沿ドニエストル共和国(ティラスポリ)旅行記

(沿ドニエストル共和国、ティラスポリの郵便局)
独立を宣言しているものの、ほとんどの国がその存在を認めていない未承認国家「沿ドニエストル共和国」。
国際社会の目が行き届かないことをいいことに、武器や違法ドラッグの流通拠点となっているという、なんともアングラな臭いのするトランスニストリア。
そんな異質な国の中で孤独感に打ちひしがれていた私を、一人の女性が救ってくれた。
孤立無援だった私に優しく手を差し伸べてくれた彼女はまさに女神そのもの。
彼女の体からほとばしる、幾筋もの神々しい光が見えた(ような気がした)。
彼女の名はイリャーナ。
彼女はずっとつきっきりで私の手助けをしてくれた。
初対面で素性の知れない、しかも侍の格好をしたへんてこな東洋人に、損得勘定抜きで親切にしてくれた。
荒んだ印象のある沿ドニエストル共和国にだって、こういう心優しい人はいるのだ。
まずは絵葉書を買うのを手伝ってもらった。
「観光」という概念が希薄なこの国では、絵葉書を買うことすら一仕事なのだ。
私がいくら探しても見つからなかった絵葉書だが、イリャーナが売店の女性に一言言うだけで、店の奥から持ってきてくれた。
単体では売ってくれず、20枚くらいのセットで買わなければならないらしい。
その絵葉書はかなりの年代物のようで、角がすり減っている。
図柄はミグ戦闘機や戦車、レーニン像など、およそ一般的な観光地とは趣を異にするシロモノだが、かえってこういう物の方がドニエストルらしくていい。
私が絵葉書を書いている間も、イリャーナは辛抱強く待っていてくれた。
彼女のおかげで、郵便局で切手を買う手続きもスムーズに運んだ。
やはり現地の人が一緒にいてくれると、なにをするにしても便利だ。

郵便ポスト。
ゴミ箱かと思った。

「ロシアのおじちゃん、ありがとう!」
世界中のほとんどの国から独立を認められていない沿ドニエストル共和国ですが、ロシアは違います。
軍事顧問団を派遣して、この国を強力にサポートしています。
なのでこの国ではロシア人はモテモテ。

「私たちは負けない! 最後まで戦う!」
砲弾を愛おしそうに抱きしめる女性兵士。
第二次世界大戦を彷彿とさせる古めかしい軍服。
なんともシュールなポスターだ。
沿ドニエストル共和国内にはこのようなプロパガンダをあちこちで見かけます。
他の国とは一味ちがいます。
なんておもしろそうな国なんだ。
やっぱり来てよかった。

イリャーナは私をこんな狭い路地に連れてきてくれました。
いや、気持ちはありがたいんですけど、できたらもっと有名な観光地のほうがいいな。

「ここは有名なホテルだから写真を撮れ、撮れ!」
とイリャーナは言うのですが、私としてはあまりおもしろくありません。
この国には他に面白い場所はないのか?

せっかくですから、沿ドニエストル共和国の国旗と一緒に記念撮影。

オペラ劇場

イリャーナと一緒に歩くようになって、いろんな人から声をかけられるようになりました。
私一人で歩いていた時とはえらい違いです。
彼女が言うには、みんな私の持っている刀を本気で怖がっているのだとか。
本物の日本刀を持って歩けるわけがないだろう、と思うのですが、武器であふれているこの国では、日本刀を腰に差して歩いている人間がいても不思議ではないのかもしれません。

この女性がイリャーナ。
孤独の淵に沈んでいた私を救ってくれた恩人です。
彼女はこれから行く場所があるということで、忙しそうな様子。
なので、最初は郵便局についてきてくれるだけだったはずなのですが、なぜかその後もずっと私と一緒にいてくれました。
異国の地でこんなふうに親切にされると、思わずほろりとしてしまいます。
やばい。
惚れてしまいそうだ。


