旧友との再会(スチャバ、ルーマニア)

2日間お世話になったアントンのアパート。
「共産主義時代のオンボロだ」
とアントンは言いますが、いやいや、なかなか快適でしたよ。
少なくとも日本の団地なんかよりもはるかに広くて落ち着けます。
ここからいったんバスでキシニョウ市内まで出て、そこでバスを乗り換え、南側のバスターミナルへと向かう予定です。
市内までは乗り換えなしでストレートに行けるから、道に迷う心配も無し。
キシニョウ市内はもうすでに何度も見ているので、降りる場所を間違うこともないでしょう。
初めての土地だといろいろと緊張しますが、もうキシニョウは私の庭のようなもんです。
たった3日間の短い滞在でしたが、それでも愛着のようなものを感じます。
「もうちょっとゆっくりしてもよかったかな。今度来る時はじっくりと腰を落ち着けてモルドヴァ観光をしよう」
などと物思いにふけりながら車窓を眺めていると、行く手には異変が。
警官が道路を封鎖しているのです。
なんだ?
沿ドニエストル共和国が攻め込んで来たのか?
バスは通常のルートから外れて、細い道へと入っていきます。
すっかり忘れていましたが、今日はモルドヴァの独立記念日でした。
市内では大々的に記念式典が行われるのでしょう。
そのための交通規制が敷かれているようです。
バスは狭い道を右へ左へと縫うように走ります。
そのうち私は方向感覚を失い、いったい今自分がどのあたりにいるのかわからなくなってしまいました。
まずいな。
これではどこでバスを降りればいいのか見当もつかない。
周りの乗客に聞いてみたのですが、英語を理解できる人はいないようです。
独立記念日の今日は祝日。
まだ朝早いので学生やビジネスマンといった層は市内へ向かうバスには乗っていないのです。
今日は移動日で、のんびりとバスの旅を楽しむ予定だったのに。
とんだ誤算だ。
年に一度しかない独立記念日の日にモルドヴァを訪れてしまった自分の不運を呪います。
そうしている間にも、バスはまったく見覚えのない景色の中を走り続けます。
いったいどうすればいい?
いったんバスを降りて、英語のわかる人を捕まえるべきだろうか。
と考えていたら、遠くの方に見覚えのある教会が見えてきました。
あの独特の形は、聖ティロン大聖堂だ!
知らないうちにこんなところまで来てしまっていたのか。
だが、ここから街の中心部への行き方ならわかる。
いいぞ。俺はツイてる。
喜び勇んでバスを飛び下りました。
しかし、なにか違う気がする。
こんな場所通ったっけ?
近づいてよく見てみると、聖ティロン大聖堂だと思った教会はまったく別のもののようです。
やってしまった。
脇の下を冷たい汗が流れ落ちていきます。

ここはどこだ?
道端には廃墟のようなものもあり、どうやら市の中心部からは遠く離れているような気がします。
あっ!
グーグルマップを使えばいいじゃん。
急なバスの進路変更でパニくっていた私は、そんなことにも気が付きませんでした。

独立記念日の今日はバスのルートは大幅に変更になっているようです。
もうバスを利用するのはやめておこう。
重い荷物を抱えたまま、えっちらおっちらとキシニョウ市内を目指します。
なにをやってるんだ俺は。
体力と時間の無駄遣いだ。
独立記念日のばか。

ようやくシュテファン・チェル・マレ通りへとたどり着きました。
道路沿いには観光案内図のようなものが掲げてありますが、この国はちっとも旅行者に優しくなんかないぞ。
時間を大幅にロスしてしまったので、さっさとバスターミナルへと向かいたかったのですが、キシニョウ市内ではまだやることが残っています。
私にはすべての訪問国から絵葉書を送るというミッションがあるのです。
なんとか絵葉書を購入したものの、売店では切手を売ってくれません。
郵便局でしか買えないというのです。
モルドヴァに限らず、そういう国はけっこうあります。
そしてその郵便局はバスターミナルとは逆方向。
はーっ。
たかが切手を手に入れるために、この重い荷物を抱えて歩かなきゃならないのかよ。
途方にくれていた私ですが、捨てる神があれば拾う神もあるのです。
しかもとびっきり上玉の女神が二人!
「なにかお困りですか?」
私にむかって、二人の美少女がほほえんでいるではありませんか。
そうだ、忘れていた。
モルドヴァは美人の宝庫だった。
今日は一日バスに乗りっぱなしで、楽勝の日のはずだった。
それなのに重い荷物を担いで、熱い中、余分な距離を歩いてきた俺に、神様がご褒美をくれたにちがいない。

