マリア、マリア、ああマリア! (オフリド湖、マケドニア)
今朝は5:30起き。
6時過ぎのバスに乗るためだ。
日本にいる時はぐーたらな生活を送っている私だが、旅に出ている時は違う。
せっかく海外に来ているのだから、1秒も無駄にしたくない。
今朝はまずスヴェティ・ナウムへ行き、その後はもう一度オフリド観光。
昼からはドラガンのボートクルーズの約束がある。
そしてその後はマリアと・・・

まだ早朝だというのに、スヴェティ・ナウム行きのバスはけっこう人が乗っていた。
だが、やはりまだみんな寝ぼけ眼らしい。
車内でしゃべる人間は一人もいなかった。
7:00に終点、スヴェティ・ナウムに到着。
観光客はおろか、売店の従業員の姿も見えない。
普通この時間に空いている観光地はないが、この聖ナウム寺院は朝の7時から開いているということだ。
まずは朝一でここを見学して、時間を有効に活用しよう。

バス停から聖ナウム寺院への道はとてもよく整備されている。
きっとかなり有名な観光地なんだろう。

途中、湧き水のような場所があって、そこからオフリド湖へと水が流れ込んでいる。
うそみたいに透きとおった水だった。
だからこの湖はこんなにもきれいなのか。

釣り人たちが静かに糸を垂らしていた。
何が釣れるのだろう。
このオフリド湖はブラウントラウトの料理が有名らしいが、この釣り人たちがブラウントラウトを釣っているようには見えない。

7時から聖ナウム寺院は開くと聞いていたのに、あたりは静まり返っている。
あちこちの門は閉まったままだ。
どっちの方角が寺院なのかわからず、ウロウロしていたのだが、なかなか見つからない。
ここかな?
とあたりをつけて門をくぐると、何人かの人がいた。
みんな軍服を着ている。
日本人の私はあきらかに部外者だ。
軍人たちにじろりとにらまれて、あわてて退散した。
門の外に出てからゆっくり確認すると、
「軍事施設につき立ち入り禁止」と書いてあった。
あぶない、あぶない。
あやうく射殺されるところだった。
それにしても、観光リゾート地になんで軍事施設があるんだろう。
まあ、フラフラと私に侵入を許すような警備体制なのだから、それほど重要な施設というわけではないのだろうが。

スヴェティ・ナウムの入り口には、
「孔雀があなたを傷つけるかもしれないから気を付けてね」という注意書きがある。

そして実際に敷地内には孔雀が何羽か歩き回っている。
ガイドブックにもこの孔雀のことが載っているくらいだから、きっとここの名物なのだろう。
でも、いらないと思う。
寺院の建築と孔雀の組み合わせが絵になるというわけでもない。

聖ナウム寺院にて記念撮影。
ここも今回の旅行の目玉の一つだったのだが、なんだかパッとしない。
きっと曇りがちの天候のせいだろう。
夏は観光客でにぎわうこの場所も、9月に入ったためか、がらんとしている。


それにしても寒い。
オフリド湖はサマー・リゾートのはずなのに、まだ9月なのに、寒い。
寒さに耐えきれず、自動販売機で温かい飲み物を買ってしまった。

なんともやりきれない気分でバス停に向かっていると、急に太陽が姿を現した。
さっきまでどんよりとしていた湖が、さっと青色に染まる。
景色が一瞬にして変わった。
美しい。
きっとこの陽光の下、聖ナウム寺院も光り輝いていることだろう。
これは引き返してもう一度見なければ。
だが、このバスを逃すと、次は昼過ぎまでない。
貴重なオフリドでの数時間を、バス待ちなんかのために浪費したくない。
でも、明るい陽の下で聖ナウム寺院も見てみたい。

誘惑に抗えず、寺院へと駆け戻った。
バスは逃すことになるが、後のことは後で考えることにしよう。
私は今を生きるのだ。
急いで写真を撮ったものの、かなりの部分が影に覆われている。
まだ朝早いので、太陽の位置が低いのだ。
観光客で混雑する時間帯を狙ってきたつもりだったのだが、どうやら裏目に出てしまったようだ。

雲が多く、太陽はすぐに隠れてしまう。
それでも、晴れた瞬間のスヴェティ・ナウムはとても美しい。
ここは高台にあるので、オフリド湖が一望できる。
もしも晴れていればきっと、息を飲む光景を見ることができるはず。
晴れていれば・・・