人類初の有人宇宙飛行士、ガガーリンの像。
イリャーナによると、彼はこのティラスポリ出身らしいのですが、ウィキペディアの記述とは食い違っています。

沿ドニエストル共和国の国会議事堂?
こんな重要な場所、写真に撮ってもいいのだろうか。
ティラスポリの駅前で兵士に写真撮影を制止された記憶がよみがえります。
当然、この建物の周辺にも兵士の姿があちこちに見えます。
私がためらっていると、イリャーナは
「平気、平気。写真を撮っても大丈夫よ。
なんなら私も一緒に撮ってあげようか?」

ほんとに国会議事堂の前で写真を撮ってしまった。
遠くには警備の兵士が歩いているのが見えます。
台湾の総統府前でも写真撮影は禁止されてるのに、この沿ドニエストル共和国で許されるとはとうてい思えないんだけどなあ。
まだ私は半信半疑です。

おそるおそる国会議事堂に近づいてみると、建物の正面にレーニン像がありました。
せっかくだからこのレーニン像と一緒に写真を撮りたい。
でも、警備の兵士の目が気になる。

レーニン像の周りをウロウロしていると、ティラスポリ市民に写真撮影を申し込まれました。

左側にいるのは、順番を待っている人たちです。
なんと、私と写真撮影するために行列ができているではありませんか。
いつから俺は有名人になったんだ?!

いつの間にかイリャーナは私のマネージャーのような存在になっていて、記念撮影希望者を仕切っています。
「はいはい、サムライと一緒に写真を撮りたい人はこちらに並んでねー」
それだけではなく、なぜか彼女も一緒に写真に写っています。
カメラに向かって笑顔を振りまいています。
あれ? あれ?


すっかりモデル気分で機嫌がよくなったイリャーナ。
もしかしたら今日一日、彼女は私のガイド役を引き受けてくれるかも?

その後もティラスポリを歩いていると、大勢の人に声をかけられました。
最初はとっつきにくそうに思えた沿ドニエストル共和国民も、ふたを開けてみればなかなか人懐っこい。
よく見たらこの男性のシャツには漢字のようなものがプリントされています。
東洋の文化に興味があるのでしょうか。

一人の男性に呼び止められて、なにやら話し込むイリャーナ。
知り合いなのでしょうか。
男性からもらった名刺をよく見ると、そこには
「 School of Kung-Fu 」
の文字が。
どうやら彼はカンフーの道場を開いているらしく、私にそこへ来いと言っているようです。
「1時間でいいから、俺と手合せをしてくれ」
カンフーには前から興味があったので、一度本物を見てみたかったのですが、この男はかなり強そう。
しかも私のことを日本の武道の達人と勘違いしているようなので、手加減なしで戦わされそうな予感がする。
それに、日が暮れるまでにはモルドヴァに帰りたいので、ティラスポリでの残り時間はあとわずかしかない。
というわけで、彼の申し出は丁重にお断りしました。