二人とも流ちょうな英語を話し、とても柔和な表情を浮かべています。
東欧の女の子はおっとりした性格の娘が多い。
日本人好みです。
モルドヴァ最後の日に思わぬ僥倖に恵まれ、ウキウキしながら彼女たちとの会話を楽しんでいました。
ところが、だんだんと雲行きが怪しくなってきます。
「人生の意味ってなんだと思う?」
「あなたが苦しんでいるのは神様のせいなのかしら?」
「死んだら、いったいどんな世界が待っていると思う?」
えーっと・・・
もっと色気のあるお話をしません?
「答えはすべてここに書かれているのですっ!」
彼女たちがそのかわいらしいバッグから取り出したのは聖書でした。

(キシニョウ市内の郵便局)
くそっ。
また予定外の時間を使ってしまった。
まあそれなりに楽しかったけど。
今度こそ郵便局へと向かいます。
しかし今日は独立記念日。
日本の郵便局なら祝日は閉まっています。
東欧の郵便局が日本人よりもよく働くとは思えん。
もしも閉まっていたら切手は買えない。
ということは、モルドヴァから絵葉書を出すことはできないのか。
それは困るなー。

(郵便局の中)
幸いなことに、郵便局は営業していました。

絵葉書に切手を貼ってもらい、無事に投函することができました。
これにてミッション完了。

シュテファン・チェル・マレ通りでこんな物を見つけました。
なんの広告かは知らないけど、なにか間違ってる気がする。
キシニョウには3つのバスターミナルがあります。
ルーマニア行きのバスは南バスターミナルから出るということだったので、あらかじめアントンに詳しく行き方を聞いておきました。
教えられたとおり、シュテファン・チェル・マレ通りからバスに乗り、バスの運転手や他の乗客に、自分が南バスターミナルに行きたいんだということをアピールしておきます。
日本のバスのように案内表示があるわけではないので、こうでもしておかないと、どこで降りればいいのかわからないのです。
普通なら、まわりの人に声をかけておけば、
「次があんたの降りる場所だよ」
と誰かが教えてくれます。
でも、モルドヴァは違いました。
バスの窓からバスターミナルらしきものが見えたので、
「あれはバスターミナルか?」
と聞いたら、
「そうだよ」
という返事がかえってきました。
あれほど「バスターミナルへ行きたい」と念押ししておいたのに、誰も教えてくれなかったのです。
一駅離れたバス停で急いでバスを降り、もと来た道を歩いて戻ります。
重いリュックを担いでいるので、その一駅がとてつもく遠い距離に感じます。
モルドヴァ人 冷てー。

事務所らしき建物に入り、スチャバ行きのチケットを買おうとすると、
「ここはバスターミナルじゃない」
と言われてしまいました。
ほんとのバスターミナルは、ここさらさらにバスで2駅先にあるのだそうです。
なんだとー。
バスの運転手も他の乗客も、私がバスターミナルへ行きたがっていたことはわかっていたはず。
それなのになぜ誰も教えてくれなかったんだ?
モルドヴァ人って、ほんっと冷てーな!

(キシニョウの南バスターミナル)
このバス停2駅分が遠いのなんのって。
今日は楽勝の移動日のはずだったんだけどなー。
スチャバ行きの直通バスは午前中にしかなく、Iasi で一度乗り換えなければならないらしい。
予定していたよりもかなり時間がかかりそうだ。
日没までにスチャバに着けるか?