寺院を後にして再びバス停に向かっていると、また晴れてきた。
ついてない。
もう少し粘ればよかった。
このスヴェティ・ナウムには食事をする場所の他、宿泊設備も整っているらしい。
きっと夏の昼間は観光客でごったがえすのだろうが、今は人気がない。
湖畔のレストランも開いているのか閉まっているのかわからない状態だった。
今度来る時は、よく晴れた日を選ぼう。
湖を眺めながらの食事は格別のはずだ。

バス停に戻ると、大型バスが停まっていて、たくさんの観光客が降りてきた。
いい具合に空は晴れている。
みなさんはラッキーですね。
きれいな寺院と、きれいなオフリド湖が見れますよ。
それに比べて俺は、帰りのバスの逃して足止めを食らっている。
なんてざまだ。
ヒッチハイクをしようにも、ここから幹線道路に出るまではかなりの距離がある。
売店でバスの時刻を確認すると、次のバスは12:30だという。
冗談じゃない。
今日はオフリド観光のメインの日。
貴重な午前中をまるまる失ってたまるか。
それにしても、このバスの本数の少なさはなんとかならないのだろうか。
こんな事態に備えてか、バス停には1台のタクシーが停まっていた。
ここからオフリドまでは車で約1時間。
いくら物価の安い東欧とはいえ、タクシーを使うとなれば、さすがにかなりの出費を覚悟しなければならないだろう。
仕方がない。
時間を金で買うとしよう。
決心したものの、貧乏性の私はタクシー運転手に声をかけるまでに長い間ためらってしまった。
そしてその優柔不断さが命取りとなる。
目の前で他の観光客にタクシーを奪われてしまった。
土埃をあげて走り去っていくタクシー。
呆然と立ち尽くす私。
なんてこった。
これでオフリドに帰る手段はなくなってしまった。
その様子を見ていたのだろう。
どこからか男が現れた。
「オフリドに戻りたいのか? 俺の車で送ってやるぞ。 5ユーロでどうだ」
おそらく彼の提示した値段はタクシーを使うよりも安いだろう。
だが、人の足元を見るかのようなそのやり口に腹が立ったので、彼の提案を断った。
「いいのか? 次のバスは12:30だぞ。まだ3時間以上もあるんだぜ」
確かにその通りだった。
彼にお金を払ってオフリドに戻るのが最良の手段だ。
だが、このままむざむざとこの男の言いなりになるのは無性に悔しかった。
彼は草むらに入って、野草や木の実を集めている。
その余裕しゃくしゃくの態度が、また腹立たしい。
考えろ。
なにかいい方法があるはずだ。
・・・
名案は浮かばなかった。
しゃくにさわるが、男に金を払ってオフリドまで送ってもらうことにした。

最初はあまりいい印象を持てなかったこの男だが、よくよく話してみると、けっこういい人だった。
時々車を停めては、解説をしてくれる。
にわか観光ガイドだ。
これは安い買い物だったかもしれない。
彼はいったいどういう経歴の持ち主なのかはわからないが、なかなか知識が豊富な人だった。
英語だってしっかりしている。
マケドニアは旧共産圏の国のはずだ。
教育体制だって日本に比べればはるかに見劣りするにちがいない。
それなのに、オフリドではなぜかよく英語が通じた。
一大リゾート地だからだろうか。

晴れた日のオフリド湖は美しい。
その湖畔をドライブするのだから、これまた気持ちいい。
リゾート地というのも悪くないな。

カラフルに落書きされたトーチカ。
ほんの少し前まで、このトーチカは国中のいたるところで見られたそうだ。
そしてアルバニアでは今でもたくさん見ることができるという。
私は明日、アルバニアに入る。
ステルス戦闘機やミサイルの飛び交う現代戦で、こんな物がいったいどれほど役立つのだろうか。

オフリドの街が見えてきた。
快適なドライブもそろそろ終わりだ。

このおじさんの車でオフリドまで帰ってきました。
お金は取られたけど、なかなかいい人だったな。

オフリドに戻ってきて、いきなり写真撮影を頼まれました。
彼はクルーズボートの船長らしい。

そしてこの人はその助手っぽい。
オフリドの人は本当に侍が好きらしい。

まずは聖ヨハネ・カネオ教会へと向かいます。
今日は快晴なので、さぞかし見ごたえがあることでしょう。
そしてここでも観光客につかまります。


聖ヨハネ・カネオ教会。
オフリド湖の蒼とよく似会います。

昨日のひげもじゃの彫刻師に会えるかと思ったのですが、彼の姿は見えませんでした。
教会の裏手に細い道があって、山の上へと続いています。
「ひょっとしたら絶景スポットがあるかもしれない」と思って登ってみたら、やはりありました!

