カウチサーフィン(CouchSurfing)と愉快な仲間たち

クラリェヴォ(セルビア)からスコピエ(マケドニア)へ

長かったセルビアとも今日でお別れ。
そして、クラリェヴォでの宿、ドラガチェヴォともお別れだ。

最後の最後に、大雨となった。
今回の旅行では、訪れるすべての国で雨に祟られている。
これも日ごろの行いの報いか。



セルビアを旅行する外国人は、出国時に宿泊証明書を提示しなければならないそうだ。
それがないと、思わぬトラブルに巻き込まれるのだとか。

ホテルに泊まる場合は宿主が宿泊証明書を作ってくれるからなんの問題もないのだが、
問題はカウチサーフィンを利用した場合。

その場合、家主とともに警察署に出頭し、宿泊証明書の手続きをしなければならないらしい。
ややこしい。

もちろん、そんなめんどくさいことをホストに頼むわけにはいかないから、ベオグラードでカウチサーフィンを利用したときは、
宿泊証明書をもらっていない。


だが、このホテル「ドラガチェヴォ」は安ホテルのくせに、きちんと宿泊証明書を用意してくれていた。




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クラリェヴォのバスターミナルには、例のおっさんがいて、ゲートを守っている。
私の顔を見て、

「チャイナ! お前のバスは6番ホームだ!」 と叫んだ。

昨日までは私のことを 「ブルース・リー」と呼んでいたのに、今日は格下げかよ。


スコピエ行きのバスはほぼ満席で、あいにく窓際の席は取れなかった。
約7時間の道中、外の景色を眺めることができず、退屈で死にそうだ。

夕方5時ごろ、国境を越えたが、宿泊証明書の提示は求められなかった。
どうやらこの規則は有名無実化しているようだ。



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スコピエのバスターミナル。
一国の首都だというのに、なんだかさびしい。


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スコピエのバスターミナル

今夜はカウチサーフィンではなく、予約しておいたホテルに泊まる。
インターネットの予約サイトで確認した地図によると、バスターミナルからホテルまでは歩いてすぐだった。

だが問題は、最初の一歩だ。
新しい街に到着してバスから降りたあと、私はいつも一時的に方向感覚を失う。
自分が今、どちらの方角を向いているのかわからなくなるのだ。

なのでいつも最初の一歩を踏み出すまでに時間がかかる。
なにかわかりやすい目印があれば、地図と照らし合わせて確認することができるのだが、このバスターミナル周辺にはそれといった特徴のあるものは見当たらない。

近くを歩いている人に確認しようとしたのだが、
「俺はここの住人じゃない」などと言われて、なかなか的確な答えを得ることができない。

ウロウロしていると、タクシーの運転手が寄ってくるが、歩いて行ける距離にタクシーを使うほど私は裕福ではない。

というわけで、グーグルマップのお世話になることにしたのだが、どうも調子が悪い。
現在地とマップ上の自分の位置がずれている。
今現在はバスターミナルにいることには間違いないはずなのに、グーグルマップ上では私はバスターミナルから離れたところに立っていることになっていた。


いつまでもこんなところでぐずぐずしているわけにもいかない。
もうすぐ日が暮れる。
暗くなる前に宿にたどり着きたい。


60パーセントくらいの確率で「まあこちらの方角だろう」という見当をつけて歩き出した。
交差点に備え付けられている標識にはストリート名が書かれている。
グーグルマップと照らし合わせてみるのだが、どうもしっくりとこない。

本当にこの道であっているのだろうか。
重い荷物を抱えながら歩いていると、ほんの少しのミスがとてつもないロスへとつながる。
貴重な時間と体力を無駄遣いしたくない。

そこへ、前から女の子の集団が歩いてきた。
年のころは高校生くらいなのだが、おそろしく化粧が濃い。
まるで今から舞台に立つかのようだ。
これがマケドニア女子のスタンダードなのか。

マケドニアの女の子は、それでなくても彫りの深い顔立ちをしている。
それに加えてこのメイク。
日本人がやったら明らかに「ケバい」のだが、彼女たちはとても似合っていた。

スコピエのJKは性格もサバサバしている。
親切に私の質問に答えようとしてくれるのだが、どうも要領を得ない。
こちらは一刻も早くホテルに着いて重い荷物を降ろしたいのに、一言話すたびに「きゃははは」と笑っている。
つられて私も笑ってしまった。

結局彼女たちからはなんの情報も得られなかったのだが、元気だけはもらえた気がする。
心なしか肩に食い込むリュックも軽くなった気がした。

しまった、写真を撮るのを忘れた。
きっとスコピエの女子高生の魅力に舞い上がっていたのだろう。



ホテルの予約サイトによれば、ホテルはバスターミナルから歩いてすぐのはずなのに、なかなか目的地は見えてこない。
とっくに日が暮れて、あたりは暗くなってしまった。
ブッキング・ドットコムのばかやろう。
おまけに再び雨。

もうずいぶんとスコピエの街を歩いたが、なかなかつまらなそうな街だ。
「これは!」というものがなにもない。


ようやく目当ての通りに到着した。
番地を一つ一つ確認していく。
細い通りだから、ホテルを見落とすことはないだろう。

と思っていたのに、通りの最後まで歩いても、ホテルなんてなかった。
いや、それらしき建物は一軒あったのだが、廃屋だった。

まさか、私が今夜泊まるはずの宿は、つぶれてしまったのだろうか。
そんなはずはない。
数日前にブッキング・ドットコムで予約したばかりなのだ。


雨が降りしきる中、暗い夜道を重い荷物をしょって通りを何往復もした。
どれだけ確認しても、ブッキング・ドットコムに載っていた住所には、ホテルなんて存在しない。
そこにあるのは、普通の民家だけだ。

いや、待てよ。
その民家の軒下にはプレートが掲げられている。
辺りが暗いので、そこになんと書いてあるのかは読めない。
もっと近づいて確認したかったが、そのためには門を開けて家の敷地に入らなければならない。

仕方ない。 
不法侵入だ。


幸い門に鍵はかかっていなかったので、勝手に開けて中に入っていった。
犬がギャンギャンわめいていたが、かまうもんか。
俺はもうへとへとなんだ。

その家に掲げてあるプレートには、「COMFY ROOMS TO RENT」と書いてあった。
なんてこった。
ここは「プライベートルーム」(日本でいう民宿)だったのか。

ブッキング・ドットコムで予約したから、てっきりホテルだとばかり思っていた。
バルカン諸国ではプライベートルームがポピュラーだという話は予備知識としては持っていたのに、まるっきり忘れていた。


家主は階上に住んでいて、生意気そうな男の子が私への対応にあたった。
きっとこの家の息子なのだろう。
ひととおり部屋の使い方を教えてくれた後、彼は「料金は前払いでお願いしたいんだけど」と言った。

そこで初めて私は、自分がまだこの国のお金を持っていないことに気づいた。
雨の降る中、重い足を引きずりながら、ATMを探しに外へ出ていくはめとなってしまった。

スコピエ。
なかなか手厚い歓迎をしてくれるじゃないか。


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今夜の私の部屋。
プライベートルームだったとは。
どうりで安いわけだ。


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ソポツァニ修道院の聖三位一体教会とスターリ・ラス(ノヴィ・パザル、セルビア)

ソポツァニ修道院の聖三位一体教会とスターリ・ラス(ノヴィ・パザル、セルビア)




ホテルでの朝食。
食堂の壁には赤い修道院の写真が飾られている。
たぶんジチャ修道院だろう。
本来ならここも訪れる予定だったのだが、どうも無理っぽい。


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宿泊代に朝食が含まれていると聞いて期待していたのだが、なんだこれは・・・

いえ、ぜいたくは言いません。
どうせ私は貧乏パッカーですから。


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クラリェヴォでの私の宿、「ドラガチェヴォ」
受付では英語が通じず、女主人の愛想も悪かったが、けっこう気に入った。
値段は安いし、WIFIも速い。居心地も悪くない。
またクラリェヴォを訪れるようなことがあれば、ここに泊まろうと思う。

でも、再びこの街に戻ってくることなんてありえるのだろうか?


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クラリェヴォのバスターミナルは鉄道駅に隣接しています。
鉄道といっても、驚くほどボロいのだけど。


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バスターミナルといっても、まるで空き地のよう。
なんにもありません。

それでもいっちょまえに、バスのチケットを持ってないと中には入れてもらえない仕組みになっています。
その入り口の係員のおっさんがまたなかなかいいキャラクターをしている。

私のことを
「おい、ブルース・リー!」と呼ぶ。

英語はあまり通じないのだが、こちらの質問にはきっちり答えてくれる。
しかも、どうやらすべてのバスの時刻と発着ナンバーを暗記しているようだ。

ただし、間違っていたが・・・・
ウソ教えんじゃねえよ!


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2時間後、ノヴィ・パザルのバスターミナルに到着。
バスを降りる前から背筋がゾクゾクとした。
「この街、おもしろそう!」


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変な形をした屋根。
この街はかなりイスラム色が強そうだ。
スカーフを被った女性も大勢歩いている。
これまで見てきたセルビアのどの都市ともまったく違う雰囲気を醸し出している。


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(ノヴィ・パザルのバスターミナル)

観光に繰り出す前に、まずは帰りのバスの手配をしておくことにした。

が、受付の女性はまったく英語が通じない。
なんとかクラリェヴォ行きのチケットが欲しいということは理解してもらえたようだが、それ以外は全然意思の疎通ができない。

「3番乗り場よ!」
と教えてくれたのだが、私が聞きたいのは、帰りのバスの時間なのだ。
それがわからないと、安心して観光に専念できない。

「5時台か6時台にクラリェヴォ行きのバスはある?」
と何度も聞いたのだが、ついに理解してもらえなかった。

こんなところで時間を無駄にするわけにはいかない。
帰りの時刻を確認することは諦めて、バスターミナルを後にした。

もしも帰りのバスがなかったら、この街に泊まればいいや。


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ノヴィ・パザルでは2つの世界遺産を訪れることにした。
だが公共交通機関はなく、タクシーを使うしかないようだ。

都合のいいことに、バスターミナルの隣にはタクシー会社がある。
たくさんのタクシーと、大勢のドライバーがたむろしている。

私がソポツァニ修道院に行きたがっていることを知ると、運転手たちは興奮して騒ぎ出した。
きっと、私が外国人旅行者だからたっぷりふんだくれると思ったのだろう。

そうはいくか。
頭のにぶそうな(人のよさそうな)ドライバーと交渉して、ガイドブックに載っている値段よりもかなり安い金額に決まりかけた、その時、英語のできる若い運転手が割り込んできた。
他のドライバーはみな英語ができないので、私のペースで交渉が運んでいたのだが、この男の登場によって一気にひっくり返されてしまった。

まわりを見渡しても、他のタクシー会社はなさそうだし、目的地に行くにはタクシーを利用するしかない。
どうやら私に勝ち目はなさそうだ。


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タクシーは狭い路地を走り抜けていく。
抜け道なのだろうか?
それとも、ノヴィ・パザルの道路はみんなこんな感じなのかな。


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何の変哲もない路地を走っているだけなのに、妙に楽しい。
ヨーロッパの街並みなんてどこも同じようなものだが、それでも確実に各街ごとに様相が異なる。
ごちゃごちゃした街中だと、その違いはいっそうはっきりと際立つ。
整備された高速道なんかより、こういう裏道を通る方がはるかにおもしろい。


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市街地を抜け、幹線道路に入った。
大きなモスクも見える。
ほんとにイスラム色の強い街だな。
同じセルビアといっても、ここまで違うものなのか。


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お目当てのソポツァニ修道院が見えてきた。


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こ、これは・・・・

昨日見たストゥデニツァ修道院とほぼ同じじゃないか。
いや、きっと全然違う形の建物なんだろう。
でも、建築物にはあまり興味のない私にとって、この二つの修道院はまったく同じに見える。

しまった。
これならジチャ修道院に行っとくべきだった。


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それでも来てしまったものは仕方がない。
貧乏性の私は、写真を撮りながらぐるりと修道院のまわりをまわることにした。


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昨日のストゥデニツァ修道院と違い、このソポツァニ修道院はけっこう観光客が訪れていた。
おしゃれな売店もあり、絵葉書を買うこともできた。


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それにしても、スラヴの女性のがたいはすごい。


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大型の観光バスが乗り付け、大勢の観光客が降りてきた。
そしてなぜか、私を囲んで記念撮影。
はるばるセルビアまで来て、俺はいったいなにをやっているんだろう。

そしてこの観光客たちも、俺の写真を取るためにノヴィ・パザルを訪れたわけでもあるまい。
修道院と侍なんてなんの関係もないじゃないか。


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スターリ・ラス。
ここも世界遺産に登録されているらしい。
が、なにもない。
ただのがれきの山だ。

きっと考古学的には貴重な遺跡なんだろうが、普通の観光客が訪れても楽しくもなんともない。
「世界遺産」といってもピンキリなのだな。

その昔、
「俺は世界遺産をすべて訪れる!」
と意気込んでいた時期が私にもあった。

でも、そんな必要はなさそうだ。



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世界遺産を二つとも訪れて、一応今日のノルマはクリア。
さて、あとはなにをしよう。


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またイスラムっぽい建物。
私は世界遺産なんかよりも、こっちの方がよっぽど好きだな。


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ノヴィ・パザルの中心部に戻ってきた。
この近代的な建物もモスクの一種らしい。



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案内してくれたタクシーの運転手さん。


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ノヴィ・パザルの中心部、イサベグ・イサコヴィッチ広場に降り立つと、いきなり子供たちに取り囲まれました。
といっても、もちろん私が人気者だからではありません。
彼女たちはなんの遠慮もなくお金をせびってきます。


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それにしても汚い服だなあ。
女の子がこんなドロドロの服を着てるの初めて見たぞ。


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ここノヴィ・パザルでは親友もできました。
彼の名はアドミラル。
家は貧しく、学歴こそありませんが、彼はなかなか流ちょうな英語を話します。
性格もおっとりとしていて、日本のことにも興味津々。
さっそくフェイスブックのアドレスを交換しました。

が、彼の持っている携帯電話を見てびっくり。
ものすごい旧式なのです。
画面の解像度も粗く、私のフェイスブックに載っている写真もぼやけてなにがなんだかわからない状態。

そういうわけだったので、アドミラルは私のiPhoneをとてもうらやましそうに見ていました。


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そしてここノヴィ・パザルでは、ガールフレンドもできました(うそ)。

それにしても、ムスリムの女の子ってどうしてこうも魅力的なんでしょうね。
澄んだ瞳がなんともいえずエキゾチック。
そう感じるのは私だけ?

