カウチサーフィン(CouchSurfing)と愉快な仲間たち

旧友との再会(スチャバ、ルーマニア)

スチャバ(ルーマニア)でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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2日間お世話になったアントンのアパート。
「共産主義時代のオンボロだ」
とアントンは言いますが、いやいや、なかなか快適でしたよ。
少なくとも日本の団地なんかよりもはるかに広くて落ち着けます。

ここからいったんバスでキシニョウ市内まで出て、そこでバスを乗り換え、南側のバスターミナルへと向かう予定です。
市内までは乗り換えなしでストレートに行けるから、道に迷う心配も無し。
キシニョウ市内はもうすでに何度も見ているので、降りる場所を間違うこともないでしょう。

初めての土地だといろいろと緊張しますが、もうキシニョウは私の庭のようなもんです。
たった3日間の短い滞在でしたが、それでも愛着のようなものを感じます。
「もうちょっとゆっくりしてもよかったかな。今度来る時はじっくりと腰を落ち着けてモルドヴァ観光をしよう」
などと物思いにふけりながら車窓を眺めていると、行く手には異変が。
警官が道路を封鎖しているのです。

なんだ?
沿ドニエストル共和国が攻め込んで来たのか?

バスは通常のルートから外れて、細い道へと入っていきます。
すっかり忘れていましたが、今日はモルドヴァの独立記念日でした。
市内では大々的に記念式典が行われるのでしょう。
そのための交通規制が敷かれているようです。

バスは狭い道を右へ左へと縫うように走ります。
そのうち私は方向感覚を失い、いったい今自分がどのあたりにいるのかわからなくなってしまいました。

まずいな。
これではどこでバスを降りればいいのか見当もつかない。

周りの乗客に聞いてみたのですが、英語を理解できる人はいないようです。
独立記念日の今日は祝日。
まだ朝早いので学生やビジネスマンといった層は市内へ向かうバスには乗っていないのです。

今日は移動日で、のんびりとバスの旅を楽しむ予定だったのに。
とんだ誤算だ。
年に一度しかない独立記念日の日にモルドヴァを訪れてしまった自分の不運を呪います。

そうしている間にも、バスはまったく見覚えのない景色の中を走り続けます。
いったいどうすればいい?
いったんバスを降りて、英語のわかる人を捕まえるべきだろうか。

と考えていたら、遠くの方に見覚えのある教会が見えてきました。
あの独特の形は、聖ティロン大聖堂だ!
知らないうちにこんなところまで来てしまっていたのか。
だが、ここから街の中心部への行き方ならわかる。
いいぞ。俺はツイてる。

喜び勇んでバスを飛び下りました。

しかし、なにか違う気がする。
こんな場所通ったっけ?

近づいてよく見てみると、聖ティロン大聖堂だと思った教会はまったく別のもののようです。
やってしまった。
脇の下を冷たい汗が流れ落ちていきます。


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ここはどこだ?

道端には廃墟のようなものもあり、どうやら市の中心部からは遠く離れているような気がします。

あっ!
グーグルマップを使えばいいじゃん。

急なバスの進路変更でパニくっていた私は、そんなことにも気が付きませんでした。


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独立記念日の今日はバスのルートは大幅に変更になっているようです。
もうバスを利用するのはやめておこう。

重い荷物を抱えたまま、えっちらおっちらとキシニョウ市内を目指します。
なにをやってるんだ俺は。
体力と時間の無駄遣いだ。
独立記念日のばか。


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ようやくシュテファン・チェル・マレ通りへとたどり着きました。
道路沿いには観光案内図のようなものが掲げてありますが、この国はちっとも旅行者に優しくなんかないぞ。

時間を大幅にロスしてしまったので、さっさとバスターミナルへと向かいたかったのですが、キシニョウ市内ではまだやることが残っています。
私にはすべての訪問国から絵葉書を送るというミッションがあるのです。

なんとか絵葉書を購入したものの、売店では切手を売ってくれません。
郵便局でしか買えないというのです。
モルドヴァに限らず、そういう国はけっこうあります。

そしてその郵便局はバスターミナルとは逆方向。
はーっ。
たかが切手を手に入れるために、この重い荷物を抱えて歩かなきゃならないのかよ。

途方にくれていた私ですが、捨てる神があれば拾う神もあるのです。
しかもとびっきり上玉の女神が二人!

「なにかお困りですか?」

私にむかって、二人の美少女がほほえんでいるではありませんか。

そうだ、忘れていた。
モルドヴァは美人の宝庫だった。

今日は一日バスに乗りっぱなしで、楽勝の日のはずだった。
それなのに重い荷物を担いで、熱い中、余分な距離を歩いてきた俺に、神様がご褒美をくれたにちがいない。


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二人とも流ちょうな英語を話し、とても柔和な表情を浮かべています。
東欧の女の子はおっとりした性格の娘が多い。
日本人好みです。

モルドヴァ最後の日に思わぬ僥倖に恵まれ、ウキウキしながら彼女たちとの会話を楽しんでいました。

ところが、だんだんと雲行きが怪しくなってきます。


「人生の意味ってなんだと思う?」
「あなたが苦しんでいるのは神様のせいなのかしら?」
「死んだら、いったいどんな世界が待っていると思う?」

えーっと・・・
もっと色気のあるお話をしません?


「答えはすべてここに書かれているのですっ!」

彼女たちがそのかわいらしいバッグから取り出したのは聖書でした。


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(キシニョウ市内の郵便局)


くそっ。
また予定外の時間を使ってしまった。
まあそれなりに楽しかったけど。

今度こそ郵便局へと向かいます。
しかし今日は独立記念日。
日本の郵便局なら祝日は閉まっています。
東欧の郵便局が日本人よりもよく働くとは思えん。
もしも閉まっていたら切手は買えない。
ということは、モルドヴァから絵葉書を出すことはできないのか。
それは困るなー。


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(郵便局の中)

幸いなことに、郵便局は営業していました。


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絵葉書に切手を貼ってもらい、無事に投函することができました。
これにてミッション完了。


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シュテファン・チェル・マレ通りでこんな物を見つけました。
なんの広告かは知らないけど、なにか間違ってる気がする。


キシニョウには3つのバスターミナルがあります。
ルーマニア行きのバスは南バスターミナルから出るということだったので、あらかじめアントンに詳しく行き方を聞いておきました。
教えられたとおり、シュテファン・チェル・マレ通りからバスに乗り、バスの運転手や他の乗客に、自分が南バスターミナルに行きたいんだということをアピールしておきます。
日本のバスのように案内表示があるわけではないので、こうでもしておかないと、どこで降りればいいのかわからないのです。

普通なら、まわりの人に声をかけておけば、
「次があんたの降りる場所だよ」
と誰かが教えてくれます。

でも、モルドヴァは違いました。

バスの窓からバスターミナルらしきものが見えたので、
「あれはバスターミナルか?」
と聞いたら、
「そうだよ」
という返事がかえってきました。

あれほど「バスターミナルへ行きたい」と念押ししておいたのに、誰も教えてくれなかったのです。
一駅離れたバス停で急いでバスを降り、もと来た道を歩いて戻ります。
重いリュックを担いでいるので、その一駅がとてつもく遠い距離に感じます。

モルドヴァ人 冷てー。



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事務所らしき建物に入り、スチャバ行きのチケットを買おうとすると、
「ここはバスターミナルじゃない」
と言われてしまいました。
ほんとのバスターミナルは、ここさらさらにバスで2駅先にあるのだそうです。

なんだとー。
バスの運転手も他の乗客も、私がバスターミナルへ行きたがっていたことはわかっていたはず。
それなのになぜ誰も教えてくれなかったんだ?

モルドヴァ人って、ほんっと冷てーな!


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(キシニョウの南バスターミナル)

このバス停2駅分が遠いのなんのって。
今日は楽勝の移動日のはずだったんだけどなー。

スチャバ行きの直通バスは午前中にしかなく、Iasi で一度乗り換えなければならないらしい。
予定していたよりもかなり時間がかかりそうだ。
日没までにスチャバに着けるか?


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(キシニョウの南バスターミナル)


キシニョウを出発してから2時間ほどで、ルーマニアとの国境に差し掛かります。
そのころには天候は急変し、土砂降りの大雨となりました。
なんだか気分が滅入ります。

しかも国境通過の審査にやたらと時間がかかっています。
早くしてくれよ。
暗くなる前にスチャバに着きたいんだ。

しかし文句は言えません。
時間がかかっているのは私のせいでもあるのですから。

私のパスポートをチェックしていた女性係官が眉をしかめます。

「あなた、沿ドニエストル共和国に入国したの?!」

やはりモルドヴァの官憲はあの国のことを快くは思っていないようです。
彼女は私のパスポートのページを繰りながら、同僚となにやら話し合っています。
それにしても、なぜ俺が沿ドニエストルに行ったことがバレたんだろう。

国境審査官は私の荷物を念入りに検査していましたが、なんとか通してもらうことができました。
返してもらったパスポートを見ても、沿ドニエストル共和国の痕跡はありません。
はて?

パスポートをパラパラめくっていると、ありました。
一番後ろのページに沿ドニエストルの入出国スタンプが押してあったのです。

いろいろと黒い噂の絶えない未承認国家、沿ドニエストル。
その国に入国した記録をパスポートに刻まれてしまった。
このことは今後、私の旅行を不便なものにするのだろうか。
不安になると同時に、貴重な記念品をもらったような気もして、ちょっとうれしかったです。


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(Iasiの駅前)

夕方5時ころ、ルーマニアのIasiに到着しました。
ここでスチャバ行きのバスに乗り換えです。

私は数年前ルーマニアを旅行したのですが、その時にはブカレストやシギショアラ方面しか訪れていません。
ルーマニア東部を見るのはこれが初めてなのですが、なんだか私の抱いていたルーマニアのイメージとはかけ離れているような気がしました。
以前にこの国を訪れてからけっこう時間が経ってしまったから、それだけこの国の雰囲気も変わってしまったのだろうか。
もっと素朴で懐かしい土地だったのに、なんだかすっかり様変わりしてしまっている。
ちょっとさびしい。


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おっ!
なんだかルーマニアっぽい建物。


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バスが出発するまでには少し時間があったので、モルドヴァのお金をルーマニアのものに換えることにしました。

「これでいい?」
両替商の女性が電卓を叩き、数字を私に見せます。

ルーマニアの通貨の価値がとっさにわからず、私も自分の電卓で計算してみます。

うわーっ!
むちゃくちゃ目減りしてるー!