私はこの角度から見る聖ヨハネ・カネオ教会が大いに気に入りました。
これはもう写真を撮らずにはいられない。
ただ、セルフタイマーを使って思い通りの写真を撮るのって意外と難しいんです。
おまけにここは崖の上。
シャッターが下りる前に急いで駆けていくと、勢い余って崖下に転落しかねません。
教会とオフリド湖と私。
この3者がうまい具合に写真に納まるように、何度も何度も撮り直しました。

「手伝ってあげようか?」
不意に後ろから天使の声が聞こえました。
何度もカメラと崖の間を往復している私を見かねて、この女の子が写真を撮るのを手伝ってくれました。
今まで写真を撮るのに夢中で気づきませんでしたが、彼女もこの場所で聖ヨハネ・カネオ教会の絵を描いていたのです。
なんたる不覚!
こんなにかわいい女の子の存在に今まで気づかなかったとは。
ほんとにマケドニアは美人の宝庫だなあ。

彼女にみとれて、なんだか写真なんてもうどうでもよくなってきました。

丘をさらに登っていくと、また教会があります。
おそらく、聖パンテレモン教会でしょう。
ここでうかつにもトラップにかかってしまいました。
ガイドブックには、各教会には入場料が必要なことが書いてあったのですが、今まで支払ったことはありませんでした。
おそらく、建物の内部に入らないかぎり、自由に見学できたのでしょう。
そのため、この聖パンテレモン教会にもふらふらと近寄っていったわけですが、ここは外から見るだけでもばっちりと料金を請求されてしまいました。
しまった。
そうと知っていれば、遠くからこっそりと眺めるだけにしておいたのに。



聖クリメント教会。
私にはそれぞれの建築物の違いなんてわかりませんが、このオフリドの建築群はそれぞれがいい味をだしています。
どれも気に入りました。
けっこう写真を撮りまくったので、今日一日だけでかなりメモリーを消費してしまいました。

侍の衣装を着ていると、よく子供たちにからかわれます。
うう、恥ずかしい。
でもいいのさ!

なぜなら、この衣装のおかげでこんなグラマーなお姉さんを二人もゲットできるのだから。
それにしても、マケドニア人の女性というのはどうしてこんなにも魅力的なのだろう。

サミュエル要塞は有料でしたが、せっかくですから入ることにしました。

おそらくここがこの街で一番の高台なので、景色は抜群です。

風にたなびくマケドニア国旗。

サミュエル要塞自体はたいして見ごたえはありませんでしたが、そこから見える景色はよかったです。
湖から吹く風も心地いいい。
ドラガンとの約束に遅れそうだったので、急いで丘を降ります。
しかし、そういう時に限ってやっかいな連中と出くわす羽目になる。

体格のがっしりした二人組。
笑顔のようなものを浮かべてはいるが、目は攻撃的な色を帯びている。
「俺は空手をやってるんだ。ショウトウカンだ!知ってるか?」
そういいながら拳を突き出し、蹴りの動作をする。
もう一人の男は日本語もどきの言語で道場訓のようなものを読み上げる。
聞けば、オフリドの近くには空手の道場もあるらしい。
昨日は合気道の道場生に会った。
日本の文化の影響力ははかり知れない。
「お前、サムライなんだろ? だったら空手はできるよな? ちょっと俺たちの相手をしろよ」
侍の衣装を着て歩いていると、いろんな反応が返ってくる。
が、今まではおおむね良好的なものだった。
ここまであからさまに挑発されることはめったにない。
「いや、俺は用事があるから・・・」
と言ってその場を立ち去ろうとしたのだが、彼らは私を離してはくれない。
「おいおい。つれないこと言うなよ。 ここじゃなんだから、向こうの林の中へ行こうぜ」
もう一人の男は準備運動のつもりなのか、
「イチ! ニッ!」
といいながら、空手の突きの動作を繰り返す。
私は空手をやっていた。
組み手はきらいじゃない。
だが、ここで彼らを相手に手合せしても、なにも得るものはない。
まだ沿ドニエストル共和国のカンフーの達人とやりあうほうがずっとおもしろうそうだ。
彼らは道をふさいで私の行く手を阻んでいたのだが、かなり強引に押しのけてその場を逃れた。
後ろから挑発的な声が飛んでくる。
「逃げるなよ臆病者。その侍の衣装ははったりか?」
悔しかった。
彼らの空手のレベルは低かったから、二人相手でも勝てただろう。
でも、それでどうなる?
彼らの道場では、「武術はみだりに使うべからず」ということは教えないのだろうか。