そして自然な感じでそっと体を寄せてくる絶妙な間合いの取り方。
まだ子どもなのに、男心をくすぐるツボを心得ています。


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ムスリムの女の子と一度付き合ってみたいなあ。
婚前交渉とかは難しそうだけど・・・


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人種によって、顔の造りはこんなにも違うのか。


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妖精?
耳の形おかしくない?
目の形もかっこよすぎない?


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アドミラルとはすっかり意気投合して、彼の仕事が終わるのを待って、二人でノヴィ・パザルの街を歩き回りました。


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アドミラルのいとこ


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この娘、まだ子どもなのに妙に色っぽい。
スラヴの女は恐ろしい。


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一人の美少女が私たちに近づいてきました。


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この娘もアドミラルのいとこらしい。
セルビアにはいろんなタイプの美少女がいるんですね。


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彼女たちと一緒に過ごすのは楽しかったのですが、まだ完全に心を許したわけではありません。
私の足の間に荷物を挟んでいるのがわかるでしょうか。
彼女たちに中身をすりとられるんじゃないかと気が気でなかったのです。


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この女の子、なぜか妙に私になついていました。
スマートフォンがよほど欲しかったらしく、私に「貸せ、貸せ」とせがんできます。

その「お願い」をする仕草があまりにもかわいかったので、最後にはi Phone を彼女に貸してしまいました。
ちょっと軽率だったかな、とも思いましたが、彼女がうれしそうに i phone を何度もポケットに入れたり出したりして喜んでいるのを見てると、「まあいいか」という気になりました。


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イサベグ・イサコヴィッチ広場にあるセビリ(水場)。
イスラムの街のシンボルともいえるこのセビリに、なぜか私は心惹かれます。


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派手にクラクションを鳴らしながら、結婚式の車列が通り過ぎていきます。


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街のいたるところにイスラムの面影が。
ほんとに私はこのノヴィ・パザルが気に入りました。


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お菓子屋さんもなんともいえないエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。

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侍の衣装を着ていると、私のようなどうしようもない男でも、こんな美女に逆ナンされます(うそ)。
役得です。


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歩き疲れたのでベンチに腰掛けていると、街の人たちに取り囲まれてしまいました。
みるみるうちに人数が増えて、最初のうちはちょっと怖かったです。

ほとんどの人は英語ができなかったのですが、アドミラルに通訳してもらいながら会話しているうちに、ものすごく盛り上がりました。
ノヴィ・パザルの人々は、好奇心旺盛な人が多かったです。
そういえば、この街では東洋人の姿を見かけなかったような気がする。
きっと日本人が珍しかったのでしょうね。


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私はほんとにこのノヴィ・パザルが気に入りました。
セルビアにはあまりいい印象を持てないでいたのですが、最後の最後にこの場所を訪れることができて本当にラッキーでした。

いつかきっとまた、この街に戻ってきたい。


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クラリェヴォに着いたのは20:00過ぎ。
それから昨日と同じレストラン「クラリュ」に直行しました。

昨日はラキヤを頼んだのですが、今日はセルビアのビールを注文しました。


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今日の夕食は、ラジュニチとコバシッツァ。
どちらもセルビアを代表する料理です。

セルビアは今夜が最後。
明日はマケドニアです。



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今日も朝から雨。
昨日のストゥデニッツァは期待はずれだったし、きっとスポツァニ修道院もどうせ大したことはないんだろう。
雨の中をわざわざバスに乗って行く価値はないにちがいない。
幸いここクラリェヴォではカウチサーフィンではなくホテルを利用している。
一日中部屋にこもっていても問題ない。
今日は休養日。
たまにはそういう日も必要だろう。

そう思っていた。

でも、できない。
せっかく外国にやってきているのに、一日中部屋に閉じこもっているなんて無理だ。


バスターミナルの受付は相変わらず不親切。
情報も不確実だ。
ある人は「9:25 に21番乗り場」だと言い、
ある人は「9:35 に25番乗り場」だと言う。


それでもノヴィ・パザルにやってきた。
片道2時間かけてでも来る価値はあった。
「この街はおもしろい!」
着いた瞬間にわかる。
相性というのは確実に存在する。
ノヴィ・パザルは私のツボにドンピシャ当てはまった。
バスを降りる前から身体中がゾクゾクする。
建物は他のセルビアの都市とは明らかに異なるし、スカーフを被ったイスラムの女性が普通に歩いている。
しまった。ここに泊まればよかった。
ノヴィ・パザルではなくクラリェヴォに宿をとったことを後悔した。


ソポツァニ修道院は予想通り大したことなかったが、たくさんの人と出会うことができた。
そのうちの一人が教えてくれた。
「サムライ」とはセルビア語で「唯一、神のもとに逝ける者」という意味だそうだ。

私はここノヴィ・パザルが大いに気に入った。
特に見所があるわけでもなくブラブラと歩いていると、小さな女の子が3人近づいてきた。
お金をくれ、と言う。
着ている服はみすぼらしい。
「ごめんよ、俺は人にあげるほどの余裕はないんだ」
そう言って断っても、なおもしつこく食い下がってくる。
無視して歩いても、どこまでもついてくる。
彼女たちは英語を話さないが、そのねだり方がまたかわいらしい。
両手をあわせて首をちょこんとかしげ、
「Please...」と哀願してくる。
もしも私に余分なお金があれば、いくらでもあげたくなるほどかわいい。

街の中心部にあるイサベグ・イサコヴィッチ広場に腰をおろすと、彼女たちも私の隣に座った。
彼女たちに奪われないように気をつけながら荷物を降ろす。
カメラに収めた写真を見ていると、彼女たちは「私たちの写真を撮れ」と言ってくる。
カメラを向けると大騒ぎしていた。
ポーズをとったり、逃げまわったり。
撮って欲しいのか嫌なのか、どっちなんだ?

そうこうしているうちに、彼女たちの知り合いがうじゃうじゃと集まってくる。
そのうちの一人の青年はかなり英語を話すので助かった。
彼はとても感じが良く、いろいろと話をし、みんなの写真を撮るのも手伝ってもらった。
名前はアドミラルというらしい。


そこへ別の男が近づいてきた。
場の空気が一瞬にして凍る。
「俺は警官だ。こいつらとはかかわらない方がいい。悪さをするからな。Be Careful 」
そう言い残して去っていった。

「警官だなんて大っ嫌い!」
男が去った後、一斉にみんながブーブーと文句を言い始める。
「俺たちは何も悪いことなんてしてないのに、なにかあるとすぐにあいつらは俺たちのせいにするんだ」
アドミラルはそう言って不満をあらわにする。

私の想像だが、どうやらこの子たちは貧民街(スラム)の住人のようだ。
みすぼらしい家に住み、人の嫌がる仕事にしかつけない。
子供達は日ごと観光客に金をせびりに広場にやってくる。
彼らと一緒に街を歩いていると、他の大人たちが彼らを追い払おうとする。
外国人観光客である私と一緒にいるところを目撃した警官は、
「コラッ、お前たち、その人に何をするつもりだ? さっさと失せろ」と怒鳴りつける。
明らかに彼らは差別されていた。

おそらく身を守るためには、この子たちのような人間とは関わらないのが賢明なのだろう。
ガイドブックにも「親しげに近づいてくる人間を信用してはならない」と書いてある。

でも、私はできるだけ地元の人たちに接してみたい。
ただ観光名所を巡るだけなんてつまらなさすぎる。
私だってそれなりに人生経験を積んできたから、人を見る目は持っているつもりだ。
私の見る限り、彼らはけっして悪い人間ではない。
もしも騙されたとしても、それは私に人を見る目がなかったというだけのこと。
その経験を次に活かせばいい。
私はこれからも人と触れ合う旅を続けていく。
多くの人々と触れ合って、人を見る目を養うことが私には必要なのだ。


女の子たちは私のカメラや携帯に興味を示した。
しきりに「使わせろ」と例の「プリーズ」ポーズをする。
アドミラルが「よさないか」と叱る。

「この子たちは俺のカメラを盗るつもりなのか?」とアドミラルに聞くと、
「いやいや、絶対そんなことはしないよ。ただ、あんたに迷惑かなと思っただけだ」と言う。

ならいい。
彼女たちに携帯やカメラを渡した。

ある女の子はカメラで写真を撮りまくっていた。
別の子は携帯をいじりまわし、ポケットに入れたり出したりしては、「へへへ」とうれしそうに笑っていた。

彼女たちはみょうに私になつき、体をすり寄せたり抱きついてきたりする。
10年後、いや5年後でもいい、彼女たちの胸が大きくなってからも同じことをしてくれたらうれしいんだけどな。

「もしや、俺の財布やパスポートを狙っているのか?」
と不安にもなったが、すでにカメラも携帯も彼女たちの手にある。
今さら疑っても仕方がないだろう。



ノヴィ・パザルの人たちは人懐っこい。
いろんな人が私に近づいてきた。
私の座っているベンチには、あっという間に人だかりができた。
どうやら「刀を抜いてなにかやって見せろ」と期待しているらしい。

悪いがそれは無理だ。
だってこれは本物の日本刀ではないのだから。

だが、そんなことを言ったら彼らを失望させてしまう。
私は神妙な顔をして、
「それはできない。刀は武士の魂だ。そんなに簡単に抜くものではない」と言うと、
みんな「おおっ」と感心していた。


また別の男が近づいてきた。
彼は片言の日本語を話す。
聞けば、合気道の初段を持っているらしい。
合気道の有段者は袴を履く。
だから彼は私も合気道の達人だと思ったらしい。

「ちょっと私の家で話をしないか?」と誘ってくる。
好意はありがたいが、もうすぐバスの時間だ。

彼は何人かの日本人の名前をあげて、彼らを知っているか?と聞いてくる。合気道連盟の重鎮らしい。
知っているはずがない。
私はこんな格好をしているが、合気道なんてやったことないのだから。

「セルビアには演武かなにかで来ているのか?」
彼は私を合気道の達人だと思い込んでいる。
申し訳ないが、この侍の格好は伊達なんだ。俺は本物の侍でもない。

コソボ国境に近いこんな辺鄙な街に合気道の有段者がいるとは・・・
冷や汗かいたぞ。


アドミラルはバスターミナルまでついてきてくれた。
道すがら、何人もの人に写真撮影を頼まれる。
「ごめんよ、本物の侍じゃなくて」
心の中で彼らに謝る。
日本に帰ったら、合気道や居合道の練習でもしようか。

ノヴィ・パザルにはまだまだ未練があったが、もう戻らなくてはならない。
クラリェヴォに帰り、昨日と同じレストランで食事をした。
ウェイターは「今夜も来てくれたんだ。ありがとう」と言って料金をまけてくれた。

セルビア。
けっこういい所だったな。
また来よう。





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ジャンル : 旅行

ベオグラードからクラリェヴォへ。ストゥデニツァ修道院(セルビア)

ベオグラードからクラリェヴォへ(セルビア)


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いよいよベオグラードとも今日でお別れです。
ホストのアレクサンドラの家を朝の6時に出発。歩いて駅へと向かいます。

途中で例の爆撃跡を通ります。
もうすでに何度も見たはずなのに、どうしても足が止まってしまいます。
近づいて、中の様子も見てみました。

建物の中はめちゃくちゃに破壊されています。
死傷者は出たのでしょうか。
もう20年も前の出来事のはずなのに、ここにいるとなぜだか血が騒ぎます。




ベオグラード駅で朝食にする予定だったのですが、爆撃跡を見ていたら無性におなかがすきました。
脳が「生命の危機」と錯覚でもしたのでしょうか。
とにかく何か食べたくて仕方がありません。

駅に着くまで待てそうになかったので、近くのキオスクでスナックとジュースを買って食べます。
日本と違ってコンビニなんてありませんし、キオスクにはまともな食べ物も置いてません。
それでも、何か食べずにはいられませんでした。

