コンポンスプーでカウチサーフィン(CouchSurfing)

バイクに2ケツ。
プノンペンに限らず、東南アジアでは当たり前の光景です。

私の乗るトゥクトゥクに突如乗り込んできた男。
彼は乗り合いタクシーの客引きなんですね。
私にはプノンペンからコンポンスプーまでの料金相場がわからないため、交渉は常に彼が主導権を握っていました。
しまった。
ホストのピセスに聞いておくんだった。
カウチサーフィンの本領を活かせなかった。

自転車もヘルメット着用。
義務?
それとも自己防衛?
プノンペンの交通事情はそんなに悪いのか?
自転車も普通に車道を走ってるように見えるのは気のせい?

乗り合いタクシーの中

カンボジアの道路には信号も標識も、
そして交通ルールすらも無い?!

えらい汚い所で車を降ろされました。
ここがコンポンスプー・マーケットだとか。


市場の中では、牛がゴミを漁っています。
しかし、ゴミを漁っているのは牛だけではありませんでした。
乳飲み子を抱えた母親が、腐った食べ物をゴソゴソとかき分けているではないですか。
(おいおいおい。まさかそれを食べるつもりじゃないだろうな?)
その「まさか」でした。
明らかに腐敗した魚を見つけたその母親は、今にもそれを口にしようとしています。
「Wait! Wait! Wait!」
思わず叫んでしまいました。
その母親は、怪訝そうに私を見ています。
私はどうしていいのかわからず、財布から10ドル紙幣を取り出して彼女に渡しました。
(そのお金で何か食べる物を買ってくれ。頼むから俺の目の前で腐った食べ物を食べないでくれ)
彼女はなぜ私がお金を与えたのか理解できないようでしたが、
赤ちゃんを片手に抱えてその場を去って行きました。
もちろん、そんなはした金ではこの母子を救うことなんてできません。
腐った食べ物を食べさせられる赤ちゃんは、遅かれ早かれ死んでしまうでしょう。
嫌なものを見てしまった。
これがカンボジアか。

「私にもお金ちょうだい」
一人の女の子が近づいてきました。
(なんだ、お前?
なんでお前に金をやらなきゃならないんだよ)
できることならこんな場所にこれ以上いたくなかったのですが、
ホストのピセスが来るまでここで待っていなければなりません。
それに雨も降っていて、屋根があるのはこの場所しかないのです。
他にすることもなかったので、この女の子と時間を潰すことにしました。
とは言っても、彼女はほとんど英語を解しません。
仕方がないので、ipadの使い方を教えてあげることにしました。

ipadで自分の顔を撮って遊ぶ少女。
この後彼女は、百面相を披露しだします。
おもしろいな、お前









彼がコンポンスプーでのホスト、ピセスです

彼が当然のように注文したこの卵が、
実はあの「ポンティア・コォン」だったのです。
ついにこれを食べる日が来たか

孵化寸前のアヒルの卵。
雛の形がわかるでしょうか?
これにスプーンを入れるのは、さすがにためらいました。


これがピセスの家。
なかなかいい味出してるでしょ

ピセスの家はお寺の中にあります



今夜はこのお坊さんたちと一緒に寝ることになります。
なかなか面白そうでしょ

ピセスが連れて来てくれたのはここ。
なんだかわかるでしょうか?