「私はここで用事を済ませてくるから、ここでしばらく待っていて」
イリャーナはそう言い残して建物の中へと入っていきました。
残されたのは私とカンフーの達人のみ。
まだいたのか?
いったいどこまでついてくるつもりなんだ。
彼は英語がまったくできないのですが、しきりと私に話しかけてきます。
でも、なんて言っているのかはわかりません。
話しかけてくるだけでは物足りず、そのうち彼は私に向かって拳を突き出してくるようになりました。
もちろん本気ではないのですが、よけなければ顔に当たります。
わっ! わっ!
カンフー映画は何度か見たことがありますが、本物のカンフーの使い手と戦うのはこれが初めての経験です。
私は空手の心得があるのですが、カンフーの攻撃に対してどう対処していいのかわかりません。
彼の繰り出してくる攻撃をさばくのが精いっぱいで、防戦一方でした。
ところが、私のよけかたが男には意外だったようで、彼はおもしろがってなおも拳を繰り出してきます。
しかも、だんだんとそのスピードが速くなってきているではありませんか。
その男は拳を突き出すたびに、
「これはどうよける?」
というふうに目で私に語りかけてきます。
なかなか研究熱心な男のようです。
もしかしたら彼も空手家と対戦するのは初めてだったのでしょうか。
私の流派は他の空手とは少し異なるので、余計に興味がわいたのかもしれません。
しかし、実験台にされているこちらはたまったもんじゃありません。
よけなければ確実に彼の拳は私の顔面にヒットするのです。
しかもこの男、強いっ!
明らかに相手の方が格上です。
私の空手は大したことありませんが、相手がどの程度の実力の持ち主かくらいは私にだって判断できます。
今はまだ手加減してくれていますが、だんだんと彼の攻撃は激しさを増してきています。
もうこれ以上は持ちこたえられそうにもありません。
どうしよう。
このまま走って逃げてしまおうか。
いや、でも、この男の方が足も速そうだ。
まいったな。
「もうそろそろ限界」
というところで、タイミングよくイリャーナが建物から出てきてくれました。
これで戦いを止めるきっかけができました。
彼はまだ物足りなさそうで、イリャーナになにか言っています。
「彼がどうしても道場に来てくれって言ってるけど、どうする、マサト?」
もうけっこうです!
これ以上やったらほんとに殺されちゃうよ。
しかし、なかなかおもしろい体験をさせてもらえました。
まるで自分がジェット・リーやドニー・イェンと戦っているような気分になれたのです。
まさか沿ドニエストル共和国でカンフーの達人と手合せをすることになろうとは、夢にも思いませんでした。
なにがおこるかわからない。
だから旅はおもしろい。

(軍事歴史博物館?)
カンフーの使い手から命からがら逃げだし、イリャーナはなにかの博物館に私を連れていってくれました。
老婦人が一人で番をしているその博物館は、こじんまりとしていて、私たちの他に閲覧者はいません。
イリャーナは入場料を払ってくれました。
どうしてそんなに親切にしてくれるのだろう?
彼女はティラスポリ出身なのですが、この国の将来に不安を感じた彼女の両親は、イリャーナをアメリカの高校へと留学させたそうです。
当時彼女は英語がほとんど話せませんでしたし、アメリカに知り合いがいたわけでもありません。
いきなり異国の地に放り出されて、イリャーナはかなり苦労したようです。
自分がそんな大変な経験をしてきたからこそ、他の人が困ってるのを見過ごすことができないのかもしれません。
いずれにせよ、彼女と奇跡的に出会うことができた私はツイてます。
彼女がいなければ、他の旅行者と同じように沿ドニエストル共和国に対してネガティブな感想を持ったまま出国していたことでしょう。

博物館自体はまったく面白くありませんでしたが、そんなことはどうだっていいんです。
イリャーナがいなければ、私はこの国を一人で旅行していたはずです。
きっと味気ない旅となっていたことでしょう。
でも今は違う。
イリャーナのおかげで、沿ドニエストル共和国は私にとってディズニーランドなど足元にも及ばないくらいに刺激的で面白い場所となった。
この国をここまで楽しんだ観光客はそうはいないだろう。
その土地で出会う人によって旅の面白さはまったく変わってくる。
私はほんとうにラッキーだ。

ロシア風の帽子を被せられたサムライ。
隣にはわけのわからない彫像。
バックにはシリアスでコミカルなポスター。
私はいったいここでなにをやっているのだろう。

博物館を出てしばらく歩くと、一人の女性に出会いました。
イリャーナの知り合いで、彼女の家の近所に住んでいるそうです。
なにかと色眼鏡で見られがちな未承認国家・沿ドニエストル共和国。
でも、そこに住んでいる人はごく普通のどこにでもいるおばちゃん。
そんな当たり前のことですら、イリャーナがいなければ気づかなかったかもしれません。
彼女と一緒でなければ、よそ者の私と笑顔で一緒に写真など撮ってくれなかったことでしょう。