不謹慎な話ですが、空爆によって無残に破壊された建物を眺めながらの食事は、ものすごくはかどります。
とにかく「飯がうまい!」のです。
なんというかその、「俺は今、たしかに生きてる!」という実感がわいてくるのです。


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朝のベオグラード駅は混雑していて、人々の熱気を感じます。
食べ物を売っている店もたくさんあり、バスの中で食べるものをここで買うことにしました。
さすがは駅前に店を構えているだけあって、バスや電車のなかでも食べやすいものが多かったです。



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昨日のうちに買っておいたバスのチケット。
なんて書いてあるのかまったくわかりません。
なんだか不安になります。


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車内で食べる食料も買い込んだことだし、いざ、バスに乗るぞ!
と意気込んでいたところ、いきなり足止めを食らいました。

バスターミナルにはゲートがあって、誰もが入れるわけではないのです。
私はチケットを買っているので、当然入れるはずなのですが、どうやってゲートを通り抜ければいいのかわかりません。

係員らしき人に聞くと、どうやらこのゲートを開けるには、専用のコインが必要なのだそうです。
「チケットを買った時にもらっただろ? あれをここに入れるとゲートが開くんだよ」

コインなんてもらってないよ・・・


昨日チケットを買った窓口に行って事情を説明したのですが、なかなか話が通じません。
「ほら、ここにチケットがあるだろ? 俺はバスに乗りたいんだ。 早くしないとバスが出発しちまうじゃないかよ」

最初はブツブツとなにかをつぶやいてしぶっていた窓口の係員ですが、最終的にはコインをくれました。
これでなんとかバスターミナルに入ることができます。
こういうことがあるから、時間には余裕をもって行動しないとダメですね。

ちなみに、後で気づいたのですが、財布の中に例のコインは入ってました。
どうやら、昨日チケットを買った時に、おつりと一緒に渡されていたようです。
セルビアの通貨にまだ慣れていなかった私は、そのコインと普通の通貨との区別がつかなかったのです。

そういえば窓口の係員もなにか言っていたような気がする。
でも、英語じゃないからわからないんですよね。

私は貧乏なくせに、おつりをもらってもその場で確かめません。
なので、どっちにしろコインには気づかなかったでしょう。
きっと今まで、おつりをごまかされたこともあったんだろうな。


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ベオグラードのバスターミナル。
さすが首都のバスターミナルだけあって、発着場がたくさんあります。
自分の乗るバスを探すのもひと苦労。


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見つけました。
これが私の乗るバスです。
目的地のクラリェヴォまでは約3時間。
クラリェヴォは終着駅ではないので、降りるタイミングを逃さないようにせねば。
日本の交通機関のように、「次は○○です。」というようなアナウンスはないので、自分で降りる場所を判断しなければなりません。
うっかり居眠りをしようものなら、とんでもないところで降りるはめになってしまいます。

まあ、それも旅の醍醐味のひとつかもね。


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車中で食べる食料もしっかり買い込んであるので、道中、退屈はしなくてすみそうです。

私は昔から、移動中にものを食べるのが好きでした。
日本でも、ドライブに出かける時はずっとお菓子をポリポリ食べています。
窓の外を流れていく景色を見ながら食べると、なんだかウキウキしてくるんですよね。

しかも、今回のドライブはセルビア。
クラリェヴォなんてほんの少し前まで名前も知らなかった街です。
そして今後の人生でもおそらく再び訪れることはないでしょう。

目に映るすべての景色は生まれて初めて見るものですし、今後、二度と見ることもない景色かもしれません。
そんな貴重な風景を眺めながら食べる食事がおいしくないはずがありません。
どんな高級レストランで食べるよりも、オンボロバスの窓際に座って食べる方がずっとおいしく感じられます。

クラリェヴォまでの三時間。至福の時でした。
たった数百円でこんなに幸せな気分に浸れる俺は、なんて安上がりな男なんだろう。



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ドラガチェヴォ。
クラリェヴォでの私のホテル。
この街でもカウチサーフィンのホストを探してはみたのですが、結局見つかりませんでした。
もともとカウチサーフィンの数自体少ないうえに、リクエストを送ってもことごとく無視されたのです。
まあそういう日もあるさ。

私のマイ・ルールは、
「訪れた国すべてでカウチサーフィンを利用する」
というもの。
すでにベオグラードでカウチサーフィンを利用したから、もうノルマはクリアしたのさ。

「地球の歩き方」にも載っているこのホテルですが、受付ではまったく英語が通じません。
それなのにパスポートを要求されたのでちょっと不安だったのですが、渡さないわけにはいきません。

そしてパスポートは帰ってきませんでした。
どうやら、ここに泊まっている間は、ホテルにパスポートを預けなければならないらしい。
なんだか不安ですが、そういうルールなんだからおとなしく従うしか仕方がないのでしょう。

あまりパッとしないこのホテルですが、WiFiは驚くほど速かったです。

部屋に荷物を置いて一段落したら、すぐにバス停へと向かいました。
今日はこれからストゥデニツァ修道院へと向かいます。
赤い色が印象的なジチャ修道院にも行きたかったのですが、時間がどれくらいかかるか読めません。
ここはやはり、ストゥデニツァ修道院を優先させることにしました。
「世界遺産」という響きには抗えないのです。

クラリェヴォのバスターミナルの職員は、あきれるほど能率が悪い。そして態度も悪い。
私が窓口で待っているというのに、係員はやってきません。
彼女は別の仕事で忙しいというわけではなく、椅子に座ってダラダラと過ごしているのです。
私の方をチラッと見たので、私が待っていることには気づいているはずなのですが、窓口にやってくる気配はまったくありません。

なにをもたもたしてるんだよ。できれば俺は今日のうちに2か所回りたいんだよ。こんなとこで油を売っているヒマなんてないんだ。
いつまでたってもらちがあかないので、大声で彼女を呼びました。
その女性はめんどくさそうに重い腰をあげて窓口へとやってきます。

私がガイドブックを見せながら、そこに行くバスのチケットが欲しいと言っているにもかかわらず、彼女はまったく理解しようともしませんでした。
彼女は英語がわからないらしく、あきらかに外国人である私と関わり合いになるのを嫌がっています。
「インフォメーション!」
とひとこと言っただけで、さっさと元の席へと戻っていきました。
そのインフォメーション・デスクはどこにあるんだよ。

このバスターミナルを拠点として、セルビア南部をあちこち訪れる予定だったので、ここでいろいろと情報収集をしたかったのですが、とてもそれどころではありません。
バスのチケットを買うのもひと苦労です。

ベオグラードではかなり英語が通じました。
同じセルビアなんだからここでも英語が通じるだろうと思っていたのですが、通じません。
驚くほど通じません。
通じないなりに意思疎通の努力をしてくれればいいのですが、みんなめんどくさそうに私を邪険に扱うだけです。



ウクライナも英語が通じず、不便な国だなあと思っていたのですが、セルビアはその比ではありません。
そもそも観光客を受け入れようという意識がまったく見えないのです。

でも、これが自然な姿だと思う。
みんなが英語を話す世界なんて気持ち悪い。
みんなが親切な世界はもっと気持ち悪い。

ずいぶん小さくなったとはいえ、まだまだ地球はでかい。
何十億という人間がいるのだから、いろんな言語があって当然です。
日本とセルビアなんてほとんど接点が無かったんだから、言葉が通じなくて当然です。
異なる文化、異なる景色、異なる人々。
それが見たくて私は旅をしている。
まったく英語が通じない相手に対して、いかにコミュニケーションをはかるか。
そこが旅の醍醐味でもあります。
それがめんどくさいと言うのなら、パックツアーを利用すればいいだけの話です。


ウシツェ行きのバスが出るまで1時間30分もあったので、なんとか時間をつぶさなければなりません。
クラリェヴォの街には特に興味はなかったので、バスターミナルの中でなにか食べることにしました。


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見るからにショボそうな店。
でも、こういうひなびた場所の方が、本物の伝統料理を出すこともあるんだよね。
看板にはセルビアの定番料理「プリェスカヴィツァ」の文字も見えます。

売店のおばちゃんはもちろん英語ができませんが、身振り手振りで私に話しかけてきます。
どうやら、「トッピングは何にする?」と聞いているようです。
そう言われても、何を選べばいいのかわからなかったので、適当に指さして、ケチャップは大目にしてもらいました。
これで私オリジナルのプリェスカヴィツァのできあがりです。
おいしそー!


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これがそのプリェスカヴィツァ。
かなり期待していたのですが、見事に裏切られました。

まずい!
こんなマズいハンバーガー、今まで食べたことない。
私は食べ物にはそれほどうるさくない人間なのですが、その私をうならせるとは、ここのプリェスカヴィツァ、ただものではない。

クラリェヴォのバスターミナルは、まったくいいとこなしだな。
がっかりだよ。



バスが到着すると、みんな我先にと入り口に殺到する。
勝手がわからず、重い荷物をかかえている私はどうしても後手後手に回ってしまう。

「ストゥデニッツァに行きたいんだけど、このバスであってる?」
と聞こうにも、みんな自分のことで精一杯でそれどころではない。


外は雨。
バスが走り出してしばらくすると、屋根から雨水が滴り落ちてきた。
今時こんなオンボロバスを走らせるとは。

バスは満席で、通路にも大勢の人があふれている。
雨漏りがするからといって、私が身をかわすスペースはない。
雨水に濡れるがままになっている私を見て、他の乗客は笑っていた。

OK。
いいだろう。
これがセルビア・クオリティだ。
これがセルビア人のメンタリティだ。


ウシツェでバスを降り、別のバスに乗り換えます。
といっても、案内板もないので、どのバスに乗り換えればいいのかわかりません。
いや、もしかしたらどこかに書いてあるのかもしれませんが、この国の文字を私は読むことができないのです。

そこでその場にいる人に聞くことになるのですが、これがまた不親切。
外国人である私とは、あきらかに関わり合いになりたくなさそうです。

そしてまた、セルビアの地名はややこしい。
ウシツェ、ウスツェ、ウジツェ。
私にはどれも同じに聞こえますが、まったく別の場所なのです。

こんな時に「地球の歩き方」は便利ですね。
写真を見せれば一発で分かってもらえました。
最初からこうすればよかった。


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この国の人にはがっかりさせられっぱなしでしたが、ウシツェからストゥデニツァ修道院へ向かう道はなかなかの景勝路。
雨が降りそうな空模様でしたが、それでも息を飲むほどきれいな景色がひろがっています。


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バスを降りて、ストゥデニツァ修道院へと向かいます。


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きっとあれが入り口なのでしょう。


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門をくぐるとそこには・・・


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古代の遺跡の残骸が散らばっていました。


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敷地はかなり広く、よく手入れされた庭がひろがっています。


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そしていよいよ、お目当てのストゥデニツァ修道院が見えてきました。
感動の一瞬です!


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世界遺産だというのに、観光客の姿は見えません。
いや、修道士の姿さえありません。
この広い敷地内には、私しかいないのです。
これではまるで、ストゥデニツァ修道院を貸し切っているみたいです。

世界遺産を独り占め!

といえば聞こえはいいですが、なんかさびしい。


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そんな状態でしたから、売店も当然閉まっています。
絵葉書買いたかったのに・・・


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建物内を歩いてみましたが、人の気配がまるで感じられません。
恐ろしいほどの静寂。
さすがは修道院。瞑想がはかどりそうです。


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世界遺産・ストゥデニツァ修道院。
一応セルビア旅行のハイライトのはずなのですが、おどろくほどつまらん。(※感じ方には個人差があります!)
もしもこれを見るためだけにこの国を訪れたとしたら、そのがっかり感ははんぱないだろう。
きっと膝から崩れ落ちてしまうにちがいない。

そういうわけだったので、一応侍の衣装に着替えてはみたのですが、いまいち気分は盛り上がりませんでしたとさ。
まあいろんな国を旅していれば、たまにはそういう日もあるさ。


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ストゥデニツァ修道院の近くには雑貨店があり、食料補給ができます。


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どこかのブログにバスの時間が書いてあったので、その30分前からバスを待っていたのだが、いつまでたってもバスは来ない。
売店の人に聞いてみると、次のバスが来るのは18時だという。
事前に調べておいた情報と違う。

うかつだった。
ネット上の情報を鵜呑みにしてはいけない。
いつでも変更はあり得るのだから、常に自分で裏をとらねば。


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ストゥデニツァ修道院自体はつまらなかったが、ここに来るまでの道はなかなかの景色だった。
歩くのも悪くはない。


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山あいに点在する村々を眺めながら歩くのは実に気持ちがよかった。
途中までは。

だが、歩けど歩けど、いっこうにバスターミナルのある村、ウシツェは見えてこない。
地図上ではたいしたことない距離でも、アップダウンのある曲がりくねった山道は予想以上に時間を食う。

まずいな。
このペースだとクラリェヴォ行きのバスを逃してしまう。
さっきまで晴天だったのに、ポツポツと雨粒が落ちてきた。

よし、ここはヒッチハイク開始だ。

ルーマニアと違い、このセルビアでどれくらいヒッチハイクが認知されているのかはわからない。
だが、この道は一本道で、ここを通る車は全部ウシツェを通過する。
距離だってそんなにない。
きっと乗せてくれるに違いない。

楽観的な気持ちで始めたヒッチハイクだったが、なかなか停まってくれない。
スピードを落とす気配すらなく、ビュンビュンと私のそばを走り去って行く。
せまい道だから、ヘタに親指を立てていると、腕ごと跳ね飛ばされそうになる。
だから車が横を通過する時には引っ込めなくてはならない。
なんとも腰の引けたヒッチハイクだ。

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ヒッチハイク成功!