(キシニョウの南バスターミナル)
キシニョウを出発してから2時間ほどで、ルーマニアとの国境に差し掛かります。
そのころには天候は急変し、土砂降りの大雨となりました。
なんだか気分が滅入ります。
しかも国境通過の審査にやたらと時間がかかっています。
早くしてくれよ。
暗くなる前にスチャバに着きたいんだ。
しかし文句は言えません。
時間がかかっているのは私のせいでもあるのですから。
私のパスポートをチェックしていた女性係官が眉をしかめます。
「あなた、沿ドニエストル共和国に入国したの?!」
やはりモルドヴァの官憲はあの国のことを快くは思っていないようです。
彼女は私のパスポートのページを繰りながら、同僚となにやら話し合っています。
それにしても、なぜ俺が沿ドニエストルに行ったことがバレたんだろう。
国境審査官は私の荷物を念入りに検査していましたが、なんとか通してもらうことができました。
返してもらったパスポートを見ても、沿ドニエストル共和国の痕跡はありません。
はて?
パスポートをパラパラめくっていると、ありました。
一番後ろのページに沿ドニエストルの入出国スタンプが押してあったのです。
いろいろと黒い噂の絶えない未承認国家、沿ドニエストル。
その国に入国した記録をパスポートに刻まれてしまった。
このことは今後、私の旅行を不便なものにするのだろうか。
不安になると同時に、貴重な記念品をもらったような気もして、ちょっとうれしかったです。

(Iasiの駅前)
夕方5時ころ、ルーマニアのIasiに到着しました。
ここでスチャバ行きのバスに乗り換えです。
私は数年前ルーマニアを旅行したのですが、その時にはブカレストやシギショアラ方面しか訪れていません。
ルーマニア東部を見るのはこれが初めてなのですが、なんだか私の抱いていたルーマニアのイメージとはかけ離れているような気がしました。
以前にこの国を訪れてからけっこう時間が経ってしまったから、それだけこの国の雰囲気も変わってしまったのだろうか。
もっと素朴で懐かしい土地だったのに、なんだかすっかり様変わりしてしまっている。
ちょっとさびしい。

おっ!
なんだかルーマニアっぽい建物。

バスが出発するまでには少し時間があったので、モルドヴァのお金をルーマニアのものに換えることにしました。
「これでいい?」
両替商の女性が電卓を叩き、数字を私に見せます。
ルーマニアの通貨の価値がとっさにわからず、私も自分の電卓で計算してみます。
うわーっ!
むちゃくちゃ目減りしてるー!
私は自分でも気づかないうちにギョッとした表情をしてしまったのでしょう。
窓口の女性は肩をすぼめて、
「悪いわね。それがうちの会社のレートなのよ」
とすまなさそうに言います。
ここIasiはルーマニア東部の玄関口。
駅やバスターミナルの近くなのですから、探せば他にも両替商はあるはずです。
でももういいや。
雨は降ってるし、重いリュックを担いでまた別の店に行くのもめんどくさい。


Iasiのバスターミナル

19:30頃、ついに今夜の目的地、スチャバに到着しました。
さすがに日も暮れかかり、だんだんと暗くなってきています。
私はここでのホテルを予約していませんが、まったく不安はありません。
なぜなら、このスチャバには世界で一番頼りになる、「あの男」がいるからです。

(金閣寺でJKと戯れるジョージ)
数か月前、京都の私のもとに一通のカウチリクエストが届きました。
ジョージというその男は、ルーマニアのスチャバという街に住んでいるといいます。
スチャバ!
なんという偶然。
ちょうどその時私は、今回の東ヨーロッパの旅行を計画していました。
ルーマニアには以前訪れたことがあったので本来ならパスする国なのですが、ルーマニアはちょうどモルドヴァからセルビアへの通り道にあたります。
しかも前回この国を訪れた時、他の西欧諸国にはない独特の雰囲気に引き込まれ、私のお気に入りの国のひとつでもあったのです。
どうせならまだ訪れたことのないブコヴィナやマラムレシュ地方に行ってみたい。
特に5つの修道院!
そう思って調べてみると、どうやらこの地方は交通の便が悪く、5つの修道院を個人が公共交通機関を利用して全部回るのは至難のわざのようです。
どころが!
ジョージはスチャバに住んでいるというではありませんか。
この街は5つの修道院観光の拠点となる場所です。
しかも彼のカウチサーフィンのプロフィールを読むと、これまでにホストしたカウチサーファーを彼の車で5つの修道院に案内しているようです。
こんなにうまい話があっていいのだろうか。
私ははりきってジョージを京都でもてなしました。
そうです。
「海老で鯛を釣る」作戦です。