沿ドニエストル人とロシア人のカップル

公園で昼間からビールを飲んでいた青年たち。
なんだかトランスニストリアらしくていいぞ。

サムライ姿の私を見て大興奮の若者たち。
他のブログで言われているのとはまったく異なり、沿ドニエストル共和国に住む人たちはとてもフレンドリーで好奇心旺盛でした。
彼らのおかれている状況を鑑みれば、これは驚くべきことです。
この国が将来どうなってしまうのか、誰にも予測はつきません。
そんな不安定な状況下でも、彼らはとても明るく過ごしています。
彼らの笑顔はとても印象的でした。


一人の男と話し込むイリャーナ。
知り合いなのだろうか?

私の買った絵葉書の中に、「空飛ぶ戦車」があったので、イリャーナにそこへ連れていってくれるようにお願いしました。
すると、この男も一緒についてきたのです。
彼はプロのカメラマンで、侍の衣装を着た私はまたとないいい被写体だから、ぜひ同行させてくれと言っているようです。
プロのカメラマンに撮ってもらうのも悪くはないか。


イリャーナとはまだ出会ってから数時間しか一緒に過ごしていませんが、なんだかもうずっと昔からの知り合いのような気がします。
ずっとこのまま彼女と一緒にいれたら、どんなに幸せだろう。
だが俺は、もうあと数時間でこの国から出なくてはならない。
この国は特殊な場所なのだから。

しかしこの時すでに俺の腹は固まっていた。
彼女のために、この国に骨を埋めることなど厭わない。
空飛ぶ戦車と教会に、永遠の愛と沿ドニエストル共和国への忠誠を誓う。
さらば日本国籍。
今日かぎり、俺は日本人であることを捨てる。

「楽しかったわ、マサト。
また連絡ちょうだいね。
私はもう行かなくちゃならないの。
あとは彼があなたのことを面倒見てくれるから。
じゃあね!」
イリャーナはそれだけ言い残して、さっさと行ってしまった。
あまりにも突然の別れに、私はなすすべもなかった。
後に残されたのは英語のまったく話せないむさくるしいカメラマンの男のみ。
思わず苦笑いがこぼれた。
ま、俺の人生なんてこんなものか。


マントをはためかせるレーニン像。
遠くを見つめる彼の瞳には、いったいどんな風景が写っているのだろう。

墓地。
おそらくここには国家の英雄が祀られているのだろう。

空飛ぶ戦車よ。
お前はどこへでも飛んで行け。
沿ドニエストル共和国、なかなかおもしろい国だったが、
俺が再びこの地を踏むことはないだろう。
カメラマンは私と並んで歩き、ずっとシャッターを押している。
彼はポーズをとった写真が嫌いで、被写体の自然な表情を撮りたいのだそうだ。
そういえば彼はプロのカメラマンだと言った。
ということは、私の写真も仕事で使うのだろうか。
自分の写真がいったいどんなシチュエーションで使われることになるのかはわからないが、
世界中のほとんどの人がその存在すら知らない国の片すみで、侍の衣装を着た自分の写真が流通するというのもなんだか変な気分だ。