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セルビア戦士の墓?


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世界中どこにでも一人くらいは親切な人がいる。
とりあえず今日のところは一人でじゅうぶんだ。

私を拾ってくれた彼はストゥデニツァ修道院の近くの村に住んでいて、ちょうどウシツェに行くところだった。
英語こそできなかったが、彼の性格が良いことはよくわかった。
私が何も言わなくてもウシツェのバス停で降ろしてくれ、その場にいた人たちに

「この日本人をクラリェヴォ行きのバスに載せてやってくれ」

と言い残して去って行った。
ここにはバス停の標識なんてなかったから、彼の助力がなければ苦労したことだろう。

その土地の印象は出会った人にかなり左右される。
これまでセルビアの人にはあまり良い印象を持てなかったが、最後にいい人と出会えてよかった。


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ウシツェの街。
なにもない小さな街だが、なんとも言えない風情がある。
こういう場所に泊まらないと、ほんとのセルビアはわからないんじゃないかという気がしてくる。

だが、私にはウシツェに泊まるほどの余裕がない。
もっとゆっくり旅をしたい。
もっともっと時間とお金が欲しい。


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この乗り合いバスが私をクラリェヴォまで連れていってくれるらしい。
車体には「イタリア」の文字が見えるが、まさかイタリアから走ってきたわけではないだろう。


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気のせいだろうか。
対向車がやたらとパッシングしてくる。

と思っていたら、クラリェヴォ行きのバスは警察に止められた。
検問だ。

バスの中にいた他の乗客たちはみなIDカードを取り出している。
私もパスポートを用意しようとして青くなった。

ない。

パスポートはホテルに預けてある。
これはまずいことになったぞ。

制服警官とは別に、人相の悪い男が二人、バスに乗り込んできた。
鍛え上げられた筋肉、全身から漂う威圧感。
どう見てもこいつらカタギの人間とは違う。
パスポートを所持していないことで、なにか因縁をつけられるんじゃないだろうか。
しかも私の荷物の中には、侍の衣装や日本刀(のようなもの)が入っているのだ。

だが、私服警官たちは私にはまったく興味を示さなかった。
他の乗客たちのIDカードは入念にチェックし、手荷物検査もしていたのに、私のことは完全にスルー。
いい意味で人種差別が働いてくれたようだ。

検査はかなり長く続き、その間ずっと緊張を強いられた。
警官たちはトランク内の荷物を全部降ろして、ひとつひとつ中身を調べている。
いったいなにが起こっているのかわからないので不安でしかたないのだが、誰も英語を話さない。

ある人はタバコを吸う仕草をした。
別の人はアルコールを飲む仕草をした。
「ドラッグ・コントロール」と言う人もいた。
ようするに密輸の取り締まりをしているらしい。
ここはコソボやマケドニアの国境と近いからだろうか。

ようやく検問が終わり、バスが走り出すと途端にドッと緊張が解けた。
それまで押し黙っていた人々が堰を切ったようにしゃべりだす。
大声をあげて笑う者もいる。

陽気なセルビア人たち。
私独りがその饗宴から取り残されていた。
ここはセルビア。
俺は異邦人。
まわりが騒々しければ騒々しいほど、自分が孤独なのだと思い知らされる。


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19時頃、クラリェヴォに到着。
その足でレストラン「クラリュ」へと向かう。

地球の歩き方に載っているレストランは、クラリェヴォではこの店だけ。
きっとほとんどの日本人旅行者はこの店で食事をしているんだろうな。


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英語のメニューはなかったが、なんとなくわかる。
ガイドブックにはセルビアの代表的な料理の名前が列挙してあるから、それをもとに見当をつけることができるからだ。

私が選んだのは「メシャノ・メソ」というミックスグリル。
一度にいろんな食材を味わうことができるらしい。


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セルビアの代表的な酒、「ラキヤ」も頼んだ。
普段お酒を飲まない私には、この酒はきつい。
疲れた体にしみわたる。


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これがその「メシャノ・メソ」
ボリュームがすごい。
すでに前菜としてサラダとパンもあったので、とても全部は食べ切れない。


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一人で黙々と食う私。
一人旅は気ままで楽だが、やはり食事時は寂しさを感じる。
カウチサーフィンを利用していれば誰かと一緒に食事をできるのだが・・・



食事を終えて店を出ると、大音量の音楽が聞こえてきた。
どこかでお祭りでもやっているのだろうか?
地図を見るとその方角には「セルビアの戦士広場」というのがあるらしい。
それほど遠くないので、とりあえず行ってみることにしよう。


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広場ではコンサートをやっていた。
いったいなんの催しだろう?


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夜店もでている。
なにかのお祭りらしい。

私は今回の旅では、行く先々で催し物に出くわす。
天候には恵まれなかったが、そういう意味ではラッキーだったのかもしれない。


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音楽にあわせて、人々が熱唱している。
まるで、ベルリンの壁崩壊を祝っているかのようだ。

歌われている曲は、セルビアの他の都市では聞かなかったから、ここクラリェヴォのローカルバンドのオリジナルだと思う。
セルビア語の歌詞だから、なんて言っているのかはまったくわからない。
ただ、サビの部分で「・・・ memory! memory! ・・・」と言っていることだけはわかった。

私は普段は音楽をそれほど聞かないのだが、この曲だけは妙に印象に残った。
セルビアの、しかも地方都市クラリェヴォのローカルバンドのオリジナル曲。
おそらく、二度とこの曲を耳にすることはあるまい。



祭りの広場からホテルへの帰り道、ふと、自分がその曲を口ずさんでいることに気づいた。
あのなんとも言えないもの悲しいメロディーが、頭の中にこびりついて離れないのだ。

これといった見どころもなく、印象の薄い国セルビア。
私にとってこの国でもっとも記憶に残ったのはこの曲となった。



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広場の近くでは、三人組の若者と出会った。
彼らは最初、おそるおそる
「チャイニーズ?」
と聞いてきた。

「いや、日本人だ」と答えると、彼らの表情がパッと明るくなった。

「私、made in Japan が大好きよ!」

そう言う彼女たちは、(自称)アーティストだ。
といっても、彼らの主な作品はストリート・アート(壁の落書き?)。

「メイドインジャパンの塗料が一番ノリがいいのよ!」と言う。

ヨーロッパの街角でよく見かけるストリート・アート。
そこにも日本製品が使われていると知り、なんだか複雑な気分になった。
ハイテク製品やアニメだけでなく、その他の品々でも世界中の市場を席巻する日本製品。
きっと我々は自分の生まれた国を誇りに思っていいのだろう。


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彼女が描いたというイラストを何点かもらった。

「もちろんこれも日本製のペンで描いたのよっ!」

そう言ってうれしそうに彼女がカバンから取り出したペンには、日本の有名文具メーカーの名前が書かれてあった。




テーマ : バックパッカー
ジャンル : 旅行

ベオグラード観光(セルビア)

ベオグラード観光(セルビア)


翌日、アレクサンドラの家に荷物を置いて、ベオグラード市内を観光することにした。
どうやら今日も雨模様らしい。

「けっこう距離があるわよ。 バスで行ったら?」
とアレクサンドラは言ってくれるが、やはり歩いて行くことにした。

はっきり言って、ベオグラードにはあまり期待していない。
「これぞセルビア!」
という目玉がこの街にはない。

一応セルビアの首都だから、敬意を表して2泊することにしたのだが、特に見たいものがあるわけでもない。
しいていえば、街全体を見てみたい。
ベオグラードの街はそれほど大きくはない。
端から端まで歩いても、きっと時間を持て余すことになるだろう。
だから今日も一日、あてもなく傘をさして歩くことにした。



(聖サヴァ教会)

アレクサンドラの家は聖サヴァ教会の近くにある。
もしも道に迷ったら、これがいい目印になるだろう。

最初にこの様式の教会を見たのはブルガリアだっただろうか。
とても感動したような記憶がある。

だが、ヨーロッパの国をいくつかまわった後は、同じような教会を見ても、「またか」といった気持ちにしかなれない。
いや、これがブルガリアだったなら、きっと別の感慨がわいてきたことだろう。

だがここはベオグラード。
何を見ても憂鬱な気分にしかならない。
人と街との間には、相性というものがある。

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それでも、街を歩いているうちに、だんだんと気分が高揚してきた。
私は建築物には疎いのだが、それでも、それぞれの国ごとに微妙に建物の雰囲気が異なっていることには気づく。

旅を始める前は、「ヨーロッパなんてどこも同じだろ」と思っていたのに、今では新しい街を歩くたびにかすかな興奮を覚える。
これがセルビアか。
俺は今、確かにベオグラードにいる。

各都市の違いなんかわからないくせに、ひとり気分を高ぶらせていた。
憂鬱な雨だけど、見るべきものなんてなにもないつまらない街だけど、それでもやっぱり旅っていいな。


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そうしているうちに、それらしき建物が見えてきた。
今日のハイライトのひとつ、NAOT軍による空爆跡だ。

セルビアを紹介するガイドブックなどには必ず載っている、あの建物だ。

「おっ。 おおおおおっっっ!!!!!」


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写真で見ると小さな建物だが、やはり実物は迫力が違う。
ぽっかり空いた空洞に、目が吸い寄せられる。

これはぜひとも写真を撮らねば。
小雨がぱらついていたが、侍の衣装に着替えることにした。
雨を避けるために屋根のある場所に飛び込んだら、そこには迷彩服を着た兵士が2名いた。
なぜこんなところに軍人がいるんだ?
爆撃跡を警備でもしているのか?

彼らは私のことを見ているようだったが、目を合わさないようにした。
そそくさと袴のひもを締める。
日本刀のカモフラージュを取り外した時、その場の空気が一瞬凍ったような気がした。

兵士たちは腰の拳銃に手を伸ばしただろうか?
それとも、半笑いで侍姿の私のことを見ているのだろうか?

彼らの表情が気になってしかたなかったが、カメラを片手に屋根のある場所から飛び出した。
雨足が強まってきたから、急がねばならない。
三脚をセットして、自分と爆撃跡の写真を撮る。


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爆撃された廃墟をバックに写真を撮るも、なんだか落ち着かない。
兵士たちの視線が気になっていたせいもあるが、他にも理由はあった。

ここはベオグラード。セルビアの首都のど真ん中だ。
当然道行く人の姿も多く、私のそばを大勢の人が通り過ぎていく。
私にはまるっきり目もくれずに。

今まで侍の衣装を着て多くの国を旅してきたが、いずれの国でもそれなりの反応があった。
自分で言うのもなんだが、けっこう人目を引いていたと思う。

それなのに、なんだこの反応は。
まるっきりの無視。

人々は私の存在には気づいているようだ。
時々、ちらちらと私の方を盗み見しているのがわかる。

似たような反応は他の国でもあった。
それでも、今回はそれらとはまったく違う。
ベオグラードの人たちは、まったくの無表情なのだ。

日本で侍の衣装を着て歩いたら、きっとこんな反応が返ってくるのだろうな。
そう思わせるほど彼らの反応は冷たかった。

そんなわけだったから、ここでの写真撮影は早々に切り上げ、次の目的地に向かう。


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たぶん郵便局。 まあ立派だこと。


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(聖マルコ教会)

とても荘厳な教会で、ぜひとも写真に収めたかったのだが、建物が大きすぎて難しい。
いろいろと歩き回ってみたのだが、大きな木が邪魔して、なかなかいい写真が撮れない。
雨足は時おり強まるし、地面はぬかるんでる。

写真はもうあきらめよう。
アレクサンドラの旦那さんに教えてもらった、もうひとつの爆撃跡はこの近くにあるはずだ。


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ユーゴ紛争の時は、テレビ局も空爆の対象となったらしい。
攻撃能力を持たないテレビ局を一方的に攻撃するのはちょっと卑怯な気もするが、戦略上しかたなかったのだろうか。

現在のテレビ局は大きなアンテナが目立つ小奇麗な建物となっている。
なのに、その間にはさまれるようにして爆撃跡が残っていた。
あれからもう20年も経つというのに、なぜそのまま放置してあるのだろう。
他の建物はきれいに復興しているのだから、経済的な問題とは考えにくい。
もしかしたら、アメリカやNATOへの抗議の意思表示なのだろうか。
それとも、広島の原爆ドームのような世界遺産化を狙っているとか。


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(国会議事堂)

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今回の旅行中、セルビアの人と話をする機会が何度かあった。
話がアメリカのことになると、みな一様に憎悪をむき出しにする。
歯もむき出しにして、感情を隠そうともしなかった。
20年以上過ぎても、自分の国を攻撃された記憶というのは薄れないようだ。

