神そのもの。
彼女の体からほとばしる、幾筋もの神々しい光が見えた(ような気がした)。

彼女の名はイリャーナ。
彼女はずっとつきっきりで私の手助けをしてくれた。
初対面で素性の知れない、しかも侍の格好をしたへんてこな東洋人に、損得勘定抜きで親切にしてくれた。
荒んだ印象のある沿ドニエストル共和国にだって、こういう心優しい人はいるのだ。


まずは絵葉書を買うのを手伝ってもらった。
「観光」という概念が希薄なこの国では、絵葉書を買うことすら一仕事なのだ。

私がいくら探しても見つからなかった絵葉書だが、イリャーナが売店の女性に一言言うだけで、店の奥から持ってきてくれた。
単体では売ってくれず、20枚くらいのセットで買わなければならないらしい。
その絵葉書はかなりの年代物のようで、角がすり減っている。
図柄はミグ戦闘機や戦車、レーニン像など、およそ一般的な観光地とは趣を異にするシロモノだが、かえってこういう物の方がドニエストルらしくていい。


私が絵葉書を書いている間も、イリャーナは辛抱強く待っていてくれた。
彼女のおかげで、郵便局で切手を買う手続きもスムーズに運んだ。
やはり現地の人が一緒にいてくれると、なにをするにしても便利だ。


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郵便ポスト。
ゴミ箱かと思った。


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「ロシアのおじちゃん、ありがとう!」

世界中のほとんどの国から独立を認められていない沿ドニエストル共和国ですが、ロシアは違います。
軍事顧問団を派遣して、この国を強力にサポートしています。
なのでこの国ではロシア人はモテモテ。


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「私たちは負けない! 最後まで戦う!」

砲弾を愛おしそうに抱きしめる女性兵士。
第二次世界大戦を彷彿とさせる古めかしい軍服。
なんともシュールなポスターだ。

沿ドニエストル共和国内にはこのようなプロパガンダをあちこちで見かけます。
他の国とは一味ちがいます。
なんておもしろそうな国なんだ。
やっぱり来てよかった。

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イリャーナは私をこんな狭い路地に連れてきてくれました。
いや、気持ちはありがたいんですけど、できたらもっと有名な観光地のほうがいいな。


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「ここは有名なホテルだから写真を撮れ、撮れ!」

とイリャーナは言うのですが、私としてはあまりおもしろくありません。
この国には他に面白い場所はないのか?


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せっかくですから、沿ドニエストル共和国の国旗と一緒に記念撮影。


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オペラ劇場


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イリャーナと一緒に歩くようになって、いろんな人から声をかけられるようになりました。
私一人で歩いていた時とはえらい違いです。

彼女が言うには、みんな私の持っている刀を本気で怖がっているのだとか。
本物の日本刀を持って歩けるわけがないだろう、と思うのですが、武器であふれているこの国では、日本刀を腰に差して歩いている人間がいても不思議ではないのかもしれません。


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この女性がイリャーナ。
孤独の淵に沈んでいた私を救ってくれた恩人です。

彼女はこれから行く場所があるということで、忙しそうな様子。
なので、最初は郵便局についてきてくれるだけだったはずなのですが、なぜかその後もずっと私と一緒にいてくれました。

異国の地でこんなふうに親切にされると、思わずほろりとしてしまいます。
やばい。
惚れてしまいそうだ。


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人類初の有人宇宙飛行士、ガガーリンの像。
イリャーナによると、彼はこのティラスポリ出身らしいのですが、ウィキペディアの記述とは食い違っています。


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沿ドニエストル共和国の国会議事堂?
こんな重要な場所、写真に撮ってもいいのだろうか。
ティラスポリの駅前で兵士に写真撮影を制止された記憶がよみがえります。
当然、この建物の周辺にも兵士の姿があちこちに見えます。

私がためらっていると、イリャーナは

「平気、平気。写真を撮っても大丈夫よ。
 なんなら私も一緒に撮ってあげようか?」


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ほんとに国会議事堂の前で写真を撮ってしまった。
遠くには警備の兵士が歩いているのが見えます。

台湾の総統府前でも写真撮影は禁止されてるのに、この沿ドニエストル共和国で許されるとはとうてい思えないんだけどなあ。
まだ私は半信半疑です。


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おそるおそる国会議事堂に近づいてみると、建物の正面にレーニン像がありました。
せっかくだからこのレーニン像と一緒に写真を撮りたい。
でも、警備の兵士の目が気になる。


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レーニン像の周りをウロウロしていると、ティラスポリ市民に写真撮影を申し込まれました。


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左側にいるのは、順番を待っている人たちです。
なんと、私と写真撮影するために行列ができているではありませんか。
いつから俺は有名人になったんだ?!


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いつの間にかイリャーナは私のマネージャーのような存在になっていて、記念撮影希望者を仕切っています。

「はいはい、サムライと一緒に写真を撮りたい人はこちらに並んでねー」

それだけではなく、なぜか彼女も一緒に写真に写っています。
カメラに向かって笑顔を振りまいています。
あれ? あれ?


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すっかりモデル気分で機嫌がよくなったイリャーナ。
もしかしたら今日一日、彼女は私のガイド役を引き受けてくれるかも?


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その後もティラスポリを歩いていると、大勢の人に声をかけられました。
最初はとっつきにくそうに思えた沿ドニエストル共和国民も、ふたを開けてみればなかなか人懐っこい。

よく見たらこの男性のシャツには漢字のようなものがプリントされています。
東洋の文化に興味があるのでしょうか。


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一人の男性に呼び止められて、なにやら話し込むイリャーナ。
知り合いなのでしょうか。

男性からもらった名刺をよく見ると、そこには

「 School of Kung-Fu 」

の文字が。


どうやら彼はカンフーの道場を開いているらしく、私にそこへ来いと言っているようです。

「1時間でいいから、俺と手合せをしてくれ」


カンフーには前から興味があったので、一度本物を見てみたかったのですが、この男はかなり強そう。
しかも私のことを日本の武道の達人と勘違いしているようなので、手加減なしで戦わされそうな予感がする。
それに、日が暮れるまでにはモルドヴァに帰りたいので、ティラスポリでの残り時間はあとわずかしかない。

というわけで、彼の申し出は丁重にお断りしました。


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「私はここで用事を済ませてくるから、ここでしばらく待っていて」

イリャーナはそう言い残して建物の中へと入っていきました。
残されたのは私とカンフーの達人のみ。
まだいたのか?
いったいどこまでついてくるつもりなんだ。
彼は英語がまったくできないのですが、しきりと私に話しかけてきます。
でも、なんて言っているのかはわかりません。

話しかけてくるだけでは物足りず、そのうち彼は私に向かって拳を突き出してくるようになりました。
もちろん本気ではないのですが、よけなければ顔に当たります。

わっ! わっ!

カンフー映画は何度か見たことがありますが、本物のカンフーの使い手と戦うのはこれが初めての経験です。
私は空手の心得があるのですが、カンフーの攻撃に対してどう対処していいのかわかりません。
彼の繰り出してくる攻撃をさばくのが精いっぱいで、防戦一方でした。

ところが、私のよけかたが男には意外だったようで、彼はおもしろがってなおも拳を繰り出してきます。
しかも、だんだんとそのスピードが速くなってきているではありませんか。

その男は拳を突き出すたびに、

「これはどうよける?」

というふうに目で私に語りかけてきます。
なかなか研究熱心な男のようです。
もしかしたら彼も空手家と対戦するのは初めてだったのでしょうか。
私の流派は他の空手とは少し異なるので、余計に興味がわいたのかもしれません。

しかし、実験台にされているこちらはたまったもんじゃありません。
よけなければ確実に彼の拳は私の顔面にヒットするのです。
しかもこの男、強いっ!
明らかに相手の方が格上です。
私の空手は大したことありませんが、相手がどの程度の実力の持ち主かくらいは私にだって判断できます。

今はまだ手加減してくれていますが、だんだんと彼の攻撃は激しさを増してきています。
もうこれ以上は持ちこたえられそうにもありません。

どうしよう。
このまま走って逃げてしまおうか。
いや、でも、この男の方が足も速そうだ。
まいったな。


「もうそろそろ限界」
というところで、タイミングよくイリャーナが建物から出てきてくれました。
これで戦いを止めるきっかけができました。

彼はまだ物足りなさそうで、イリャーナになにか言っています。

「彼がどうしても道場に来てくれって言ってるけど、どうする、マサト?」

もうけっこうです!
これ以上やったらほんとに殺されちゃうよ。


しかし、なかなかおもしろい体験をさせてもらえました。
まるで自分がジェット・リーやドニー・イェンと戦っているような気分になれたのです。
まさか沿ドニエストル共和国でカンフーの達人と手合せをすることになろうとは、夢にも思いませんでした。

なにがおこるかわからない。
だから旅はおもしろい。


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(軍事歴史博物館?)