私は自分でも気づかないうちにギョッとした表情をしてしまったのでしょう。
窓口の女性は肩をすぼめて、
「悪いわね。それがうちの会社のレートなのよ」
とすまなさそうに言います。

ここIasiはルーマニア東部の玄関口。
駅やバスターミナルの近くなのですから、探せば他にも両替商はあるはずです。

でももういいや。
雨は降ってるし、重いリュックを担いでまた別の店に行くのもめんどくさい。


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Iasiのバスターミナル


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19:30頃、ついに今夜の目的地、スチャバに到着しました。
さすがに日も暮れかかり、だんだんと暗くなってきています。

私はここでのホテルを予約していませんが、まったく不安はありません。
なぜなら、このスチャバには世界で一番頼りになる、「あの男」がいるからです。


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(金閣寺でJKと戯れるジョージ)

数か月前、京都の私のもとに一通のカウチリクエストが届きました。
ジョージというその男は、ルーマニアのスチャバという街に住んでいるといいます。

スチャバ!
なんという偶然。

ちょうどその時私は、今回の東ヨーロッパの旅行を計画していました。
ルーマニアには以前訪れたことがあったので本来ならパスする国なのですが、ルーマニアはちょうどモルドヴァからセルビアへの通り道にあたります。

しかも前回この国を訪れた時、他の西欧諸国にはない独特の雰囲気に引き込まれ、私のお気に入りの国のひとつでもあったのです。
どうせならまだ訪れたことのないブコヴィナやマラムレシュ地方に行ってみたい。
特に5つの修道院!

そう思って調べてみると、どうやらこの地方は交通の便が悪く、5つの修道院を個人が公共交通機関を利用して全部回るのは至難のわざのようです。

どころが!
ジョージはスチャバに住んでいるというではありませんか。
この街は5つの修道院観光の拠点となる場所です。
しかも彼のカウチサーフィンのプロフィールを読むと、これまでにホストしたカウチサーファーを彼の車で5つの修道院に案内しているようです。

こんなにうまい話があっていいのだろうか。
私ははりきってジョージを京都でもてなしました。
そうです。
「海老で鯛を釣る」作戦です。


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(嵐山の竹林でやまとなでしこの肩を抱くジョージ)


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(清水寺で着物女性に囲まれてご満悦のジョージ)

私のこの作戦はみごとに成功し、京都観光にいたく感激したジョージは、

「マサト、今度は俺がお前に恩返しする番だ。
 ルーマニアに来た時にはぜひ俺にお前の世話をさせてくれ」
とまで言ってくれたのです。

なんという義理人情に熱い男だ、ジョージ。
遠慮なくその好意に甘えさせてもらうぜ。


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(スチャバのバスターミナル)


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夕焼けに染まるブコヴィナ地方。
遠くにはこの地方独特の様式をした教会が見える。


太陽が沈み、あたりが暗くなってきた。
さすがに少し不安になってくる。
ジョージはまだか?
もしかして俺は、降りるバス停を間違えたのだろうか。

心細さがMaxになったちょうどその時、ジョージは現れた。
しかも乗っている車はBMWの四駆。
わおー。
ジョージ、お前実はけっこうな金持ちだったんだな。

車から降りてきたジョージは、くしゃくしゃの笑顔で私を抱きしめてくれる。
「よく来たな、マサト」
がっちりと固い握手を交わす。


外国を一人で何か月も旅していると、時々どうしようもなく寂しい気持ちになることがある。
特に夕暮れ時なんかには、なんともいえない焦燥感に襲われる。
しかもここはルーマニア。
あのドラキュラ伝説で有名な国なのだ。

そんな時に知っている顔に会うと心からホッとする。
しかも相手は誰よりも頼りになる男、ジョージ。
俺が女なら間違いなく奴に惚れている。


張りつめていた緊張感がとけて、急に力が抜けた。
よかった。
ジョージと合流することができた。
これで4日間はのんびりと過ごすことができる。


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「腹が減ってるだろう、マサト。
 近くにいい店があるんだ」

さっそくジョージはレストランに連れていってくれた。


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店の中はこんな感じ。


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さっそくビールで乾杯。
実を言うとこの時私は少し肌寒かったので、できれば暖かい飲み物の方がよかったのだが、そんなことはどうでもよかった。
久しぶりに旧友と再会したのだ。
しかも日本からはるか遠く離れたルーマニアで。
これが飲まずにやってられるか!


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「これがまたうまいんだぜ。 食えよ、マサト!」

そう言ってジョージが私のために注文してくれたのがこれ。
ルーマニアの伝統料理ではないそうだが、彼の言う通りほんとにうまかった。
ボリュームもたっぷりあり、じゅうぶんお腹をすかせていたはずなのに、満腹になってしまった。


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うまい酒、うまいメシ、そして温かい親友。
これ以上いったいなにを望めというのか。

強いてぜいたくを言わせてもらえば、ルーマニア美女がこれに加われば最高なんだけどな。




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なんと、願いがかなってしまった。

「マリア! マリア! 」

ジョージはこの女性と知り合いらしく、熱心に投げキッスを送っている。
なんという騒ぎようだ。
ルーマニア人の男というのはもっと寡黙なのかと思っていたが、マリアを口説いているジョージはまるでラテンのノリ。

しかし、それも理解できなくはない。
このマリア、線が細くて華奢な体つきなのに、なんとも言えない色っぽさを醸し出している。
体中からフェロモンをムンムンとあふれだしている。

これがルーマニア女性の威力なのか。
さすがは妖精の住む国。

どうやら俺はとんでもない国に来てしまったようだ。


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真ん中にいるのがホストのジョージ。
右側は彼の親友のミッシェル。

日本を出てから約1か月。
ここルーマニアで私の旅は、何度目かのピークを迎えようとしていた。


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スチャバでの私のカウチ。

夕食の後、その足でジョージの家に向かうのかと思っていたのだが、彼が連れてきてくれたのは1軒のゲストハウス。
実は彼の家は今改装中で、私をホストすることはできない状態なのだという。
そんな状況にもかかわらず、私との約束を果たすためにカウチリクエストを受け入れてくれたジョージ。
なんとお礼を言っていいものやら。

「料金はすでに払ってある。
 金のことは心配するな」

漢だ。
あんた、ほんまもんの漢や!

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テーマ : バックパッカー
ジャンル : 旅行

キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(2日目)

キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)、 2日目


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キシニョウのバスターミナル。

もう夕方なのだが、まだまだ外は明るい。
ヨーロッパの夏の昼は長い。

こんなことならもう少し沿ドニエストル共和国でねばっとくんだった。
あんなに面白い国とめぐり合うことはそうはないだろうから。

だが、沿ドニエストル共和国にいる時にはとてもそんな楽観的な気持ちになれなかったのも事実だ。
どうしても日が暮れるまでには国境を越えておきたかった。
あの国で出会った人はみないい人たちばかりだったのだが、
「ヤバい国、沿ドニエストル」
という印象はどうしても最後まで拭い去ることができなかったからだ。
実際、警官たちに脅されもした。

だから無事モルドヴァに帰ってこれた時には正直ホッとしたものだ。
ほんの数日前まではこのモルドヴァも私の中では「油断ならない国」の一つだったことを思えば、
少しは私の経験値も上がったのかもしれない。

モルドヴァには日本国大使館は置かれていないのだから、まだまだ気を抜くわけにはいかない。
それでも、「一応は国際社会の目が行き届いている場所にいるんだ」という事実は大いに私を安心させてくれた。

自分で思っている以上に、沿ドニエストル共和国では緊張していたようだ。


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キシニョウのバスターミナルは人影もまばら。
市場の露店もほとんど店を閉め終わっている。
朝のあの喧騒が嘘のようだ。

もう一度あのヤクザや奇妙な女の子に会えないだろうか、とかすかに期待していたのだが、この様子では無理のようだ。


「沿ドニエストル共和国探検」という一大事業を無事なし終えて、今日のミッションは終了したかに思えたが、実はまだ難題が残っていた。
キシニョウでのカウチサーフィンのホスト、アントンの家は市の中心部からはかなり離れた所にある。
朝は彼の車で送ってもらったのだが、今度は自力で彼の家を探し当てなければならない。

昨日の晩にアントンから詳しく道順を聞いておいたのだが、どうもしっくりこない。
教わった通りにバスを降りたつもりだが、なんだか間違ってる気がする。
今日の朝通った道を逆になぞればアントンの家に帰れるのだから、簡単な作業のはずだ。

それなのに、迷ってしまった。
自力でアントンの家まで戻れそうにない。
すでに太陽はビルの影に沈んでしまっているから、暗くなるのはもう時間の問題だ。
どうしようもない焦燥感に襲われる。

アントンの家はここからそう遠くはないはずなので、彼に電話して迎えに来てもらうことは可能だ。
でも、

「道に迷ったから迎えにきて! お願い!」

と言うのは恥ずかしすぎる。

そこで、

「今、君の家の近くまで帰ってきてるんだけど、よかったら一緒にメシでもどう?」

とメールを送ってみた。

ありがたいことに、アントンからは即座にOKの返事が来た。
助かった。

「昨夜夕食を食べた店で会おう」
ということになったのだが、実はそこへの行き方すらわからない。
恥をしのんでアントンに聞いてみたら、どうやら私は2つほど手前のバス停で降りてしまっていたらしい。
どうりで彼の家への帰り方がわからないわけだ。

私は一度彼の家を訪れている。
にもかかわらず迷ってしまった。
初見で彼の家を自力で探し当てたという日本人バックパッカーの女の子にはほんとに頭が下がる。
恐れ入りました。


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モルドヴァのファミレス、「La Placinte 」
二日続けて同じ店というのも芸がないが、ここがベストの選択だと思う。
ひととおりすべてのモルドヴァ料理がそろっているし、値段も安い。
市内に何軒も店を展開しているというから、キシニョウ市民からの支持も得ているのだろう。


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アントンに勧められて頼んでみた飲み物。
モルドヴァの伝統的なドリンクらしい。
甘いジュースのようだが、味は微妙。

口直しにモルドヴァワインを飲んだ。
こちらは文句なしの絶品。
この後、他の国でもいろんなワインを試してみたが、モルドヴァワインを超えるものはなかった。


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最期にアントンがアイスクリームを注文した。
「一緒に食べよう!」と言う。

しかし、「モルドヴァにしかない特別なデザート」というわけでもないらしい。
ただ彼が甘党だというだけの理由のようだ。
どうせならここでしか食べれないデザートの方がよかったんだけどな・・・


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夕食の帰り道、アントンが「いいところがある」というので連れていってもらった。
通り全体がイルミネーションで覆われているらしい。
これを見せてくれたアントンは、「どうだ、すごいだろう!」と言わんばかりに胸を張っている。

だが、しょぼい。
彼には悪いが、どうしようもなくショボい。

電力事情が悪いのだろうか。
この街全体が薄暗く、普通に道を歩くだけでも懐中電灯が恋しくなったほどだ。


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アントンの部屋には、合気道開祖、「植芝盛平」の写真が飾ってあった。
彼は合気道を習っていたらしい。