またコニャックの店に出くわした。
この国の人間はそんなにこの酒が好きなのだろうか。
カメラマンが私に向かって、「酒は好きか?」と聞いてきた。
もちろんだとも。
沿ドニエストル共和国の名物だというコニャック。
せっかくこの地に来たからには試しておきたい。
カメラマンは私に向かって、「ちょっと待ってろ」と言い残し、店の中へと入っていった。
だが私はこの国のお金をほとんど持っていない。
他の国では文字通り紙屑となってしまう沿ドニエストル共和国の通貨を、これ以上両替するつもりもない。
もうすぐ私はこの国を出国し、二度と訪れることはないのだろうから。
しかし、お金の心配は不要だった。
店の中から複数の目が、ガラス越しに私のことを見つめている。
きっと侍姿の日本人が珍しいのだろう。
店の主人と思しき男が、私を手招きして中へと招き入れてくれた。
彼がなんと言っているのかまったくわからない。
通訳してくれる人もいない。
だが、店の主人はうれしそうに私の肩に腕をまわし、何枚も一緒に写真を撮らされた。
きっと、後で店の宣伝にでも使うのだろう。
そして別れ際、一瓶のコニャックをくれた。
ラッキー!

戦利品のコニャックを手に、私とカメラマンは公園へと向かう。
彼はさっきからしきりとあたりを気にしている。
「この国では外で酒を飲むことは禁止されているんだ。
警官に見つかったらやっかいだ。
俺は向こうの通りを見張ってるから、お前はあっちを見ていてくれ。
私服の警官もいるから気をつけろよ。
少しでも怪しい奴を見かけたら、すぐに酒を捨てて逃げろ」
なんだかおもしろくなってきたぞ。
この公園には樹木はほとんどないから、外からは丸見えだ。
もし本当に警官が取り締まりに来たら、簡単に見つかってしまう。
カメラマンはカバンでコニャックの瓶を隠しながら、私のコップに注いでくれた。
あたりを気にしながら飲む酒が旨いはずがない。
モルドヴァに帰ってからゆっくりと飲みなおしたい。
だが、コニャックの瓶はカメラマンのカバンに入ったままだ。
警官の目に触れないよう、彼がしっかりと隠している。
でもそれ、侍姿の俺にって店の主人がくれた物なんだけどなー。
カメラマンは英語がまったくしゃべれなかったが、不思議と意思の疎通はできている。
彼は自分のカバンを得意げに私に見せる。
自分で作った物のようだ。
よく見ると、そのカバンは柔道着でできていた。
「柔道着は分厚いから、切ったり縫い合わせたりするのは骨が折れるんだぜ。
でもおかげで俺のカバンはとても丈夫な物に仕上がった。
かなり乱暴に扱ってもびくともしない。
市販のカバンじゃとてもこうはいかない」
お前、柔道をやってるのか?
「押忍!」
誰からも独立を認められていない国には、カンフーの達人や柔道を練習している男たちがいる。
モルドヴァには合気道の道場まであった。
アジアの格闘技って、やっぱり人気あるんだな。
カメラマンに例のカンフー・マスターの写真を見せてみた。
彼はこの男のことを知っているらしい。
祖父の代から道場を開いていて、あの男は幼少のころから英才教育を施されてきた、正真正銘のカンフーの達人なのだそうだ。
やばかった。
あの男の道場にのこのこついていかなくて本当によかった。
でなきゃ今頃俺はボコボコにされていたことだろう。
沿ドニエストル共和国はほんとに危ない国だったのだな。
いろんな意味で。
言葉が通じないにもかかわらず、カメラマンとの会話は弾んだ。
彼は片言の英語も話せないのだが、不思議なことにお互い何を言いたいのかはわかるものなのだ。
「俺の部屋に寄ってけよ。 駅の近くだから列車の発車時刻ギリギリまでうちにいればいい」
彼の提案は願ってもないものだった。
未承認国家・沿ドニエストル共和国に住む人の家に招かれるチャンスなんてそうそうあるもんじゃない。
「晩飯になにか作ってやるよ。
スーパーに寄って買い物していこう」