(嵐山の竹林でやまとなでしこの肩を抱くジョージ)

(清水寺で着物女性に囲まれてご満悦のジョージ)
私のこの作戦はみごとに成功し、京都観光にいたく感激したジョージは、
「マサト、今度は俺がお前に恩返しする番だ。
ルーマニアに来た時にはぜひ俺にお前の世話をさせてくれ」
とまで言ってくれたのです。
なんという義理人情に熱い男だ、ジョージ。
遠慮なくその好意に甘えさせてもらうぜ。

(スチャバのバスターミナル)

夕焼けに染まるブコヴィナ地方。
遠くにはこの地方独特の様式をした教会が見える。
太陽が沈み、あたりが暗くなってきた。
さすがに少し不安になってくる。
ジョージはまだか?
もしかして俺は、降りるバス停を間違えたのだろうか。
心細さがMaxになったちょうどその時、ジョージは現れた。
しかも乗っている車はBMWの四駆。
わおー。
ジョージ、お前実はけっこうな金持ちだったんだな。
車から降りてきたジョージは、くしゃくしゃの笑顔で私を抱きしめてくれる。
「よく来たな、マサト」
がっちりと固い握手を交わす。
外国を一人で何か月も旅していると、時々どうしようもなく寂しい気持ちになることがある。
特に夕暮れ時なんかには、なんともいえない焦燥感に襲われる。
しかもここはルーマニア。
あのドラキュラ伝説で有名な国なのだ。
そんな時に知っている顔に会うと心からホッとする。
しかも相手は誰よりも頼りになる男、ジョージ。
俺が女なら間違いなく奴に惚れている。
張りつめていた緊張感がとけて、急に力が抜けた。
よかった。
ジョージと合流することができた。
これで4日間はのんびりと過ごすことができる。

「腹が減ってるだろう、マサト。
近くにいい店があるんだ」
さっそくジョージはレストランに連れていってくれた。

店の中はこんな感じ。

さっそくビールで乾杯。
実を言うとこの時私は少し肌寒かったので、できれば暖かい飲み物の方がよかったのだが、そんなことはどうでもよかった。
久しぶりに旧友と再会したのだ。
しかも日本からはるか遠く離れたルーマニアで。
これが飲まずにやってられるか!

「これがまたうまいんだぜ。 食えよ、マサト!」
そう言ってジョージが私のために注文してくれたのがこれ。
ルーマニアの伝統料理ではないそうだが、彼の言う通りほんとにうまかった。
ボリュームもたっぷりあり、じゅうぶんお腹をすかせていたはずなのに、満腹になってしまった。

うまい酒、うまいメシ、そして温かい親友。
これ以上いったいなにを望めというのか。
強いてぜいたくを言わせてもらえば、ルーマニア美女がこれに加われば最高なんだけどな。

なんと、願いがかなってしまった。
「マリア! マリア! 」
ジョージはこの女性と知り合いらしく、熱心に投げキッスを送っている。
なんという騒ぎようだ。
ルーマニア人の男というのはもっと寡黙なのかと思っていたが、マリアを口説いているジョージはまるでラテンのノリ。
しかし、それも理解できなくはない。
このマリア、線が細くて華奢な体つきなのに、なんとも言えない色っぽさを醸し出している。
体中からフェロモンをムンムンとあふれだしている。
これがルーマニア女性の威力なのか。
さすがは妖精の住む国。
どうやら俺はとんでもない国に来てしまったようだ。

真ん中にいるのがホストのジョージ。
右側は彼の親友のミッシェル。
日本を出てから約1か月。
ここルーマニアで私の旅は、何度目かのピークを迎えようとしていた。

スチャバでの私のカウチ。
夕食の後、その足でジョージの家に向かうのかと思っていたのだが、彼が連れてきてくれたのは1軒のゲストハウス。
実は彼の家は今改装中で、私をホストすることはできない状態なのだという。
そんな状況にもかかわらず、私との約束を果たすためにカウチリクエストを受け入れてくれたジョージ。
なんとお礼を言っていいものやら。
「料金はすでに払ってある。
金のことは心配するな」
漢だ。
あんた、ほんまもんの漢や!