今夜のゲストはポーランドから。
ハリナは私よりもかなり年齢が上の女性なのだが、彼女のパワーにはただただ圧倒される。
彼女の娘さんはカウチサーフィンのヘビーユーザー。
その娘さんにすすめられて、ハリナもカウチサーフィンを始めた。
ハリナは娘さんから、「CouchSurfingを無料のホテルのようには使わないで!」と何度も念を押されたという。
そのせいか、「今夜は私が本物のポーランド料理をご馳走するわ」とはりきっている。
というわけで、チェンと3人でスーパーに買い出しに出かけた。
チェンはチェンで、中華料理を作ってくれるという。
そんなに食べられるかなあ。
食材をみつくろって、レジでいざ支払い、となった。
だいたいこういう場合、カウチサーファーがお金を出してくれることが多いのだが、
私は今日はハリナをほったらかしにして、チェンと遊んでいた。
その罪悪感もあったので、半分くらいは支払おうと思い、財布を取り出しておいたのだ。
すると、めざとくそれを見つけたハリナは、
「あら、マサト。あなたが払ってくれるの?
悪いわねえ。
そんなにあなた、お金を払いたいの?」
いや、できることなら払いたくないけど、支払わざるをえない流れになっちゃいましたよね。
とほほ・・・
まあいいか。ポーランド人に本場の料理をふるまってもらえるのだから。
チェンはというと、終始、スーパーの中では私たちとは別行動で、買い物カゴも支払いも別々でした。
一口にカウチサーファーといっても、その行動パターンはいろいろなのだな。

夕食を準備中のハリナとチェン。
世界各国の料理を食べることができるのも、カウチサーフィンの魅力の一つです。

ハリナがまず作ってくれた料理がこれ。
ポーランドの伝統的な料理らしいのですが、いかんせん、材料はすべて近所のスーパーで買ってきたものなので、
「どこかで食べたことのあるような」味でした。

料理をいただく前に、とりあえず記念撮影。
右がハリナ(ポーランド)。真ん中がチェン(中国)。

こちらもハリナがつくってくれたスープ。
彼女はわざわざポーランドからスープの素を持参してきてくれたので、
本場の味に近い物を味わうことができました。

くせものがこのお酒。
これもハリナがポーランドから持ってきてくれました。
「ウォッカ」って書いてない?
どうりでキツいわけだ。
乾杯するたびに飲み干さなければならないルールだったので、
あっという間に瓶は空になってしまいました。
お酒に強くない私は何度もむせて、涙目になっていたのですが、どうやら女性陣は平気なようです。

こちらはチェンが作ってくれた料理。
もちろん中華風です。
ポーランドと中国、同時に二つの国の料理が食べられるなんて、今夜は豪勢なのだな。

美女と一緒だと、箸が進む、すすむ。

ハリナはそのほかにもポーランドの食材をどっさりとプレゼントしてくれました。
ここまで気前のいいカウチサーファーは珍しいです。

さらにはポーランドのパンまでくれました。
怒涛のおみやげ攻勢!
と思っていたら、翌朝、彼女はこのパンを自分で食べてました。
あのー、ハリナさん?
たしかこれ、くれるって言ったよね?

最後におみやげ、もう一つ追加。
というより、食べきれなかったからくれたっぽい。
・・・
まあいっか。
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ハリナがまだけがれを知らない乙女だったころ、
世界は東と西の二つに分かれて、不毛な争いを繰り広げていました。
ポーランドは社会主義国家として、東側陣営に組み込まれていました。
そこには自由はありません。
「こんな抑圧された社会なんてまっぴら。
私は自由が欲しいのよ。
絶対に外の世界を見てやるんだから。」
当時、ほとんどのポーランド人は第二外国語としてロシア語を選択したのですが、
ハリナは英語を勉強することを決意。
インターネットも携帯電話もなかったその時代には、文通が世界中で大流行。
ハリナはペンフレンドを外国に求めました。
「私はこの国から出られない。
だからせめて、私の書いた手紙たちだけでも、自由な世界を旅することができればいい。
遠くへ。できるだけ遠くへ。
ヨーロッパはだめ。もっと他の場所がいいわ。
そうだ。日本なんてどうかしら。
アジアの中でも、ひときわ神秘的な国。
そして、サムライの住む国、ニッポン。」
こうしてハリナは日本人の男性と文通を始めることになりました。
彼はハリナに日本の雑誌やレコード、お茶などを送ってくれることもありました。
「なんて素敵な国なのかしら。
私はいつの日か、ぜったいにこの国を訪れてみせるわ」
この日本人男性との文通が、ハリナの原動力となり、彼女は毎日毎日英語の勉強を続けることができたと言います。
彼との文通は、数年にも及びました。
しかしある日、ハリナがポーランド人男性との結婚が決まったことを告げると、
それ以来、彼からの手紙は来なくなってしまいました。
彼女は何度も手紙を送りましたが、まったく返事はありません。
それから30年。
子供は独立し、彼女自身、経済的にも豊かになりました。
今では英会話学校を経営するまでになったのです。
50歳の誕生日を迎えるにあたり、ハリナはついに決心します。
「そうだ、ニッポンに行こう。
そして、彼に会って話をしよう。」
何十通も手紙を出したのです。
彼の住所は今でもはっきりと覚えています。
30年前とは異なり、今では容易に情報を収集することが可能です。
その住所には、同姓同名の人物が現在でも住んでいることもつきとめました。
でも、いきなり訪ねて行ったりしたら、相手がびっくりするかもしれません。
そこで、文通相手の近くに住むカウチサーファーに頼んで、ハリナからの伝言を届けてもらうことにしました。
カウチサーフィンって、こんな使い方もできるんですね。
ところが、彼の返事は意外なものでした。
「ハリナなんて女性は知らん。
文通なんてしたこともない。
人違いだ。帰ってくれ」
その住所では、昔から代々商売が営まれていて、家の所有者は変わっていません。
名前も同一人物です。
人違いということは考えられません。
「何年間も、何十通も手紙をやり取りしていたのよ。
忘れてしまったなんてありえないわ。
それとも私は、亡霊と文通していたのかしらね」
その男性の気持ちも、わからなくはありません。
彼にだって、現在の生活があります。
家族もいることでしょう。
それに、何年間も手紙のやり取りをしていたのに、いきなり
「結婚が決まった」などと言われたのですから。
「それでもね、私は彼の家に行ってみようと思うのよ。
抑圧された社会で暮らしていた当時の私にとって、
彼との手紙だけが唯一、外の世界へと開かれた窓だったの。
彼のおかげでどれだけ私の心は救われたことか。
ぜひとも彼に会ってお礼を言いたいのよ。
それに、私の文通相手がどんな幽霊だったのかも興味あるしね」
翌朝、ハリナは彼のもとへと旅立っていきました。
30年前の住所が書かれた紙切れとともに。
会わない方がいいこともある。
でも、ハリナにそう告げることはできませんでした。
彼女は30年待ったんだ。
誰にもハリナを止める権利なんてない。
今できることは、今やっておく。
それしかないんだ。
最後の最後に後悔しないように。
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