カンフーの使い手から命からがら逃げだし、イリャーナはなにかの博物館に私を連れていってくれました。
老婦人が一人で番をしているその博物館は、こじんまりとしていて、私たちの他に閲覧者はいません。

イリャーナは入場料を払ってくれました。
どうしてそんなに親切にしてくれるのだろう?

彼女はティラスポリ出身なのですが、この国の将来に不安を感じた彼女の両親は、イリャーナをアメリカの高校へと留学させたそうです。
当時彼女は英語がほとんど話せませんでしたし、アメリカに知り合いがいたわけでもありません。
いきなり異国の地に放り出されて、イリャーナはかなり苦労したようです。

自分がそんな大変な経験をしてきたからこそ、他の人が困ってるのを見過ごすことができないのかもしれません。
いずれにせよ、彼女と奇跡的に出会うことができた私はツイてます。
彼女がいなければ、他の旅行者と同じように沿ドニエストル共和国に対してネガティブな感想を持ったまま出国していたことでしょう。


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博物館自体はまったく面白くありませんでしたが、そんなことはどうだっていいんです。
イリャーナがいなければ、私はこの国を一人で旅行していたはずです。
きっと味気ない旅となっていたことでしょう。

でも今は違う。
イリャーナのおかげで、沿ドニエストル共和国は私にとってディズニーランドなど足元にも及ばないくらいに刺激的で面白い場所となった。
この国をここまで楽しんだ観光客はそうはいないだろう。
その土地で出会う人によって旅の面白さはまったく変わってくる。
私はほんとうにラッキーだ。


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ロシア風の帽子を被せられたサムライ。
隣にはわけのわからない彫像。
バックにはシリアスでコミカルなポスター。

私はいったいここでなにをやっているのだろう。


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博物館を出てしばらく歩くと、一人の女性に出会いました。
イリャーナの知り合いで、彼女の家の近所に住んでいるそうです。

なにかと色眼鏡で見られがちな未承認国家・沿ドニエストル共和国。
でも、そこに住んでいる人はごく普通のどこにでもいるおばちゃん。
そんな当たり前のことですら、イリャーナがいなければ気づかなかったかもしれません。
彼女と一緒でなければ、よそ者の私と笑顔で一緒に写真など撮ってくれなかったことでしょう。


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沿ドニエストル人とロシア人のカップル


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公園で昼間からビールを飲んでいた青年たち。
なんだかトランスニストリアらしくていいぞ。


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サムライ姿の私を見て大興奮の若者たち。
他のブログで言われているのとはまったく異なり、沿ドニエストル共和国に住む人たちはとてもフレンドリーで好奇心旺盛でした。

彼らのおかれている状況を鑑みれば、これは驚くべきことです。
この国が将来どうなってしまうのか、誰にも予測はつきません。
そんな不安定な状況下でも、彼らはとても明るく過ごしています。
彼らの笑顔はとても印象的でした。

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一人の男と話し込むイリャーナ。
知り合いなのだろうか?


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私の買った絵葉書の中に、「空飛ぶ戦車」があったので、イリャーナにそこへ連れていってくれるようにお願いしました。
すると、この男も一緒についてきたのです。
彼はプロのカメラマンで、侍の衣装を着た私はまたとないいい被写体だから、ぜひ同行させてくれと言っているようです。
プロのカメラマンに撮ってもらうのも悪くはないか。


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イリャーナとはまだ出会ってから数時間しか一緒に過ごしていませんが、なんだかもうずっと昔からの知り合いのような気がします。
ずっとこのまま彼女と一緒にいれたら、どんなに幸せだろう。

だが俺は、もうあと数時間でこの国から出なくてはならない。
この国は特殊な場所なのだから。


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しかしこの時すでに俺の腹は固まっていた。
彼女のために、この国に骨を埋めることなど厭わない。

空飛ぶ戦車と教会に、永遠の愛と沿ドニエストル共和国への忠誠を誓う。
さらば日本国籍。
今日かぎり、俺は日本人であることを捨てる。


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「楽しかったわ、マサト。
 また連絡ちょうだいね。
 私はもう行かなくちゃならないの。
 あとは彼があなたのことを面倒見てくれるから。
 じゃあね!」

イリャーナはそれだけ言い残して、さっさと行ってしまった。
あまりにも突然の別れに、私はなすすべもなかった。

後に残されたのは英語のまったく話せないむさくるしいカメラマンの男のみ。
思わず苦笑いがこぼれた。

ま、俺の人生なんてこんなものか。


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マントをはためかせるレーニン像。
遠くを見つめる彼の瞳には、いったいどんな風景が写っているのだろう。


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墓地。
おそらくここには国家の英雄が祀られているのだろう。


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空飛ぶ戦車よ。
お前はどこへでも飛んで行け。

沿ドニエストル共和国、なかなかおもしろい国だったが、
俺が再びこの地を踏むことはないだろう。


カメラマンは私と並んで歩き、ずっとシャッターを押している。
彼はポーズをとった写真が嫌いで、被写体の自然な表情を撮りたいのだそうだ。

そういえば彼はプロのカメラマンだと言った。
ということは、私の写真も仕事で使うのだろうか。

自分の写真がいったいどんなシチュエーションで使われることになるのかはわからないが、
世界中のほとんどの人がその存在すら知らない国の片すみで、侍の衣装を着た自分の写真が流通するというのもなんだか変な気分だ。


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またコニャックの店に出くわした。
この国の人間はそんなにこの酒が好きなのだろうか。

カメラマンが私に向かって、「酒は好きか?」と聞いてきた。
もちろんだとも。
沿ドニエストル共和国の名物だというコニャック。
せっかくこの地に来たからには試しておきたい。

カメラマンは私に向かって、「ちょっと待ってろ」と言い残し、店の中へと入っていった。
だが私はこの国のお金をほとんど持っていない。
他の国では文字通り紙屑となってしまう沿ドニエストル共和国の通貨を、これ以上両替するつもりもない。
もうすぐ私はこの国を出国し、二度と訪れることはないのだろうから。

しかし、お金の心配は不要だった。
店の中から複数の目が、ガラス越しに私のことを見つめている。
きっと侍姿の日本人が珍しいのだろう。
店の主人と思しき男が、私を手招きして中へと招き入れてくれた。

彼がなんと言っているのかまったくわからない。
通訳してくれる人もいない。
だが、店の主人はうれしそうに私の肩に腕をまわし、何枚も一緒に写真を撮らされた。
きっと、後で店の宣伝にでも使うのだろう。

そして別れ際、一瓶のコニャックをくれた。
ラッキー!


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戦利品のコニャックを手に、私とカメラマンは公園へと向かう。
彼はさっきからしきりとあたりを気にしている。

「この国では外で酒を飲むことは禁止されているんだ。
 警官に見つかったらやっかいだ。
 俺は向こうの通りを見張ってるから、お前はあっちを見ていてくれ。
 私服の警官もいるから気をつけろよ。
 少しでも怪しい奴を見かけたら、すぐに酒を捨てて逃げろ」

なんだかおもしろくなってきたぞ。
この公園には樹木はほとんどないから、外からは丸見えだ。
もし本当に警官が取り締まりに来たら、簡単に見つかってしまう。

カメラマンはカバンでコニャックの瓶を隠しながら、私のコップに注いでくれた。
あたりを気にしながら飲む酒が旨いはずがない。
モルドヴァに帰ってからゆっくりと飲みなおしたい。
だが、コニャックの瓶はカメラマンのカバンに入ったままだ。
警官の目に触れないよう、彼がしっかりと隠している。

でもそれ、侍姿の俺にって店の主人がくれた物なんだけどなー。


カメラマンは英語がまったくしゃべれなかったが、不思議と意思の疎通はできている。
彼は自分のカバンを得意げに私に見せる。
自分で作った物のようだ。
よく見ると、そのカバンは柔道着でできていた。

「柔道着は分厚いから、切ったり縫い合わせたりするのは骨が折れるんだぜ。
でもおかげで俺のカバンはとても丈夫な物に仕上がった。
かなり乱暴に扱ってもびくともしない。
市販のカバンじゃとてもこうはいかない」

お前、柔道をやってるのか?
「押忍!」

誰からも独立を認められていない国には、カンフーの達人や柔道を練習している男たちがいる。
モルドヴァには合気道の道場まであった。
アジアの格闘技って、やっぱり人気あるんだな。