実はモルドヴァでのカウチサーフィンのホスト探しにはずいぶんとてこずった。
かなり前から何通もカウチリクエストを送っていたのだが、ほとんど無視されていたのだ。
キシニョウにはカウチサーファーの数自体それほど多くない。

私には、「すべての訪問国でカウチサーフィンを利用する」というミッションがある。
だが、国によってはそれが困難なこともある。
カウチサーフィン自体が認知されていない地域だってある。
モルドヴァもその一つだ。
どうも反応が鈍い。

なんとか一人のホストから受け入れの返事をもらっていたのだが、直前になって連絡が取れなくなってしまった。

「もしかして今回はダメかも・・・」

そんな時に私を救ってくれたのがこのアントンだ。

ホストはすべてのリクエストを受け入れたりはしない。
数多く受け取るリクエストの中から一人のカウチサーファーを選ぶにはなんらかの理由があるはずだ。

アントンは以前にも日本人の女の子をホストしている。
合気道をやっていたことからしても、彼が日本に対してなんらかの興味を抱いていることは確かだ。
だから私のカウチリクエストも受け入れてくれたのだろう。

そんな彼の期待に応えることがはたしてできただろうか。
日本人の名に恥ずかしくない行動をとることができただろうか。
どうも今回は自信がない。


昨夜彼はキシニョウの見どころを丁寧に教えてくれた。
それなのに私はそれらのほとんどを訪れていない。
ほとんどの時間を沿ドニエストル共和国のために費やしてしまったからだ。

夕食の時、私がアントンに聞かせた土産話はそのほとんどが沿ドニエストル共和国のもの。
キシニョウで訪れた場所はほんの少し。
きっと彼は落胆したことだろう。

モルドヴァ国民であるアントンにとって、沿ドニエストル共和国は敵国にあたるのかもしれない。
そんな彼に向かって私は、沿ドニエストル共和国旅行がいかに楽しかったかを目を輝かせながら語った。
いったい彼はどんな気持ちで私の話を聞いていたのだろうか。

そんなことにも気づかないくらい、私は興奮していたのだ。
モルドヴァの人には悪いが、私にとっては沿ドニエストル共和国の方がはるかに刺激的で面白かったのだ。


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キシニョウでの私のカウチ。

アントンは母親と恋人と一緒に暮らしている。
残念ながらアントンの彼女は旅行中で会えなかったのだが、母親には親切にしてもらった。
英語がまったくできないお母さんだったが、常ににこやかに接してくれた。

こういう温かい家庭でお世話になるといつも、
「ああ、カウチサーフィンやっててよかったな」
という気持ちになれる。

世界中にはいろんな国があり、肌の色や話す言葉はそれぞれ異なるけれど、
けっきょく人間ってみんなおんなじなんだな、とも思えてくる。


アントンの住んでいるのは共産主義時代に建てられた古い団地。
なんのへんてつもない、むしろどちらかといえばオンボロな建物なのだが、よくよく考えてみると、こんな所に泊まれるというのはすごいことなのかもしれない。

ほんの20年ほど前まで、モルドヴァは旧ソヴィエト連邦に所属していた。
その当時は日本人がこの国を旅行することも難しかっただろうし、ましてやホテルではない一般の家庭のお宅に泊めてもらうことなんてほとんど不可能だったにちがいない。

もっとじっくりとモルドヴァを味わっとくんだった。


テーマ : カウチサーフィン(Couch Surfing)
ジャンル : 旅行

沿ドニエストル共和国(ティラスポリ)旅行記

沿ドニエストル共和国(ティラスポリ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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(沿ドニエストル共和国、ティラスポリの郵便局)


独立を宣言しているものの、ほとんどの国がその存在を認めていない未承認国家「沿ドニエストル共和国」。
国際社会の目が行き届かないことをいいことに、武器や違法ドラッグの流通拠点となっているという、なんともアングラな臭いのするトランスニストリア。

そんな異質な国の中で孤独感に打ちひしがれていた私を、一人の女性が救ってくれた。
孤立無援だった私に優しく手を差し伸べてくれた彼女はまさに女神そのもの。
彼女の体からほとばしる、幾筋もの神々しい光が見えた(ような気がした)。

彼女の名はイリャーナ。
彼女はずっとつきっきりで私の手助けをしてくれた。
初対面で素性の知れない、しかも侍の格好をしたへんてこな東洋人に、損得勘定抜きで親切にしてくれた。
荒んだ印象のある沿ドニエストル共和国にだって、こういう心優しい人はいるのだ。


まずは絵葉書を買うのを手伝ってもらった。
「観光」という概念が希薄なこの国では、絵葉書を買うことすら一仕事なのだ。

私がいくら探しても見つからなかった絵葉書だが、イリャーナが売店の女性に一言言うだけで、店の奥から持ってきてくれた。
単体では売ってくれず、20枚くらいのセットで買わなければならないらしい。
その絵葉書はかなりの年代物のようで、角がすり減っている。
図柄はミグ戦闘機や戦車、レーニン像など、およそ一般的な観光地とは趣を異にするシロモノだが、かえってこういう物の方がドニエストルらしくていい。


私が絵葉書を書いている間も、イリャーナは辛抱強く待っていてくれた。
彼女のおかげで、郵便局で切手を買う手続きもスムーズに運んだ。
やはり現地の人が一緒にいてくれると、なにをするにしても便利だ。


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郵便ポスト。
ゴミ箱かと思った。


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「ロシアのおじちゃん、ありがとう!」

世界中のほとんどの国から独立を認められていない沿ドニエストル共和国ですが、ロシアは違います。
軍事顧問団を派遣して、この国を強力にサポートしています。
なのでこの国ではロシア人はモテモテ。


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「私たちは負けない! 最後まで戦う!」

砲弾を愛おしそうに抱きしめる女性兵士。
第二次世界大戦を彷彿とさせる古めかしい軍服。
なんともシュールなポスターだ。

沿ドニエストル共和国内にはこのようなプロパガンダをあちこちで見かけます。
他の国とは一味ちがいます。
なんておもしろそうな国なんだ。
やっぱり来てよかった。

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イリャーナは私をこんな狭い路地に連れてきてくれました。
いや、気持ちはありがたいんですけど、できたらもっと有名な観光地のほうがいいな。


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「ここは有名なホテルだから写真を撮れ、撮れ!」

とイリャーナは言うのですが、私としてはあまりおもしろくありません。
この国には他に面白い場所はないのか?


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せっかくですから、沿ドニエストル共和国の国旗と一緒に記念撮影。


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オペラ劇場


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イリャーナと一緒に歩くようになって、いろんな人から声をかけられるようになりました。
私一人で歩いていた時とはえらい違いです。

彼女が言うには、みんな私の持っている刀を本気で怖がっているのだとか。
本物の日本刀を持って歩けるわけがないだろう、と思うのですが、武器であふれているこの国では、日本刀を腰に差して歩いている人間がいても不思議ではないのかもしれません。


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この女性がイリャーナ。
孤独の淵に沈んでいた私を救ってくれた恩人です。

彼女はこれから行く場所があるということで、忙しそうな様子。
なので、最初は郵便局についてきてくれるだけだったはずなのですが、なぜかその後もずっと私と一緒にいてくれました。

異国の地でこんなふうに親切にされると、思わずほろりとしてしまいます。
やばい。
惚れてしまいそうだ。


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人類初の有人宇宙飛行士、ガガーリンの像。
イリャーナによると、彼はこのティラスポリ出身らしいのですが、ウィキペディアの記述とは食い違っています。


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沿ドニエストル共和国の国会議事堂?
こんな重要な場所、写真に撮ってもいいのだろうか。
ティラスポリの駅前で兵士に写真撮影を制止された記憶がよみがえります。
当然、この建物の周辺にも兵士の姿があちこちに見えます。

私がためらっていると、イリャーナは

「平気、平気。写真を撮っても大丈夫よ。
 なんなら私も一緒に撮ってあげようか?」


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ほんとに国会議事堂の前で写真を撮ってしまった。
遠くには警備の兵士が歩いているのが見えます。

台湾の総統府前でも写真撮影は禁止されてるのに、この沿ドニエストル共和国で許されるとはとうてい思えないんだけどなあ。
まだ私は半信半疑です。


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おそるおそる国会議事堂に近づいてみると、建物の正面にレーニン像がありました。
せっかくだからこのレーニン像と一緒に写真を撮りたい。
でも、警備の兵士の目が気になる。


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レーニン像の周りをウロウロしていると、ティラスポリ市民に写真撮影を申し込まれました。


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左側にいるのは、順番を待っている人たちです。
なんと、私と写真撮影するために行列ができているではありませんか。
いつから俺は有名人になったんだ?!


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いつの間にかイリャーナは私のマネージャーのような存在になっていて、記念撮影希望者を仕切っています。

「はいはい、サムライと一緒に写真を撮りたい人はこちらに並んでねー」

それだけではなく、なぜか彼女も一緒に写真に写っています。
カメラに向かって笑顔を振りまいています。
あれ? あれ?


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すっかりモデル気分で機嫌がよくなったイリャーナ。
もしかしたら今日一日、彼女は私のガイド役を引き受けてくれるかも?


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その後もティラスポリを歩いていると、大勢の人に声をかけられました。
最初はとっつきにくそうに思えた沿ドニエストル共和国民も、ふたを開けてみればなかなか人懐っこい。

よく見たらこの男性のシャツには漢字のようなものがプリントされています。
東洋の文化に興味があるのでしょうか。


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一人の男性に呼び止められて、なにやら話し込むイリャーナ。
知り合いなのでしょうか。

男性からもらった名刺をよく見ると、そこには

「 School of Kung-Fu 」

の文字が。


どうやら彼はカンフーの道場を開いているらしく、私にそこへ来いと言っているようです。

「1時間でいいから、俺と手合せをしてくれ」


カンフーには前から興味があったので、一度本物を見てみたかったのですが、この男はかなり強そう。
しかも私のことを日本の武道の達人と勘違いしているようなので、手加減なしで戦わされそうな予感がする。
それに、日が暮れるまでにはモルドヴァに帰りたいので、ティラスポリでの残り時間はあとわずかしかない。

というわけで、彼の申し出は丁重にお断りしました。


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「私はここで用事を済ませてくるから、ここでしばらく待っていて」

イリャーナはそう言い残して建物の中へと入っていきました。
残されたのは私とカンフーの達人のみ。
まだいたのか?
いったいどこまでついてくるつもりなんだ。
彼は英語がまったくできないのですが、しきりと私に話しかけてきます。
でも、なんて言っているのかはわかりません。

話しかけてくるだけでは物足りず、そのうち彼は私に向かって拳を突き出してくるようになりました。
もちろん本気ではないのですが、よけなければ顔に当たります。

わっ! わっ!