大音量の音楽が鳴り響き、ずいぶんとにぎやかです

実はここ、ピセスの友人の結婚式会場だったのです


これが今夜のカウチ。
20人くらいのお坊さんたちと一緒の部屋です
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6月30日 パゴダ・ボーイ(コンポンスプー、カンボジア)
カンボジアでのカウチサーフィンはかなり期待していたのだが、
当初予定していたのとはかなり異なるものとなった。
トゥクトゥクのドライバーをしているカウチサーファーはとてもいそがしく、
私とは会えそうにもない。
また、NGOだかNPOを運営しているカウチサーファーは、当日になって連絡してきた。
彼は孤児院を運営している。
カンボジアの子供たちの現状を知るにはとてもいい機会に思えたので、
私は一カ月以上も前にカウチリクエストを送っていたのに、だ。
今さら「ホストできるよ。ぜひうちに来てくれ」と言われても困る。
忙しいのは理解できるが、彼の対応を見る限り、とても歓迎されているようには思えない。
そしてピセスも対応もまた、親切とは程遠いものだった。
彼の家はコンポンスプーという町の近くにある。
そんな町、普通のガイドブックには載っていない。
だって観光地じゃないのだから。
行き方もわからない。
そこでピセスに尋ねることになるのだが、答えるのがめんどくさいのか、
「コンポンスプーだよ、コンポンスプー。プノンペンから1時間くらいかな。
そこのマーケットで待っててくれ。」
としか答えてくれない。
そりゃカンボジアに生まれ育った人間なら簡単に行けるかもしれないけど、
土地勘のない外国人にはピンとこない。
しかもプノンペンにはたくさんのバスターミナルがある。
せめてどのバスターミナルからバスに乗ればいいのかくらいは教えてくれてもいいだろうに。
実はこのピセス、カンボジアのカウチサーファーの中ではいわくつきの人物なのである。
ネガティブ・レファレンスこそもらっていないが、
その内容をよく読んでみると、なにかしら引っかかるものがある。
でも、そのことを差し引いても、彼の所でカウチサーフィンをすることは、私にはとても魅力的に映った。
カウチサーフィンのプロフィールでは、彼は自分のことを「パゴダ・ボーイ」と書いている。
孤児であるピセスは、お寺で育てられたからだ。
そして現在でも彼はそのお寺で暮らしている。
僧侶たちと寺院で寝泊まり、フレンドリーな近隣の村人との交流、家庭的で温かい本物のクメール料理・・・
ピセスのプロフィール欄に踊る、これらの魅力的な言葉達の誘惑に抗うことは、私にはできそうになかった。
彼と実際に会うまでは紆余曲折があったものの、
ピセスはなかなかの好青年だった。
英語もかなり達者で、とても早口。
きっと頭の回転も速いのだろう。
彼と食事をしている時、道路の方から嫌な音が聞こえてきた。
ぐふっ。
それが何の音なのかはわからなかったが、
それでも、とてつもなく嫌な音だということは、本能的にわかった。
今まで聞いたことのない音だったが、
遺伝子だかDNAだかのレベルでは、それが意味することを理解していた。
ピセスが顔をしかめて、道路から目をそらす。
振り返って音のした方を見ると、大型トラックがヨタヨタと蛇行しながら走り去って行くところだった。
なんであの車はあんなにフラフラしながら走ってるんだ?
トラックが去っていく方向とは逆の方向に、人々がわらわらと集まって行く。
みるみるうちに人だかりができ、彼らが何を取り囲んでいるのかは私の場所からは見えない。
見えないけど、それが何であるのかはすぐにわかった。
バイクに乗っていた人が、トラックに轢かれたのだ。
でも、うめき声らしきものは聞こえない。
周りを取り囲んでいる人も、手を差し伸べて介抱したりはしない。
それにあの音。
あれは手や足を踏んづけた音なんかじゃあなかった。
もっと根源的な、致命的なものの真上をトラックが無慈悲に通り過ぎて行った音だった。
何もかもが手遅れなのだ。
誰も何も言わない。
いつまでたっても、救急車のサイレンも聞こえない。
嫌な音を聞いてしまった。
カンボジアの後、私はベトナムで毎日バイクに乗ることになる。
だが、その度にこの時の情景を思い出すことになる。
「明日は我が身」
言いようのない不安が、澱のようにずっと私につきまとうこととなった。
たまたま今日はピセスの友人たちの結婚式。
彼はそこへ私を連れて行ってくれた。
結婚式会場には、大音量の音楽が流れ、
ステージの上ではセクシーなお姉さんたちが体をくねらせて踊っている。
これがカンボジアの結婚式なのか。
だが、音楽のボリュームの割には会場は盛り上がりに欠けていた。
人々の姿はまばら。
それどころか、新郎新婦の姿すら見えない。
「主役たちはどこにいるんだい?」
私がそう尋ねても、ピセスは首をかしげるばかり。
その理由を翌日ピセスから聞かされた。
日本と同じように、カンボジアでも結婚式の費用はかなり高額。
若いカップルには負担が重すぎるので、親が出すことも多い。
ところが、この新郎新婦の親はその費用負担でもめたそうだ。
結婚式当日になってもその決着はつかず、新郎側の両親はその親戚もろとも、引き上げてしまったのだ。
それに対抗してか、新婦側の親戚も帰ってしまった。
悲しみに打ちひしがれた新婦は部屋に閉じこもって泣き続けているとか。
いやな話を聞いてしまった。
なんだか今日はそんなのばっかだな。
いやなものを見、嫌な音を聞き、嫌な話を聞く。
この国は何かに呪われているのだろうか。
夜、ピセスと話していて、男女関係の話題になった。
私はこれまでに何人かの女性と付き合ったことがあること、
そのいずれもが処女ではなかったこと、
を聞くと、ピセスはたいそう驚いていた。
「自分の好きな女がすでに誰かとそういうことをしていても平気なのか?
カンボジアでは普通、生涯一人の相手としかしないぞ。」
その発想、まるで一昔前の日本だな。
ということはピセス、お前ひょっとして童貞か?
神聖なはずである寺院の中で、不健全な話をしながら夜は更けていったのでありました。
テーマ : カウチサーフィン(Couch Surfing)
ジャンル : 旅行