カメラマンに例のカンフー・マスターの写真を見せてみた。
彼はこの男のことを知っているらしい。
祖父の代から道場を開いていて、あの男は幼少のころから英才教育を施されてきた、正真正銘のカンフーの達人なのだそうだ。

やばかった。
あの男の道場にのこのこついていかなくて本当によかった。
でなきゃ今頃俺はボコボコにされていたことだろう。

沿ドニエストル共和国はほんとに危ない国だったのだな。
いろんな意味で。


言葉が通じないにもかかわらず、カメラマンとの会話は弾んだ。
彼は片言の英語も話せないのだが、不思議なことにお互い何を言いたいのかはわかるものなのだ。

「俺の部屋に寄ってけよ。 駅の近くだから列車の発車時刻ギリギリまでうちにいればいい」
彼の提案は願ってもないものだった。
未承認国家・沿ドニエストル共和国に住む人の家に招かれるチャンスなんてそうそうあるもんじゃない。

「晩飯になにか作ってやるよ。
 スーパーに寄って買い物していこう」


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店の前の広告には

「 BANZAI 」

と書かれてある。

世界中のほとんど誰もがその存在すら知らない国の片すみに、ひっそりと日本語の広告が掲げられている。
外国でこういうのを目にするたびに、いつも再認識させられる。
これほど影響力のある国って、他にはないんじゃないだろうか。
日本にいる時はなにも感じないが、実は俺たちの国ってすごいんじゃないんだろうか。


感慨にふけっていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
どうやらパトカーのようだ。
意味もなく不安な気持ちになる。
まさかパトカーは我々に向かってきているわけではないだろうが、なんなんだろうこの焦燥感は。

カメラマンも同じ気持ちのようだ。
話すのをやめ、じっと音のする方を見つめている。


猛スピードで走ってきたパトカーは、我々の行く手を阻むように停止する。
どういうことだ?
カメラマンの方を見ると、舌打ちして目を伏せている。
なんだ?
もしかしてヤバい状況なのか?

パトカーから降りてきた警官は二人。
一人はカメラマンの方へ。
もう一人は私の方へまっすぐにやってきた。

いったいどういうことだ?
もしかして、さっき公園で酒を飲んだことと関係があるのだろうか。
まさかそんなことくらいでパトカーがサイレンを鳴らして駆けつけてくるとはとても思えない。
じゃあなぜ?

警官にパスポートを要求される。
彼は英語が話せないようなので、私への尋問はなかった。

しかし、カメラマンは執拗に何か聞かれている。
私のことを時々見ながら話しているから、きっと私のことについて質問されているのだろう。

「だからこんな奴知らないって言ってるだろ。
 さっき会ったばっかりで、こいつが誰なのか俺はまったく知らないんだってば!」

そう言っているように聞こえた。


警官の興味の対象が私なのは明らかだ。
だとしたら私は今、とてもマズい状況に陥っているのだろうか。
外務省の危険情報の文言が脳裏によみがえる。

「沿ドニエストル地域には、モルドバ政府の施政権が及んでおらず、仮に日本人渡航者が同地域での事件・事故等に巻き込まれた場合、モルドバ政府が十分な救済措置を講じることができない状況にあります。

「モルドバには、日本の大使館が設置されていません。
このため、緊急事態や事件・事故に遭遇した場合には、日本国大使館等による迅速な対応を得ることができず、事実上身動きがとれない状態に陥ることとなります」


やましいことはなにもしていない(酒を飲んだだけだ)。
警官に私の刀が本物ではないことを証明し、荷物検査にも積極的に協力した。
それでも警官たちはねちねちとカメラマンに対して何か言い続けている。

ようやく取り調べから解放された。
しかし、パトカーに乗り込む際にも警官はカメラマンに対してなにか言っていた。

「へんな外国人なんかに関わり合いにならない方がお前の身のためだぞ」

そう念押ししているように聞こえた。


パトカーが走り去った後も、カメラマンはすっかり萎縮したままだ。
私からは距離を置いている。
私の存在を持て余している様子がはっきりと見て取れる。

どうやら彼の家に招待されるという話はなかったことになったようだ。
残念だが仕方がない。
準戦時下にあるこの国では、国家権力の統制はかなり厳しいのだろう。
警官に目をつけられでもしたら、いろいろと面倒なことになるのかもしれない。

まだ日没までには時間があったが、ここらが潮時だ。
次のバスでキシニョウに帰ることにした。


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ティラスポリ駅前


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モルドヴァは美人の宝庫だ、という話を聞いたことがある。
でも、この写真のような美女はあまり見かけなかったような気がする。

真偽のほどはわからないが、ヨーロッパの娼婦の3割はモルドヴァ出身だ、という話も聞いたことがある。
そういえばトランスニストリアではあまり女の子の姿を見かけなかったような気もする。
若い娘はみな、西ヨーロッパへ出稼ぎにでも出かけているのだろうか。


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帰りのバスでは窓際に座れたので、沿ドニエストル共和国の街並みをじっくりと見ることができた。
伝統的なモルドヴァ家屋が点在している。

世界中の国から独立を認められていない国家。
この国はいったいいつまでこんな不安定な状態を続けるつもりなのだろう。

今は戦乱は収束しているようだが、問題が解決したわけではない。
ウクライナ情勢をうけて、再び紛争が勃発する兆しが見え始めているともいう。

沿ドニエストル共和国。
つい数日前まで私は、この国の存在すら知らなかった。

だが、今では忘れることのできない国となってしまった。
一見とっつきにくそうに見えるが、人々はとても明るく、人なつっこい。
侍姿の私を見つけると、大喜びで肩を組んで一緒に写真を撮るような人たちだ。

たくさんの人たちとメールアドレスの交換をし、フェイスブックの友達になった。
「絵葉書を送るから」
と、住所を教えあった人もいる。

沿ドニエストル共和国。
日本のマスコミにこの国の名が登場することはほとんどない。
だが私にとってはもうこの国は「得体の知れない遠い世界の話」ではなくなってしまった。

次にこの国の名をニュースで聞くときは、それがいい話題であることを願うばかりだ。
もしもまた戦争が起こったら、こんなに狭い国のことだ、きっと全土が戦場と化すことだろう。

彼らにはどこにも逃げ場はない。


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などと感傷に浸っている場合ではなかった。
気づくとバスは国境の検問所に差し掛かっている。

すっかり忘れていた。
ここは旅行者泣かせの悪名高き沿ドニエストル共和国なのだ。
これまでに数多くの旅人たちが別室の賄賂部屋に呼ばれ、屈辱的な目に遭っている。

他人のことを心配している場合ではない。
まずは自分が無事にこの国から脱出することを考えねば。

多少の賄賂を支払うことには目をつぶろう。
でも、なんとしてでも写真だけは守りたい。

カメラからSDカードを抜き出し、別のカードとすり替える。
隠すところなどどこにもないが、軽い身体検査くらいには耐えられるようにSDカードを隠し持つ。

来るときには簡単に国境を超えることができたが、出る時も同じとは限らない。
用心しすぎるということはないだろう。


バスは検問所に停まり、係官が乗り込んできた。
一人ひとりパスポートをチェックしていく。
出国する時にはバスから降りなくてもいいのだろうか。

係官はパスポートをさっと一瞥しただけで、すぐにバスから降りていってしまった。
再びバスは何事もなかったかのように走り出す。
国境ゲートを通過した。

拍子抜けするくらいにあっさりと出国できてしまった。
他のブログに書いてあったことはいったいなんだったのだろう。
賄賂なんて要求されなかったし、荷物検査もなかった。

きっとこれはいいことなのだろう。
でも、なにか物足りない。
他の人のブログであれほど悪しざまに書かれていた沿ドニエストル共和国の国境越え。
一度体験してみたかった。


バックパッカー旅行は、驚くほど快適になってきている。
「深夜特急」時代にはインターネットなんてものはなかったから、すべてが手さぐりだった。
もちろん苦労も多かっただろうが、その分得るものも多かったはずだ。

しかし、今はなんでも事前に準備できてしまう。
情報は瞬時にして世界中を駆け巡り、リアルタイムで情勢を知ることができる。
写真や動画付きで。

悪名高き沿ドニエストル共和国の国境はもう存在しない。
この惑星はどんどん均質化し、平和で豊かになっている。

きっとよろこばしいことなのだろう。
だが、なんなのだろう。 この焦燥感は。

私は経験値を徐々に上げていき、ゆっくりと旅の難易度も上げていくつもりだった。
しかし、もっと急いだ方がいいのかもしれない。
この惑星からすべてのロマンが消え去ってしまう前に、訪れておきたい場所が私にはいくつもある。