カンフー映画は何度か見たことがありますが、本物のカンフーの使い手と戦うのはこれが初めての経験です。
私は空手の心得があるのですが、カンフーの攻撃に対してどう対処していいのかわかりません。
彼の繰り出してくる攻撃をさばくのが精いっぱいで、防戦一方でした。

ところが、私のよけかたが男には意外だったようで、彼はおもしろがってなおも拳を繰り出してきます。
しかも、だんだんとそのスピードが速くなってきているではありませんか。

その男は拳を突き出すたびに、

「これはどうよける?」

というふうに目で私に語りかけてきます。
なかなか研究熱心な男のようです。
もしかしたら彼も空手家と対戦するのは初めてだったのでしょうか。
私の流派は他の空手とは少し異なるので、余計に興味がわいたのかもしれません。

しかし、実験台にされているこちらはたまったもんじゃありません。
よけなければ確実に彼の拳は私の顔面にヒットするのです。
しかもこの男、強いっ!
明らかに相手の方が格上です。
私の空手は大したことありませんが、相手がどの程度の実力の持ち主かくらいは私にだって判断できます。

今はまだ手加減してくれていますが、だんだんと彼の攻撃は激しさを増してきています。
もうこれ以上は持ちこたえられそうにもありません。

どうしよう。
このまま走って逃げてしまおうか。
いや、でも、この男の方が足も速そうだ。
まいったな。


「もうそろそろ限界」
というところで、タイミングよくイリャーナが建物から出てきてくれました。
これで戦いを止めるきっかけができました。

彼はまだ物足りなさそうで、イリャーナになにか言っています。

「彼がどうしても道場に来てくれって言ってるけど、どうする、マサト?」

もうけっこうです!
これ以上やったらほんとに殺されちゃうよ。


しかし、なかなかおもしろい体験をさせてもらえました。
まるで自分がジェット・リーやドニー・イェンと戦っているような気分になれたのです。
まさか沿ドニエストル共和国でカンフーの達人と手合せをすることになろうとは、夢にも思いませんでした。

なにがおこるかわからない。
だから旅はおもしろい。


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(軍事歴史博物館?)


カンフーの使い手から命からがら逃げだし、イリャーナはなにかの博物館に私を連れていってくれました。
老婦人が一人で番をしているその博物館は、こじんまりとしていて、私たちの他に閲覧者はいません。

イリャーナは入場料を払ってくれました。
どうしてそんなに親切にしてくれるのだろう?

彼女はティラスポリ出身なのですが、この国の将来に不安を感じた彼女の両親は、イリャーナをアメリカの高校へと留学させたそうです。
当時彼女は英語がほとんど話せませんでしたし、アメリカに知り合いがいたわけでもありません。
いきなり異国の地に放り出されて、イリャーナはかなり苦労したようです。

自分がそんな大変な経験をしてきたからこそ、他の人が困ってるのを見過ごすことができないのかもしれません。
いずれにせよ、彼女と奇跡的に出会うことができた私はツイてます。
彼女がいなければ、他の旅行者と同じように沿ドニエストル共和国に対してネガティブな感想を持ったまま出国していたことでしょう。


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博物館自体はまったく面白くありませんでしたが、そんなことはどうだっていいんです。
イリャーナがいなければ、私はこの国を一人で旅行していたはずです。
きっと味気ない旅となっていたことでしょう。

でも今は違う。
イリャーナのおかげで、沿ドニエストル共和国は私にとってディズニーランドなど足元にも及ばないくらいに刺激的で面白い場所となった。
この国をここまで楽しんだ観光客はそうはいないだろう。
その土地で出会う人によって旅の面白さはまったく変わってくる。
私はほんとうにラッキーだ。


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ロシア風の帽子を被せられたサムライ。
隣にはわけのわからない彫像。
バックにはシリアスでコミカルなポスター。

私はいったいここでなにをやっているのだろう。


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博物館を出てしばらく歩くと、一人の女性に出会いました。
イリャーナの知り合いで、彼女の家の近所に住んでいるそうです。

なにかと色眼鏡で見られがちな未承認国家・沿ドニエストル共和国。
でも、そこに住んでいる人はごく普通のどこにでもいるおばちゃん。
そんな当たり前のことですら、イリャーナがいなければ気づかなかったかもしれません。
彼女と一緒でなければ、よそ者の私と笑顔で一緒に写真など撮ってくれなかったことでしょう。


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沿ドニエストル人とロシア人のカップル


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公園で昼間からビールを飲んでいた青年たち。
なんだかトランスニストリアらしくていいぞ。


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サムライ姿の私を見て大興奮の若者たち。
他のブログで言われているのとはまったく異なり、沿ドニエストル共和国に住む人たちはとてもフレンドリーで好奇心旺盛でした。

彼らのおかれている状況を鑑みれば、これは驚くべきことです。
この国が将来どうなってしまうのか、誰にも予測はつきません。
そんな不安定な状況下でも、彼らはとても明るく過ごしています。
彼らの笑顔はとても印象的でした。

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一人の男と話し込むイリャーナ。
知り合いなのだろうか?


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私の買った絵葉書の中に、「空飛ぶ戦車」があったので、イリャーナにそこへ連れていってくれるようにお願いしました。
すると、この男も一緒についてきたのです。
彼はプロのカメラマンで、侍の衣装を着た私はまたとないいい被写体だから、ぜひ同行させてくれと言っているようです。
プロのカメラマンに撮ってもらうのも悪くはないか。


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イリャーナとはまだ出会ってから数時間しか一緒に過ごしていませんが、なんだかもうずっと昔からの知り合いのような気がします。
ずっとこのまま彼女と一緒にいれたら、どんなに幸せだろう。

だが俺は、もうあと数時間でこの国から出なくてはならない。
この国は特殊な場所なのだから。


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しかしこの時すでに俺の腹は固まっていた。
彼女のために、この国に骨を埋めることなど厭わない。

空飛ぶ戦車と教会に、永遠の愛と沿ドニエストル共和国への忠誠を誓う。
さらば日本国籍。
今日かぎり、俺は日本人であることを捨てる。


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「楽しかったわ、マサト。
 また連絡ちょうだいね。
 私はもう行かなくちゃならないの。
 あとは彼があなたのことを面倒見てくれるから。
 じゃあね!」

イリャーナはそれだけ言い残して、さっさと行ってしまった。
あまりにも突然の別れに、私はなすすべもなかった。

後に残されたのは英語のまったく話せないむさくるしいカメラマンの男のみ。
思わず苦笑いがこぼれた。

ま、俺の人生なんてこんなものか。


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マントをはためかせるレーニン像。
遠くを見つめる彼の瞳には、いったいどんな風景が写っているのだろう。


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墓地。
おそらくここには国家の英雄が祀られているのだろう。


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空飛ぶ戦車よ。
お前はどこへでも飛んで行け。

沿ドニエストル共和国、なかなかおもしろい国だったが、
俺が再びこの地を踏むことはないだろう。


カメラマンは私と並んで歩き、ずっとシャッターを押している。
彼はポーズをとった写真が嫌いで、被写体の自然な表情を撮りたいのだそうだ。

そういえば彼はプロのカメラマンだと言った。
ということは、私の写真も仕事で使うのだろうか。

自分の写真がいったいどんなシチュエーションで使われることになるのかはわからないが、
世界中のほとんどの人がその存在すら知らない国の片すみで、侍の衣装を着た自分の写真が流通するというのもなんだか変な気分だ。


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またコニャックの店に出くわした。
この国の人間はそんなにこの酒が好きなのだろうか。

カメラマンが私に向かって、「酒は好きか?」と聞いてきた。
もちろんだとも。
沿ドニエストル共和国の名物だというコニャック。
せっかくこの地に来たからには試しておきたい。

カメラマンは私に向かって、「ちょっと待ってろ」と言い残し、店の中へと入っていった。
だが私はこの国のお金をほとんど持っていない。
他の国では文字通り紙屑となってしまう沿ドニエストル共和国の通貨を、これ以上両替するつもりもない。
もうすぐ私はこの国を出国し、二度と訪れることはないのだろうから。

しかし、お金の心配は不要だった。
店の中から複数の目が、ガラス越しに私のことを見つめている。
きっと侍姿の日本人が珍しいのだろう。
店の主人と思しき男が、私を手招きして中へと招き入れてくれた。

彼がなんと言っているのかまったくわからない。
通訳してくれる人もいない。
だが、店の主人はうれしそうに私の肩に腕をまわし、何枚も一緒に写真を撮らされた。
きっと、後で店の宣伝にでも使うのだろう。

そして別れ際、一瓶のコニャックをくれた。
ラッキー!


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戦利品のコニャックを手に、私とカメラマンは公園へと向かう。
彼はさっきからしきりとあたりを気にしている。

「この国では外で酒を飲むことは禁止されているんだ。
 警官に見つかったらやっかいだ。
 俺は向こうの通りを見張ってるから、お前はあっちを見ていてくれ。
 私服の警官もいるから気をつけろよ。
 少しでも怪しい奴を見かけたら、すぐに酒を捨てて逃げろ」

なんだかおもしろくなってきたぞ。
この公園には樹木はほとんどないから、外からは丸見えだ。
もし本当に警官が取り締まりに来たら、簡単に見つかってしまう。

カメラマンはカバンでコニャックの瓶を隠しながら、私のコップに注いでくれた。
あたりを気にしながら飲む酒が旨いはずがない。
モルドヴァに帰ってからゆっくりと飲みなおしたい。
だが、コニャックの瓶はカメラマンのカバンに入ったままだ。
警官の目に触れないよう、彼がしっかりと隠している。

でもそれ、侍姿の俺にって店の主人がくれた物なんだけどなー。


カメラマンは英語がまったくしゃべれなかったが、不思議と意思の疎通はできている。
彼は自分のカバンを得意げに私に見せる。
自分で作った物のようだ。
よく見ると、そのカバンは柔道着でできていた。

「柔道着は分厚いから、切ったり縫い合わせたりするのは骨が折れるんだぜ。
でもおかげで俺のカバンはとても丈夫な物に仕上がった。
かなり乱暴に扱ってもびくともしない。
市販のカバンじゃとてもこうはいかない」

お前、柔道をやってるのか?
「押忍!」

誰からも独立を認められていない国には、カンフーの達人や柔道を練習している男たちがいる。
モルドヴァには合気道の道場まであった。
アジアの格闘技って、やっぱり人気あるんだな。


カメラマンに例のカンフー・マスターの写真を見せてみた。
彼はこの男のことを知っているらしい。
祖父の代から道場を開いていて、あの男は幼少のころから英才教育を施されてきた、正真正銘のカンフーの達人なのだそうだ。