店の前の広告には
「 BANZAI 」
と書かれてある。
世界中のほとんど誰もがその存在すら知らない国の片すみに、ひっそりと日本語の広告が掲げられている。
外国でこういうのを目にするたびに、いつも再認識させられる。
これほど影響力のある国って、他にはないんじゃないだろうか。
日本にいる時はなにも感じないが、実は俺たちの国ってすごいんじゃないんだろうか。
感慨にふけっていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
どうやらパトカーのようだ。
意味もなく不安な気持ちになる。
まさかパトカーは我々に向かってきているわけではないだろうが、なんなんだろうこの焦燥感は。
カメラマンも同じ気持ちのようだ。
話すのをやめ、じっと音のする方を見つめている。
猛スピードで走ってきたパトカーは、我々の行く手を阻むように停止する。
どういうことだ?
カメラマンの方を見ると、舌打ちして目を伏せている。
なんだ?
もしかしてヤバい状況なのか?
パトカーから降りてきた警官は二人。
一人はカメラマンの方へ。
もう一人は私の方へまっすぐにやってきた。
いったいどういうことだ?
もしかして、さっき公園で酒を飲んだことと関係があるのだろうか。
まさかそんなことくらいでパトカーがサイレンを鳴らして駆けつけてくるとはとても思えない。
じゃあなぜ?
警官にパスポートを要求される。
彼は英語が話せないようなので、私への尋問はなかった。
しかし、カメラマンは執拗に何か聞かれている。
私のことを時々見ながら話しているから、きっと私のことについて質問されているのだろう。
「だからこんな奴知らないって言ってるだろ。
さっき会ったばっかりで、こいつが誰なのか俺はまったく知らないんだってば!」
そう言っているように聞こえた。
警官の興味の対象が私なのは明らかだ。
だとしたら私は今、とてもマズい状況に陥っているのだろうか。
外務省の危険情報の文言が脳裏によみがえる。
「沿ドニエストル地域には、モルドバ政府の施政権が及んでおらず、仮に日本人渡航者が同地域での事件・事故等に巻き込まれた場合、モルドバ政府が十分な救済措置を講じることができない状況にあります。
「モルドバには、日本の大使館が設置されていません。
このため、緊急事態や事件・事故に遭遇した場合には、日本国大使館等による迅速な対応を得ることができず、事実上身動きがとれない状態に陥ることとなります」
やましいことはなにもしていない(酒を飲んだだけだ)。
警官に私の刀が本物ではないことを証明し、荷物検査にも積極的に協力した。
それでも警官たちはねちねちとカメラマンに対して何か言い続けている。
ようやく取り調べから解放された。
しかし、パトカーに乗り込む際にも警官はカメラマンに対してなにか言っていた。
「へんな外国人なんかに関わり合いにならない方がお前の身のためだぞ」
そう念押ししているように聞こえた。
パトカーが走り去った後も、カメラマンはすっかり萎縮したままだ。
私からは距離を置いている。
私の存在を持て余している様子がはっきりと見て取れる。
どうやら彼の家に招待されるという話はなかったことになったようだ。
残念だが仕方がない。
準戦時下にあるこの国では、国家権力の統制はかなり厳しいのだろう。
警官に目をつけられでもしたら、いろいろと面倒なことになるのかもしれない。
まだ日没までには時間があったが、ここらが潮時だ。
次のバスでキシニョウに帰ることにした。

ティラスポリ駅前

モルドヴァは美人の宝庫だ、という話を聞いたことがある。
でも、この写真のような美女はあまり見かけなかったような気がする。
真偽のほどはわからないが、ヨーロッパの娼婦の3割はモルドヴァ出身だ、という話も聞いたことがある。
そういえばトランスニストリアではあまり女の子の姿を見かけなかったような気もする。
若い娘はみな、西ヨーロッパへ出稼ぎにでも出かけているのだろうか。