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ティラスポリで親切にしてくれた女性、イリャーナとは、今でも交流が続いている。
日本に帰国後、絵葉書のやり取りもした。
彼女のフェイスブックからは、息子を溺愛している様子が痛いくらいに伝わってくる。

もちろん彼女は祖国である沿ドニエストル共和国を愛してはいるが、
息子にはアメリカで教育を受けさせるつもりだ。


トランスニストリアよ、われら汝を称える

テーマ : バックパッカー
ジャンル : 旅行

沿ドニエストル共和国をビザなし入国で旅行

沿ドニエストル共和国でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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いよいよ沿ドニエストル共和国へ向けて出発です。
キシニョウを出発する時点ですでにバスは満席でした。
ティラスポリまでは2時間ほどかかるそうなので、席を確保できないとけっこうきつい。

実はこの沿ドニエストル共和国、バックパッカーの間ではかなり評判が悪い。
国境を超える際、日本人は別室に呼ばれ、不当な賄賂を要求されるのだとか。
もちろんそんなものは支払う必要ないのですが、払わないといつまでも通してくれないらしい。
特に日本人に対しては厳しい態度ででてくるので、日本人バックパッカーはまず例外なく
「賄賂部屋」
に連行されると思っておいた方がいい、というような情報をネット上で見ることができる。
なんだかめんどくさそうな国だなあ。


また、外務省の渡航情報(危険情報)によれば、この沿ドニエストル地域(トランスニストリア)は
「十分注意してください。」
となっています。

なんだ、その程度のレベルか。
ウクライナと同じじゃないか。
なら問題ないな。

と思っていたのですが、私が沿ドニエストル共和国に行くことをホストのアントンに告げると
「あそこはヤバい。 やめといたほうがいい」
とさんざん脅されました。

もしもモルドヴァ国民が沿ドニエストル共和国に入ろうものなら、まず無事には帰ってこれないのだとか。
おいおい。そんなにヤバい状況なのかよ。
やっぱり行くのやめとこうかな。

しかし毎日定期的にバスは出ているわけですし、じっさいバスの中にはたくさんの乗客がいます。
そんなに危ない場所に行くバスが満席になるはずないじゃないか。
そう自分に言い聞かせ、萎えそうになる気分を無理やり高める努力をしました。


バスは途中、何度か停車して、新たな乗客を乗せます。
空いている席はすでになく、通路は人でいっぱいになりました。
まだ他にもバスに乗りたい人はいたようですが、もうスペースはありません。

ティラスポリ行きのバスは頻繁に出ているということなので、モルドヴァ~沿ドニエストル共和国間の人の往来はかなり多いようです。
かの国は鎖国しているようなイメージがあったので、これは意外でした。

私の座席は真ん中なので、窓からの景色は見えません。
通路には立っている人が大勢いるので、運転席の窓から外を見ることもできませんでした。

せっかく珍しい国に向かっているというのに、何も見ることができない。
退屈な時間が続きます。


1時間ほど走ったところで、バスは停まります。
いよいよ国境通過か。
身も心も引き締まります。

運転手が振り返りなにかわめいていますが、もちろんなんと言っているのかは私にはわかりません。
しかし、乗客たちがわらわらと車を降り始めたので、「国境通過の手続きは各自でやれ」ということなのでしょう。

でも、すべての乗客が降りたわけではありません。
席に座ったままじっとしている人も半分くらいにのぼります。

「俺も行かなきゃだめか?」
運転手に身振りでそう聞いてみると、

「当然だろ。さっさと行って手続してこい」
と車を追い出されました。


小さな小屋の中には係官が二人いて、乗客たちのパスポートをチェックしています。
他の人の手続きを見ている限り、けっこう簡単に通過できそうにも見えます。

しかし、私は日本人。
他の人たちとは毛色が違います。

きっとすんなりとは通してくれないんだろうな。
悪名高き「賄賂部屋」というのはどこにあるのだろう。

あたりをキョロキョロしているうちに、私の順番がやってきました。

係官は私のことをめんどくさそうに見ています。
どうやら彼は英語が話せないらしい。
隣にいたもう一人の係官になにか話しかけ、その人と席を交代しました。
もう一人の係官はどうやら英語ができるようです。

「今からだとあと数時間しか滞在できないが、それでもいいか?」
といったありきたりの質問をいくつかされただけで、すぐにパスポートを返してくれました。
私の名前とパスポートナンバーが印刷された紙切れももらいました。
きっとこの紙は出国するときに必要なのでしょう。

荷物の検査はされませんでしたし、賄賂の要求も一切ありませんでした。
えっ! これだけ?
あっさりと国境を通過できてしまったのです。

沿ドニエストル共和国について書かれているブログを読むと、必ずといっていいほど国境通過の際の苦労話、あるいは武勇伝が「これでもか」とばかりにつづられています。
そういうのを読んで覚悟を決めていった私としては、なんだか肩透かしを食らわされたようで、拍子抜けしてしまいました。

簡単すぎる。
これじゃあ他の国の国境審査となんら変わらんじゃないか。
沿ドニエストル共和国、お前もたいしたことないな。


そしてついにバスはティラスポリに到着した。
乗客たちはさっさと降りてしまうが、私は面食らっていた。

ほんとにここが首都なのか?

静かすぎる。

バスターミナルは鉄道駅と隣接しているようだ。
ということは、ここはこの国で一番の繁華街のはず。
それなのになにもない。
高層ビルも複合商業施設もスクランブル交差点もない。
人通りもほとんどない。

これはまいったな。
ティラスポリに着いたらなんとかなるだろうと思っていたのだが甘かった。

観光案内図なんてものがあるわけないし、もちろん地球の歩き方にだって沿ドニエストル共和国の見どころは載っていない。
だってこの本には「沿ドニエストル共和国は治安状況が悪いので、訪れるべきではない」と書いてあるのだ。
もちろんWiFiなんてものがあるわけない。


なにもない駅前でじっとしていてもしかたがない。
この国の滞在許可はとってないので、今日中にモルドヴァに戻らなければならないのだ。

でも、移動する前にせっかくだから駅の写真を撮っておこう。
そう思ってカメラを取り出したその瞬間、駅を警備していた兵士が私の方へと歩いてきた。
なにもない駅前のくせに、警備の兵士だけはちゃっかり配置しているのだ。
さすが沿ドニエストル。

兵士はまっすぐ私の方へ向かってくる。
彼が言いたいことはわかっている。
「ここは重要拠点だから写真は撮るな」

だが、まだ彼はなにも言っていない。
なんのジェスチャーもしていない。

だからシャッターを押すことは可能だ。
そしてその瞬間、兵士が私に向けて引き鉄を引くことも可能だ。

ここは沿ドニエストル。
国際社会から隔離された未承認国家。
そんな場所で、兵士を無視して写真撮影を続行するだけの度胸は私にはない。


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沿ドニエストル共和国での記念すべき第一枚目の写真撮影は、兵士によって制止されてしまった。
なかなか幸先の悪いスタートだ。

あの兵士は英語が話せなかったからよく理解できなかったが、駅の写真を撮るな、と言っていたのだろうか。
それとも、この国では外国人は写真を撮ることを許されていないのだろうか。

だとしたらやっかいなことになったぞ。
ここまできて一枚も写真を撮らずに帰るなんてことができるか。
情報の少ない国だからこそ、いつもよりも多く写真を撮りたい。
だが、兵士の目を盗みながらではやりづらいな。


いつまでも駅前で立ち往生しているわけにはいかない。
私はビザを取得していないから、今日中にこの国から出なければならないのだ。

とりあえず侍の衣装に着替えた。
兵士からは死角になる場所で。

腰に刀を差した侍の格好を見咎められたら、やはり兵士になにか言われるのだろうか。

「いきなり後ろから撃たないでくれよ」

そう願いながらティラスポリの駅前を後にした。



沿ドニエストル共和国について書かれたブログはいくつか読んだ。
そのどれもが、この国についてはあまり良いことは書いていない。

「まるで珍しい動物でも見るかのような目つきでジロジロ見られた」
「今までに味わったことのない、なんとも言えない嫌な雰囲気が町中を覆っていた」
「国境で賄賂を要求され、拒否したら長時間別室に拘束された」

ほとんどがネガティブな感想。
「ティラスポリの人たちサイコー! みんなと仲良くなっちゃいました」
などと書かれたブログは私の見る限りなかった。

それでも私は楽観視していた。
自分は他の旅人とは違う。
カウチサーフィンを通じて何百人もの外国人と交流してきたのだ。
ホテルと観光地の間を往復するだけで、現地の人と言葉を交わそうともせず、せっかく外国に来ても日本人同士でつるむ内向き日本人と一緒にしてもらっちゃあ困る。

そう思っていた。

だがこの沿ドニエストル。
確かになにかが違う。
街全体を重い空気が覆っている。

建物はたくさんあるのに、まったく人の住んでいる気配がしない。
ゴーストタウンか、ここは?