それなのに、国会議事堂横の電光掲示板には、マクドナルドのコマーシャルが数分おきに流れている。
セルビア一の大通りに掲げられるコマーシャル。
にっくき敵国の象徴でもある巨大ハンバーガーチェーンのCMを、この国の人たちはどんな気持ちで見つめるのだろう。

ロシアなど東側の国でも、マクドナルドは若者に大人気だという。
きっとセルビアの若者だって、マクドナルドは大好きなんだろう。
空爆は彼らが生まれる前に行われた。

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(クネズ・ミハイロ通り)

爆撃跡を見終わった時点で、本日のミッションは終了。
ガイドブックをパラパラとめくってみたのだが、私の興味をひきそうな場所はベオグラードにはなさそうだ。
雨も降っていることだし、どうも気分が乗らない。

かといって、せっかくセルビアくんだりまでやってきたというのに、一日中部屋に閉じこもっているのももったいない。
仕方なく、ガイドブックの一番最初に載っているカレメグダン公園に行くことにした。
そこまで行けば、ベオグラードの中心部をはしからはしまで歩いたことになる。

ここクネズ・ミハイロ通りはベオグラードのメインストリート。
「通り沿いにはカフェやファストフードの店が並び、週末には人通りが絶えない」らしい。

しかし、さすがにこの雨の中ではj人影もまばら。
あーあ、今度は晴れた日に訪れたいな。

しかし、ベオグラードをまた来ることなんてあるのだろうか。
きっともう来ないだろうな。


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遊歩道が終わり、公園が見えてくる。
このカレメグダン公園にはあまり期待していないが、
「もしかしたら、意外とおもしろいかも」という淡い期待が頭をよぎる。


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公園の敷地内には、みやげ物を売る露店が並んでいる。
私はみやげ物は買わないことにしているのだが、行く先々から絵葉書は送るようにしている。
「なにかいい絵葉書は売ってないかな」と物色していると、母娘とおぼしき女性2人に声をかけられた。
ベオグラードの人はけっして外国人に対して友好的とは言えないが、みやげ物店の店員は例外だ。
金を落としていってくれそうなカモには、とびっきりの笑顔であいさつしてくれる。

彼女たちは流ちょうな英語で、言葉巧みに私を誘惑する。
聞けば、この紙幣はギネスブックにも載った特別なお札なのだそうだ。

「0(ゼロ)が11個も並んでいるお札なんて、世界中どこを探しても他にはないわよ」

正常な思考力を持っている状態なら、「それがどうした」と一蹴していたことだろう。
だが、旅に出ると正常な判断力を維持するのは難しい。
油断していると、くだらないガラクタになけなしの金を使ってしまったりする。

気づいた時には、ギネス認定の紙幣を買ってしまっていた。
私はコインのコレクターでもなんでもないのに。

そういえば、ミャンマーでも「アウンサンスーチーさんのお父さんの図柄のお札」を買ったっけ。
あれは今、どこにあるのだろう。

ああ、こうしてまた、部屋の肥やしを増やしてしまったのだな。


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特に見るべきものもないのに、公園内はやたらと広い。
あちこちに標識はあるのだが、そもそも私には行きたい場所なんてなかったものだから、無為に歩き回ってしまった。


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それでも奥へ奥へと歩いて行くと、本丸らしき場所に近づきつつあるのがわかる。


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なぜか恐竜の模型が展示されていた。
ガイドブックには載ってなかったから、きっと常設展ではないのだろう。
この公園と恐竜はなにか関係があるのだろうか。
いずれにせよ、入場料を払ってまで見る価値はないと判断してパスすることにする。


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スタンボル門と時計塔。
いちおうここのメインアトラクションらしいので、写真を撮る。
しかしなんなんだろう、この高揚感のなさは。


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丘のてっぺんに登って眼下に広がる景色を見渡すと、ちょっと気分がよくなった。
ここベオグラードはサヴァ川とドナウ川が交わる要衝に位置する。
ということは、向こうに見えているのはあのドナウ川なのか。

ドナウ川!
名前はよく聞いたことがあるが、いったいなんで有名なのか思い出せない。
高校では世界史を選択したのに、ドナウ川にまつわる史実なんて覚えていない。

中学の時、音楽の授業でドナウ川に関係のある曲を習ったような気もする。
せっかく本物のドナウ川を目の前にしているのだから、口笛でも吹いてみようと思ったのだが、どんな曲だったか思い出せない。

よく、「学校の勉強なんか実社会では役に立たない」と言われるが、そんなことはないと思う。
やはり最低限の教養は必要だ。
でないと、せっかく遠くまで旅行に来ても、目の前の景色を素通りしてしまうことになる。
同じ景色を見ても、それにまつわる知識があるのとないのとでは、見え方がまったく異なるものとなるだろう。

もったいないことをした。
今度ヨーロッパを訪れる時には、しっかり勉強してこよう。


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「このエリアの散策は自己責任で」
(命の保証はしませんよ)

たしかにこの付近には、うっかりすると足を踏み外して崖下に転落してしまいそうな場所が何か所もある。
昼ならまだしも、暗くなってからだとほんとに危なそうだ。

それでも、むやみやたらと柵を設けたりしないところに好感がもてる。
この看板だっていらないくらいだ。


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(レオポルド門(だと思う))

せっかくだからいろいろと写真を撮ったが、あまりおもしろくない。
相変わらず雨は降ってるし、ずっと歩きっぱなしだったからお腹もへった。

いつもなら安いパンでも買ってささっと済ませるのだが、今日は雨模様なので、できれば屋根のある場所で食べたい。
観光地の中にあるレストランなんて高いのはわかりきっていたのだが、体が冷えてきた。
しかたない。ここで食事をとることにしよう。


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レストランの受付には、ものすごい美人がいた。
東欧にはほんとに美女が多い。
その中でも今目の前にいる女性はトップクラスの美貌の持ち主だ。
思わずみとれてしまう。

そして彼女も私の顔をじっと見ている。
なんだ?
日本人がそんなに珍しいのか?
それともひょっとして、彼女の好みは東洋人なのか?
だとしたら、はるばるセルビアまでやってきたかいがあるってもんだ。

彼女は私の体のすみずみに視線をはわせる。
しかしそれは、異性のパートナーを求めるそれではなかった。

「この店はけっこう高いわよ。あなたに払えるかしら」
彼女の目がそう言っているように見えた。

たしかにここは高そうだ。
不安になった私は、メニューを見せてもらうことにした。

セルビアの物価はかなり安い。
料理の値段はけっして安くはなかったが、払えない額ではない。

「じゃあこれをもらおうかな」
メニューを指さしながら私がそう言うと、彼女はほっとしたような表情を見せた。

「よかった。じゃあこっちに入れるわよ」
そう言って席まで案内してくれた。

このレストランはふたつの部分に分かれていて、飲み物しか注文しない客は別の場所へ案内されるらしい。
もちろん私は料理を注文したので、豪華な方へ案内された。


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普段、高級レストランなどとは縁のない生活をしているので、こういう場所はなんだか落ち着かない。
店内には他には客はほとんどなく、その静けさが余計に私を緊張させる。
脇に置いた汚いリュックが、自分が今、場違いな場所にいることを実感させる。


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緊張のあまり、動作がぎこちない私。
無理に笑顔を作ろうとして失敗した。


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私が注文したのはセルビアの伝統料理、「ムツカリツァ」。
豚肉をトマトソースで煮込んだもののようだが、これがまたうまい!

私はグルメではなく、料理にはこだわらないたちだ。
だが、このムツカリツァだけは別格だ。
こんなにおいしい料理は食べたことがない。
今回の東ヨーロッパ旅行で食べた料理のうちで、間違いなく一番の味だ。
いや、私の人生の中でも、もっともおいしかった料理のひとつと言えるだろう。

あまりパッとしないベオグラードだったが、このムツカリツァを食べるためだけに訪れる価値はあると思う。

この料理をたいへん気に入った私はその後、レストランのメニューでムツカリツァを見つけるたびに注文することになる。
だが、カレメグダン公園内にあるこのレストランの味を超えるものにはまだ巡り会えていない。


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私は貧乏性なので、来たからには隅から隅まで見てまわらないと気が済まないたちだ。
雨の降る中、モチベーションもかなり低い状態で、公園内をくまなく歩く。
ひととおり見てまわったけど、やっぱりつまんないよ、ここ。


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カレメグダン公園内にはいくつか教会がある。
教会は世界中にあるけれど、国や宗派によって建物の形はかなり違う。
私は建築物には詳しくないけれども、それぞれ異なった様式だということくらいならわかる。
そしてここで見た教会は、間違いなく私の好みのタイプだ。
ガイドブックの写真でもこれと似たようなのを見かけたから、これから訪れるバルカン諸国にはこの様式の教会がたくさんあるのだろう。
そう考えただけでぞくぞくしてくる。
私の旅はまだまだ続くのだ。
こっとこの先も、素晴らしい景色が私を魅了し続けることだろう。

だがその前に、今日この一日をなんとか乗り切らなければならない。
雨がさらに強くなってきたので、この教会の中で雨宿りすることにした。

夕方にならないとアレクサンドラの家には入れてもらえないので、それまではなんとかして外で時間をつぶさなければならない。
きっと雨は一日中降り続けるのだろう。
なんという憂鬱な一日だ。

レストランでさっき食べたムツカリツァの余韻も冷めてきた。
どれほどおいしい料理を食べて身も心も温まろうと、物理的な体温低下にはかなわない。
降り続ける雨は、容赦なく私の体温を奪っていく。
寒い。
まだ9月初旬だというのに、寒い。

ガイドブックをめくっていると、思いがけないものを見つけた。
「トルコ風浴場施設」と書いてある。
この教会からは目と鼻の先だ。
冷え切った体を温めるには、これ以上のものはないだろう。
しかも名前がまたいい。
「トルコ風」
なんとエキゾチックな響きだろう。

雨が降る中、傘もささずに飛び出した。
少しくらい濡れたって、暑い湯船に浸かればなんということはない。
いつになく私の気分は高揚していた。
そりゃそうだろう。
雨に濡れて震えてる体を癒すことができる。
しかも「トルコ風浴場施設」で!
これぞ旅の醍醐味だ。

それらしい建物を見つけて飛び込んだ。
そしてすぐに希望が絶望に変わった。
なぜならそこは、トルコ風浴場施設「跡」だったから。
暑いお湯で満たされた湯船も、浴室に充満する湯気もなかった。
そこにあるのは、長い年月によってボロボロに風化した遺跡だった。

スーパー銭湯のようなものを期待していたわけではない。
おしゃれなスパなんてなくたっていい。
ただ、体を温める場所が欲しかっただけなのに。





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ガイドブックによると、このカレメグダン公園には軍事博物館があるようなので、行ってみようと思っていた。
雨をしのぐにはちょうどいいと思えたからだ。

だが、その必要はなかった。
城壁の周りには戦車や大砲がズラリと並んで展示されている。


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これが軍事博物館。
でももういいや。
戦車も大砲もいやというほど見たし。

ようやく雨もあがったことだし、本格的にベオグラード市内散策に繰り出すとするか。
あてもなくただブラブラと歩くのもいいが、やはり目的地があったほうが張り合いがある。
ということで、「リュビツァ妃の屋敷」というのを見に行くことにする。
理由は簡単。
ガイドブックでカレメグダン公園の次に載っていたからだ。


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これがそのリュビツァ妃の屋敷。
きっと歴史的には重要な場所なんだろうけど、私にはそのありがたみがわからない。


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次に訪れたのは「セルビア正教大聖堂」。
その仰々しい名前のわりには、それほどでもなかった。
もう教会はいいや。


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セルビア国立銀行。


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銀行の前にはこんなものが。
かつてはここに衛兵が立っていたのだろうか。


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なにやら怪しげな店。
その名も「Hyde」
「ジキル博士とハイド」のハイドだろうか。
堅苦しそうなセルビア国立銀行の前にあるのが印象的だった。


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ベオグラードの中心部、テラジエに戻ってきた。
雨がやんだせいか、人通りが多くなっている。


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「国立劇場」「国立博物館」「共和国広場」
このあたりにはものものしい名前の施設が多い。
さすがは首都の中心部。

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ガイドブックの地図をひろげて眺めていると、女の子に声をかけられた。
「なにを探しているの?」

私はスカダルリアを探していたのだが、迷っていたわけではない。
現在位置は把握していたし、目的地はもう目の前だった。
彼女の力を借りずとも、ほとんどスカダルリアにたどり着いたも同然だったのだ。

それでも彼女の親切はありがたかった。
異国に独りでいると、ちょっとした優しさが身にしみる。
こんなささいなことでも、この街の印象はガラリと変わってしまう。

ベオグラード、なかなかいい街じゃないか。


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スカダルリア。
ガイドブックによると、ここは「ベオグラードのモンパルナス」と呼ばれているらしい。
たしかにおしゃれな店がならんでいる。
せっかくベオグラードに来たからには、ここで食事をするべきなのだろう。
だが、私はついさっき昼食を食べたばかりだ。
ここからホストのアレクサンドラの家まではけっこうな距離があるから、夕食を食べにここまでわざわざ来るのもしんどい。

しかたがない。
スカダルリアは次回の宿題ということにしよう。
これでベオグラードを再び訪れる口実ができた。


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ヨーロッパ人の子どもがサッカーをすると、なんだか絵になるのはなぜだろう。


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スカダルリアの外れは、どうやらムスリム地区になっているようだ。
これはセビリ(水場)というそうだ。
初めて見た。
こういうのを目の当たりにすると、「ああ、遠くまで来たなあ」という気分になる。

私は知らなかったのだが、バルカンはイスラムとは関係が深い。
実際、この後私はさらにディープなイスラム世界を体験することになる。
こんなセビリはまだ序の口だったのだ。


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国立劇場


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最後にもう一度、テラジエを目に焼き付けておく。
あんなにつまらなく思えたベオグラードも、これでお別れかと思うと名残惜しくなる。

長生きしてりゃあ、もう一回くらい来る機会はあるさ。


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王宮


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最後にもう一度、クロズ・ミロシュ通りに戻ってきた。
雨もあがったことだし、じっくりと爆撃跡を見たかったからだ。


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空爆を受けてから20年間放置されてきた建物。
20年後、再び訪れた時、ここはいったいどんなふうに変わっているのだろう。


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廃墟と化したビルの写真を撮っていると、詰所から兵士が血相を変えて飛び出してきた。
なにかわめいているが、英語ではないのでなにを言っているのかわからない。
侍の衣装がまずかったのだろうか。
それとも日本刀?