オフリド湖の水の色は、なんとも形容しがたい色をしている。
この色を見ていると、昨日もらったラキアを思い出した。
さっきのごたごたのせいで、ドラガンとの約束の時間に遅れてしまった。
急がねば。

もう一度振り返って、聖ヨハネ・カネオ教会を仰ぎ見る。
やはり美しい。
今度はボートに乗って、湖の上から眺めることにしよう。
桟橋に着いてドラガンの船を探したのだが、どこにも見当たらない。
しまった。
約束の時間に遅れたから、もう行ってしまったんだな。
昨日あんなによくしてもらったのに、約束を破ってしまった。
あてもなく湖面を眺めていると、別のクルーズ船の船長が寄ってきた。
「俺の船でオフリド湖を遊覧しないか?」
きっとドラガンは他の客を乗せてクルーズに出かけてしまったのだろう。
でも、待っていたらそのうち帰ってくるかもしれない。
「悪いけど、他の船に乗る約束をしているんだ」
そう答えると、意外な答えが返ってきた。
「知ってる。ドラガンだろ。奴はさっきまであんたのことを待ってたが、なかなか現れないんで沖へ出ちまった。
待ってな。 今奴の携帯に電話してやるから」
なんと、彼はドラガンの知り合いだったのか。
「ここで待ってな。すぐにドラガンが戻ってくるから」
彼の言った通り、すぐに沖合からボートのエンジン音が聞こえてきた。
ドラガンだ。

ドラガンは二コラとその息子も呼んで、4人でオフリド・クルーズに出かけることになった。
天気は快晴。
船長も同伴者もみな気のいい奴ばかりだ。
そして美しいオフリド湖。
これ以上なにを望もうか。

オフリドの街が遠ざかっていく。

石でヘイゼルナッツと叩き割る二コラ。
ラキアにはこのヘイゼルナッツが一番合うそうだ。
彼は午前中、近くの山でこれを拾い集めていたらしい。
どんだけひまなんだよ、お前。
そして味の方だが、はっきり言っていまいち。
わざわざ石で殻を割らないと食べられないという手間のわりには、なんの味もしない。
コンビニで売ってるつまみの方がよっぽどおいしいよ。
それでも二コラは次々と殻をむいて私に渡してくる。
食べないわけにはいかない。

ある程度沖に出たところでボートを停めて、ラキア・タイム。
って、ドラガン、あんたも飲むのか?
酔っ払い船長の操るボートに乗るのはいやだなあ。
でもまあいいか。
たとえなにかあっても、このくらいの距離なら泳いで帰れる。
もちろん酔っ払いどもは放置しますよ。

ドラガン船長自家製のラキア。
相変わらずいい色をしている。
オフリド湖にぴったりだ。

とはいうものの、私はあまりお酒に強くありません。
しかも揺れるボートの上。
ううっ。
気持ち悪くなってきたぞ。

ドラガンは聖ヨハネ・カネオ教会の沖合でもボートを停めてくれました。
オフリド湖の上から聖ヨハネ・カネオ教会を眺めながらラキアのグラスを傾ける。
これ以上のぜいたくはありません。

湖畔にたたずむ聖ヨハネ・カネオ教会。
どの角度から見ても絵になります。

ドラガンが見せてくれたオフリド湖の地図。
湖の真ん中に線が引かれているのがわかるでしょうか。
これがマケドニアとアルバニアの国境なんだそうです。
湖の真ん中に国境があるんですね。
私が今朝スヴェティ・ナウムで見た軍事施設は、どうやら国境守備隊の基地のようです。
というのも、アルバニアから越境してくる密漁者を取り締まる必要があるからだとか。
いわばあそこは最前線。
そんな軍事基地に、私は知らないうちに入り込んでしまったわけです。
それも、侍の格好をして。
よくも撃ち殺されなかったものだ。

さらに奥へと進んでいくと、水着姿の人が見えます。
このあたりは観光地からはかなり離れているので、ゆったりとくつろげそうです。

それほど大きな湖ではないのに、オフリド湖の透明度はおそろしく高い。
水はなんともいえないきれいな色をしている。
今日は快晴。
聖ヨハネ・カネオ教会を眺めながら泳いだら、さぞかし気持ちいいだろうなー。
私がぼそっとつぶやくと、
「泳げよ」
とみんなに言われました。
そう言われても、私は水着を持ってきていません。
「パンツで泳げばいいじゃないか。どうせ誰もいないんだから」
とドラガンたちは言います。
それもそうだな。
こんな美しい湖を見せられて、泳がずに帰れるか!