メインストリートを歩いても人通りはほとんどなし。
やけに静かだな、と思っていたら、それもそのはずで、道路を走る車もほとんどないのだ。

たまにすれ違う人々も、なんだかよそよそしい。
とても話しかけられる雰囲気ではない。
あきらかに異邦人である私の存在を拒んでいる。

こんなに閉鎖的な空気を醸し出している国は初めてだ。
ティラスポリの独特な空気に圧倒され、思いっきり萎縮してしまった。
なんかいやだ、この国。
はやく帰りたい。

すっかり弱気になってしまった私だが、もちろんこのまま帰るわけにはいかない。
でも、どこに行けばいいのかもわからない。
前から一人の女の子が歩いてきた。
若い子だからきっと英語も話せるだろう。
そうだ、あの娘に聞いてみよう。


勇気をだしてその女の子に声をかけてみた。

彼女は私のことを、まるで害のない低級な悪霊でも見るかのような目つきで一瞥しただけで、足も止めずに歩き去ってしまった。
一言も発しなかった。

こんな態度をとられたのは初めてだ。
すっかりティラスポリの人に対して人間不信になってしまった。
もう誰にも話しかけたくない。


グーグルマップはよくできた地図だが、観光案内としては利用価値は低い。
どちらへ行けば面白そうな場所に出るかはわからなかったが、とりあえずバスが通ってきた道を歩いて戻ってみることにした。


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とりあえず記念撮影してみるも、なんだか気分が浮かない。


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洗濯物が干してあるのだから、おそらく住居用の建物なのだろうが、まったく人の住んでいる気配がない。
おそろしく静かな首都だ。


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ティラスポリの街中では、この会社のロゴをあちこちで見かけた。
有名なコニャックの会社らしい。


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しばらく歩いているうちに、だんだんと人通りが多くなってきた。
おそらくこのあたりが街の中心部なのだろう。

そしてここで初めて声をかけられた。
彼らは少し英語もできるらしい。
ほっとする瞬間。
ティラスポリの人間みんながみんな外国人に対して冷たいわけではないのだということがわかって、ほんとに安堵した。

せっかく捕まえた現地人だから、彼らにはいろいろと聞きたいことが山ほどあったが、どこかへ向かう途中らしく、あまり長時間引き止めるのも気がひけた。
かろうじて郵便局の場所だけ聞き出し、彼らと別れた。


教えてもらった建物の前には、10代と思しき若者たちが何人かたむろしていた。
現地の人と話すことに成功したおかげで、私の士気はほんの少しだが上昇している。
彼らに話しかけてみた。

「英語はできるかい?」

若者たちはお互い顔を見合わせていたが、やがてそのうちの一人が胸を張って答える。

「ああ、できるよ。当然だろ」

それは心強い。
彼らならどこか面白そうな場所を知っているかもしれない。
ヒマを持て余しているみたいだから、ひょっとしたら俺と一緒に遊んでくれるかもしれない。

そう思って彼らとのコミュニケーションを試みたのだが、どうも話がかみあわない。
どうやら彼は仲間の手前、「俺は英語ができるんだぜ」と言いたかっただけで、実はほとんど英語を知らないようだ。

こいつはまいったな。
この沿ドニエストル共和国では英語を学校で教えていないのだろうか。

鎖国状態のこの国は、ほとんどの国から独立を承認されていない。
アメリカやEU諸国を敵視しているとも聞く。
そんな国では英語ではなく、ロシア語を学校で教えるのだろう。

とにかく彼らとはこれ以上仲良くなれそうにない。
また振り出しに戻ってしまった。


と、その時、一人の女性が声をかけてきてくれた。

「どうしたの?
 何か困ってる?
 私に手伝えることはあるかしら」


孤立無援状態に陥っていた私を救う女神。
彼女の登場により、私の沿ドニエストル共和国旅行は劇的な変化を遂げることになる。




テーマ : ヨーロッパ旅行記
ジャンル : 旅行

キシニョウでカウチサーフィン(モルドヴァ)

キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)




オデッサ(ウクライナ)での私のカウチ。
すぐ隣にはサンベルとリーザの寝室があります。
二人の愛の巣に闖入した私は、お邪魔じゃなかったのかしらん。




彼らの飼っているオウム。
サンベルの父親がアフリカから持ち帰ったものだそうです。

このオウムはなかなか賢く、我々と会話をすることができます。
しかも、ただ「オウム返し」するだけでなく、自分で状況を判断することができるようなのです。
このオウムと話していると、彼の知能の高さに背筋が寒くなる思いをすることがありました。




オデッサからモルドヴァのキシニョウへは電車が通っているようなので、当初は電車で行くつもりでした。
しかし、サンベルたちが言うには、バスの方がいろいろと便利なのだとか。
彼らは時刻表も調べてくれ、車でバスターミナルまで送ってくれました。
バスターミナルの位置はガイドブックには載っていません。
いいホストに巡り合えて本当によかった。




オデッサのバスターミナル。
サンベルたちはチケットを買ってくれ、乗り場まで一緒についてきてくれました。
至れり尽くせりです。

オデッサではずっと彼らが一緒にいてくれたので、私は一歩たりとも独りで歩くことはありませんでした。
おかげで3日間もいたにもかかわらず、オデッサの地理はいまだに把握できていません。
良いホストに恵まれると、バックパッカーとしての勘が鈍っちゃうなあ。




バスが出発するまでには時間があったので、サンベルたちと別れた後、隣接する市場をぶらつくことにしました。






この車でモルドヴァまで行きます。
「オデッサ」はかろうじて読めるけど、「キシニョウ」はどうしても読めません。
ほんとにこの車であってるのかと不安になります。


車の中で一人の女性に話しかけられました。

「あなた日本人なの?
 なんでわざわざこんな大変な時期にウクライナになんか来るわけ?」

ウクライナを旅行していると、いろんな人からこの質問を受けます。

でも、そんなに大変かなあ。
銃声が聞こえるわけではないし、空襲警報だって鳴りません。
普通に観光できます。
制限や不自由を感じたことはありません。


ウクライナ~モルドヴァ国境では、けっこう念入りに荷物検査をされました。
空港と違い、普通は陸路国境越えの場合はそれほど厳しくチェックされることはありません。
戦争の影響も少しはあるのかな。

私の荷物の中には、侍の刀があるので、けっこう冷や冷やしながらの国境通過となりました。




モルドヴァ領に入ってからしばらくして、食事休憩のために車は停まりました。
私はモルドヴァのお金はまだ持っていなかったので、ご飯はがまんです。


私たちの乗ったバスは、若い男女が運転手と助手でした。
ところが、この二人はどう見てもデキてるのです。
車内ではまるでドライブ・デートでもしているかのようにラブラブ状態。

もちろん休憩中も手をつないでレストランへと入っていきました。
きっと楽しくおしゃべりでもしているのでしょう。
なかなか出てきませんでした。

早く出発しようぜ。
俺は今日のうちに少しでもキシニョウを観光しておきたいんだ。




オデッサ~キシニョウ間には大きな都市はありません。
小さな村が点在するのみです。

東ヨーロッパを旅行していると、日本というのはほんとに人口密度の高い国なんだなあ、と思い知らされます。




これがモルドヴァの伝統的な家屋なのだろうか。
なんだか独特の形をしています。




バスターミナルに到着。
ガイドブックの地図を見る限り、バスターミナルはキシニョウの市街地のど真ん中にあるはずなのに、
ここはどう見ても郊外に位置しているようにしか見えません。

英語の通じそうな若い女性に聞いてみると、やはりここから市街地まではかなり距離があるとのこと。
「歩いて行けるか?」
と聞くと、彼女は私の荷物にちらっと目をやり、
「無理!」
と即座に答えました。

ガイドブックの地図にはこのバスターミナルは載っていないので、グーグルマップとGPSで現在位置を確認します。
たしかに街の中心部までは遠そうですが、歩いて行けない距離ではなさそうです。
さきほどの女性に
「1時間あればたどり着けるか?」
と聞くと、
「そんな長い距離歩いたことないからわかんない!」
と失笑されました。


バスターミナルには両替所があったので、モルドヴァのお金を入手することにします。
窓口に並ぶと、気配を察したのか、私の前にいた女性が振り返ります。
私の姿を認めるや否や、私の目をにらみつけます。
きっと私が彼女の荷物を盗もうとしているとでも思ったのでしょう、彼女は私の顔をにらみつけたまま、地面に置いていた荷物を大事そうに抱きかかえました。

気持ちはわかるけどさあ、なんか感じ悪ぅー。
人のことを泥棒あつかいするなよ。
俺、なにもしてないのに!