拙い英語で兵士が説明するには、どうやら建物の前に置いたリュックが問題らしい。
きっと、爆弾テロを警戒しているのだろう。
この通り沿いには、政府関係の建物が多数存在するから、神経質になるのも当然か。

兵士は私の侍の衣装にはまったく興味を示さなかった。
ちょっとさびしいぞ。


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ベオグラード駅。
歩いていると、男たちにからかわれた。
「ヘイ! サムライ!」

ベオグラード市内を侍の衣装を着て歩いても、まったくのスルーだった。
唯一声をかけてきたのが、客待ちでヒマを持て余しているタクシーの運転手たち。

いつもなら、どんな相手に声をかけられても、それなりに相手をしていたのだが、今日は気分が乗らない。
無視して通り過ぎた。


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鉄道駅のとなりにあるバスターミナルで、明日のクラリェヴォ行きのチケットを買った。
クラリェヴォ。
どんな街だろう。
ベオグラードよりはおもしろいことを祈る。


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ホストのアレクサンドラの家へと向かう。
あたりが暗くなってきたが、不安はない。
今日は一日、ベオグラードの街を歩き回ったから、地理は頭に入っている。
もう地図を見なくても迷う心配はない。


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夜の聖サヴァ教会。
ここまで来れば、アレクサンドラの家はもうすぐだ。


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アレクサンドラの家に帰り着くと、彼女たちはすでに夕食を食べ終えたという。
一緒に食べようと思っていたのに残念だ。
しかたなく、独りで近所のレストランへと向かう。
ここは昨日の夜は閉まっていた。
アレクサンドラによると、なかなか評判のいい店らしい。
セルビアの伝統的な料理もあるという。
これは期待できそうだ。


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通りに面した屋外の席はあいにく満席。
仕方なく、店内へ入る。


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プリェスカヴィツァ。
セルビアの伝統的なハンバーグらしいが、はっきり言っておいしくない。
マクドナルドの方が数倍ましだ。

それなのに、私はこの後、行く先々でこの料理を食べるはめになる。
「旅をするからには、現地の料理を食べる」
というのは私のモットーだが、これには閉口した。
味気ないくせに、ボリュームだけはやたらとあるのだ。
私は残すのは嫌いだから、時間をかけて最後まで食べた。
まるで罰ゲームのようだ。


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「訪れた土地では、必ずその土地の地ビールを飲む」
というルールに従って注文したのがこれ。

私は日本ではお酒をほとんど飲まないから、ビールの味の違いなんかわからない。

でもきっと、これがベオグラードのビールの味なのだろう。

ベオグラード、そんなに悪くはなかったな。
また来てやるか。

テーマ : ヨーロッパ旅行記
ジャンル : 旅行

ベオグラードでカウチサーフィン(セルビア)

ベオグラード(セルビア)でカウチサーフィン(CouchSurfing)




ここベオグラードでのホスト、アレクサンドラの家は、鉄道駅からかなり離れた所にありました。
アレクサンドラはタクシーの利用を勧めてくれたのですが、あえて歩きます。
重い荷物を持ってガシガシと。

歩くの好きなんですよ。
セルビアなんてマイナーな国、今度はいつ来れるかわかりませんからね。
自分の足で歩いて、自分の目で街を見てみたいのです。

まあ、正直言うと、タクシー代がもったいないだけなんですけどね。
直通バスはないから、乗り換えもめんどくさそうだし。


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与えられた住所だけを頼りに、ホストの家を捜し歩く。
カウチサーフィンの醍醐味です。


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アレクサンドラ一家はすでに夕食を済ませていたので、独りで外に何か食べに行くことにします。

「セルビア料理が食べたいんだけど、この辺になにかある?」
と聞いたところ、近所のレストランはあいにく今日は閉まっているということでした。

「この時間だと閉まってる店も多いと思うから、私が開いてそうな店を一緒に探してあげるわ」
と、アレクサンドラもついてきてくれました。

彼女の言葉通り、夜も遅いこの時間では、ほとんどの店は閉まっています。
私に選択肢はありません。
プリェスカヴィッツァの店で手をうつことにしました。

これはこれでセルビアを代表する料理なのですが、私が訪れた店はトルコ人が経営しており、
現代風にアレンジされたファーストフードです。
アレクサンドラに言わせれば、

「こんなのプリェスカヴィッツァじゃないわ」
ということらしいのですが、仕方がありません。

明日はもっといいものを食べることにしましょう。


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ベオグラードでのカウチ。
アレクサンドラの家はそれほど広くありません。
私にあてがわれたベッドも、いつもは誰か他の人が使っているのでしょう。
私のために誰かが窮屈な思いをして眠ることになるのかと思うと、やはり申し訳ない気持ちになります。


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アレクサンドラと彼女の息子。
彼は空手を習っているそうです。

「ほら、マサトさんに聞いてもらいなさい」

母親にうながされて、男の子は

「イチ、ニ、サン、シ・・・」

と日本語で数を数え始めました。


空手を習わされたり、日本語を教え込まれたり。
日本大好きな母親を持つと、息子も苦労するよな。



アレクサンドラの旦那さんは、物書きをやっているようです。
昼夜逆転の生活を送っていて、地下室に彼の書斎はあります。

あまり外に出ずに、部屋にこもってもくもくとペンを走らせているだけあって、彼はあまり社交的な性格には見えません。
皮肉屋の表情が顔にこびりついているようにも見えます。

そんな彼でしたが、私のためにコーヒーをいれてくれ、一緒に飲みながら話をしました。
私がアレクサンドラ一家に到着したのは夜遅かったため、ちょうど彼の活動が活発になる時間帯にあたっていたのかもしれません。


文筆家らしく、寡黙な彼ですが、話がユーゴ紛争のことに及ぶと、かなり饒舌になります。
明らかにアメリカに対して敵対心を抱いていました。

「あいつらは偽善者だ。
 「軍事施設だけを狙った」なんて言っているが、とんでもない。
 街の真ん中に爆弾を落としておいて、よくもまあそんなことが言えたもんだ。
 一般市民に被害が及ばないとでも思っているのか?」


日本では一般的に、「セルビア側が悪」のように報道されがちですが、
セルビアの一般人にだって大勢の犠牲者がでたのです。

「マサト、あんたも自分の目で見てくるがいい。
 あいつらアメリカが、俺たちにどんなにひどいことをしたかを」

そう言って彼は今なお残る爆撃跡の場所を教えてくれました。
一つはガイドブックなどによく載っている、官庁街。
もう一つはテレビ局です。

ユーゴ紛争時の爆撃跡を見るのは、ベオグラードでのハイライトの一つだったので、
さっそく明日行ってみることにします。

実は駅からアレクサンドラの家に来る途中、私はその場所を通っていたのですが、
夜で暗かったため、まったく気づきませんでした。



アレクサンドラは日本のことが大好きなようです。
大学では日本語を専攻し、現在でも学校で日本語を教えています。

彼女のカウチサーフィンのプロフィールには、
「日本人は大歓迎よ。 ぜひうちに泊まりに来て」
と大きく書いてあります。

彼女は最近カウチサーフィンを始めたので、私が彼女の家に泊まった、記念すべき第一号のカウチサーファーでした。


「おいマサト、アレクサンドラとなにか日本語でしゃべってみてくれよ」

旦那さんが皮肉な表情を浮かべながらそう言います。
アレクサンドラの日本語がどの程度のものか、試してみたいようです。

ベオグラードにはそれほどたくさんの日本人がいるわけではないので、アレクサンドラも日本人と本格的に会話した経験はほとんどないのだとか。

おっかなびっくり日本語で会話してみましたが、けっこうスムーズに話は進みましたよ。


常にハイテンションのアレクサンドラですが、ユーゴ紛争の話になると興奮度はマックスになります。
それもそのはず、彼女は戦争で危うく母親を失うところだったのです。

「紛争当時、私の母親は将軍の秘書をやっていたの。
爆撃を受けた、まさにあの建物が彼女の職場だったのよ。
アメリカ軍の爆撃目標は軍の司令部だったから、私の母の職場はもろに攻撃を受けて、木っ端みじんに吹き飛んだわ。
爆撃のニュースを聞いた時、私はまだ学生だったから、一目散に学校から帰ったきたの。
母がどうなったのか、気が気でなかったわ。
母親が無事で生きていることを聞いて、わあわあ泣いたことを今でも覚えているわ。
母と抱き合って泣いた後、落ち着きを取り戻した私はふと不思議に思ったの。
母の職場だった司令部はミサイルの直撃を受けたのに、どうして彼女は無事なのかしら?って。

攻撃を受ける直前、匿名の電話がかかってきたんですって。
「もうすぐそこはアメリカ軍の攻撃を受けるから逃げろ!」って。
その電話を受けて、ビルにいた人たちはみんな避難したらしいの。
だから、建物はあれほど大きな被害を受けたにもかかわらず、犠牲者はほとんどでなかったのよ。

でも、不思議な話よね。
いったい誰が電話してきたのかしら。
セルビア軍にはアメリカ軍の攻撃を予測できるだけの情報収集能力なんてなかったはずだし、
匿名の電話ってのも変な話よね。
だからあれはアメリカの情報筋が電話してきたっていうのが、もっぱらの噂よ」

これから攻撃しようとする相手に対して、
「今からそっちにミサイルが行くから、逃げろ!」
と警告する。
アメリカならそれくらいのことはやりそうだ。


ユーゴ紛争当時、私はセルビアのことなんてほとんど知らなかった。
まさか自分がそこへ行くことになるなんて、夢にも思わなかった。

それなのに、私は今、ベオグラードにいる。
当時、戦火の下にいた人たちと言葉を交わしている。
それどころか、彼女たちの家に泊まっている。

20数年前、ユーゴ紛争のニュースをテレビで見ていた自分に教えてやりたい。

「よく見とけよ。それは他人事じゃないんだぞ。
 お前はそこに行くことになるんだぞ。
 そこに泊まることになるんだぞ。
 今そこで爆撃を受けている人たちと、お前は言葉を交わすことになるんだぞ」


アレクサンドラは今、日本に旅行に来る計画をたてている。
それも1週間やそこらの短い期間ではなく、数か月の単位で。

旅行の資金が潤沢ではない彼女は、もちろんカウチサーフィンを使うつもりだ。
日本語大好きの彼女は、英語もフランス語も堪能。

日本のみなさん、アレクサンドラからカウチリクエストを受け取ったら、ぜひ彼女をホストしてあげてください。
ユーゴ紛争を経験した当事者から、貴重な話が聞けますよ。



テーマ : カウチサーフィン(Couch Surfing)
ジャンル : 旅行

ティミショアラ(ルーマニア)~ベオグラード(セルビア)

ティミショアラ(ルーマニア)~ベオグラード(セルビア)


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ティミショアラの駅


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まだ夜も明けきらないというのに、駅前はかなりの人で混雑していた。
さすがルーマニア西部の拠点都市。
この街には牛も馬車も走っていそうにないな。


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ひっきりなしにトラムが目の前を通り過ぎる。
こんな朝早くから、みんなどこへ行くのだろう。

ここはある意味、日本よりも都会かもしれない。


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ベオグラード駅前(セルビア)

いやな雨だ。
東ヨーロッパの夏は毎日雨ばかりなのか?
体中からカビが生えてきそうだ。


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「この電車に乗って、ノヴィ・サドまで行こうか?」

そう考えている間に土砂降りになってしまった。
駅から一歩も外に出ることができない。
吹きさらしの寒い構内に釘づけだ。



==========================================


バイアマーレを出た時は比較的空いていた電車も、だんだんと乗客の数が増え、乗り降りする人の数も多くなってきた。
夜中の3時にこんなにも人の出入りがあるものなのだな。
いったいこの人たちはどういう生活サイクルをしているのだろう。