パンツ一枚になってオフリド湖に入る私。

夏とはいえ、まだまだ水は冷たい。
ところで、この湖には危険な生物は棲息していないだろうな。
「がははは! 心配するな。ここだけの話、この湖にはサメがいる。 オフリド・シャークだ!」
いや、ドラガン、この状況でそんなジョークは聞きたくないぞ。

それではひと泳ぎしてきまーす。

憧れの聖ヨハネ・カネオ教会を眺めながらオフリド湖で泳ぐ。
これ以上のぜいたくが他にあろうか。
これにて本日のミッション完了!

さらにもうひと泳ぎして、教会にグッと近づいてみました。
私は昔、水泳の選手だったので、泳ぐのは得意なのです。

しかしさすがに疲れたので一休み。
砂浜じゃないのが残念だけど、とにかく気持ちいい!
水に濡れて重くなったパンツがずり落ちそうだけど、そんなことは気にしないのさ。

少し休憩して、すぐまた泳ぎ始めます。
とにかく気持ちいい。
このままいつまでも泳いでいたい。
「おーい、マサト。 いつまで泳いでいるつもりだ? さっさと上がって来いよ。メシの時間だぞ。」

水があまりにも透明なので底がくっきりと見えるのですが、オフリド湖はかなり深いです。
今度来る時は水中メガネを忘れないようにしよう。

最後にもう一度、聖ヨハネ・カネオ教会を通り過ぎます。
どこから見ても絵になる教会だけど、湖の上から見る姿もまた格別だな。
着替えのパンツは持ってきていないので、乾かすために私はずっとボートの上でパンツ一丁でした。
「おい、マサト。 いつまでそんな格好でいるつもりだ? もうすぐレストランに着くぞ。 パンツ一丁で食事するつもりか?」
まだパンツは濡れたままでしたが、その上から服を着ざるをえませんでした。

あいかわらず酒浸りの二コラ。
この男はいったいどんな素性の人間なんだろう。
と思っていたのですが、なんと、彼はハングライダーのヨーロッパチャンピオンだというではありませんか。
夏の間はオフリド湖の近くでハングライダーを教えているのだとか。
「空を飛ぶのは気持ちいいぞ。 マサト、お前もやるか?」
ハングライダーには前から興味がありました。
ヨーロッパチャンピオンに教えてもらえるなんて光栄です。
来年の夏は、ついにハングライダーデビューか?
酒のまわった二コラは武勇伝を語り始めます。
「俺はオリンピック代表だったんだぜ」
ん?
オリンピック種目にハングライダーなんてあったっけ?
オフリド湖に面したレストランは、いかにもリゾートにふさわしい雰囲気を醸し出していた。
人生の楽しみ方を知り尽くした達人たちが、優雅に夏を謳歌している。
みすぼらしい東洋人の自分には、場違いな気がする。
ドラガンたちが一緒でなかったらきっと、自分一人ではこんなまぶしい場所には来れなかっただろうな。
レストランの中を見回してみたが、マリアの姿は見えなかった。
もしかして今日は非番なのか?
ここへは彼女の顔を見るために来たようなものなのに、マリアに会えないとしたら意味がない。
悲しい気分になったが、二コラたちが従業員になにか言っている。
きっとマリアを呼ぶように言ってくれているのだろう。
そう思いたかった。
一抹の不安はまだ残るが、考えてもしかたがない。
彼女には彼女の都合もあるのだ。
料理はドラガンたちにすべて選んでもらった。
彼らは地元の、しかも観光のプロなのだ。
彼らにまかせておけば安心だろう。
料理をみんなでシェアしたので、いろんな種類のマケドニア料理を味わうことができた。
同じマケドニアでも、スコピエとオフリドとではその内容はずいぶん異なる。
みんなでわいわい囲む食卓は楽しかった。
一人で旅行している身には、これ以上ないぜいたくな時間だった。
これでマリアさえこの場所にいてくれたら・・・