しばらく待った後、ようやく私の順番がやってきました。
窓口の方へ進もうとすると、後ろからサッと割り込んでくる女性がいます。

「おいっ! 俺が先だろ? ちゃんと順番を守れよ!」
と怒鳴ると、その女性は私の顔をにらみつけます。
なんで俺がにらまれなきゃならないんだよ。
悪いのはそっちの方なのに。


なんなんだ、モルドヴァ?
この国の人間はみんなこんな感じなのか?

その国の印象は出会った人にかなり左右されます。
モルドヴァでの最初の一歩はあまり芳しくないものとなりました。




けっきょくウクライナのお金を両替してはもらえませんでした。
ATMを探すのもめんどうなので、やはりバスは使わずに歩いてキシニョウ市内へ向かうことにします。

でもその前に腹ごしらえ。
リーザがくれた弁当をいただきます。
ミッキーマウスの焦げ目の付いたパン。
優しかったウクライナの人たちの顔が目に浮かびます。

それにひきかえ・・・




市内への行き方を教えてもらおうとしたのですが、二人に聞いたところ、それぞれ別の方向を教えられました。
最期に頼りになるのはやはり自分しかいないということか。
グーグルマップとにらめっこしてどの道へ進むか考えます。
遠回りだけど簡単な道を行くか、近道だけどややこしそうな道を選ぶか。

迷うのを覚悟で近道を行くことにしました。

交通量は多いのに信号はなく、横断歩道などという歩行者に優しいものはこの国には存在しないようです。
おまけに私は重い荷物を担いでいます。
車が途切れた瞬間を見計らって道を渡るなんて芸当はできないのです。

しかたがない。
ベトナム方式で行くか。

車が猛スピードでビュンビュンと行き交う中、ゆっくりと道路を横断します。
日本で同じことをやったらクラクション鳴らされまくりでしょう。

しかし、意外にもみんなおとなしく、私のためにスピードを落としてくれました。
モルドヴァ人もいいとこあるじゃん。






モルドヴァというのはとても貧しい国だというイメージがあったのですが、とてもそんなふうには見えません。
たくさんの車が走り、新しい建物もあちこちに見受けられます。
豊かなのはいいけど、物価が高かったらいやだなあ。




キシニョウにはなぜか、いたるところに両替商があります。
何軒かの店に入ってみたのですが、なかなかウクライナの通貨を交換してくれる所はありません。
隣の国の通貨だというのに。
ロシアと戦争状態にある国のお金なんて危なくって使ってられない、ということでしょうか。

店先に出ている通貨レート表にはウクライナは載っていませんでしたが、ダメもとである両替商に入ってみました。
今までに試してみた何軒かの店では、ウクライナのお金を見せた途端に首を横に振られたのですが、
この店ではどうやら交換してもらえるようです。

計算機に数字を打ち込み、受付の女性が私にそれを見せます。
かなり悪いレート。
ごっそりと持ち金が減ってしまいます。

しかし、ウクライナのお金なんて持っていても、この先使うあてはありません。
これまでに何軒も両替商をまわりましたが、すべて門前払いでした。
少額でもいいから、モルドヴァのお金に換えておくしか他に手はなさそうです。


私の旅のスタイルは、複数の国を駆け足で一気に回るというもの。
国によって通貨が異なるので、両替のロスを防ぐためにも、余らないように計算しておくのが鉄則です。
あるいは、なるべくクレジットカードで支払うようにするというのも一つの手段でしょう。

でも、私は小心者なので、常に懐に余裕がないと不安なのです。
なのでついつい大目にお金を引き出してしまいがち。

それに、クレジットカードはあまり使いたくありません。
せっかく遠い国まではるばるやってきたのだから、その国のお金をこの手で使ってみたい。


西ヨーロッパでは多くの国がユーロを導入しています。
しかし、ここ東ヨーロッパではほとんどの国がそれぞれ独自の通貨を使用しています。
国境を超えるたびに両替を繰り返していると、そのコストもバカになりません。

それでも、それでも私は現地のお金を触ってみたいんだよ。

東欧の国の中にも、ユーロの導入を検討しているところがあります。
近い将来、ほとんどの国が統一の通貨を利用するようになるかもしれません。
さらにはクレジットカードや電子マネーの普及により、お金そのものがなくなる日もそう遠い未来の話ではないでしょう。

だからせめて今だけは、人の手垢にまみれてしわくちゃになったお札を使っていたいんだよ。




ようやく手に入れたモルドヴァの紙幣。
シュテファン・チェル・マレの肖像が印刷されています。
東ヨーロッパを旅行していると、うんざりするくらいこの名を聞くことになります。




キシニョウのメインストリート、シュテファン・チェル・マレ通り。
ここまで来ればもう迷う心配はありません。

ちょうどタイミングよく、ここでのホスト、アントンからメールが届きました。

「マサト、今どこにいるんだ?」

胸を張って答えられます。

「シュテファン・チェル・マレ通り!」

「Great ! 」

アントンは詳しい待ち合わせ場所をメールで送ってくれました。
彼はすでに仕事を終えているようです。
あまり待たせるわけにはいきません。
背中のリュックが重いけど、少し歩を早めることにしよう。




一国の首都の、メインストリートとは思えない惨状。
モルドヴァの人は細かいことは気にしない主義なのかな。






東欧はどこもそうなのですが、ここモルドヴァでもアジア人をまったく見かけません。
ここまでくると気持ちいいです。

東洋人は珍しいはずなのに、誰も私の存在など気にもとめない様子。
モルドヴァ人は目が悪いのか、好奇心が希薄なのか。
アジア人だからといって差別されることはないのですが、まったく無視されるのもさびしいなあ。




こんなところにも合気道の道場が!




キシニョウのランドマーク、「勝利の門」にたどり着くことができました。
アントンが指定した場所はこの近くのはず。
でも、私の地図には載っていません。
どうせならこの「勝利の門」を待ち合わせ場所にしてくれりゃいいのに。

なかなか待ち合わせ場所を見つけることができず、ウロウロしていると、アントンから再びメールが。

「今どこにいるんだ?」
「勝利の門 ! 」

アントンは近くにいたようで、歩いてやってきてくれました。

いや、だから最初からここを待ち合わせ場所にしとけば・・・



アントンの車に乗り込み、彼の家へと向かいます。
どうやらここからかなり離れた場所のようです。

明日はアントンは仕事があるので、私は自分一人でキシニョウ観光をしなければなりません。
でも、彼の家がキシニョウ市内からこんなに遠いんじゃあ不便だなあ。

しかし、アントンの話を聞いて、私がいかに甘えたことを言っているのか思い知らされました。

彼は以前、日本人の女の子をホストしたことがあるそうです。
今回私は彼の車で家まで連れていってもらっていますが、その女の子は住所だけ渡されて、自力で彼の家までたどり着いたのだとか。
アントンの家はキシニョウ市内からは遠く、「地球の歩き方」の地図には載っていません。
バスの乗り方も書いてありません。
それなのに独力でアントンの家を探し当てるとは。
日本の女子バックパッカーはたくましいのだな。


彼の家で荷物を降ろし、さっそく夕食です。

「なにが食べたい?」
とアントン。

もちろんモルドヴァ料理!