やばかった。
あの男の道場にのこのこついていかなくて本当によかった。
でなきゃ今頃俺はボコボコにされていたことだろう。

沿ドニエストル共和国はほんとに危ない国だったのだな。
いろんな意味で。


言葉が通じないにもかかわらず、カメラマンとの会話は弾んだ。
彼は片言の英語も話せないのだが、不思議なことにお互い何を言いたいのかはわかるものなのだ。

「俺の部屋に寄ってけよ。 駅の近くだから列車の発車時刻ギリギリまでうちにいればいい」
彼の提案は願ってもないものだった。
未承認国家・沿ドニエストル共和国に住む人の家に招かれるチャンスなんてそうそうあるもんじゃない。

「晩飯になにか作ってやるよ。
 スーパーに寄って買い物していこう」


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店の前の広告には

「 BANZAI 」

と書かれてある。

世界中のほとんど誰もがその存在すら知らない国の片すみに、ひっそりと日本語の広告が掲げられている。
外国でこういうのを目にするたびに、いつも再認識させられる。
これほど影響力のある国って、他にはないんじゃないだろうか。
日本にいる時はなにも感じないが、実は俺たちの国ってすごいんじゃないんだろうか。


感慨にふけっていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
どうやらパトカーのようだ。
意味もなく不安な気持ちになる。
まさかパトカーは我々に向かってきているわけではないだろうが、なんなんだろうこの焦燥感は。

カメラマンも同じ気持ちのようだ。
話すのをやめ、じっと音のする方を見つめている。


猛スピードで走ってきたパトカーは、我々の行く手を阻むように停止する。
どういうことだ?
カメラマンの方を見ると、舌打ちして目を伏せている。
なんだ?
もしかしてヤバい状況なのか?

パトカーから降りてきた警官は二人。
一人はカメラマンの方へ。
もう一人は私の方へまっすぐにやってきた。

いったいどういうことだ?
もしかして、さっき公園で酒を飲んだことと関係があるのだろうか。
まさかそんなことくらいでパトカーがサイレンを鳴らして駆けつけてくるとはとても思えない。
じゃあなぜ?

警官にパスポートを要求される。
彼は英語が話せないようなので、私への尋問はなかった。

しかし、カメラマンは執拗に何か聞かれている。
私のことを時々見ながら話しているから、きっと私のことについて質問されているのだろう。

「だからこんな奴知らないって言ってるだろ。
 さっき会ったばっかりで、こいつが誰なのか俺はまったく知らないんだってば!」

そう言っているように聞こえた。


警官の興味の対象が私なのは明らかだ。
だとしたら私は今、とてもマズい状況に陥っているのだろうか。
外務省の危険情報の文言が脳裏によみがえる。

「沿ドニエストル地域には、モルドバ政府の施政権が及んでおらず、仮に日本人渡航者が同地域での事件・事故等に巻き込まれた場合、モルドバ政府が十分な救済措置を講じることができない状況にあります。

「モルドバには、日本の大使館が設置されていません。
このため、緊急事態や事件・事故に遭遇した場合には、日本国大使館等による迅速な対応を得ることができず、事実上身動きがとれない状態に陥ることとなります」


やましいことはなにもしていない(酒を飲んだだけだ)。
警官に私の刀が本物ではないことを証明し、荷物検査にも積極的に協力した。
それでも警官たちはねちねちとカメラマンに対して何か言い続けている。

ようやく取り調べから解放された。
しかし、パトカーに乗り込む際にも警官はカメラマンに対してなにか言っていた。

「へんな外国人なんかに関わり合いにならない方がお前の身のためだぞ」

そう念押ししているように聞こえた。


パトカーが走り去った後も、カメラマンはすっかり萎縮したままだ。
私からは距離を置いている。
私の存在を持て余している様子がはっきりと見て取れる。

どうやら彼の家に招待されるという話はなかったことになったようだ。
残念だが仕方がない。
準戦時下にあるこの国では、国家権力の統制はかなり厳しいのだろう。
警官に目をつけられでもしたら、いろいろと面倒なことになるのかもしれない。

まだ日没までには時間があったが、ここらが潮時だ。
次のバスでキシニョウに帰ることにした。


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ティラスポリ駅前


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モルドヴァは美人の宝庫だ、という話を聞いたことがある。
でも、この写真のような美女はあまり見かけなかったような気がする。

真偽のほどはわからないが、ヨーロッパの娼婦の3割はモルドヴァ出身だ、という話も聞いたことがある。
そういえばトランスニストリアではあまり女の子の姿を見かけなかったような気もする。
若い娘はみな、西ヨーロッパへ出稼ぎにでも出かけているのだろうか。


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帰りのバスでは窓際に座れたので、沿ドニエストル共和国の街並みをじっくりと見ることができた。
伝統的なモルドヴァ家屋が点在している。

世界中の国から独立を認められていない国家。
この国はいったいいつまでこんな不安定な状態を続けるつもりなのだろう。

今は戦乱は収束しているようだが、問題が解決したわけではない。
ウクライナ情勢をうけて、再び紛争が勃発する兆しが見え始めているともいう。

沿ドニエストル共和国。
つい数日前まで私は、この国の存在すら知らなかった。

だが、今では忘れることのできない国となってしまった。
一見とっつきにくそうに見えるが、人々はとても明るく、人なつっこい。
侍姿の私を見つけると、大喜びで肩を組んで一緒に写真を撮るような人たちだ。

たくさんの人たちとメールアドレスの交換をし、フェイスブックの友達になった。
「絵葉書を送るから」
と、住所を教えあった人もいる。

沿ドニエストル共和国。
日本のマスコミにこの国の名が登場することはほとんどない。
だが私にとってはもうこの国は「得体の知れない遠い世界の話」ではなくなってしまった。

次にこの国の名をニュースで聞くときは、それがいい話題であることを願うばかりだ。
もしもまた戦争が起こったら、こんなに狭い国のことだ、きっと全土が戦場と化すことだろう。

彼らにはどこにも逃げ場はない。


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などと感傷に浸っている場合ではなかった。
気づくとバスは国境の検問所に差し掛かっている。

すっかり忘れていた。
ここは旅行者泣かせの悪名高き沿ドニエストル共和国なのだ。
これまでに数多くの旅人たちが別室の賄賂部屋に呼ばれ、屈辱的な目に遭っている。

他人のことを心配している場合ではない。
まずは自分が無事にこの国から脱出することを考えねば。

多少の賄賂を支払うことには目をつぶろう。
でも、なんとしてでも写真だけは守りたい。

カメラからSDカードを抜き出し、別のカードとすり替える。
隠すところなどどこにもないが、軽い身体検査くらいには耐えられるようにSDカードを隠し持つ。

来るときには簡単に国境を超えることができたが、出る時も同じとは限らない。
用心しすぎるということはないだろう。


バスは検問所に停まり、係官が乗り込んできた。
一人ひとりパスポートをチェックしていく。
出国する時にはバスから降りなくてもいいのだろうか。

係官はパスポートをさっと一瞥しただけで、すぐにバスから降りていってしまった。
再びバスは何事もなかったかのように走り出す。
国境ゲートを通過した。

拍子抜けするくらいにあっさりと出国できてしまった。
他のブログに書いてあったことはいったいなんだったのだろう。
賄賂なんて要求されなかったし、荷物検査もなかった。

きっとこれはいいことなのだろう。
でも、なにか物足りない。
他の人のブログであれほど悪しざまに書かれていた沿ドニエストル共和国の国境越え。
一度体験してみたかった。


バックパッカー旅行は、驚くほど快適になってきている。
「深夜特急」時代にはインターネットなんてものはなかったから、すべてが手さぐりだった。
もちろん苦労も多かっただろうが、その分得るものも多かったはずだ。

しかし、今はなんでも事前に準備できてしまう。
情報は瞬時にして世界中を駆け巡り、リアルタイムで情勢を知ることができる。
写真や動画付きで。

悪名高き沿ドニエストル共和国の国境はもう存在しない。
この惑星はどんどん均質化し、平和で豊かになっている。

きっとよろこばしいことなのだろう。
だが、なんなのだろう。 この焦燥感は。

私は経験値を徐々に上げていき、ゆっくりと旅の難易度も上げていくつもりだった。
しかし、もっと急いだ方がいいのかもしれない。
この惑星からすべてのロマンが消え去ってしまう前に、訪れておきたい場所が私にはいくつもある。


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ティラスポリで親切にしてくれた女性、イリャーナとは、今でも交流が続いている。
日本に帰国後、絵葉書のやり取りもした。
彼女のフェイスブックからは、息子を溺愛している様子が痛いくらいに伝わってくる。

もちろん彼女は祖国である沿ドニエストル共和国を愛してはいるが、
息子にはアメリカで教育を受けさせるつもりだ。


トランスニストリアよ、われら汝を称える

テーマ : バックパッカー
ジャンル : 旅行

俺はヤクザだ(キシニョウ、モルドヴァ)

キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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ホストのアントンの車で、キシニョウ市内まで送ってもらいます。
彼は仕事があるので、市内まで通勤するのですが、そのついでに乗せてもらったのです。
ラッキー!
カウチサーフィンってこういう時に便利です。

途中、「CHISINAU」 と大きく書かれたオブジェを見かけたのですが、アントンは職場へ急がねばなりません。
車を停めてもらって写真撮影したかったのですが、それは断念せざるをえませんでした。

残念。
これがカウチサーフィンの限界か・・・


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アントンの車から見たキシニョウの市内。
やはり日本とは走っている車の種類も異なり、なかなかおもしろいです。


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ところどころに面白そうな形をした建物が見えます。
モルドヴァはあまり観光地としてはメジャーではありませんが、なかなか楽しめそうな国だと感じました。
次回はもっと時間をとって、じっくりと滞在してみようかと思います。


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これがアントンの車。
日本車です。

最近日本ではあまり古い車を見かける機会はありませんが、実は私たちの知らないうちに世界中に散らばっているんですね。
私たちの感覚では
「もうこんな車、古くて使えないよ」
と思ってしまうような年代物でも、他の国へ行けば
「やっぱり日本車はいいな」
と大人気。

日本にいる時はあまり実感できませんが、日本という国の海外での存在感は、私たちが思っている以上に大きいようです。


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国会議事堂。
モルドヴァの国旗がひるがえっています。

仮説のステージを建設中でした。
後でアントンに聞いたところ、明日はモルドヴァの独立記念日なのだそうです。
そのための式典の準備をしているのでしょう。

そういえば、オデッサを訪れた時はウクライナの独立記念日だったっけ。
ポーランドでは士官学校の卒業式に出くわしたし。

ひょっとして俺ってお祭り男?!