「ハイ! 呼んだ?」
マリアだ!
彼女が来てくれた。
いったい今までどこにいたのだろう。
うれしくて、食事なんてそっちのけで、ついつい彼女と話し込んでしまう。
マリアは仕事中だから、私たちのテーブルにつきっきりというわけにはいかない。
オーダーが入ればそちらへと向かわなければならない。
それがまたもどかしい。
ああ、マリア。
彼女を独占できたらどんなにか幸福だろう。
やはりマリアは日本文化のファンだった。
私の話を興味深そうに聞いてくれる。
「ちょっと待ってて、マサト。あなたに見せたいものがあるの」
そう言って彼女は店の奥へと引っ込んだ。
二コラがからかうようにマリアの真似をして言う。
「マサト、あなたに見せたいものがあるの」
そう言って、シャツのボタンをはずし、胸を開く仕草をした。
「えっ、ほんとに! そんなもの見せてくれるの?」
そんなはずあるわけないのに、ちょっと期待してしまう自分が恥ずかしい。
店の奥から戻ってきたマリアの胸には、2冊の日本語辞書が抱かれていた。
こんなものをバイト先に持ってくるなんて、彼女はよっぽど日本のことが好きなんだろう。
ほとんどの日本人は、マケドニアのことなんてよく知らないと思う。
それなのに、このオフリドの湖のほとりには、日本のことをこよなく愛する少女がいる。
そう思うと、なんだか不思議な気がした。

食事を終えたドラガンたちは、私を残して帰っていった。
「じゃあな、マサト。マリアとうまくやれよ」
な、なんなんだ、こいつらは。
妙なところで気を使いやがって。

ひと泳ぎした私は、お腹がかなり減っていて、まだ食べたりなかった。
それに、マリアとももっと話していたかったので、追加でここの名物、マスを注文することにした。
オフリド湖産のマスと、輸入物のマスとでは、値段に雲泥の差がある。
だが、せっかくオフリド湖に来ているのだから、やはりオフリド湖で採れたマスを試してみたい。
それに、マリアの前でいい格好もしたかったのだ。
運ばれてきたマスは、お世辞にも豪華だとは言えなかった。
でもそんなことはかまわない。
運んできてくれたのはマリアなのだ。
彼女はひまを見つけては、私のテーブルに来ておしゃべりをしていく。
そうだ。私はここにマスを食べに来たわけではないのだ。

マスを食べる時に、ナイフとフォークだけでなく、どうしても指を使うことになるのだが、魚を触って汚れた手を拭く特別なおしぼり器というものがあった。
マリアはそれの使い方を丁寧に教えてくれる。
そのおしぼりは、とてもいい匂いがした。
記憶と匂いは密接に関係している、という話を聞いたことがある。
私にとって、このおしぼりのいい匂いが、マリア、いや、オフリド湖の記憶と結びつくことになるのだろう。
もっとも、たとえこの匂いがなかったとしても、彼女のことを忘れることなんてできないのだが。

食後のデザートを運んで来た時、マリアにメモ用紙を渡された。
「マサト、今夜、会える? 私はバイトで10時までここにいなきゃならないの。
お客さんの状況しだいで、もしかしたら11時くらいになるかもしれないんだけど」
明日はアルバニアに向けて、早朝に出発しなければならない。
ここの国境越えはかなりややこしく、ハードだという話を他の人のブログで見た。
本来なら明日に備えて、今夜は早く寝なければならない。
だが、マリアからの誘いを断れるはずがない。
必ず会う。
這ってでも行く。
夢見心地でデザートを食べた。
こんなに甘いデザート、今まで食べたことがない。

このレストランは観光客だけでなく、地元の人もけっこう利用しているようだ。
みんな顔見知りで、マリアは彼らの間でかなり人気があるらしい。
あちこちのテーブルから、ひっきりなしにお呼びがかかる。
「マリア! マリア!」
そのたびに彼女は忙しそうに、座席の間を走り回る。
マリアを呼ぶ男たちの声を聞きながら、私は彼女の後姿を目で追う。
「悪いな、野郎ども。あいにく今夜、マリアには先約があるんだ」
テーマ : (恋愛)波瀾万丈・激動の恋愛documentary
ジャンル : 恋愛