この電車は寝台列車ではない。
だから座席は倒れないし、そもそも寝ることを想定していない。
夜中の0時に出発して、朝の6時に到着するというのにだ。

それでも体力を温存したかった私は、4人がけのコンパートメントを一人で占有して、無理やり寝た。
かなり無茶な姿勢となるが、少しでも体を横にしておきたかった。
まだまだ体調は思わしくない。
できるかぎり体力を回復させねば。

電車の座席は木製で固く、振動がモロに伝わってくる。
乗客のざわめきもあって、本来ならとても寝れた状態ではないのだが、それでも寝るしかない。
当然のごとく、変な夢を見た。
夢の中でヘヴィメタがガンガン鳴り響いていた。
実際には電車の振動と乗客の喧騒だったのだが。
頭と首と、背中。それに腰が痛い。


最初のころは乗客が少なかったから、4人がけの座席を独占していてもなんの問題もなかったが、いつのまにか車内は満席で、大勢の人が立っていた。
それでも誰も私に文句を言う人はいなかった。
よくもまあ頭を蹴られずにすんだものだ。

ゆっくりと起き上がり、他の人のために座席を開けた、
つもりだったが、しばらくの間、誰も私のコンパートメントに座ろうとはしなかった。
薄汚い東洋人と同じ席にはなりたくないということなのだろうか。


以前ルーマニアを旅行した時は、列車が2時間以上も遅れたことがあった。
なのでこの国のダイヤなんてあてにはしていなかったのだが、
驚くべきことに、列車はほぼ定刻通りにティミショアラに到着した。

降りる前にトイレに行っておこうとしたら、車掌が外からドアをガンガン叩く。
なんだよ。
小便くらいゆっくりさせてくれよ。

私がトイレから出ると、すぐに電車は猛スピードで走り去って行った。
中には誰も乗っていない。
どうやら車庫に入れるらしい。

あの車掌は親切でトイレのドアを叩いてくれたのかもしれない。
危うく閉じ込められるところだった。




ここティミショアラから私をベオグラードに連れて行ってくれるバスは8時に到着する予定だ。
バスと言っても、乗り合いバスのようなもので、こちらが指定した場所から、指定した場所まで運んでくれる。

ルーマニア後もセルビア語も話せない私は、本来ならこんな乗り物には乗れないはずなのだが、
バイア・マーレでのホスト、アディが手配してくれた。
カウチサーフィンのおかげで、またひとつ、普通の日本人なら経験できないことを体験させてもらえた。
便利な世の中になったもんだ。

バスが私をピックアップする予定時刻まで、あと1時間半ほどある。
なにをするにしても中途半端な時間だ。

待ち合わせ場所のガスステーションに早目に着いて、メールやLINEをして時間を潰す。
貴重なバッテリーの浪費以外のなにものでもないのだが、人間、ヒマだとロクなことをしないものだ。

8:00にガスステーションを一通り見て回ったが、それらしき車はない。
きっとドライバーは遅れてくるのだろう。
ルーマニアとセルビアとの間には時差がある。
彼らはセルビア時間で待ち合わせ時間を指定してきたのかもしれない。

そう思ってのんびりと待つことにした。
1時間経ってもドライバーが現れなければ、バス会社に電話すればいい。

待ち合わせ時刻を50分ほどすぎた頃、電話が鳴った。

「おい、マサト。あんたいったいどこにいるんだ?
うちのドライバーはもう1時間もあんたを待ってるんだぞ。
黒のフォルクスワーゲンのヴァンだ」


確かに駐車場にそれらしき車が停まっている。
荷物を持って近づくと、ドライバーが血相を変えて飛んできた。

「おい、てめえっ! いったいどういうつもりだ?
約束の時間をもう1時間も過ぎているんだぞ。
なんで今頃やってきやがったんだ?」

冗談じゃない。
こっちはここで1時間半も待ってるんだ。
あんたが見つけやすいように、わざわざガスステーションの入り口で待ってたんじゃないかよ。

「待ち合わせ場所はガスステーションだ。
誰がガスステーションの外で待てと言った?
それに、どうして俺を探しに来ない?」

俺は8時に一通りガスステーション内を探したぞ。
その時にはこの車は無かった。
遅れてきたのはそっちなんだから、そっちが俺を探すべきだろう!

「俺は会社から8時に家を出ればいいと言われた。だからここに着いたのは8:15だ。その時いなくて当然だろう。
それに俺はあんたの顔を知らない。だが、この車には会社のロゴが書いてある。そっちが俺を見つけるほうがはるかに簡単だろうが」

このガスステーションには入り口は一つしかない。
俺はそこで待っていたんだからあんたは絶対俺を見ていたはずだ。
それにこんなでかいリュックを2つも持っているんだから、俺を見つけるのなんて簡単だろ?

「おい、よく見ろよ。このガスステーションにはリュックを持った人間なんて他にもゴロゴロいるんだ。そう簡単にお前を見つけることなんてできるもんか」

俺の顔を見ろよ。明らかに東洋人の顔つきだろ?
他の人間とは容易に区別がつくだろうがっ!



一晩中列車に揺られて、意識が朦朧としているはずなのに、口からポンポンと英語がついて出た。
思わず笑みがこぼれる。

すげぇー!
俺、今、英語でけんかしてる!

私の英語はとても粗末なものだ。
普段はつっかえながらゆっくりと話す。
「あー」とか「うー」とかうめきながら。

それなのに今はどうだ。
まるでオバマ大統領のようにとうとうとまくし立てている。
(ゴメン。言い過ぎました)


お互い言うことを言ってスッキリしたのか、車内ではお互い普通に会話をしていた。
この運転手は意外と大人なのかもしれない。

彼は日本や日本を取り巻く状況を熟知していた。
とりわけ対中関係については詳しかった。
どうやら彼は中国でビジネスを展開しようとしているらしい。

今はバスの運転手をしている彼だが、冬はスキーのインストラクターをしているらしい。
今、中国ではレジャー産業が急成長していて、これからスキーが大流行する。
あの国にはまだインストラクターはほとんどいないから、彼がスキースクールを展開すれば、きっと大当たりするに違いないと言っていた。
現在、中国大使館に通いつめて、詳細を詰めているとのこと。
大使館の職員も、
「あんたのビジネスは絶対に成功する。あんたは中国におけるスキー界のパイオニアとなるにちがいない」
と太鼓判を押してくれたそうだ。


ほんとかどうか知らないが、彼が言うには、セルビア人の平均月収は300ユーロ。
もちろんそれだけでは生活していけない。

「この国にはマジシャンが大勢いるんだ。毎月の収入より支出のほうがはるかに多いのに、それでもなぜか生活している。不思議な国だろ」


ユーゴ紛争が集結して20年が経つ。
それでもまだまだこの国の経済は脆弱だ。
EUにすり寄りたいが、ロシアの助けも要る。

「戦争は形を変えてまだ続いている。」
彼はそう言った。


ルーマニア - セルビアの国境を越えて、ベオグラードに着く頃には雨模様となっていた。
駅の建物に逃げ込んだものの、待合室がない。
バス停の待合室にはチケットがなければ入れない。

wifiはなかなか見つからず、やっと見つけたwifiもすぐに接続が切れてしまう。
ベオグラードのホストからメールが届いていた。
彼女に会えるのは夜の9時。
それまでどこかで待たなければならない。

貴重なベオグラードでの一日。
いつもなら雨などもろともせず観光に勤しむ私だが、今はまだ体調が万全でない。
ようやく下痢もおさまったと思ったのに、急に便意を催した。
きっとじとじとと振る雨のせいだ。

が、まだこの国のお金を持っていない。
駅構内の両替屋で、ルーマニアのお金をセルビアのそれに交換しようとしたら断られた。
ここでは取り扱っていないらしい。

隣の国だろ?
ここは首都だろ?
交換してくれよ。
トイレに行くには金が必要なんだよ。



駅の通路にしゃがみこんで雨をしのぐ。
通り過ぎる人々は興味深そうに俺のことをジロジロ見て行く。
ときおり冗談半分で「ニイハオ」と声をかけられる。

「俺は中国人じゃない。
日本人だ!」

そう叫ぶとキョトンとした顔をして去って行く。


ガラガラと大きな音をたてて通り過ぎようとしていたキャリーバッグが、
私の前でふと足を止めた。

見ると、東洋人の男のようだ。
日本人かもしれない。

私と目があった彼は、あわてて目をそらし、再び足早に立ち去っていった。
雨に濡れてドブネズミのようになってうずくまっている人間とはかかわりあいになりたくないらしい。



外は雨がざあざあ降っている。
寒い。
こんなところにあと6時間もいなければならないのか。
今日は雨だから暗くなるのも早いだろう。


どこからともなく、小便の臭いがただよってくる。
おかしいな。
トイレからはかなり離れているはずなのに。

尿の臭いが体にまとわりついて、このままずっと取れなくなるような気がした。


携帯のバッテリーは残りわずか。
あれ?
なんで携帯の電池残量なんて気にしているのだろう。

ここはセルビア。
電話をかける相手も、メールを送ってくる人間もいないというのに。

寒い。


となりでうずくまっている男は、さっきから奇妙な咳をしている。
どこか具合でも悪いのだろうか。

彼もバックパッカーのようだが、こんなところで何をしているのだろう。
今夜はここで夜を明かすつもりなのか?
雨が入り込み、冷たい風が吹き抜ける駅構内。
こんな所に一晩中いたら、健康な人間だって参ってしまう。
安宿に泊まる金さえ持ち合わせていないのだろうか。

それにしても、寒い。


ベオグラードは嫌だ。
どこまで行っても小便の臭いがする。



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テーマ : バックパッカー
ジャンル : 旅行

マラムレシュ地方の木造教会(世界遺産)(バイア・マーレ近郊、ルーマニア)

マラムレシュ地方の木造教会(世界遺産)(ルーマニア)でカウチサーフィン(CouchSurfing)


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ルーマニアのテレビでは、毎朝、教会の礼拝を生放送しています。
たとえなんと言っているのか理解できなくても、とても美しい歌声を聞いているだけで心がやすらぎます。
こういうのを毎朝聞いてから出かける習慣を持つ人は、その日一日、心安らかに過ごすことができるのでしょうね。


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「こんなの、マサトにはつまらないだろう?」

そう言ってアディはチャンネルを変えようとしましたが、そのままにしておいてもらいました。

確かに、私にはルーマニアの宗教のことはわかりませんが、それでも見ていたかったのです。
せっかくカウチサーフィンを利用して、普通の人の暮らしを体験させてもらっているのですから。


朝食はニワトリだったのですが、これも近所の人からわけてもらったものだそうです。
自給自足をし、村の人どうしで助け合う。
そういう習慣がまだ残っているんですね、この国には。


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夜明けとともに、アディの車で市内へと送ってもらいます。
まだ暗さが残る中、車の行く手を阻むものがあります。

あれはなんだ?


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牛の大群です。
車道の真ん中を、堂々と歩いています。
誰もクラクションを鳴らしたりなんかしません。
ここでは牛に優先権があるのでしょう。

アディの会社で車から降ろしてもらい、あとはバスで木造教会へと向かいます。


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バスを降りたところには、看板こそありますが、その他にはなにもありません。
世界遺産に登録されているというのに、商売っ気がまったくないようです。
私はルーマニアのそういうところが好きなんですけどね。


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ここからは歩き。
まだ体調が回復していないから、あまり遠くなければいいのだけど・・・


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今日訪れるのは、このふたつの木造教会。


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道中はとても快適なハイキング。
静かです。
誰ともすれ違いませんでした。

こんなに人口密度が低いのに、教会だけはやたらとあります。
人の数よりも教会の数の方が多い国。それがルーマニア。


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一つ目の教会は、それほど遠くないところにありました。
中には誰もいません。
貸し切りです。
世界遺産を貸し切り!
なんてぜいたくな旅をしてるんだ、俺は。


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教会の敷地内は墓地となっています。
墓場だというのに、美しい。
お墓の写真を撮るなんて不謹慎だとは思いましたが、あまりの美しさに、シャッターを押さずにはいられません。


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鍵がかかっていたため、中には入れませんでした。
本来なら見学することができるそうなのですが、まだ朝早かったため、誰もいなかったようです。


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二つ目の木造教会を目指して歩いていると、遠くから爆音が聞こえてきました。
牧草を積んだトラクターです。
ルーマニアのトラクターはよほど性能が悪いらしく、大きな音を鳴らす割には、ちっとも前に進んでいませんでした。


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先ほど見た教会が、もうあんなに小さくなっています。
乾草の間から見える木造教会。
ルーマニア大好き人間の私には、見るものすべてが素晴らしく思えます。


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二つ目の木造教会まではかなり距離がありました。
乗り合いバスのようなものも見えたのですが、今日は天気もいいですし、もう少し歩くとしましょう。
こんなに気持ちいいウォーキング・コースを、車でひとっ跳びしてしまうなんてもったいない。


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道の横では、牛が放し飼いにされています。
よそ者の私のことを、おそるおそる見ているようでした。
おどかしてごめんね。


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私の横を、3匹の牛が通り過ぎていきます。
首につけた鈴をカラン、カランと鳴らしながら。

この国にいると、心が洗われていくのがわかります。
ルーマニア、来てよかった。


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牧草を積んだトラクターは、相変わらず爆音をまき散らしながら走っていきます。
うるせー。