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侍の衣装を着て、「勝利の門」の前で記念撮影。
式典の準備をしている軍人さんたちに何か言われるんじゃないかと心配でしたが、なーんにも言われませんでした。
もうちょっとかまってほしいな・・・


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大きなチェス盤を発見。
これ、自由に動かしてゲームをしてもいいそうです。

「こんな所に置いておいて、誰かが駒を盗んだりしないのだろうか」
と心配になりましたが、後でアントンに聞いたところ、やはり時々盗難の被害に遭うことがあるそうです。

それでも撤去したり柵を設けたりする気はないみたいですね。
モルドヴァは今日も平和です。


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キシニョウ大聖堂


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市庁舎


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キシニョウのメインストリート、シュテファン・チェル・マレ大通り。
まだ朝早いためか、人通りはそれほど多くありません。


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大勢の軍人さんたちが通りを行進しているところに出くわしました。
これから国会議事堂などの官公庁の警備に向かうそうです。


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シュテファン・チェル・マレ通りをつきあたりまで歩き、解放広場まで出ました。
このあたりは高そうなホテルが多いです。
モルドヴァにそんなにたくさんの観光客が来るとは思えないんですけどね。
商用かな。


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聖ティロン大聖堂。
入り口に料金所のような小屋があったのですが、まだ朝早いためか、受付には誰もいません。
他の人もお金を払っていなかったので、そのまま中へと進みます。


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教会の敷地内には早朝にもかかわらずたくさんの人がいました。
スカーフのようなものを被っている女性も多く、みんな敬虔な信者のようです。


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キシニョウ観光はこれでおしまい。
沿ドニエストル共和国に行くために、バスターミナルへと向かいます。

その途中、青空市場を発見。
朝早くから大勢の人でにぎわっています。
なんだかおもしろそうだったので、ちょっと中を冷やかしてみることにしました。


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ブドウを見ると、昨夜飲んだモルドヴァ・ワインを思い出してしまいます。
せっかくだからこのブドウと一緒に記念撮影をしよう、と思い、三脚にカメラをセットしたのですが、人通りが多くてなかなか写真を撮ることができません。

もたもたしているうちに、この市場の責任者のような人が来て、
「こんなところで写真なんか撮るな。 出ていけ」
と言われてしまいました。

といっても彼は本気で怒っているわけではなさそうで、
「サムライ! サムライ! 」
と他の商店主たちと笑っています。

今から思えば、彼らと一緒に写真を撮っておけばよかったのですが、
「出ていけ!」
と言われビビッてしまっていた私は、そそくさとその場を逃げ出してしまいました。


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「出ていけ!」
と言われたものの、この市場は人々の熱気があって、なかなか立ち去り難い魅力があります。

ドキドキしながらも、さらにウロウロしてしまいました。


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シュテファン・チェル・マレ通りを歩いているときは、人々の表情は硬く、
「モルドヴァの人間ってなんだかよそよそしいなあ」
と感じていたのですが、この市場の中は雰囲気が異なります。

道行く人々は、侍の衣装を着た私のことをチラチラと見ています。
確かな手ごたえを感じるのですが、なかなか私に近づいてこようとはしません。
モルドヴァの人はシャイなのかな。


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それでも時々陽気なおばちゃんたちに声をかけられます。
彼女たちは英語が話せないようなのですが、どうやら
「写真を撮れ!撮れ!」
と言っているようです。
がっしりと肩を組んできました。

ああ、これが若くてかわいい女の子だったらなあ。


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ここで急きょ、新たなマイ・ルールを設定することにしました。
それは、
「訪れた街すべてで、現地の美しい女性と一緒に写真を撮る」
というものです。
旅の思い出に「いい女」は欠かせません。

いい被写体はいないものかと獲物を探していると、私好みのかわいらしい少女を発見しました。
「一緒に写真を撮ってよ」
とカメラを構える仕草をしたところ、その女の子はギャーギャーわめきながら逃げまどいます。

あら? なんだか俺、変質者扱いされてる?

これはちょっと困ったことになったぞ、
と思っていると、その娘の母親らしき女性がその女の子に向かって、
「せっかくだからサムライと一緒に写真を撮ってもらいなよ」
みたいなことを言っています。
英語ではないのであくまでも私の推測ですが。

しかしその女の子はなおもキャーキャー言って私から逃げようとします。

とその時、お母さんが娘をガシッと捕まえました。
「ほれほれ、撮ってもらいな」

体格のいい母親の腕は太く、一度捕まってしまったら容易に逃げ出すことはできそうにありません。
娘はついに観念したのか、カメラに向かってほほ笑んでくれました。
でかしたぞ、お母さん。

カメラをお母さんに渡し、その女の子と一緒に写真を撮ってもらおうとしたのですが、
今度こそその娘は「ぴゅーっ」とどこかへと走り去ってしまいました。



その後も市場内をうろついていると、なんだか後ろに気配を感じます。
振り向くと、そこには私のことをじーっと見つめている一人の少女がいました。

他のモルドヴァ人とは明らかに異なる、派手な赤色のドレスを着たその少女の背はとても低く、
年齢はおそらく10歳に満たないと思われます。

しかし、どうも様子がおかしい。
彼女の顔つきは大人の女性そのものなのです。
物腰も落ち着いていて堂々としている。
首から上は成熟した女の人なのに、首から下は幼女体型。
見れば見るほど奇異な印象は強くなっていきます。

一瞬私は、その女性はなにかの病気を患っていて、体格は少女のまま大人になってしまったのではないかと思ってしまいました。

彼女は英語が話せます。
そして話しているうちに、やはりこの娘はまだ子供なんだということがわかってきました。
話し方も話の内容も小さな子供そのものです。

百聞は一見にしかず、ということで、ぜひともみなさんに彼女の写真をお見せしたいのですが、
その女の子は断固として写真撮影を拒否しました。
どうしてかはわかりませんが、彼女は異常に写真を嫌がります。
その意思の固さは普通じゃありませんでした。



その女の子と別れると、すぐに別の男性に声をかけられました。

「先生、ぜひうちの道場に来て稽古をつけてくれ」

どうやら彼は私のことを合気道の達人と勘違いしたようです。
そういえば昨日、シュテファン・チェル・マレ通りで合気道の道場を見たっけ。
彼はあそこの生徒らしいのです。

「いや、俺はこれから沿ドニエストル共和国に行かなきゃならないから・・・」
と言って断ると、

「稽古は夜からだ。あんたの電話番号を教えてくれ。ほんのちょっとでいいんだ。日本の先生に稽古をつけてもらえる機会なんてないから、きっとみんな大喜びするはずだ。頼むっ。」

何度も断ったのですが、彼はなかなか引き下がりません。
どうしても今夜道場に来てくれと言って聞かないのです。

仕方がない。
ほんとの事を言うとするか。

私はこんな格好をしているけれども、合気道なんてまったくできないのだ、
ということを正直に彼に打ち明けました。

すると彼は

「 Hey man ! Come on ! 」
とだけ言って、とても残念そうにしながら立ち去っていきました。

こういうことは初めてではありませんが、なんともいえないみじめな気分になります。
侍の衣装を着てるだけじゃだめだ。
日本に帰ったら合気道の道場に通おう。


DSC05209.jpg

男が去ったと思ったら、今度は女の子が私のことを見つめていました。
サムライはモテるなあ。

でもごめんね。
俺は偽サムライなんだ。

私が話しかけても、その女の子はちょこんと首をかしげるばかり。
どうやら英語はわからないらしい。

ではいったいこの子は俺と何がしたいのだろう。
カメラを向けると、恥ずかしそうに下を向いてしまう。


DSC05211.jpg

「下を向いちゃだめだよ。
 ほらほら、ちゃんとレンズを見て!
 こっち、こっち!」

私がその女の子にそうお願いすると、彼女はもじもじしながらもおずおずと顔を上げてくれました。
その恥ずかしそうにしている様子がまたかわいいのなんのって!

なんだかもっといじめたくなってきました。
俺って病気かなあ。


DSC05213.jpg


はたから見てると、まるで私がいたいけな少女をいじめているようにでも見えたのでしょうか。
別の女性がさっとやってきて、女の子の肩を抱きしめました。

「私が一緒にいてあげるからね。もう大丈夫よ」

おおっ。
かわいい女の子が二人に増えた。
私としてはとてもラッキーです。

ところでこの女性は少女とどんな関係なのだろう。
お姉さんなのかな。
それともお互いの家が近所だとか。

「姉妹じゃないわよ。
 それにこの娘を見るのも今日が初めてだし」

へー、そうなんだ。
まったく見ず知らずなのに肩を組んで一緒に写真を撮ったりするのか。
モルドヴァの女の子はオープンな性格なんだなあ。



少し市場に長居しすぎた。
そろそろ沿ドニエストル共和国に向かわないと時間がなくなってしまう。
明日には俺はモルドヴァを出国しなくてはならないのだから。

バスターミナルは市場に隣接しているからすぐにわかった。
だが問題はどれが沿ドニエストル共和国行きのバスかだ。

沿ドニエストル共和国はモルドヴァから分離独立する形で自らを国家と名乗るようになった。
その過程では多くの血が流れている。
準戦争状態にあると言っても過言ではないだろう。

そんな状況にある国に行くバスが、本当に首都のターミナルから堂々と出発するのだろうか。
人に聞くのもためらわれた。
もしも私が沿ドニエストル共和国に行くことをこの国の人が知ったら、

「なにっ? お前はあいつらの国に行くのか! 許せんっ」

とか言われて怒られるんじゃなかろうか。


それにそもそも私はどこに行きたいんだろう?
沿ドニエストル共和国のことはつい最近知ったばかりで、十分な情報取集をしていない。

あてもなくバスターミナル内をうろうろしていると、一人の男が声をかけてきた。
侍の衣装を着てるのだから人目を引くのは当然だ。

50歳くらいに見えるその男からは、どこか暴力的な臭いがした。
日本の文化に興味がありそうにしていたので話を聞いてみたら、なんと日本に行ったことがあるらしい。
いったい何の用で?
この男が観光目的で外国を訪れるようには見えない。


前述したとおり、沿ドニエストル共和国は微妙な立場にある。
いちおう独立を宣言してはいるが、ほとんどの国は認めていない。
しかし独自の政府や軍隊を持っているものだから、うかつに立ち入ることはできない。

国際社会の目が行き届きにくいのをいいことに、この国は違法な薬物や武器の流通ルートになっているとも聞く。
大量のアングラマネーが流れ込み、実はこの国は豊かなのだ、という人もいる。


今、私の目の前にいるこの男も、ひょっとしたらそういう世界の住人なのかもしれない。
少しこわかったが、なかなか彼は親切だった。

「なにを探してるんだ?」
「沿ドニエプル共和国に行きたいんだ」

「ティラスポリか?」
「そうだ」


本当はティラスポリなんていう地名は知らなかったが、まっさきにこの男の口から出てきたところをみると、きっと沿ドニエストル共和国を代表する有名な街なのだろう。


「こっちだ。ついてこい」

男はそう言って私の前を歩き出す。
何人かの運転手と話をした後、一台の車を指さした。

「あの車に乗れ」

「いくらだ?」
バスの値段を聞くと、男はチケット売り場らしき建物に連れていってくれた。
意外と親切なんだな。


「俺はヤクザだ」

男は別れ際にそう言った。
ポケットからライターを取り出して私に見せる。
そこには
「SAMURAI 」
と書いてあった。

多くの日本人は「キシニョウ」と聞いても、その都市の正確な位置を思い浮かべることはできないだろう。
そんな街の市場のかたすみに、「SAMURAI」と書かれたライターを持つヤクザがいる。
日本ってすごくない?