帰りのバスでは窓際に座れたので、沿ドニエストル共和国の街並みをじっくりと見ることができた。
伝統的なモルドヴァ家屋が点在している。
世界中の国から独立を認められていない国家。
この国はいったいいつまでこんな不安定な状態を続けるつもりなのだろう。
今は戦乱は収束しているようだが、問題が解決したわけではない。
ウクライナ情勢をうけて、再び紛争が勃発する兆しが見え始めているともいう。
沿ドニエストル共和国。
つい数日前まで私は、この国の存在すら知らなかった。
だが、今では忘れることのできない国となってしまった。
一見とっつきにくそうに見えるが、人々はとても明るく、人なつっこい。
侍姿の私を見つけると、大喜びで肩を組んで一緒に写真を撮るような人たちだ。
たくさんの人たちとメールアドレスの交換をし、フェイスブックの友達になった。
「絵葉書を送るから」
と、住所を教えあった人もいる。
沿ドニエストル共和国。
日本のマスコミにこの国の名が登場することはほとんどない。
だが私にとってはもうこの国は「得体の知れない遠い世界の話」ではなくなってしまった。
次にこの国の名をニュースで聞くときは、それがいい話題であることを願うばかりだ。
もしもまた戦争が起こったら、こんなに狭い国のことだ、きっと全土が戦場と化すことだろう。
彼らにはどこにも逃げ場はない。


などと感傷に浸っている場合ではなかった。
気づくとバスは国境の検問所に差し掛かっている。
すっかり忘れていた。
ここは旅行者泣かせの悪名高き沿ドニエストル共和国なのだ。
これまでに数多くの旅人たちが別室の賄賂部屋に呼ばれ、屈辱的な目に遭っている。
他人のことを心配している場合ではない。
まずは自分が無事にこの国から脱出することを考えねば。
多少の賄賂を支払うことには目をつぶろう。
でも、なんとしてでも写真だけは守りたい。
カメラからSDカードを抜き出し、別のカードとすり替える。
隠すところなどどこにもないが、軽い身体検査くらいには耐えられるようにSDカードを隠し持つ。
来るときには簡単に国境を超えることができたが、出る時も同じとは限らない。
用心しすぎるということはないだろう。
バスは検問所に停まり、係官が乗り込んできた。
一人ひとりパスポートをチェックしていく。
出国する時にはバスから降りなくてもいいのだろうか。
係官はパスポートをさっと一瞥しただけで、すぐにバスから降りていってしまった。
再びバスは何事もなかったかのように走り出す。
国境ゲートを通過した。
拍子抜けするくらいにあっさりと出国できてしまった。
他のブログに書いてあったことはいったいなんだったのだろう。
賄賂なんて要求されなかったし、荷物検査もなかった。
きっとこれはいいことなのだろう。
でも、なにか物足りない。
他の人のブログであれほど悪しざまに書かれていた沿ドニエストル共和国の国境越え。
一度体験してみたかった。
バックパッカー旅行は、驚くほど快適になってきている。
「深夜特急」時代にはインターネットなんてものはなかったから、すべてが手さぐりだった。
もちろん苦労も多かっただろうが、その分得るものも多かったはずだ。
しかし、今はなんでも事前に準備できてしまう。
情報は瞬時にして世界中を駆け巡り、リアルタイムで情勢を知ることができる。
写真や動画付きで。
悪名高き沿ドニエストル共和国の国境はもう存在しない。
この惑星はどんどん均質化し、平和で豊かになっている。
きっとよろこばしいことなのだろう。
だが、なんなのだろう。 この焦燥感は。
私は経験値を徐々に上げていき、ゆっくりと旅の難易度も上げていくつもりだった。
しかし、もっと急いだ方がいいのかもしれない。
この惑星からすべてのロマンが消え去ってしまう前に、訪れておきたい場所が私にはいくつもある。

ティラスポリで親切にしてくれた女性、イリャーナとは、今でも交流が続いている。
日本に帰国後、絵葉書のやり取りもした。
彼女のフェイスブックからは、息子を溺愛している様子が痛いくらいに伝わってくる。
もちろん彼女は祖国である沿ドニエストル共和国を愛してはいるが、
息子にはアメリカで教育を受けさせるつもりだ。
トランスニストリアよ、われら汝を称える