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ついに到着。
先ほどの木造教会とほとんど同じ形です。

でも、不思議と飽きません。
いつまででも見続けていたくなるような、そんな不思議な魅力をこの建物は持っています。


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ここで、ついにダウン。
まだ体力が完全には回復していないのです。

「世界遺産でお昼寝」シリーズ、第二弾です。
誰もいない木造教会を眺めつつ、心行くまで午睡を楽しむ。
これほどぜいたくなものはありません。


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しかし、いつまでも寝ているわけにはいきません。
よろよろと起き上がり、ふらふらしながら着替えます。

「侍の衣装を着て世界遺産と写真を撮る」
本日のミッションは、これにて完了。
ふぅー。


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参道の工事中らしく、かなり足場が悪いです。


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せっかくだから牛さんと一緒に写真を撮ろうとしたら、露骨に警戒されてしまいました。
あちこちで牛が大きなうなり声をあげます。

へんてこな格好をした東洋人を見たら、そりゃあ怪しいと思いますよね。


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「誰もいない世界遺産」
心行くまで楽しむことができました。
なんだかものすごく得をした気分です。

観光客も、みやげ物屋も、飲食店もない。
こののどかで落ち着いた雰囲気を、ずっと保っていてほしいものです。


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もと来た道を、またてくてくと歩いて戻ります。

のどが渇いた。
お腹もへった。

「どこかに一軒くらい店があるだろう」と思って、飲み物も食べ物も持ってこなかったのですが、甘かった。
この界隈には、一軒のお店もないのです。
村の人たちは、いったいどこで買い物しているのだろう。
やはり、すべて自給自足の生活をしているのだろうか。


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途中でペンションのようなものを見つけます。

「看板には飲み物のマークもあるし、ここならなにかありつけるかもしれない」

そう思って門を叩いたのですが、出てきたおばちゃんはまったく英語が話せません。
身振り手振りで「のどが渇いた」というジェスチャーをしたのですが、首を振るばかり。

「水くらい飲ませてくれよ!」
と思ったのですが、どうも無理っぽい。


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今日はずっと歩きっぱなしだったのに、一滴も水を飲んでいない。
これはまずいぞ。

そこで、一つ目の木造教会に水のマークがあったのを思い出しました。
「あそこまで戻れば、水が手に入るかもしれない」

そう判断して、再び教会へと戻ります。


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たしかに水はあったのですが、どうも地下水っぽい。

私はここ最近、ずっとお腹をこわしています。
この状態で地下水を飲むことには抵抗がありましたが、飲まずにはいられませんでした。

旅をしていると、安全な水のありがたさに気づかされますね。


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最後にもう一度ぐるっと一回りして、教会に別れを告げます。
こんなに単純な造りなのに、いくら見ても飽きないのはなぜだろう。


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延々と続く道。
ああ遠いなあ。


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お城のような教会が見えてきました。
ということは、バス停はもう近いはず。


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教会、教会、また教会。
ルーマニア人の教会オタクっぷりは徹底しています。


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ようやくバス停に到着。
来た時には閉まっていた売店が、今は開いています。
よかった。
これで飲み物にありつける。

中にはきれいなルーマニア女性がいて、彼女からファンタを買いました。
うまいっ!
こんなにおいしいファンタ・オレンジは初めてだ。


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バス停にたどり着いてはみたものの、この荒れっぷり。
ごちゃごちゃと張り紙はあるものの、肝心の時刻表は見当たりません。

このバス停は「生きている」のだろうか?
ほんとにバスはここに停まるのだろうか?
一抹の不安が頭をよぎります。

屋根は一応ついているものの、半透明なため、日光を防ぐことはできません。
暑い。
またのどが渇いたので、今度はアイスクリームを買いました。


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バスがいつ来るかもわからなかったので、ヒッチハイクをすることにしました。
ここルーマニアは、私が人生で初めてヒッチハイクをした国です。
そして、世界でもっともヒッチハイクをしやすい場所なのです。

というわけで、意気揚々とヒッチハイクを開始したのですが、暑い!
黒い侍の衣装は、太陽の熱を容赦なく吸収していきます。

車も通りそうになかったので、涼を求めて、売店に逃げ込みました。


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「どうだった? 車は見つかった?」

売店のお姉さんは、再び舞い戻って来た私のことを憐れむように見つめています。
まるで、「誰からも乗せてもらえなかった残念な子」を見るかのように。



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ペプシ・コーラを飲んで元気を回復した後、再び私は道路に立ちます。
空は青く晴れ渡り、清々しいです。

しかし、暑い。
車はほとんど通らないので、日陰に隠れて車が来るのを待ち、接近したところで道路に向かって飛び出します。

でも、よく考えたらこれは間違った戦法でしょう。
だって、侍の格好をした男が、いきなり木陰から刀を振り回しながら飛び出して来たら、
停まってくれるつもりの人だって、びっくりして逃げて行ってしまうかもしれません。



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それでも、すぐに車は止まってくれました。
それも、こんなに美人が!

ちょっとヤンキーぽい気もしますが、それぐらいでなければヒッチハイカーを乗せたりはしないでしょう。
「ヒッチハイクは危険だ」とよく言われますが、乗せてもらう方だけでなく、乗せる方だって危険と隣り合わせなのです。

それなのに、若い女性が乗せてくれた。
これにはちょっと感動しましたね。


彼女に限らず、ヨーロッパの女性は車の運転がうまいです。
オートマなんてほとんど走ってませんから、女性でも普通にミッション車を運転しています。
ぐいぐいとシフトチェンジしている様子は、見ていてほれぼれします。

時々彼女はすれ違う車に向かって手を上げたり、ウインクしたりします。
どうやら彼女はこの周辺では人気者のようですね。

というのも、すぐそこのガソリンスタンドが彼女の職場なので、この道路を走るドライバーとは顔見知りだということでした。

そのガソリンスタンドは市内からは少し離れたところにあります。
私のヒッチハイクはそこでおしまい。

「大丈夫よ。すぐそこにバス停があるから」
お姉さんはそう言い残してガソリンスタンドへと消えていきました。

なかなか威勢の良い、男前のお姉さんだったなあ。


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バス停では英語がまったく通じず、切符を買うのもひと苦労。
まわりの乗客も誰一人英語を理解しないのです。


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それなのに、乗客はみんな私に群がってきて、なにやらわめいています。
「一緒に写真を撮れ! 撮れ!」とうるさいです。

ルーマニアに限らず、東欧の路線バスには冷房はありません。
ものすごく暑いので、侍の衣装を脱ぎたかったのですが、まわりの乗客の雰囲気がそうはさせてくれませんでした。
ここで私が侍の衣装を脱いだりしたら、みんながっかりしそうな気がしたからです。

なので、炎天下、あつくるしい侍の衣装を着続けるはめになってしまいました。

マサト、日本のイメージアップのためにがんばってます。



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アディのオフィスに帰ってきました。
ここは冷房がガンガン効いています。
気持ちいいー!
汗がすーっとひいていきます。


アディは仕事の合間をぬって、私のためにバスを予約してくれました。
ここバイア・マーレからティミショアラまでは夜行電車で行くのですが、そこからセルビアまでは乗り合いバスを利用します。

ルーマニアからセルビアへの国境越えはなかなかややこしそうだったのですが、アディのおかげでスムーズにいきそうです。


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アディの仕事が終わるのを待ちました。
焼きたてのパンのいい匂いが鼻をくすぐります。


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バイア・マーレに立ち寄る機会があったら、ぜひアディ一族の経営するベーカリーでパンを試してくださいね。
おいしいですよー。


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まだ明るいうちに仕事を終えたアディの車で、村へと戻ってきました。
そしてすぐに夕食をごちそうになります。
至れり尽くせりだな。
私はほんとにホストに恵まれています。


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食事は大変おいしいもの、のはずなのですが、私は相変わらずお腹の調子が悪い。
そして、ルーマニアの料理というのは、とにかく濃い!
こってりとしているので、胃の調子が悪いときには、かなりこたえます。

アディのお母さんは毎回腕によりをかけてルーマニア料理をふるまってくれたのですが、
結局私はここにいる間、ずっとお腹を壊していました。
なので、ついにおいしいごちそうを心から味わうことができなかったのです。

ああ、なんてもったいないことを!


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バイア・マーレでの私のカウチ。
豪華でしょー


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市内に何か所もあるアディのお店。


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彼のお店から、いくつかの商品をいただきました。
「夜食に」ということです。
ありがたや、ありがたや。


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アディのお母さんからは、ジャムを一瓶もらいました。
そうです、あの手作りのジャムです!
これ以上のお土産はありません。

アディ一家のみなさん、この御礼はいつかきっと、必ず。


駅のすぐ近くにあるアディのベーカリーは24時間稼働しています。
なので、私の乗る夜行列車の出発直前まで、事務所で休ませてもらいました。
社長一族の客人ということで、従業員の方たちも、それはもう親切にしてくれました。
VIP待遇です。

いやはや、こんなに豪華なカウチサーフィンも久しぶりだな。


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バイア・マーレの駅構内。
ルーマニア北部の拠点駅だというのに、なんともさびしいかぎりです。


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これが私の乗る夜行列車。
ルーマニアともついにお別れ。
明日にはセルビアだ。

テーマ : ヨーロッパ旅行記
ジャンル : 旅行

カウチサーフィン(CouchSurfing)とは?

CouchSurfingKyoto

Author:CouchSurfingKyoto
.カウチサーフィン(CouchSurfing)とは。

日本に観光に来た外国人の宿として無償で自宅を提供し、国際交流を深めるというカウチサーフィン。

また、自分が海外に旅行に行く時には、現地の一般家庭に泊めてもらい、その土地に住む人々の生の暮らしを体験することだってできてしまいます。

ここは、そんなカウチサーフィンの日常をありのままにつづったブログです。

「カウチサーフィンは危険じゃないの?」
そんな危惧も理解できます。
たしかに事件やトラブルも起こっています。

なにかと日本人にはなじみにくいカウチサーフィン。

・登録の仕方がわからない
・詳しい使い方を知りたい
・評判が気になる

そんな人は、ぜひこのブログをチェックしてみてください。
きっと役に立つと思います。

最後に。

「カウチサーフィンを利用すれば、ホテル代が浮く」

私はこの考え方を否定しているわけではありません。
私もそのつもりでカウチサーフィンを始めましたから。

しかし、カウチサーフィンは単なる無料のホテルではありません。
現在、約8割のメンバーはカウチの提供をしていません。サーフのみです。

だって、泊める側にはメリットなんてなさそうですものね。

「自分の部屋で他人と一緒に寝るなんて考えられない」
「お世話したりするのってめんどくさそう」

時々私はこんな質問を受けることがあります。

「なぜホストは見知らぬ人を家に招き入れるのか?」

それはね、もちろん楽しいからですよ。

自己紹介
プロフィール


こんにちは。
京都でカウチサーフィン(CouchSurfing)のホストをしている、マサトという者です。
ときどきふらりと旅にも出ます。
もちろん、カウチサーフィンで!


(海外)
2011年、ユーレイル・グローバルパスが利用可能なヨーロッパ22カ国を全て旅しました。
それに加えて、イギリスと台湾も訪問。
もちろん、これら24カ国全ての国でカウチサーフィン(CouchSurfing)を利用。

2012年、東南アジア8カ国とオーストラリアを周遊。
ミャンマーを除く、8カ国でカウチサーフィンを利用しました。

2013年、香港、中国、マカオをカウチサーフィンを利用して旅行。 風水や太極拳、カンフーを堪能してきました。

2014年、侍の衣装を着て東ヨーロッパ20か国を旅行してきました。


(日本国内)
これまでに京都で329人(53カ国)のカウチサーファーをホストしてきました(2013年6月25日現在)。

もちろん、これからもどんどんカウチサーフィンを通じていろいろな国の人と会うつもりです。



カウチサーファーとしてのカウチサーフィン(CouchSurfing)の経験:


オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、チェコ共和国、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、ルーマニア、スロヴェニア、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、台湾

シンガポール、インドネシア、オーストラリア、マレーシア、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナム

香港、中国、マカオ

スロヴァキア、ポーランド、リトアニア、ラトヴィア、エストニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ、沿ドニエストル共和国、ルーマニア、セルビア、マケドニア、アルバニア、コソヴォ、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、リヒテンシュタイン


ホストとしてのカウチサーフィン(CouchSurfing)の経験:


アイルランド、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、イスラエル、イタリア、イラン、インド、インドネシア、ウクライナ、エストニア、オーストラリア、オーストリア、オランダ、カナダ、韓国、クロアチア、コロンビア、シンガポール、スイス、スウェーデン、スコットランド、スペイン、スロヴァキア、スロヴェニア、タイ、台湾、チェコ共和国、中国、チュニジア、チリ、デンマーク、ドイツ、トルコ、日本、ニューカレドニア、ニュージーランド、ノルウェー、ハンガリー、フィンランド、ブラジル、フランス、ベトナム、ベルギー、ポーランド、ポルトガル、香港、マダガスカル、マレーシア、メキシコ、モルドバ、リトアニア、ルーマニア、ロシア



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