彼にはいろいろと世話になったので、礼を言って握手をしようとしたら拒まれた。

「つい最近友人が死んだんだ。
 だから今俺は喪に服している。
 悪いが握手はできない」


その友人とやらがどんな死に方をしたのか、やはり聞かない方がいいんだろうな。





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キシニョウでカウチサーフィン(モルドヴァ)

キシニョウ(モルドヴァ)でカウチサーフィン(CouchSurfing)




オデッサ(ウクライナ)での私のカウチ。
すぐ隣にはサンベルとリーザの寝室があります。
二人の愛の巣に闖入した私は、お邪魔じゃなかったのかしらん。




彼らの飼っているオウム。
サンベルの父親がアフリカから持ち帰ったものだそうです。

このオウムはなかなか賢く、我々と会話をすることができます。
しかも、ただ「オウム返し」するだけでなく、自分で状況を判断することができるようなのです。
このオウムと話していると、彼の知能の高さに背筋が寒くなる思いをすることがありました。




オデッサからモルドヴァのキシニョウへは電車が通っているようなので、当初は電車で行くつもりでした。
しかし、サンベルたちが言うには、バスの方がいろいろと便利なのだとか。
彼らは時刻表も調べてくれ、車でバスターミナルまで送ってくれました。
バスターミナルの位置はガイドブックには載っていません。
いいホストに巡り合えて本当によかった。




オデッサのバスターミナル。
サンベルたちはチケットを買ってくれ、乗り場まで一緒についてきてくれました。
至れり尽くせりです。

オデッサではずっと彼らが一緒にいてくれたので、私は一歩たりとも独りで歩くことはありませんでした。
おかげで3日間もいたにもかかわらず、オデッサの地理はいまだに把握できていません。
良いホストに恵まれると、バックパッカーとしての勘が鈍っちゃうなあ。




バスが出発するまでには時間があったので、サンベルたちと別れた後、隣接する市場をぶらつくことにしました。






この車でモルドヴァまで行きます。
「オデッサ」はかろうじて読めるけど、「キシニョウ」はどうしても読めません。
ほんとにこの車であってるのかと不安になります。


車の中で一人の女性に話しかけられました。

「あなた日本人なの?
 なんでわざわざこんな大変な時期にウクライナになんか来るわけ?」

ウクライナを旅行していると、いろんな人からこの質問を受けます。

でも、そんなに大変かなあ。
銃声が聞こえるわけではないし、空襲警報だって鳴りません。
普通に観光できます。
制限や不自由を感じたことはありません。


ウクライナ~モルドヴァ国境では、けっこう念入りに荷物検査をされました。
空港と違い、普通は陸路国境越えの場合はそれほど厳しくチェックされることはありません。
戦争の影響も少しはあるのかな。

私の荷物の中には、侍の刀があるので、けっこう冷や冷やしながらの国境通過となりました。




モルドヴァ領に入ってからしばらくして、食事休憩のために車は停まりました。
私はモルドヴァのお金はまだ持っていなかったので、ご飯はがまんです。


私たちの乗ったバスは、若い男女が運転手と助手でした。
ところが、この二人はどう見てもデキてるのです。
車内ではまるでドライブ・デートでもしているかのようにラブラブ状態。

もちろん休憩中も手をつないでレストランへと入っていきました。
きっと楽しくおしゃべりでもしているのでしょう。
なかなか出てきませんでした。

早く出発しようぜ。
俺は今日のうちに少しでもキシニョウを観光しておきたいんだ。




オデッサ~キシニョウ間には大きな都市はありません。
小さな村が点在するのみです。

東ヨーロッパを旅行していると、日本というのはほんとに人口密度の高い国なんだなあ、と思い知らされます。




これがモルドヴァの伝統的な家屋なのだろうか。
なんだか独特の形をしています。




バスターミナルに到着。
ガイドブックの地図を見る限り、バスターミナルはキシニョウの市街地のど真ん中にあるはずなのに、
ここはどう見ても郊外に位置しているようにしか見えません。

英語の通じそうな若い女性に聞いてみると、やはりここから市街地まではかなり距離があるとのこと。
「歩いて行けるか?」
と聞くと、彼女は私の荷物にちらっと目をやり、
「無理!」
と即座に答えました。

ガイドブックの地図にはこのバスターミナルは載っていないので、グーグルマップとGPSで現在位置を確認します。
たしかに街の中心部までは遠そうですが、歩いて行けない距離ではなさそうです。
さきほどの女性に
「1時間あればたどり着けるか?」
と聞くと、
「そんな長い距離歩いたことないからわかんない!」
と失笑されました。


バスターミナルには両替所があったので、モルドヴァのお金を入手することにします。
窓口に並ぶと、気配を察したのか、私の前にいた女性が振り返ります。
私の姿を認めるや否や、私の目をにらみつけます。
きっと私が彼女の荷物を盗もうとしているとでも思ったのでしょう、彼女は私の顔をにらみつけたまま、地面に置いていた荷物を大事そうに抱きかかえました。

気持ちはわかるけどさあ、なんか感じ悪ぅー。
人のことを泥棒あつかいするなよ。
俺、なにもしてないのに!


しばらく待った後、ようやく私の順番がやってきました。
窓口の方へ進もうとすると、後ろからサッと割り込んでくる女性がいます。

「おいっ! 俺が先だろ? ちゃんと順番を守れよ!」
と怒鳴ると、その女性は私の顔をにらみつけます。
なんで俺がにらまれなきゃならないんだよ。
悪いのはそっちの方なのに。


なんなんだ、モルドヴァ?
この国の人間はみんなこんな感じなのか?

その国の印象は出会った人にかなり左右されます。
モルドヴァでの最初の一歩はあまり芳しくないものとなりました。




けっきょくウクライナのお金を両替してはもらえませんでした。
ATMを探すのもめんどうなので、やはりバスは使わずに歩いてキシニョウ市内へ向かうことにします。

でもその前に腹ごしらえ。
リーザがくれた弁当をいただきます。
ミッキーマウスの焦げ目の付いたパン。
優しかったウクライナの人たちの顔が目に浮かびます。

それにひきかえ・・・




市内への行き方を教えてもらおうとしたのですが、二人に聞いたところ、それぞれ別の方向を教えられました。
最期に頼りになるのはやはり自分しかいないということか。
グーグルマップとにらめっこしてどの道へ進むか考えます。
遠回りだけど簡単な道を行くか、近道だけどややこしそうな道を選ぶか。

迷うのを覚悟で近道を行くことにしました。

交通量は多いのに信号はなく、横断歩道などという歩行者に優しいものはこの国には存在しないようです。
おまけに私は重い荷物を担いでいます。
車が途切れた瞬間を見計らって道を渡るなんて芸当はできないのです。

しかたがない。
ベトナム方式で行くか。

車が猛スピードでビュンビュンと行き交う中、ゆっくりと道路を横断します。
日本で同じことをやったらクラクション鳴らされまくりでしょう。

しかし、意外にもみんなおとなしく、私のためにスピードを落としてくれました。
モルドヴァ人もいいとこあるじゃん。






モルドヴァというのはとても貧しい国だというイメージがあったのですが、とてもそんなふうには見えません。
たくさんの車が走り、新しい建物もあちこちに見受けられます。
豊かなのはいいけど、物価が高かったらいやだなあ。




キシニョウにはなぜか、いたるところに両替商があります。
何軒かの店に入ってみたのですが、なかなかウクライナの通貨を交換してくれる所はありません。
隣の国の通貨だというのに。
ロシアと戦争状態にある国のお金なんて危なくって使ってられない、ということでしょうか。

店先に出ている通貨レート表にはウクライナは載っていませんでしたが、ダメもとである両替商に入ってみました。
今までに試してみた何軒かの店では、ウクライナのお金を見せた途端に首を横に振られたのですが、
この店ではどうやら交換してもらえるようです。

計算機に数字を打ち込み、受付の女性が私にそれを見せます。
かなり悪いレート。
ごっそりと持ち金が減ってしまいます。

しかし、ウクライナのお金なんて持っていても、この先使うあてはありません。
これまでに何軒も両替商をまわりましたが、すべて門前払いでした。
少額でもいいから、モルドヴァのお金に換えておくしか他に手はなさそうです。


私の旅のスタイルは、複数の国を駆け足で一気に回るというもの。
国によって通貨が異なるので、両替のロスを防ぐためにも、余らないように計算しておくのが鉄則です。
あるいは、なるべくクレジットカードで支払うようにするというのも一つの手段でしょう。

でも、私は小心者なので、常に懐に余裕がないと不安なのです。
なのでついつい大目にお金を引き出してしまいがち。

それに、クレジットカードはあまり使いたくありません。
せっかく遠い国まではるばるやってきたのだから、その国のお金をこの手で使ってみたい。


西ヨーロッパでは多くの国がユーロを導入しています。
しかし、ここ東ヨーロッパではほとんどの国がそれぞれ独自の通貨を使用しています。
国境を超えるたびに両替を繰り返していると、そのコストもバカになりません。

それでも、それでも私は現地のお金を触ってみたいんだよ。

東欧の国の中にも、ユーロの導入を検討しているところがあります。
近い将来、ほとんどの国が統一の通貨を利用するようになるかもしれません。
さらにはクレジットカードや電子マネーの普及により、お金そのものがなくなる日もそう遠い未来の話ではないでしょう。

だからせめて今だけは、人の手垢にまみれてしわくちゃになったお札を使っていたいんだよ。




ようやく手に入れたモルドヴァの紙幣。
シュテファン・チェル・マレの肖像が印刷されています。
東ヨーロッパを旅行していると、うんざりするくらいこの名を聞くことになります。




キシニョウのメインストリート、シュテファン・チェル・マレ通り。
ここまで来ればもう迷う心配はありません。

ちょうどタイミングよく、ここでのホスト、アントンからメールが届きました。

「マサト、今どこにいるんだ?」

胸を張って答えられます。

「シュテファン・チェル・マレ通り!」

「Great ! 」

アントンは詳しい待ち合わせ場所をメールで送ってくれました。
彼はすでに仕事を終えているようです。
あまり待たせるわけにはいきません。
背中のリュックが重いけど、少し歩を早めることにしよう。




一国の首都の、メインストリートとは思えない惨状。
モルドヴァの人は細かいことは気にしない主義なのかな。






東欧はどこもそうなのですが、ここモルドヴァでもアジア人をまったく見かけません。
ここまでくると気持ちいいです。

東洋人は珍しいはずなのに、誰も私の存在など気にもとめない様子。
モルドヴァ人は目が悪いのか、好奇心が希薄なのか。
アジア人だからといって差別されることはないのですが、まったく無視されるのもさびしいなあ。




こんなところにも合気道の道場が!