でも、私の持っている「地球の歩き方」にはキシニョウ市内のレストランは1軒しか載っていません。
アントンにそれを見せると、

「もっといい所があるよ」

ということなので、連れていってもらいました。
彼の家から歩いていける距離です。




このお店はモルドヴァのファミレスのようなもので、あちこちに姉妹店があります。
値段もリーズナブル。

アントンがこんな話をしてくれました。

あるテレビ番組で、二組のレポーターがモルドヴァを旅行することになりました。
一人は潤沢な資金を持たされ、もう一人は少額のお金しか持っていない、という設定です。

お金をたくさん持っている方の人は「地球の歩き方」にも載っている高級レストランへと行き、
貧乏な方の人はこのお店で食事をすることになりました。

どちらの店も、同じモルドヴァの伝統料理をだします。
もちろん、値段には雲泥の差がありますが。

ところが、でてきた料理を見た視聴者はびっくりしました。

「どっちの店で食べても一緒じゃん!」


もちろん、見た目ではわからない素材の違いや、調理の手間暇の差はあるのでしょう。

「それでも俺はこっちの店の方をすすめるよ」

地元の人がそう言うのですから、私にも異存はありません。


あっ、でもモルドヴァの物価は安いので、普通の日本人旅行者の感覚からすれば、高級な方のレストランを選んだとしても、
「こんなに食べてもこの値段なの? 安い!」
と思えることでしょう。





モルドヴァの料理なんてなんにも知らなかった私は、すべてアントンにおまかせすることにしました。

「典型的なモルドヴァ料理を食べさせてくれ!」

という私の注文に、彼は困っています。
メニューに載っているのはどれもモルドヴァ料理なので、その中からどれか一つ選べ、と言われてもすぐには決められないのでしょう。




お店の内装も、伝統的なモルドヴァの家屋をイメージしているようです。








モルドヴァの料理というのはあまり特徴がなく、それほど印象に残りませんでした。

しかし、しかしワインは違います。
私はワインのことなんかまったくわかりませんが、そんな私でもモルドヴァ・ワインにはうならされました。
むちゃくちゃおいしいです、このワイン。
私が今までに飲んだどんなワインとも比べものになりません。

ファミレスのチェーン店で飲める一番安いワインですらこんなにおいしいのです。
高級店で飲む本物のモルドヴァ・ワインなんて飲んだ日にゃあ、いったいどうなってしまうんでしょうね。
いつの日か試してみたいものです。




左がホストのアントン。
おっとりとした性格で、彼と一緒にいると心が安らぎます。




食事の後、スーパーに立ち寄りました。
モルドヴァは物価が安いので、ここで必要なものをそろえておこうと思ったのですが、品ぞろえはあまりよくありません。
日本ってやっぱり豊かな国だったんだなあ。


幹線道路から一歩外れると街灯はなく、あたりは真っ暗。
道路工事で掘削しているのに、フェンスで覆ったりもしません。
うっかりしてると転落してしまいます。

いたるところでインフラの不十分さが目につきます。
やはりこの国はそれほど豊かではないのかな。


アントンはとても親切で、キシニョウの見どころを丁寧に教えてくれました。
ガイドブックにはほとんど記載がないモルドヴァですが、実はいろいろと楽しそうな場所はあります。

しかし、アントンには悪いのですが、私は彼が教えてくれた場所をほとんど訪れることはできないでしょう。
もともとモルドヴァで観光をしようというつもりはありませんでした。

私には、

「すべての国でカウチサーフィンを利用する」

というミッションがあるためにモルドヴァにやってきただけです。
なのでこの国には2泊するだけです。
そのうち観光に費やせるのは実質1日のみ。

しかもその一日は、キシニョウではない別のところにあてるつもりです。


ガイドブックにはモルドヴァの情報はほとんど載っていないので、インターネットで情報を集めていました。
そこで偶然、「沿ドニエストル共和国」なるものを発見してしまったのです。

これはウクライナとモルドヴァの間にある地域で、彼らは独立国を宣言しているのですが、ほとんどの国はそれを認めていません。
沿ドニエストル共和国を独立国家として認めているのはロシアくらいのものです。

しかし、過去にかなり激しい紛争があったため、モルドヴァの施政権が及んでいないのも事実なのです。
彼らは独自の政府と軍隊を持っているため、モルドヴァの警察は立ち入れません。

ということは、国際的にはそこは無法地帯?

そんな状況なので、日本の外務省も邦人にはここに行ってもらいたくなさそうです。

独立を宣言しているのに、誰からも認めてもらえない。
それなのに誰も手出しできない。

こんなおもしろうそうな国、見過ごすわけにはいかないじゃないか!

というわけで、明日 行ってきます。


テーマ : ヨーロッパ旅行記
ジャンル : 旅行

ポチョムキンの階段(オデッサ、ウクライナ)

オデッサ(ウクライナ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)




今朝もリーザが朝食を用意してくれました。
サワークリーム? チーズ?
よくわからないけど、めちゃくちゃ美味しかったです。




オデッサの街を歩いていると、こんな車を見かけました。
持ち主はやはり日本好きなのだろうか。




港の近くには、「愛の橋」というのがあります。
地球の歩き方にも載っているくらいなので、かなりメジャーなスポットなのでしょう。

ここは恋人たちが永遠の愛を誓って、橋に南京錠をかけていく場所なのですが、
現在は橋ではなく、このオブジェに南京錠をかけるように指導されているようです。

というのも、あまりにたくさんのカップルが鍵をかけていくため、その重さを無視できなくなってしまったのです。
このままでは南京錠の重みに耐えきれず、橋が落下する恐れも・・・

サンベルたちからその話を聞いたとき、
「んなアホな。 それくらいで橋が落ちるもんか」
と思ったのですが、この話にはまだ続きがあります。

卒業式などのイベントのある時には、酒に酔った学生たちがこの橋に大挙して押し寄せて、みんなで一斉に橋を揺らすのがオデッサの隠れた習わしなのだとか。

この「愛の橋」、言っちゃあなんですが、かなりちゃちな造りです。
普通に歩行者が何人か歩いているだけでかなり揺れます。

それを酔った学生たちが大勢でゆすったりしたら、いつの日か本当に落ちるかもしれません。
これで私はウクライナのニュースから目が離せなくなってしまいました。




港には数隻の軍艦が見えます。
これらの艦船はもともとはクリミア半島にある軍港を母港としていました。

しかし、かの地は現在ロシアに取られてしまったので、やむなくオデッサに避難しているのだそうです。
その混乱の中、何隻かは寝返ってロシア側についたのだとか。
大丈夫か、ウクライナ?




ついにやってきました、オデッサ港。
これこれ。
この写真を撮りたかったんだよ。

それにしても、どうして俺はこの場所にこんなにも惹かれるのだろう。
ガンダムのオデッサ作戦のせい?




侍のかっこうをしていると、いろんな人から記念撮影をせがまれます。






私の写真にちょっかいをだしてくれるリーザ。
彼女のそういうとこ、好きです。






それにしても絵になるカップルだ。
見せつけてくれるぜ。




このオデッサを訪れるにあたって、私は映画「戦艦ポチョムキン」を見てきました。
映画の中のワンシーン、暴動を鎮圧する冷酷な兵士になりきって階段を下りる私。

ガイドブックによると「戦艦ポチョムキン」はソヴィエト映画史上ナンバーワンなのだそうだ。
え? あれで?
ということは他のソヴィエト映画はあれよりもっとつまらないということなのだろうか。




ウクライナ中どこへ行ってもこの青と黄色を目にする。
これほど自国の国旗を愛する民族も珍しい。
それとも、日本人の日の丸に対する感情が複雑なだけなのだろうか。




オペラ・バレエ劇場。

キエフ市民はキエフの劇場がウクライナ一だと言い、
リヴィウ市民はリヴィウのものが一番だと言う。
そしてもちろん、オデッサ市民はオデッサのバレエ劇場が一番だと言って譲らない。
まあ気持ちはわからんではないが。




オデッサはプーシキンとゆかりがあるようだ。
といっても、私はプーシキンのことなんて何も知らない。




プーシキンと一緒に記念撮影。
あまり気乗りしなかったのだが、サンベルたちが撮れ、撮れ!とうるさいのでしかたなかったのだ。


この後、サンベルとリーザは、以前彼らが暮らしていたというアパートにも案内してくれた。
なんの変哲もない住宅街で、観光スポットからは離れている。
もちろんガイドブックには載っていない。

本来なら退屈きわまりないはずなのだが、なつかしそうに眼を細めて歩くふたりを見ていると、なんだかこっちまでほんわりと暖かくなってくる。
こういう時間も悪くない。



今日はウクライナの独立記念日。
港では記念式典が行われるらしい。

海軍艦艇が勢ぞろいし、空軍のアクロバットチームが華麗なデモンストレーションを披露する。
さらにはパラシュート部隊が巨大なウクライナ国旗を掲げながらダイブしてくるのだという。
そんな特別な日にオデッサを訪れることができた俺はツイてる。

いったん家に戻り、サンベルの妹たちと落ち合う。
彼女たちも記念式典に一緒に行くのだが、軍事パレードに興味があるわけではない。

なんと、彼女たちは私に会いに来たのだという。

聞けば、サンベルの妹とその友達はコスプレイヤーなのだそうだ。
日本のアニメに夢中な二人。
そんな彼女たちは私がただ日本人というだけの理由で、うっとりとした目で私を見つめてくる。
日本人に生まれてきてよかった!