キシニョウのランドマーク、「勝利の門」にたどり着くことができました。
アントンが指定した場所はこの近くのはず。
でも、私の地図には載っていません。
どうせならこの「勝利の門」を待ち合わせ場所にしてくれりゃいいのに。

なかなか待ち合わせ場所を見つけることができず、ウロウロしていると、アントンから再びメールが。

「今どこにいるんだ?」
「勝利の門 ! 」

アントンは近くにいたようで、歩いてやってきてくれました。

いや、だから最初からここを待ち合わせ場所にしとけば・・・



アントンの車に乗り込み、彼の家へと向かいます。
どうやらここからかなり離れた場所のようです。

明日はアントンは仕事があるので、私は自分一人でキシニョウ観光をしなければなりません。
でも、彼の家がキシニョウ市内からこんなに遠いんじゃあ不便だなあ。

しかし、アントンの話を聞いて、私がいかに甘えたことを言っているのか思い知らされました。

彼は以前、日本人の女の子をホストしたことがあるそうです。
今回私は彼の車で家まで連れていってもらっていますが、その女の子は住所だけ渡されて、自力で彼の家までたどり着いたのだとか。
アントンの家はキシニョウ市内からは遠く、「地球の歩き方」の地図には載っていません。
バスの乗り方も書いてありません。
それなのに独力でアントンの家を探し当てるとは。
日本の女子バックパッカーはたくましいのだな。


彼の家で荷物を降ろし、さっそく夕食です。

「なにが食べたい?」
とアントン。

もちろんモルドヴァ料理!

でも、私の持っている「地球の歩き方」にはキシニョウ市内のレストランは1軒しか載っていません。
アントンにそれを見せると、

「もっといい所があるよ」

ということなので、連れていってもらいました。
彼の家から歩いていける距離です。




このお店はモルドヴァのファミレスのようなもので、あちこちに姉妹店があります。
値段もリーズナブル。

アントンがこんな話をしてくれました。

あるテレビ番組で、二組のレポーターがモルドヴァを旅行することになりました。
一人は潤沢な資金を持たされ、もう一人は少額のお金しか持っていない、という設定です。

お金をたくさん持っている方の人は「地球の歩き方」にも載っている高級レストランへと行き、
貧乏な方の人はこのお店で食事をすることになりました。

どちらの店も、同じモルドヴァの伝統料理をだします。
もちろん、値段には雲泥の差がありますが。

ところが、でてきた料理を見た視聴者はびっくりしました。

「どっちの店で食べても一緒じゃん!」


もちろん、見た目ではわからない素材の違いや、調理の手間暇の差はあるのでしょう。

「それでも俺はこっちの店の方をすすめるよ」

地元の人がそう言うのですから、私にも異存はありません。


あっ、でもモルドヴァの物価は安いので、普通の日本人旅行者の感覚からすれば、高級な方のレストランを選んだとしても、
「こんなに食べてもこの値段なの? 安い!」
と思えることでしょう。





モルドヴァの料理なんてなんにも知らなかった私は、すべてアントンにおまかせすることにしました。

「典型的なモルドヴァ料理を食べさせてくれ!」

という私の注文に、彼は困っています。
メニューに載っているのはどれもモルドヴァ料理なので、その中からどれか一つ選べ、と言われてもすぐには決められないのでしょう。




お店の内装も、伝統的なモルドヴァの家屋をイメージしているようです。








モルドヴァの料理というのはあまり特徴がなく、それほど印象に残りませんでした。

しかし、しかしワインは違います。
私はワインのことなんかまったくわかりませんが、そんな私でもモルドヴァ・ワインにはうならされました。
むちゃくちゃおいしいです、このワイン。
私が今までに飲んだどんなワインとも比べものになりません。

ファミレスのチェーン店で飲める一番安いワインですらこんなにおいしいのです。
高級店で飲む本物のモルドヴァ・ワインなんて飲んだ日にゃあ、いったいどうなってしまうんでしょうね。
いつの日か試してみたいものです。




左がホストのアントン。
おっとりとした性格で、彼と一緒にいると心が安らぎます。




食事の後、スーパーに立ち寄りました。
モルドヴァは物価が安いので、ここで必要なものをそろえておこうと思ったのですが、品ぞろえはあまりよくありません。
日本ってやっぱり豊かな国だったんだなあ。


幹線道路から一歩外れると街灯はなく、あたりは真っ暗。
道路工事で掘削しているのに、フェンスで覆ったりもしません。
うっかりしてると転落してしまいます。

いたるところでインフラの不十分さが目につきます。
やはりこの国はそれほど豊かではないのかな。


アントンはとても親切で、キシニョウの見どころを丁寧に教えてくれました。
ガイドブックにはほとんど記載がないモルドヴァですが、実はいろいろと楽しそうな場所はあります。

しかし、アントンには悪いのですが、私は彼が教えてくれた場所をほとんど訪れることはできないでしょう。
もともとモルドヴァで観光をしようというつもりはありませんでした。

私には、

「すべての国でカウチサーフィンを利用する」

というミッションがあるためにモルドヴァにやってきただけです。
なのでこの国には2泊するだけです。
そのうち観光に費やせるのは実質1日のみ。

しかもその一日は、キシニョウではない別のところにあてるつもりです。


ガイドブックにはモルドヴァの情報はほとんど載っていないので、インターネットで情報を集めていました。
そこで偶然、「沿ドニエストル共和国」なるものを発見してしまったのです。

これはウクライナとモルドヴァの間にある地域で、彼らは独立国を宣言しているのですが、ほとんどの国はそれを認めていません。
沿ドニエストル共和国を独立国家として認めているのはロシアくらいのものです。

しかし、過去にかなり激しい紛争があったため、モルドヴァの施政権が及んでいないのも事実なのです。
彼らは独自の政府と軍隊を持っているため、モルドヴァの警察は立ち入れません。

ということは、国際的にはそこは無法地帯?

そんな状況なので、日本の外務省も邦人にはここに行ってもらいたくなさそうです。

独立を宣言しているのに、誰からも認めてもらえない。
それなのに誰も手出しできない。

こんなおもしろうそうな国、見過ごすわけにはいかないじゃないか!

というわけで、明日 行ってきます。


テーマ : ヨーロッパ旅行記
ジャンル : 旅行

カウチサーフィン(CouchSurfing)とは?

CouchSurfingKyoto

Author:CouchSurfingKyoto
.カウチサーフィン(CouchSurfing)とは。

日本に観光に来た外国人の宿として無償で自宅を提供し、国際交流を深めるというカウチサーフィン。

また、自分が海外に旅行に行く時には、現地の一般家庭に泊めてもらい、その土地に住む人々の生の暮らしを体験することだってできてしまいます。

ここは、そんなカウチサーフィンの日常をありのままにつづったブログです。

「カウチサーフィンは危険じゃないの?」
そんな危惧も理解できます。
たしかに事件やトラブルも起こっています。

なにかと日本人にはなじみにくいカウチサーフィン。

・登録の仕方がわからない
・詳しい使い方を知りたい
・評判が気になる

そんな人は、ぜひこのブログをチェックしてみてください。
きっと役に立つと思います。

最後に。

「カウチサーフィンを利用すれば、ホテル代が浮く」

私はこの考え方を否定しているわけではありません。
私もそのつもりでカウチサーフィンを始めましたから。

しかし、カウチサーフィンは単なる無料のホテルではありません。
現在、約8割のメンバーはカウチの提供をしていません。サーフのみです。

だって、泊める側にはメリットなんてなさそうですものね。

「自分の部屋で他人と一緒に寝るなんて考えられない」
「お世話したりするのってめんどくさそう」

時々私はこんな質問を受けることがあります。

「なぜホストは見知らぬ人を家に招き入れるのか?」

それはね、もちろん楽しいからですよ。

自己紹介
プロフィール


こんにちは。
京都でカウチサーフィン(CouchSurfing)のホストをしている、マサトという者です。
ときどきふらりと旅にも出ます。
もちろん、カウチサーフィンで!


(海外)
2011年、ユーレイル・グローバルパスが利用可能なヨーロッパ22カ国を全て旅しました。
それに加えて、イギリスと台湾も訪問。
もちろん、これら24カ国全ての国でカウチサーフィン(CouchSurfing)を利用。

2012年、東南アジア8カ国とオーストラリアを周遊。
ミャンマーを除く、8カ国でカウチサーフィンを利用しました。

2013年、香港、中国、マカオをカウチサーフィンを利用して旅行。 風水や太極拳、カンフーを堪能してきました。

2014年、侍の衣装を着て東ヨーロッパ20か国を旅行してきました。


(日本国内)
これまでに京都で329人(53カ国)のカウチサーファーをホストしてきました(2013年6月25日現在)。

もちろん、これからもどんどんカウチサーフィンを通じていろいろな国の人と会うつもりです。



カウチサーファーとしてのカウチサーフィン(CouchSurfing)の経験:


オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、チェコ共和国、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、ルーマニア、スロヴェニア、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、台湾

シンガポール、インドネシア、オーストラリア、マレーシア、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナム

香港、中国、マカオ

スロヴァキア、ポーランド、リトアニア、ラトヴィア、エストニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ、沿ドニエストル共和国、ルーマニア、セルビア、マケドニア、アルバニア、コソヴォ、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、リヒテンシュタイン


ホストとしてのカウチサーフィン(CouchSurfing)の経験:


アイルランド、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、イスラエル、イタリア、イラン、インド、インドネシア、ウクライナ、エストニア、オーストラリア、オーストリア、オランダ、カナダ、韓国、クロアチア、コロンビア、シンガポール、スイス、スウェーデン、スコットランド、スペイン、スロヴァキア、スロヴェニア、タイ、台湾、チェコ共和国、中国、チュニジア、チリ、デンマーク、ドイツ、トルコ、日本、ニューカレドニア、ニュージーランド、ノルウェー、ハンガリー、フィンランド、ブラジル、フランス、ベトナム、ベルギー、ポーランド、ポルトガル、香港、マダガスカル、マレーシア、メキシコ、モルドバ、リトアニア、ルーマニア、ロシア



メールフォーム:個人的に相談などありましたら、こちらからどうぞ(非公開です)

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