サンベルの車に乗り込み、記念式典会場へと向かう。
日本大好きウクライナ少女たちに両脇をはさまれ、ゴキゲンな私。
彼女たちは「もっと日本の話を聞かせて」とせがんでくる。
日本にいるとなかなか気づかないが、日本ってけっこういい国なのかもしれない。


上機嫌な私だったが、港に着いた途端、雲行きが怪しくなってきた。
さっきまで快晴だったのに・・・・
もしも雨が降ってきたら、パレードはどうなるのだろう?

と言っているはたから雨が降り出した。
それも土砂降りの大雨。

「どうしてこのタイミングで降り始めるわけ?
 この1か月、雨なんて一滴も降らなかったのに!」
サンベルが叫ぶようにつぶやく。

夏のオデッサに雨が降ることなどめったにないらしい。
自分の運の悪さを呪った。

この天候じゃ空軍の戦闘機によるアクロバット飛行は絶望的だ。
パラシュート部隊の降下もないだろう。
海軍パレードだってあやしいもんだ。




傘をさして海を眺めていると、一艘の船が横切っていくのが見えた。

「パレードができるかどうか、波の状態を確かめに来たのよ」
と誰かが言う。

ウクライナ海軍の船らしいが、とても小さい。
荒波に小さな船体が翻弄されている。




タタタタッ、タタッ。

なんの前触れもなく、機関銃の音が響いてきた。
どうやら模擬戦闘が始まったらしい。




照明弾を落としたりしているが、解説がないので、いったいなにをやっているのかいまいち理解できない。
それに、どの船も小さい。
海軍のパレードだというから、もっとごっつい戦艦を期待していたのだが、どうも沿岸警備隊っぽい。
がっかりだ。




ようやく戦艦が現れた。
ヘリコプターが戦艦に着艦すると、あちこちから歓声が沸き起こる。

ここからは目と鼻の先のクリミア半島には、ロシア軍が駐留している。
オデッサ市民と私とでは、軍事パレードに対する感慨はまったく異なるのだろう。




銃声が止み、どうやらパレードは終わったようだ。
悪天候だから仕方ないのかもしれないが、いまいち盛り上がりに欠ける。


近くの喫茶店に入り、何か飲もうということになった。
みんな暖かいドリンクを注文する。
だが、ココア一杯くらいでは、冷え切った体を温めることなんてできやしない。

今は8月。
ここは東ヨーロッパ有数のビーチリゾート。
それなのに、なぜ俺たちは寒さに震えているのだろう。




サンベルの妹とその友達。
今度会うときは、初音ミクのコスプレで来てね。




サンベルの車で家へと向かう。
雨は上がり、晴れ間も見えてきた。
雨が降っていたのは記念式典の間だけだ。
なにかの嫌がらせか?




雨があがったので、かねてからの予定通り、サイクリングに行くことにした。
アルカーディアまではけっこう距離があるが、海沿いのサイクリングロードがあるそうだ。




レストラン「KYOTO」




サイクリングロードをひた走る。
リーザの自転車のカゴにはラジカセが入っていて、音楽を聴きながら走ることができる。
なんだか楽しい。
ウキウキしてきた。




天気は快晴とはいかなかったが、それでも海沿いのサイクリングロードを走るのは気持ちよかった。
しかもただの海ではない。
ここはオデッサ、黒海沿岸のビーチリゾートなのだ。






アルカーディアに到着。
予想以上に都会だった。
オデッサ市内よりもはるかに人口密度が高そうだ。






ホテルにリゾートマンション。
バーやレストラン。
ビーチというよりは、一大歓楽街のようだ。

建築中の高層ビルが何棟も見える。
この街はこれからさらに混雑することになるのだろう。




オデッサからアルカーディアまで自転車で行くという発想はなかった。
ガイドブックにもサイクリングロードのことは載っていない。
いい経験をさせてもらった。

ありがとう、サンベル、リーザ。




今日はウクライナの独立記念日。
オデッサ港では花火大会が開かれるらしい。
ポチョムキンの階段から見る打ち上げ花火。
これは一生の思い出になるだろう。

花火を見ようと、広場には大勢の人が集まっていた。
だが、予定時刻になっても花火は上がらない。
昼間の雨で火薬がしけってしまったか?




花火はあきらめて、食事にすることにした。
彼らが連れてきてくれたのは、その名も「オデッサ・カフェ」。
そしてもちろんオデッサのビールを注文する。




それにしても寒い。
できればオープン・カフェじゃなくて、店舗の中に入りたかったな。

凍えながらビールを飲む私を見かねて、リーザが毛布を持ってきてくれた。
真夏の夜のオープンテラスで、肩に毛布を掛けながらビールを飲む。
なにかが間違ってる気がする。




サンベルとリーザ。
今日も一日、付き合ってくれてありがとね。
君たちは最高のカップルだ。


テーマ : カウチサーフィン(Couch Surfing)
ジャンル : 旅行

カウチサーフィン(CouchSurfing)とは?

CouchSurfingKyoto

Author:CouchSurfingKyoto
.カウチサーフィン(CouchSurfing)とは。

日本に観光に来た外国人の宿として無償で自宅を提供し、国際交流を深めるというカウチサーフィン。

また、自分が海外に旅行に行く時には、現地の一般家庭に泊めてもらい、その土地に住む人々の生の暮らしを体験することだってできてしまいます。

ここは、そんなカウチサーフィンの日常をありのままにつづったブログです。

「カウチサーフィンは危険じゃないの?」
そんな危惧も理解できます。
たしかに事件やトラブルも起こっています。

なにかと日本人にはなじみにくいカウチサーフィン。

・登録の仕方がわからない
・詳しい使い方を知りたい
・評判が気になる

そんな人は、ぜひこのブログをチェックしてみてください。
きっと役に立つと思います。

最後に。

「カウチサーフィンを利用すれば、ホテル代が浮く」

私はこの考え方を否定しているわけではありません。
私もそのつもりでカウチサーフィンを始めましたから。

しかし、カウチサーフィンは単なる無料のホテルではありません。
現在、約8割のメンバーはカウチの提供をしていません。サーフのみです。

だって、泊める側にはメリットなんてなさそうですものね。

「自分の部屋で他人と一緒に寝るなんて考えられない」
「お世話したりするのってめんどくさそう」

時々私はこんな質問を受けることがあります。

「なぜホストは見知らぬ人を家に招き入れるのか?」

それはね、もちろん楽しいからですよ。

自己紹介
プロフィール


こんにちは。
京都でカウチサーフィン(CouchSurfing)のホストをしている、マサトという者です。
ときどきふらりと旅にも出ます。
もちろん、カウチサーフィンで!


(海外)
2011年、ユーレイル・グローバルパスが利用可能なヨーロッパ22カ国を全て旅しました。
それに加えて、イギリスと台湾も訪問。
もちろん、これら24カ国全ての国でカウチサーフィン(CouchSurfing)を利用。

2012年、東南アジア8カ国とオーストラリアを周遊。
ミャンマーを除く、8カ国でカウチサーフィンを利用しました。

2013年、香港、中国、マカオをカウチサーフィンを利用して旅行。 風水や太極拳、カンフーを堪能してきました。

2014年、侍の衣装を着て東ヨーロッパ20か国を旅行してきました。


(日本国内)
これまでに京都で329人(53カ国)のカウチサーファーをホストしてきました(2013年6月25日現在)。

もちろん、これからもどんどんカウチサーフィンを通じていろいろな国の人と会うつもりです。



カウチサーファーとしてのカウチサーフィン(CouchSurfing)の経験:


オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、チェコ共和国、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、ルーマニア、スロヴェニア、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、台湾

シンガポール、インドネシア、オーストラリア、マレーシア、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナム

香港、中国、マカオ

スロヴァキア、ポーランド、リトアニア、ラトヴィア、エストニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ、沿ドニエストル共和国、ルーマニア、セルビア、マケドニア、アルバニア、コソヴォ、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、リヒテンシュタイン


ホストとしてのカウチサーフィン(CouchSurfing)の経験:


アイルランド、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、イスラエル、イタリア、イラン、インド、インドネシア、ウクライナ、エストニア、オーストラリア、オーストリア、オランダ、カナダ、韓国、クロアチア、コロンビア、シンガポール、スイス、スウェーデン、スコットランド、スペイン、スロヴァキア、スロヴェニア、タイ、台湾、チェコ共和国、中国、チュニジア、チリ、デンマーク、ドイツ、トルコ、日本、ニューカレドニア、ニュージーランド、ノルウェー、ハンガリー、フィンランド、ブラジル、フランス、ベトナム、ベルギー、ポーランド、ポルトガル、香港、マダガスカル、マレーシア、メキシコ、モルドバ、リトアニア、ルーマニア、ロシア



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